日本側が「アジア解放」だと言い張っても、被害国は違う見解を持っていると思います。

 

 

被害者が嘘をつく可能性もあるので鵜呑みにするのは良くないですが、

 

 

もし被害者が複数いて、「お互いに全く接点がない被害者」の証言内容が一致しているなら、それは正確だと捉えて良いでしょう。

 

 

 

結果はどうだったのか

 

 

 

記録を見ると、日本は感謝されてない感じです。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

 

特徴的なのは、彼らは解放を口にはしても具体的ではない、ある国の解放=独立に日本がどう貢献したかを指摘しないことである。なぜそうなのか?

 

 

具体的にのべると、たちまち国の内外から反論され、根拠のなさが白日のもとにさらされるからである。

 

 

まったく仮定のことだが、もし日本がある国の解放・独立に貢献したとするなら、公的に感謝されることがあっても不思議ではない。

 

 

もっといえば、太平洋戦争の責任者の一人であった戦犯・東條英機が東京裁判の判決によって処刑されたのは遺憾だ、と公的に表明されても不思議ではないだろう。しかし、そのようなことはなかった。

 

 

サンフランシスコ講和会議でも、日本の侵略戦争のおかげで独立できたという主張はない。

 

 

八八年五月、参議院外務委員会で共産党の吉岡吉典議員の質問にこたえて、外務省の条約局長もつぎのように確認している。

 

 

吉岡議員 日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。

 

斎藤条約局長 そのような声明を行った国はなかったと承知しております」

 

 

 

感謝するどころか、あとでみるように、反対に日本軍国主義を糾弾したのである。それは、言語に絶する犠牲と被害をうけたからであり、なにより各国の独立はそれぞれの民族の事業として第二次大戦後に実現したからである。

 

 

(215~216p)

 

 

 

お前が頑張れたのは俺のお陰...と言う発想は、例えそうだったとしても、かなり厚かましい考えです。

 

 

英国の方がマシと思われた日本統治時代

 

 

今から20年以上前のことです。私は台湾に住む高齢者から、日本統治時代の治安の良さを聞かされたことがあります。

 

 

それを聞いた時は嬉しかったです。

 

 

その為、戦争で関わった他の地域からも同じように評価が高いのだろう...と、漠然と思っていたのですが、後になって調べてみるとそうではありませんでした。

 

 

特にガッカリしたのは、以下の、日本人に統治されるより、英国の保護下の方がマシだったという意見。全然解放になっていません。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

例えば、日本軍が一九四二年二月に占領したシンガポールでは、国立博物館の歴史展示コーナーで、同地の日本統治時代がいかに苛酷で苦しいものであったか、いかに多くの住民が犠牲になったかが説明されています。

 

市内のあちこちには、日本軍統治時代の住民虐殺(日本側の記録では約五〇〇〇人、シンガポール側の歴史記述では約五万人の住民が、日本軍の憲兵によって虐殺された)や憲兵隊本部での拷問などを示す記念碑が建ち、市の中心部には日本軍占領期に死亡した大勢の住民を慰霊する巨大な記念碑が立っています。

 

シンガポールを占領した日本は、この島の名称を勝手に「昭南島」へと変更して、終戦まで日本の支配下に置き続けましたが、シンガポールを独立させる計画は皆無でした。

 

シンガポールの初代首相で「シンガポール建国の父」と呼ばれるリー・クアンユーは、自分が 青年時代に経験した日本統治時代について、次のように書き記しています。

 

〈日本占領の三年半、私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。

 

同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。

 

日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。

 

日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分たちは違うと考えていたのである〉

 

(『リー・クアンユー回顧録』日本経済新聞社、上巻三五ページ)

 

(166~167p)

 

 

 

 

選民思想と差別意識...この考えが根底にあると、行動にも反映されますし、嫌われます。

 

 

そして、日本の評判が悪いのは、シンガポールだけではありません。

 

 

演説で語られた各国の思い

 

 

一つの国だけに叩かれて、他の国から感謝される...とかだったら、叩いてきた国の意見に懐疑的になりますが、複数の国から批判されると、「もしかしたら、こちらが間違ってるのかな?」...と、なりませんか。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

「アジア解放」の実態

 

 

太平洋戦争で戦火が及んだのは、北はアリューシャン(アッツ・キスカ島)、千鳥、日本本土、とくに沖縄、台湾、中国本土、インドシナ半島、フィリピン、タイ、マレー半島、ボルネオ、インドネシアの諸島、チモール島、ビルマ、インドの一部、南洋群島、ソロモン諸島、ギルバート諸島、ニューギニアなどである。

 

 

日本は東南アジアと西太平洋の島々を占領したが、それらは、タイをのぞき、当時はイギリス、オランダ、フランス、アメリカ、ポルトガルの植民地であった。この広大な空間で、日本軍が攻撃し米英蘭その他の軍隊が反撃し、大きな被害が生じたのである。

 

 

人的損害にかぎっても、中国では一〇〇〇万人以上、インドネシア四〇〇万人、ベトナム二〇〇万人、インド一五〇万人、フィリピン一一一万人、朝鮮二〇万人以上、オーストラリア二・三万人、ニュージーランド一・一万人、さらにシンガポール、ビルマの人びとが生命をうしない、総数は二〇〇〇万人以上と算出されている。

 

 

これに日本人の犠牲者がくわわる。日本の軍人・軍属などの戦死者二三〇万人、国内での空襲などによる死者五〇万人以上、総数で三一〇万人である。

 

 

「太平洋戦争=アジア解放」論者は、戦争によるこれらの犠牲をふみこんで描くことはしない。むしろ口をつぐみ、当時の東南アジアが欧米の植民地にあったこと、戦後に独立したという、この二つを並べて、日本がその解放に貢献したように印象づけようとしているだけである。

 

 

太平洋戦争開始から一〇年後のサンフランシスコ講和会議では、アジア各国の代表の演説に日本軍国主義への糾弾があった。四つだけあげておこう。

 

 

インドネシア代表アーマド・スバルジョ「占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損失があり、第二には数十憶ドルの物質的損害があります」

 

 

フィリピン代表カルロス・P・ロムロ「一千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他に未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。四年間に亙る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、わが国経済は完全に破壊し去つた」

 

 

ベトナム代表チャン・バン・ヒュー「物質的のみならず、その人民の生命においても最大の戦禍を蒙つた・・・・・・そして占領の悲惨な結果に陥し入らしめられた幾多ヴィエトナム人に対し私が今日敬虔な思いを致さなかつたならば、私はわれわれの死者に対する義務を欠くることになる」

 

 

オーストラリア代表ペルシ―・シー・スペンダー「〔オーストラリアの〕数限りなき死者、生き残つた不具者や盲目者、再び帰ることのない愛する者を弔う人々の悲しみ、戦争の捕虜となつた人々の失われた歳月、及びこれらの人々を待つていた苦悩」は深い(外務省『サン・フランシスコ会議議事録』)。

 

 

日本軍による暴虐へのうらみは、いまなおアジア各地に深く沈殿している。

 

 

この戦争の最高責任者であった天皇は、アジア・太平洋の人びとに謝罪することなく八九年に死去したが、敗戦の翌年につぎのように語っていたことが、九〇年に発表された『昭和天皇独白録』に収録されている。「私の考えは正しかった」とする末尾は、こうである。

 

 

「私が若し開戦の決定に対して『ベトー』(拒否)したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつ〔た〕であらうと思ふ」。

 

 

日本にひきよせて問題にしているのだが、開戦の決断で、戦争の犠牲はむしろ数分の一にとどまったとしていたのである。恐るべき神経である。

 

 

歴代保守政権も、あの戦争を侵略戦争とみとめてアジアの人びとに謝罪することをしていない。

 

 

(216~218p)

 

 

これに関しては、私はあえてコメントしません。被害を受けた国の人の立場を考えると言葉が出ないです。

 

 

各国の演説を聞いて、それでも「解放」と言い張る人は...いるかもしれませんね。

 

 

「ワクチン死」を「コロナ死」であるかのように報道する国ですから...。

 

 

 

 

 

 

次は、軍事裁判の結果を見てみます。

 

 

BC級の戦犯裁判の結果

 

 

「アジア解放」論を太平洋戦争に即して、検証する続きです。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

数限りない戦争犯罪

 

 

日本の敗北のあと、アジア、太平洋の各地でBC級の戦犯裁判がおこなわれた。

 

 

東京裁判の被告がA級であるのにたいして、特定の地域で「通例の戦争犯罪」をおこない、各国の軍事裁判に付された人びとはBC級戦犯とされた。

 

 

犯罪は捕虜と非戦闘員の殺害、虐待が圧倒的である。

 

 

アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国(国民政府)の七ヶ国、四九ヵ所で法廷がひらかれた。

 

 

件数は二二四四、裁判にかけられた人は五七〇〇人、判決は死刑が九八四人、無期刑が四七五人、有期刑が二九四四人、無罪が一〇一八人、その他、起訴取り下げ・控訴棄却が二七九人である(法務大臣官房司法法制調査部、七三年八月)。

 

 

起訴されたのは憲兵関係、捕虜収容所関係者が多い。

 

 

これには、ソ連、中国(中華人民共和国)の分ははいっていない。

 

 

先にふれたように、これらの裁判についても日本政府はサ条約で受諾しているのである(「日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し・・・・・・」)。

 

 

さらに、泰緬鉄道の問題もある。この鉄道は、タイとビルマの山岳・密林地帯四一五キロを、六万五〇〇〇の連合軍捕虜と三〇万ともいわれる東南アジアの労務者をつかってむすんだ軍用鉄道で、四二~四三年の一年三ヶ月で完成させた。

 

 

これによって、一万六〇〇〇の捕虜が飢え・疾病・虐待のため死亡し、アジア人の労務者の半数は自分の国に帰国していない。

 

 

建設にからんでBC級戦犯が数多くでて、有罪宣告者は一一一人、うち死刑が三二人であった(『東京裁判ハンドブック』)。

 

 

しかし、建設に動員され残酷なあつかいをうけて命を落としたアジア人について、責任を問う裁判はなかった。

 

 

(224~225p)

 

 

 

「いつまで謝ればいいんだ」と言う人がいますが、そもそも、日本は本当の意味で、謝罪も反省もしていません。

 

 

ただ「ごめんなさい」と言ったり、お金を配ったりするだけでは、通用しません。

 

 

原因を突き止め、反省し、再発防止にむけて取り組まないと、「大人の謝罪」とは言えないからです。

 

 

この理屈は、ワクチン被害にも当てはまります。

 

 

金だけ払って謝罪したフリをしても、被害者は納得しないでしょう。もしそんな態度をとれば、逆に怒りは大きくなります。

 

 

原因解明、反省、再発防止に向けた取り組みがなければ、本当の意味で謝ったことにはなりません。

 

 

被害者は、二度と同じような事が起きて欲しくない...と思うものだからです。

 

 

重要なポイントは「動機」

 

 

戦前の日本人が悪かったという話をたくさん紹介すると、「それでも、良い事をしたという話も沢山ある。」と言って、一部の良い話を教えてくれます。

 

 

だから侵略ではない...と主張したいのかもしれませんが、それは無理があります。

 

 

日本人が良い事をしたという話はあると思います。全部が悪いとは思いません。良い事は良い事なので、そこまで全否定するつもりはありません。

 

 

しかし、その一部分は、残念ですが、全体の目的を分析・把握するうえであまり参考にはならないのです。

 

 

「侵略」と捉えるべきか、「解放」と捉えるべきか...を判断する場合、一番重要なポイントは「動機」です。

 

 

戦争は大勢の人達が長い時間をかけて、実行に移すものです。

 

 

その為、ドラマとして見ると、「良い人」もいれば「悪い人」もいるし、同じ人物でも状況によって「良い事」をしたり、「悪い事」をします。

 

 

規模が大きくなればなる程、「予想外の事態」が起きる確率が高くなるので、「最初の計画」とは違った結果になる場合もあります。

 

 

従って、一つのストーリーでも、切り取り方によって、良くも悪くもなります。

 

 

戦争は縦社会の組織が計画し、それを元に大勢の人をコントロールして実行に移します。

 

 

従って、「計画を元に生じる一連の出来事」の本質を理解する時に、重要な部分は、「最初の動機や計画」です。

 

 

この部分に計画者の意図や目的が一番表れています。

 

 

出来事の本質を理解するうえで、次に参考になるのが「結果」です。

 

 

戦争の場合、「アジア解放」という建前で行って、その結果、「現地がどうなったか」という部分です。

 

 

現地は本記事でご説明したとおりです。結果をみれば、日本人がやったことは悪い事であり、

 

 

心から「共栄」など考えていなかった事が分かります。

 

 

大人なのですから表向きは良い事を言うものです。本音を見ましょう。

 

 

そして日本人の場合、白と決めたら、黒でも「白」と言い張るので、そういうことも注意する必要があります。

 

 

侵略の結果、戦後も残る問題

 

 

日本は戦前・戦中に、アジアの国に大変迷惑をかけたのですが、戦争が終わっても、昔の影響を受けて苦労している人達がいます。

 

 

以下は、菅野完氏が、蓮舫氏の二重国籍問題について語っている動画ですが、見て欲しいのは(8:00~)からです。

 

 

大日本帝国領だった人達の戸籍について。日本側の対応がクソです。

 

 

 

 

「大東亜共栄圏」とか「五族協和」とか言って、つるんでいたのにも関わらず、戦後は冷たく切り離す。

 

 

表向き良い事を言っていても、この冷たさに本音が表れています。

 

 

余談ですが、菅野氏が話している、人を棄てる話は、以下の動画でも別の角度から語られており、日本は同胞に対しても酷いことが良く分かります。

 

 

 

 

 

侵略を「侵略じゃない」と言うと、ブーメランになる

 

 

これまで「アジア解放」説を叩いてきました。

 

 

そうするのは、嘘が嫌いだからなのですが、他にも理由はあります。

 

 

「アジア解放」説を唱えている人達は、自分達の過ちを胡麻化せば、責任を取らなくて済むので、「逃げ得」だと思っているのかもしれません。

 

 

しかし、この態度は長い目でみると、日本人にとってマイナスにしかならない考えです。

 

 

悪事を「良い事」のようにしてしまうと、ブーメランになります。

 

 

 

例えば、日本軍がやった虐殺、略奪、強姦を「侵略」と言わない...と定義するなら、

 

 

戦後GHQが日本に入って来てやった事も「侵略」でも「植民地」でも「占領」でもないということになります。それこそ「日本解放」といわれますよ。

 

 

現在、日本が抱えているあらゆる問題を、何でもかんでもGHQのせいにする人が多いのですが、GHQは日本軍が他国で行っていた行為に比べると遥かにマシです。

 

 

GHQは日本の国民にとって、良い事もやっています。

 

 

例えば、奴隷憲法である大日本帝国憲法の呪縛から解き放ち、日本国民を「人間の地位」に戻し、「人権」という概念を植え付けました。これがあったから私たちは、これまで自由や権利が守られ、自分の力を発揮することができ、戦後の復興を成し遂げたのです。

 

 

あれを言っちゃいけません、これをやったらダメです。こうしなさい、ああしなさい...

 

 

そうやって、本人の自主性を押さえつけて、みんなと同じ考え、みんなと同じ行動をさせ、自分に嘘をつかせると、委縮して能力が潰れるので、一人一人の力が発揮できず、日本全体で見た時に、国力が落ちるのです。

 

 

その流れを変えたのがGHQなので、国民にとってはプラスになっています。ただし、GHQのやった愚民政策はダメです。

 

 

そして、日本人が中国で行った事を「悪くない」「共栄」と言うなら、今、中国人が日本の土地を買うのも(しかも合法的)「悪くない」し、「共栄」と言われます。

 

 

昔の日本人がやった事と比較したら、今中国人がやっていることはまだマシです。

 

 

例えば、土地を買われるにしても、売っているのは日本人です。

 

 

聞いた話ですが、土地を持っていても跡継ぎがいない等で、処分に困っている人がいます。なかなか買い手がつかない時に、中国人が現れて、日本人が払えないような金額で買ってくれると、ありがたいそうです。

 

 

逆に「外国人が土地を買うのは侵略だ」と言っている日本人は買ってくれない...。

 

 

土地を売りたい人からみたら、外国人であってもありがたいし、買った方からみれば「買い手がつかなくて困っていたところを助けてあげた」という構図になるわけです。

 

 

困ってたからアジアを解放してやった。インフラを整えてやった...だから問題ないと考える人は、

 

困ってたから土地を買ってやったんだ...という言い方を外国人からされたら、問題だと思わなくなるのですか?

 

 

相手に「してやった」を言わせない為にも、普段から、自分達の傲慢な言い方をやめるべきなのです。

 

 

もう一つ大事な事を言っておきます。

 

 

日本軍がやった略奪、強姦、虐殺を「悪くない」と定義したら、逆にされたら文句を言えなくなります。「お前たちがこれは悪くないって言ったよね」と言われるでしょう。

 

 

同じ事をされる可能性がある...という視点を持っていれば、これまで相手に向けた態度や言動がいかに危険だったか分かると思います。

 

 

 

相手の立場に立って考える事は大事です。

 

 

ダメなものは誰がやってもダメだとハッキリ言う事...それは相手の為でもあるし、自分の為でもあるのです。