- 投稿
- 未分類
ここ最近は、戦争ネタばかり書いています。
ブログタイトルと全然違うテーマなので、初めての方に、簡単に経緯を説明します。
マスクの弊害や、ワクチン薬害の実態を知ってもらいたくて活動しているうちに、
それを訴える為には、「人権」や「言論の自由」を守ってくれている「日本国憲法」を守らなければいけない事が分かってきました。
「日本国憲法」の大切さを訴えていると、時に、改憲派と話し合いをする事もあります。
彼らは「自分の国は自分で守らないといけないから、改正が必要。昔の日本人は祖国の為に戦ったんだ」...と主張されます。
でも、改憲派が語っている「昔の日本人の話」は、綺麗に加工されており、事実とかけ離れています。実際は、昔の日本人は、日本を守るどころか、外国人、同胞のどちらに対しても酷い事をやっていたからです。
でも、その話をすると、「あれは侵略じゃなかった。日本は悪くない」と言われます。
証拠を提示すると、今度は、「悪いかもしれないけど、いつまで謝ればいいんだ」と言われます。
・・・
マスク・ワクチン・戦争は、どれも「人権問題」です。
...元々は反ワク活動で人権や日本国憲法の大切さを訴えていたのですが、戦争を語るようになったのは、こういう理由からです。
...そういう事なので、今回は、日本が戦前、戦中にやってきた事に対して、きちんと謝罪や反省を行ってきたのか考えてみます。
実態
日本は中国を侵略し、酷い事をしました。詳しくは以下の記事を参考にして下さい。
日本が中国でした行いを反省しているか...といえば、していません。そもそも、具体的に何があったのか、何をしたのかさえ教えられないからです。
私はかろうじて、戦争体験者から直接話を聞ける世代でしたが、それ以降の子供達は、戦争体験者と接点が減っているので、教育で教えられなければ知るチャンスはほとんどありません。
「戦争を体験していない世代の国民」が知らないのは、学習指導要領を管轄する文部科学省、もっといえば日本政府に責任があります。
教育で教えないという事は、政府が謝罪、反省、再発防止に、真面目に取り組んでなかった...ということになります。
(以下の動画の11:05~)
立命館大学・国際平和ミュージアムでガイドを務めている、満州から帰国した村尾さんは次のように語っています。

...ね。どんな教え方をしているか分かるでしょう。
何故日中戦争を教えないのでしょうか。これでは国として反省をした事になりません。
中国をはじめとしてアジアで行った事を教えないというのは、結構深刻な問題で、
日本で最も平和学習が盛んだった広島でさえ、「加害者としての学習」はお粗末でした。
ほぼ記憶にないくらい...。
広島の平和学習は「せんそうはいけない」「かわいそう」...という事を強調することばかりです。折り鶴を折ったり、戦争の歌を歌ったり、劇をやったりもしましたが、感情に訴えかける授業がほとんどでした。
それも、「被害者としての視点」のみ。
広島は日清戦争の時から、戦争の後方支援をしていた「軍都」なので、戦争加害の歴史があるのですが、それは学校で教えてもらったことがありません。
日本軍が行った強盗、強姦、殺人等の加害行為に関する事も教えられたことはなかったです。
従って、「原因の追究、解明」と「再発防止に向けての取り組み」に意識が向く事もありません。
教育で教えられる情報が偏っている事に、当時は気付かなかったです。
そして、平和学習自体が、議論をする等、理屈で考えるような内容になっていなかったです。
「違う意見を言った友達」が、先生にこっぴどく叱られた事もあります。異なる意見を排除するところが、戦争当時と変わってません。
ヒロシマの平和学習は大失敗だったと思う理由と、戦時中より酷い心理操作にハマらないコツ。
戦争は政治の問題なので、政治を中心に教えるべきなのですが、平和学習で政治の問題に踏み込むことはありませんでした。
あの学習内容が全て間違っているとは言いません。しかし、「戦争の本質」や「具体的なな事」が学べないので、今後、改善すべきだと思います。
国民を虐待。同胞に対しても謝罪と反省はない
戦前・戦中の日本人は、自国民に対しても、非人道的な行為を平気で行ってきました。
「戦いに勝つ」とか、「国民を守る」といった本来の目的に直結しない無駄な嫌がらせや暴力、人権侵害が横行していたのです。
しかし、これ対して、謝罪や反省はありません。
国は国民の命を守る事が務めですが、戦時中はわざと飢えさせるような事をやっていました。
これは亡くなった祖母から聞いた話です。配給が足りないので、母親(曾祖母)と2人で農家に着物を持って行って、食料と交換してもらったのですが、船の乗り場に憲兵が待ち受けていて、没収されたそうです。
「闇だから違法」というのが、彼らの言い分ですが、そもそも配給が少ないので足りないわけです。物資が不足している中で戦争を行った国の責任です。
個人的に売り買いするのがダメだと言うなら、配給をもっと増やせと言いたくなります。でもそれはしません。
現代であれば、生存権を脅かすような対応なので、悪いのは国になります。
無計画に食べて無くなったのではなく、管理していても上手くいかないのです。
貰った配給は、次の配給日までもたせるために、均等に分けます。米は足りないので、おかゆにして水の量で誤魔化すしかありません。
「一日の量がこれだけ」...と決めていても、お腹はすくし、兄弟も多くて、足りないから、結果的に食いつぶすそうです。
「兵隊に出た兄」の写真を飾り、無事に帰ってくるようにと影膳をしていたのですが、その影膳のわずかなご飯を兄弟がみな狙うんだそうです。
そんな状況で、祖母と曾祖母は食料を求めに行ったのです。
戦争に行った兵隊は「国に残した家族に生き残ってもらう為」に闘っていますが、その残った家族が飢え死にしたら守る意味がありません。
国は国内の国民を守り、飢えさせないようにする責任があります。どうしても食料を提供できないなら、足りない時は、自分で調達する自由は残すべきなのです。
それを禁止して、女性から没収するなら、国家の存在意義はありません。物資がないなら、ないなりに、出来る範囲で、生きやすいように配慮する「愛情」が、大日本帝国には、全く感じられないです。
生前祖母は、戦争の時の色んな昔話をしてくれましたが、この件がとても悔しかったらしく、何度も聞かされました。
荷物をかついで、山を越えて遠くまで歩いて行ったのがしんどかったそうです。
「もっと年頃の娘が着るような着物はないんか」とか言われて、少ししか分けてもらえない。やっと手に入れても、島を渡る直前で没収ですから、酷いもんです。
男手は持って行く、食事は与えない、自分達でなんとかしようとしたら、それも阻止する。国民を守る気などさらさらないのです。
こんな話は他にも沢山あるでしょう。
農家から奪ったのではなく、持っていた着物と交換したので、その分損したことになります。
しかし、着物代は返してもらえないし、戦後、その件に関して、国は謝ってないそうです。
この件からも分かるように、戦争は敵国だけ攻撃するわけではありません。自国民に対する虐待も目的の一つとなっています。
コロナ禍でもそうでした。
表向き「コロナと闘う」と言いながら、途中から「科学的根拠はどうでもいいから従え」という本末転倒な方向になって行きました。「コロナと闘う」事は目的ではないからです。
日本は外国だけでなく、日本人にも謝っていないのです。謝る気もありません。
謝らない昔の日本人
当時の子供達は、「軍国少年」、「軍国少女」に仕立て上げられ、忠実なしもべだったのですが、その彼らでさえ、敗戦後に謝罪がない事に怒っていました。
「何故ごめんなさいが言えないんだ」...と、大人に腹が立ったと語っています。


以下の動画の(6:04~)。
美輪明宏氏も、日本人は日本人に対しても謝っていない事を話しています。やったことは非人道的なのにです。
日本人が日本人を殺している話をしています。
女学生の服装から、カラフルな下着が見えたら、「不謹慎だ」といって暴行、一週間後に亡くなる...とか異常です。
昔の日本の男は、同胞を殺しても、知らぬ、存ぜぬで謝らない卑怯者だということが分かりました。
ここまで酷くないですが、コロナ禍でも似たような「責任の擦り付け合い」が起きましたよね。だから、昔の事ですが違和感はありません。
日本人が戦前・戦中にした事に対して、「中国韓国がつけあがるから謝らなくていい」...と、非人道的な事を言う人がいます。
「じゃあせめて、日本人には謝れよ」と言いたくなります。日本人は身内ですし、謝ったら責めるのを止める性質の人も多いです。謝ったら、つけあがって色んな事を要求する可能性は低いです。
しかし、身内にさえ頭を下げないので、「単に謝りたくないだけ」か、「下っ端の日本人をゴミだと思っている」かのどちらかです。
そもそも、日本人が日本人を虐待していたことすら、教育で教えられていません。謝る以前に認める気がないのです。
④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。
つけあがるかどうか...は関係なく、単に「自分が悪い」と認めたくないだけです。「日本人は素晴らしい」という設定ですから。
現代でも「謝罪や反省をしない日本人」を見かけますが、彼らの「謝る・謝らない」の判断基準は、「日本人」とか「外国人」ではありません。
自分より立場が上か下かどうかです。
相手の立場が上だったら謝ります。反対に、「下の立場」に当てはまる人に対しては謝りません。
下に見ている相手でも、こいつと関わると面倒くさい...と思った場合は謝ります。
「戦争の本質」が抜け落ちている平和学習のツケ
日本国民が「加害者として何をやったか」を知らないなら、謝罪以前の問題です。
知らなければ、「同じ過ちを繰り返さないようにするには、どうすればいいか」という考えに至りません。
...で、解決策を提示しないから、また怒られるわけです。
被害者が怒っていても、「怒る理由が何か」を教えてもらってないので、「やってもない事を謝罪させられる」という気持ちになるかもしれません。
これでは、余計にケンカになりますし、永久に終わりません。
それとも同じ事を繰り返してほしいのでしょうか?
以上のようなことを考えると、日本は表面的には謝罪を述べたり、お金を払ったかもしれませんが、「謝罪の必要条件」である、「原因の追究、解明」と「再発防止に向けての取り組み」が出来ていないので、「本当の謝罪」にはなっていません。












