これまでの記事で、戦時中に日本人が日本人に対して行ってきた事、日本人が外国人に対して行ってきた事を紹介しました。
④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。
かなり酷い事をやってきたのですが、「日本人は悪くない」と言う人がいるので問題視しています。
ワクチンで亡くなった人が大勢いるのに、「因果関係が認められない」とか、「死んだ人はいない」...みたいな事を言い張る人と同じくらい酷いと思っています。

日本人は人権意識が低いです。自分に対しても、同胞に対しても。
これに加えて「日本人は特別だ」という選民思想が強かったら、下に見た人の人権を平気で踏みにじります。
戦前・戦中は、外国人を見下していた記録があちこちに残っており、その差別意識は、今では考えられないくらい酷いです。
捕虜に対する昔の日本人の反応
「日本人は悪くない」...と思いたくても、当時の日本人がやった事を、大喜びしている様子を、新聞が伝えています。
捕虜に対してどう思っているか、本音が分かる記事がコレ。
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 大月書店』より

「鏖殺」とはみなごろしだそうです。新聞に書いて良い言葉ではありませんね。
老若男女一様に...と書かれているので、日本全体がこの雰囲気だったのでしょう。恐ろしい...。
それを普通に書いているところも凄いです。それが許される社会、何とも思わない社会
だったのでしょう。当時の日本は。

これを読むと、イスラエルのガザ地区の人々に対する非人道的な行為が思い出されます。
選民思想が強い人達にとって、下に見た相手の命など、どうでもいいのです。
揉み消し
「なかった事」にされた悪事は、外国人に行った事だけではありません。
同胞の中で起きた問題についても、「なかった事」にしていたようです。
『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍 / 著者:相可文代』
私の叔父(父の一番下の弟)は初年兵のときに、部隊内で下着を盗まれた。
軍隊では持ち物検査があり、きちんとそろっていないと厳しく叱責される。そのため、叔父は盗まれたことを正直に報告した。
すると、上官は「天皇陛下の軍隊に泥棒はおらん!」と言って、叔父を嘘つきと決めつけて殴った。
私はこの話を母から聞いたのだが、母に言わせると「軍隊では物を盗まれたら、別の人の物を盗ってつじつまを合わせるか、家族に手紙を書いて届けてもらうしかない。軍隊とはそういうところ」なのだそうだ。
軍隊ではしばしば、こうした盗難事件が起こったそうだ。基本的な物品は支給されるが、傷んだりしても、すぐ新しいものが支給されるわけではない。そのため、家から送ってもらったりするわけだが、送ってもらえる家ばかりではないから、新品を持って入隊する初年兵の持ち物は、しばしば狙われたらしい。
しかし、そんなことが起これば、班長である上官の監督責任が問われる。それゆえ、盗難事件などなかったことにされ、本人の責任にされたわけである。
さらに、母は、「泥棒はおらんと言われたときに、自分の勘違いでした、自分が紛失しましたと言えばいいのに、不服そうな顔をするからよけいに殴られる。軍隊では要領よく立ち回るものが勝ちなのだ」「軍隊では家から送ってきた物があるときは、必ず上官にも渡してふだんからかわいがってもらえるようにしておかなければならない」とも言った。
だが、私の叔父は要領よく立ち回ることができず、上官から目をつけられた。しばしばリンチを受け、やがて精神を病んで除隊させられた。私の軍隊嫌いは、この話を聴いたときから始まった。
(331p)
弱い者には偉そうにし、強い者には媚びる...スネ夫みたいな性格の人が軍隊では出世するとのこと...。スネ夫の集団で戦争をしても勝てるわけありません。
私は日本人を凄いと思います。現代の日本人を。
...何故なら、先人がここまで人間のクズだったにもかかわらず、今の人達はモラルが高いからです。全部が良いとは言えませんが、マシになりました。
戦後80年...すごい成長だと思います。
一方で、盗難、事件のもみ消し、リンチ...このような事が出来る人間性を「美しい」とか「精神性が高い」等と感じる人もいるみたいなのですが、そんな社会にして国民が幸せになると思っているのでしょうか。

盗難があっても、泥棒はいなかった事になったり...
侵略しても、悪い事はしてなかった事になったり...
このような綺麗事で成り立っている社会は健全とは言えません。
事実を突きつけられても「それは違う」と言い張るクセは、いい加減直した方がいいと思います。
昔の人がこの性質を問題視せず、改善しなかったせいで、現代もその伝統が受け継がれてしまいました。
だから、現実に被害に苦しんでいる人がいるのに、推進派は「ワクチンの被害はない」と厚かましい事を言うのです。
七三一部隊の当事者の証言
都合の悪い事を、「なかった事」にしたい勢力は、あの手この手を使って、証言しようとする人達の邪魔をします。
以下は731部隊の証言者の話です。
私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』
第二章 忘れえぬ七三一部隊の狂気
篠塚(旧姓・田村)良雄(千葉県在住・七七歳)
この一カ月ほど前の一九九八年六月二五日、自らの罪行について米国とカナダで講演をするため、篠塚は飛行機でシカゴ(米国)へと向かった。事前に、両国政府機関から「七三一部隊の戦犯なので、入国を許さない」という情報を受け取ってはいた。それでも、「話せば分かってもらえる」という思いで出発したのだ。
シカゴのオヘア国際空港の入国審査で、コンピュータが反応した。「ワシントン(米国政府)の命令だから、入国は認められない。篠塚には、ただちに日本へ帰ってもらう」。審査官にそう言われ、篠塚は成田へと送還された。
「米国とカナダで、わしの罪行について証言をしたかったのですが、残念でなりません。証言するから入国させない、としか思えない。口をつぐんでいる人は入国できるのに」。悔しさを押し殺してそう私に言うと、篠塚は目をつぶったまましばらく動かなかった。
(中略)
中国の寛大政策により、篠塚は五六年七月に起訴免除となり、八月に帰国した。千葉県の故郷へ戻って数日後、同郷の七三一部隊の元上官たちが「歓迎会」を開いてくれた。その場で、別の部署の元上官から、「石井(四郎)部隊長閣下のところへ、帰還の挨拶に一緒に行こう」と誘われた。篠塚は行く筋合いではないと思い、「わしはもう石井の部下じゃない。行くのは嫌だ」と断った。
その場は険悪な雰囲気になり、それ以降こういった会合に誘われることはなくなったという。
「あの時、石井四郎に会って就職の世話にでもなっていたら、今頃は口をつくんでいたかもしれません。行かなくてよかった」。そう当時をふり返る。その後、地方公務員となり、定年まで働いた。
定年後の八四年ごろから、七三一部隊での体験を講演するようになった。「わしが中国でやったことを、闇から闇に葬るわけにはいかない、と思ったのです。真剣な眼差しで、そう篠塚は私に訴えた。
講演会での証言は、九三年から七三一部隊展が全国各地で開催されるのと並行して、頻繁に行われた。嫌がらせも度々あった。渋谷(東京都)での講演後、ロビーでチンピラ風の若い男に「でたらめ言うな!刺すぞ!」と脅されたこともある。
千葉で講演をした時は、七三一部隊の部隊長のことを「石井四郎」と言うと、会場内の中年の男から「なんで石井閣下のことを、呼び捨てにするんだ!」と怒鳴りつけられたこともある。そんなことがあっても、証言を続けている。
「わしたちは、人としてやるべきでない事をしてしまったのです。被害者や遺族の立場になれば、どう思っただろうかといつも思います。せめてもの償いです」。
そう篠塚は言うのだが、講演で目にする彼はいつも苦しそうだ。それでも、悲しみやつらさの感情を押し殺し、必死に平静を装おうとする。「講演をして当時のことを思い出すと、苦しくて夜はなかなか眠れません。思い出すのは、とてもつらいのです」。そう篠塚は私に語ったことがある。
生涯を通じて責任を取る
米国とカナダへの入国拒否について、篠塚は力を込めて言う。
「確かにわしのやったことは、非人道的な行為でした。申し訳ないと思っています。しかし、米国は石井四郎(元部隊長)ら幹部と取り引きをして、“免罪”しているじゃないですか。彼らが入国できたのに、わしみたいな下っ端を入国させないのは、納得できない」
確かに、篠塚は非人道的行為をした。しかし、被害国である中国の裁判では不起訴処分となっており、「元戦犯」ではない。米国は、七三一部隊などの人体実験やその他の“研究”資料を手に入れることを条件に、これら戦争犯罪を追及しない、という取り引きをした。その一方で、篠塚のように自らの罪を認めて謝罪し、積極的に事実を証言している元下級軍属を入国させないのである。
(160~167p)
実際に関わった人が証言しようとすると、周囲から圧力がかかるみたいです。
それだけではありません。日本人はお上を悪く言えない性質があります。
上の立場の者や、政府の悪行を指摘することから逃げ回るケースも目立ちます。
私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』
「潞安陸軍病院だけでも三〇人以上、中国全土だと一〇〇〇人以上が生体解剖に直接かかわったはずなのに、ぼく以外ほとんど誰もしゃべらないんですよ」。
湯浅は、力を込めて会場の皆に訴える。「みんな『忘れて』るんです。日本人は戦争で犯した罪の意識がとても弱いのです。あるのは恥だけ。知らなければいいと思ってるんです」。
個人責任に収斂される危機感
このように、湯浅は自らの罪行を深く認識し、帰国後も認罪活動を続けてきた。しかし最近、自分と同じように認罪活動を続ける中国帰還者連絡会(中帰連)の仲間が「自分が悪かった」「当時は本当の鬼になった」などとばかり言い、当時の社会体制についてあまり指摘しないことに、ある種の危機感を持つようになってきた。
「当時は日本こそが理想的な国だと思っていて、中国人や朝鮮人を見下していた。そういう精神構造にさせられていたんです。『ヘッドギア』を付けられて洗脳されていたことに、気づかなかった。それなのに、自発的に考えて行動している、と思い込んでいたんです」。
湯浅はこう私に向かって訴える。しかし、中帰連の仲間にこのように言うと、「僕らがそんなこと言っちゃいけないんだよ。本当にひどいことをしたんだから」とたしなめられることもあるという。それでも。湯浅は自らの行為を認罪しつつも、あえてその大本の国家責任や構造的問題を指摘することを忘れない。
(184p)
このように、どんな理不尽な目にあっても、お上には絶対に逆らわないという精神構造は問題だと思っています。
戦後は日本国憲法になって、言論の自由が保障されているのに、奴隷服従根性のままなのが勿体ないです。
731部隊がやった事については、読むだけでもきついので、詳しい内容はあえて文字お越ししませんでした。その代わりに動画を貼っておきます。
この動画は、今から30年前、戦後50年に作成されたもののようです。
苦しい言い訳
家族に暴力を振るうような人は、他人に対しても酷いことができます。また、こういう人に限って、外面は良かったりします。
この理屈は国に置き換える事ができます。
自分の国に酷い事ができる体制は、他国に対しても酷いことができます。また、こういう国に限って、外面は良かったりします。
大日本帝国がまさにそうでした。
日本国民を人間として扱わず、他国に対しても酷い事をしていました。しかし、外面は気にするので「悪い事はしていない」と言い張っています。
しかし、日本側がどう言い訳しても、隠せないぐらい被害が酷いので、誤魔化すことは難しいです。
マイケル・ジャクソンが「私は整形してない」と言うのと同じくらい無理があります。
よく、GHQのせいで、「日本人が日本に誇りを持てなくなった」と言う人がいるのですが、
証拠が大量にあるのに、「やってない」と言い張る往生際の悪さ、「いつまで謝ればいいんだ」と開き直る態度は、ダサいキャラクターの特徴であり、「恥」以外のなにものでもありません。
嘘に嘘を重ねるような態度に、誇りを持てる方がどうかしています。
証拠や証言を客観的に見れば、相手国から見れば、やっている事そのものは加害であり侵略です。
満蒙開拓平和記念館(長野県):本人が語る76年前の「地獄の逃避行」 国策による苦難の歴史伝える
「満洲国の『五族協和』なんてとんでもない話で、日本人は一等国民、朝鮮人は二等、中国人は三等と、もうあからさまの差別。だから暴動が起きるのは何の不思議でもない」
日本人が綺麗なキャッチコピーを宣伝する時は要注意です。
続きは以下の⑦になります。












