8月末に、「戦争の問題を記事にしているなら、毒ガスを作っていた広島県竹原市にある大久野島について取り上げた方がいい」...と、言われました。

 

 

大久野島がいかにヤバイ場所だったかは、学校の平和学習では習っていません。秘密裏に作っていたこともあり、製造に関わった人がいない地域では、話題になる事はありません。そのような事情から、広島の人でも知らない人がほとんどです。

 

 

私もその1人で、小さい戦争遺跡の一つだろう...程度の認識だったので、わざわざ取り上げるまでもないと思っていたのです。非人道的行為で有名な、731部隊や、南京大虐殺や、アヘン政策等のような大きな問題ではないと思っていました。

 

 

大久野島を調べる事は、最初のり気ではなかったのですが、地元広島だし、押さえておくか...ということで、関係する動画を視聴したら、想像を上回る酷さで大ごとだと気づきました。

 

 

確かにこれは記事で取り上げないといけない...と思ったので、その後、大久野島に行き、毒ガス資料館、遺跡巡りをして、本を数冊読みました。

 

 

 

(大久野島)

 

 

一通り調べた感想は、こんな酷い歴史が広島にあった事を、今頃詳しく知ったのがショックです。身近な人に話しても、その人達もほとんど知らないので、さらに衝撃的です。

 

 

ひょっとしたら、この反応は、私の周囲だけではないのかもしれない...と思いました。

 

 

最近、戦争中に日本人がやった行為に対して、「日本人は悪くない」「日本人はアジアにいつまで謝ればいいんだ。」「日本は侵略したんじゃない。アジアを解放するのが目的だった」「GHQのせいで自虐史観を植え付けられ、日本人は自分の国に誇りを持てなくなった」...等と、言い訳する人達が増えてきました。

 

 

大久野島の歴史は、戦時中の日本を美化する人達のあらゆる言い訳を、完全に打ち砕く内容です。

 

 

広島県は被爆地なので、被害者のイメージが定着していますが、一方で、加害の過去を持つ場所がいくつかあります。

 

 

その中でも、大久野島は突出しており、歴史的な視点でここを見ると、戦前、戦中の日本政府や日本軍のあらゆる悪い要素がつまった、縮図のような場所なのです。

 

 

大久野島の歴史を見れば、いかに日本が悪だったかが、言い逃れできないほど解ります。

 

 

だからこそ、大々的にアピールしないのかもしれません。

 

 

現在はウサギを全面に押し出した観光地になっており、「毒ガスの話」はサブみたいな扱いです。実際に取材に行ってみて、観光客の一人としてそう感じました。

 

 

大久野島の歴史を、原爆並みにきちんと伝えていたら、「戦時中の日本軍の悪事」を誤魔化す言い訳をする者は現れなかっただろう...と言っても過言ではないくらいです。

 

 

この場所を舐めてはいけません。私は広島市にある原爆ドームや平和記念公園より大久野島の歴史の方が、平和を訴える力があると確信しています。

 

 

ですが、このままいったら風化すると思います。今の伝え方では...。

 

 

そうならない為にどうするべきか考えると共に、

 

 

本記事では、何故広島に住んでいながら私のように大久野島の知識が浅い人が多いのか、現在の大久野島はどうなっているのか...という話をしていきます。

 

 

大久野島とは

 

毒ガス工場「東京第二陸軍造兵廠 忠海製造所」があった大久野島は、元々平和な島でした。

 

明治時代の大久野島は、7戸の民家がありました。源平合戦当時の見張役、柴田一族の末裔だそうです。

 

彼らは、段々畑をつくり、わずかな土地を利用して農業などを営んで生活していました。しかし、毒ガス工場建設のために、軍に土地を買収され、出ていったのです。

 

 

そうしてできたこの工場、景気がよくなるので島周辺の住民からは喜ばれたらしいのですが、何の工場かは知らされなかったそうです。よく分からないものが建つのに喜ぶとは...今では考えられません。

 

 

1929年に工場が開所してからは、数種類の毒ガスが大量生産されました。終戦まで、6000人以上の人がこの島に通ったと言われています。

 

 

国際法ジュネーブ議定書に違反して秘密裏に毒ガスを作っていたものですから、この島に携わった人たちは、家族を含めて一切口外しないことを誓約させられました。

 

 

大久野島を隠すために、地図からも存在を消されました。

 

 

ここで生産された毒ガス兵器は、実際に中国戦で使われて犠牲者を出しています。

 

 

被害は敵国だけではなく、日本人にもありました。安全性より効率を最優先した結果、製造過程で体調不良になったり、亡くなった人もいたのです。

 

 

また、製造に直接関わらなくても、島全体を毒ガスがマイルドに覆っていたので、当時島にいた人のほとんどは、慢性気管支炎などの後遺症に苦しみました。

 

 

彼らは「毒ガス障害者」、または「被毒者」と呼ばれています。

 

 

マズい事をやっていたので、敗戦後に工場関係の情報はほとんど処分されました。

 

 

戦後、この島の事を語りたがらない人も多かったみたいで、それもあって、広島県でも詳しい事はあまり知られていないのです。

 

 

歴史は風化する...

 

少し脇道にそれますが...先日、職場の人に出身地を聞いたら、なんと山口県の田布施町でした。

 

田布施町近くの市出身の知り合いは何人かいるのですが、田布施町の事を聞いても、そこの出身ではないので、歴史はご存じありません。

 

 

しかし、田布施町の出身者なら詳しいと思って「大室寅之祐って知ってます?」と質問したところ...

 

 

ご存じなかったです。

 

 

 

地元の人は代々語り継いでいるのだろう...と想像していたので、結構ショックでしたが、そんなもんなのかもしれません。私も地元廿日市市の歴史はそんなに興味ないですから...。

 

 

どんなに凄い歴史があっても、先代がそれを積極的に伝えなければ風化するんだな...と思いました。

 

 

それはどこでも一緒。とくに学校で教えない歴史程、風化します。

 

職場の人と話をして、大久野島もいずれこうなるだろうな...と思いました。

 

 

うさぎ > 毒ガス製造の歴史

 

大久野島は戦時中に毒ガスを製造していましたが、現在は野生のウサギがたくさんいる観光地です。戦争遺跡自然の2つの魅力があります。

 

しかし、観光地としてのアピールの仕方が偏っているのです。

 

例えば、大久野島に向かう忠海港はこのようになっています。

 

 

もう...カワイイです。本当にカワイイ。とにかくカワイイ。

 

 

船の切符売り場になっている店内は、ウサギグッズだらけ。毒ガスについて取材をする為に行ったのですが、ウサギの可愛さに感動しました。

 

 

そして、本来の目的である毒ガス関連のものを探すか...と思っても、ない。

 

 

ないんです。マジで。

 

 

え、毒ガスがメインじゃないの?...と、店内を見て回りました。ですが、どこを見てもありません。

 

 

大久野島には「毒ガス資料館」があるので、それの宣伝みたいなものを期待していたのですが、なくてガッカリです。

 

 

もしかしたら見落としたのかもしれないですが、見落とすぐらいない...ということです。

 

 

この「毒ガス情報が少ない」という現象は、他の場面でも何度かあり、マジかぁ...と思いました。

 

 

いや、いいんですよ。ウサギはカワイイですし、これを目的に来る人の気持ちは解ります。解るのですが、ウサギはどこにでもいます。

 

 

 

しかし、毒ガス製造跡なんて、そうそうありません。貴重な戦争遺跡なので、もっと宣伝してもいいのでは?と思います。これだと、ウサギ目当てに島を訪れた人が、気付いて、興味を持つ確率が下がってしまいます。

 

 

せっかく唯一無二の、世界にアピールできる観光資源があるのに、宣伝しなかったらもったいないです。こんなに残念な戦争遺跡観光地は初めて見ました。

 

 

竹原市のHPをはじめ、大久野島を紹介する観光案内を見ても、ウサギと毒ガスのアピールの仕方には差があります(2025年10月に確認した内容を元に説明)。

 

 

竹原市 公式HP

 

 

ひろしま 竹原 観光ナビ

 

 

普通は、観光資源が多い方がいいので、あれもこれもてんこ盛りで宣伝したがるものです。しかし、大久野島の宣伝の仕方は、うさぎ >毒ガスの歴史 と、すごく偏っています。

 

 

ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ ウサギ 毒ガス ウサギ ウサギ ウサギ...みたいな比率です。

 

 

 

どこかで一応説明しているし、隠しているわけではないけど、埋もれてるよね...といった印象を受けます。

 

 

宮島で例えるなら、厳島神社や大聖院より、鹿のアピールに力を入れるようなもんです。平和記念公園で例えるなら、原爆ドームより、平和の象徴である鳩のアピールに力を入れるようなもんです。でも普通は、そんなことしません。

 

 

そこにいる動物より、重要な歴史遺産の宣伝に力を入れるのが一般的だと思います。

 

 

広島市 公式HP

 

 

廿日市市 公式HP

 

 

ちなみに廿日市市は以下のようなページを作っていました。平和をアピールしていますが、武器を「核」に限定しており、全部「被害者」視点です。

 

 

戦後80年非核平和事業

 

 

広島県人でも大久野島のことをよく知らない人がいる理由

 

大久野島は、「野生のウサギ」と「毒ガス製造の歴史」の2つの面があります。

 

大久野島について知るパターンは、以下の3つです。

 

 

●体験者や地元の人から聞く

 

●学校

 

●メディア

 

 

大久野島周辺の地域に住んでいる人なら、昔を知る人から直接教えてもらう機会があるでしょう。

 

 

広島に住んでいても、大久野島から離れた場所なら、その機会はありません。

 

 

人から聞かなくても、教育として教えてもらえれば、知る事は可能です。

 

 

メディアの戦争特集は、学校で教えない事も報道するので、それから情報を得ることができます。私も大久野島が特集された過去の番組を見て知りました。

 

 

私が一番最初に見たのは以下の動画。長いので、ちょっと見て終わろうと思っていたのですが、内容が凄すぎて、全部見てしまいました。特に実際に毒ガスを製造していた証言者の言葉は重いです。

 

 

 

 

 

大久野島に無関心だった理由

 

私が大久野島の名前を最初に知ったのは、高校生の時。今から20年以上前のことです。

 

 

友達が「大久野島って知っとる?戦争中、地図から消されたんよ。」と、軽いノリで言ってきたわけです。その時に、毒ガスを作っていたという事も教えてくれました。

 

 

何の会話でこの話が出たのかは覚えていないのですが、その時聞いた大久野島の情報量はその程度でした。

 

 

今のようにネットも使っていなかったので、調べる事もせず、聞いただけで終わりです。普通に忘れました。ただ、「地図から消された」という特徴にはロマンを感じたので、記憶には残っていました。

 

 

...それが、今年の8月に動画を見るまでの大久野島のイメージです。

 

 

何故あの時、私が今のように大久野島に興味が湧かなかったかというと、学校で習わないし、身近な高齢者からも聞いた事がないからです。

 

 

学校で教えない事、みんなが言わない事は重要ではない...とも思っていました。

 

 

広島県の平和学習でも、大久野島の事は習いません。学校にもよるのかもしれませんが、少なくとも80~90年代、私が学校で教えられたことはありませんでした。

 

 

念のため、私より一周り下の人に聞いてみたら、やはり、大久野島の事は学校で教えられなかったそうです。

 

 

現在の学生さんは、どうなったか分かりません。「ウサギの島」としてテレビで時々取り上げられるので、少しは教えるようになっている可能性はあります。

 

 

はじめて大久野島の話を聞いた時、こう思いました。

 

 

国が騒がないと言う事は、研究程度だろう。実践には使っていないだろう。だから、こじんまりとしていて、あまり有名ではないんだろう...と。

 

 

コソコソ作っていたんなら、沢山は作れないな...とも思っていました。

 

 

その後、たまに地元のニュースで、ウサギの島として大久野島を見る機会はありましたが、歴史は少しで、ウサギが全面にでています。従ってその時も、「毒ガスは小さな問題なんだな」と解釈していました。

 

 

その時はもうネットは使っていたのですが、わざわざ調べるほどの事ではないと思い込んでいるので、すぐ忘れます。

 

 

一番驚いた事

 

8月に動画を見て、大久野島の歴史について知ったわけですが、私が一番驚いたのは、「研究程度」ではなく、ガンガン製造して、それを実際に使っていたと言う事、死者も沢山でていた事です。

 

 

コソコソ作っていたと聞いていたのですが、当時の写真や島の地図を見たら、工場がビッシリ。6000人以上も働いたと知りました。この情報も、私のイメージを覆しました。

 

 

あと、毒ガスという響きから、吸い込むとだんだん意識がなくなって死ぬ...みたいなイメージを持っていました。楽に死ねると思っていたのですが、実際の症状を知って、間違いだった事が分かりました。

 

 

フワ~っと意識がなくなって...とか、甘いものではなく、体の破壊、激痛、死。生き残っても死ぬまで後遺症に苦しむ...という最悪の攻撃でした。

 

 

兵隊がどんなに訓練しても、これには勝てないです。

 

 

『隠されてきた「ヒロシマ」 毒ガス島からの告発 / 著者:辰巳知司 日本評論社』

 

敗戦直後には、工場の関係資料はほとんどが処分され、大久野島の毒ガス工場の歴史は一時消されかかったが、元工員らを襲った深刻な毒ガス後遺症がそれを許さなかった。

 

元工員らは、日本が毒ガス兵器に手を染めた「昭和」の生き証人である。

 

(11p)

 

 

もし毒ガス後遺症の患者が出なかったら、本当に隠蔽していたと思います。

 

 

危険な作業であることを教えずにこき使う

 

6000人以上が働いたと言われていますが、ほとんどの人は毒ガスを作っていた事は知らされませんでした。徹底した秘密主義で、上層部や、製造に関わる一部の人だけが知っていました。

 

毒ガスを作っているという危機感がない人も多かったので、安全対策を怠る人もいたようです。

 

取り返しがつかない健康被害を受けるので、被害を受けた人は怒っていました。

 

 

『隠されてきた「ヒロシマ」 毒ガス島からの告発 / 著者:辰巳知司 日本評論社』

 

二四時間態勢で毒ガスの生産が続いた大久野島で、工員らはどんな思いで生産に従事し、人生にどう影響したのか。

 

希望入所ではなく国家総動員法の徴用令により、ほとんどが一六ー一七歳という未成年のまま、強制的に大久野島に行かされた徴用者。

 

「赤紙」といわれた軍隊への召集令状に相応する徴用令状「青紙」を受けとり、大久野島行きを命令されたことに対する恨みは、後遺症の進行とともに深まる。

 

 

「徴用工は大久野島では消耗品同然だった」

 

「徴用名簿をつくった人間がわかれば、いまでも告訴してやりたい」。

 

 

元徴用者からはこうした怒りの言葉が飛び出す。

 

(45p)

 

 

国家総動員法については、以下の記事で解説しています。

 

⑭戦前戦中に国民を奴隷化した「国家総動員法」ができた経緯。参政党がHPから消した授権法について。

 

 

大久野島をみれば日本の不正・腐敗がよく分かる

 

この島で起きた事を調べれば、日本がいかに酷かったかが解ります。

 

日本の不正・腐敗が、この毒ガス工場政策に濃縮されているようです。パッと思いつくだけでもこれだけあります。

 

●国際法ジュネーブ議定書を無視して作る

 

●地元住民に何の工場かを伝えずに作る

 

●労働者に何を作っているかを教えない

 

●強制的

 

●島全体が汚染されていたため、当時働いていた人はもれなく健康被害を受けた。

 

●ジュネーブ議定書に違反し、実際に中国で使われた。侵略

 

●証拠隠滅

 

●罪をなかなか認めない

 

●健康被害の救済の送れ(毒ガス棄民)

 

●戦後、多くの毒ガスを現地で捨ててきたので、中国のどこかに沢山残っている。

 

●平和学習で教えない

 

●積極的に宣伝しない(ウサギ人気に埋もれる)

 

 

自虐史観など存在しません。

 

 

不正・腐敗のオンパレード。この究極にやましい事実を、日本人に突きつける事すらしていないからです。むしろ、この歴史を隠そうとしている雰囲気を感じます。

 

 

日本人にとって都合の悪い歴史を、「無かった」と言う人がいるので、大久野島の歴史もそうなるのではと心配です。

 

 

著述家の菅野完氏が言うには、関東大震災の後に起きた朝鮮人虐殺は、昭和50年代ぐらいまでは否定できなかったそうです。体験者が生きていたから。

 

 

 

 

体験者がいなくなった後、「そんな事は無かった」と言う人がでてきます。

 

 

大久野島も、体験者が完全に亡くなった後が心配です。

 

伝える人達と、毒ガスの歴史の観光案内

 

ここで、歴史を風化させない為に、伝える努力をしている人達の事を紹介します。テレビ番組もいい仕事してます。

 

 

 

 

以下は、大久野島のガイドをされている山内正之氏です。

 

 

ノーモア広島は叫ばれるのに、ノーモア毒ガス、ノーモア大久野島は言わない。何故なら、ほとんどの人が知らないから。...そう言われています。

 

 

 

 

山内氏の講演会動画があったので貼っておきます。元学校の先生だけあって、解りやすく解説されています。

 

 

 

 

動画の概要です。

 

動画6分19秒頃から国立感染症研究所のあたり、新宿の百人町のあたりを中心に陸軍の臨時の毒ガス工場があったと説明していますが、1917年当時は陸軍軍医学校は別の場所にあり、1929年に共有資料にある新宿に移転しました。

 

陸軍科学研究所は1922年に新宿に移転し、化学兵器研究所が設置され毒ガスが製造されていました。訂正した資料がございますのでご参照ください。(NPOのウェブサイト上にアップした資料のリンクを掲載しております)

 

https://www.miraiheiwa.org/_files/ugd/5ccef9_726c691500aa44c78d68b5a7e03eceec.pdf

 

 

質疑応答も勉強になります。

 

 

 

 

以下は大久野島の詳しい情報です。

 

毒ガス島歴史研究所

 

島を訪れる際、10人以上だとガイドをお願いできるみたいです。その案内はこちら。

 

大久野島から平和と環境を考える会 HP

 

 

以下は島の地図や解説です。ガイドを頼まず、一人で回る時に助かります。

 

大久野島遺跡めぐり

 

 

以下は地元の方が作ったような動画で、写真がたくさん紹介されています。動画の貼り付けができなかったので、リンクを貼っておきます。

 

TVF2015優秀作品 「地図から消された島」

 

 

毒ガスはどうヤバイか

 

大量破壊兵器は、核兵器生物兵器化学兵器があります。毒ガスは化学兵器です。

 

 

核兵器ばかり大きく騒がれる傾向がありますが、実際に使われやすいのは、化学兵器や生物兵器だと思います。

 

 

核兵器と同じように危険視しなければいけない理由は、症状を知ると理解できます。

 

 

大久野島で作られた毒ガスは数種類ありますが、特に毒性の強い「イペリット」の特徴を見てみましょう。別名は「マスタードガス」と言います。

 

イペリット wikipedia

 

人体への作用

 

マスタードガスは人体を構成する蛋白質やDNAに対して強く作用することが知られており、蛋白質やDNAの窒素と反応し(アルキル化反応)、その構造を変性させたり、DNAのアルキル化により遺伝子を傷つけたりすることで毒性を発揮する。このため、皮膚や粘膜などを冒すほか、細胞分裂の阻害を引き起こし、さらに発ガンに関連する遺伝子を傷つければガンを発症する恐れがあり、発癌性を持つ。

 

また、抗がん剤と同様の作用機序であるため、造血器や腸粘膜にも影響が出やすい。

 

 

人体への影響は非常に長く続く。イラン・イラク戦争でマスタード・ガスの被害に遭った民間人は、30年以上経過してもなお後遺症に悩まされている。

 

 

遺伝子が傷つくのは、放射線と共通しています。

 

 

『隠されてきた「ヒロシマ」 毒ガス島からの告発 / 著者:辰巳知司 日本評論社』

 

同研究所の鎌田七男教授は、「イペリットによる染色体異常の発生割合は、広島の爆心地から一、一キロで被爆した人に相当する」と語る。

 

(中略)

 

山木戸教授はこの結果から「原爆による放射線は物理的な、イペリットは化学的な染色体毒である」と指摘する。一度損傷した染色体は二度と元に戻らない。

 

被爆者、被毒者が共通して苦しむ後遺症、なかでも最も恐ろしいがんへの恐れは染色体毒を出発点にしていることが、核と毒ガスの治療から明らかになっている。後遺症の点からいえば、原爆もイペリットもともに極めて毒性の強い発がん兵器であることが広島の地で実証されることになる。

 

(120~121p)

 

 

同じ遺伝子を傷付ける武器なので、核兵器の問題だけ訴えて、毒ガスの問題を訴えないのはフェアではないです。

 

ちなみに、マスタードガスは「抗癌剤」と無関係ではありません。

 

銀座並木通りクリニック 連載「がんの休眠療法」第7回 がん休眠療法と分子標的治療薬

 

 

分子標的治療薬とは

 

従来の抗がん剤は20世紀初めドイツ軍の開発したマスタードガスという毒ガスの誘導体(ナイトロジェンマスタード)をがん治療に利用するところから始まり、細胞を殺す作用(殺細胞性)に重点が置かれさまざまな研究がされてきました。

 

しかしながら、もともと“毒”ですから、がん細胞だけでなく正常な細胞にも作用してしまうため、白血球減少などの副作用が問題となってくるのは周知のとおりです。

 

そこで、がん細胞にだけ作用する治療法ができないかという思いが分子標的治療薬(ぶんしひょうてきちりょうやく)の開発へとつながりました。

 

 

イペリットは、「毒ガスの王者」、「貧乏人の原子爆弾」と言われているそうです。

 

 

報道写真家の樋口健二氏

 

テレビ番組で、「ウサギの島」として大久野島が紹介されることがあります。その時に、「毒ガスの歴史」もさらっと紹介されるのですが、イマイチ、問題の大きさが伝わってきません。

 

原爆を扱う番組との違いは、被害者の写真が少ない事、毒ガスがどれだけ酷いかを具体的に伝えない事です。症状のイメージができないので、恐ろしさが伝わってきません。

 

 

写真は大事です。余談ですが、私がコロナワクチンの危険性を伝える活動の時に、特に重視したのは、表面に表れる後遺症の写真を見せることでした。例えばこれ。

 

 

 

 

血栓が~とか、遺伝子が~といった専門的な話は、理解してもらうのは難しいです。人は理屈だけだと、なかなか関心を持ってくれません。

 

しかし、写真を見て、危機感をもってくれた人は大勢いました。後に動画で訴える人も出てきたので、それを集めたのが以下です。

 

副反応被害者の映像集

 

 

専門家の意見も大事ですが、実際に被害にあった人達の声は、伝える力があります。

 

 

毒ガス被害でも同じ理屈です。大久野島の場合、被害者の写真が少ないのですが、報道写真家の樋口健二氏が過去に取材をされて残っていました。

 

 

樋口氏が「四日市」の産業公害を取材していた際に、喘息患者の一人から「わしらと同じ慢性気管支炎で苦しんどる人たちが広島県にもたくさんおるそうだ」と教えられて、大久野島の事を知ったそうです。

 

 

コンビナート地帯でもない所にどうして苦しんでいる人達がいるのだろう...と思って調べ、現地に行かれました。

 

 

『増補新版 毒ガスの島 / 著者:樋口健二』

 

普通の病院は正月休みであったが、ここは違っていた、病院のロビーには毒ガス患者があふれ、異様な雰囲気がただよっていた。

 

毒ガス患者の状況、毒ガス互助会の梶村政夫氏の存在を三次事務局長に教えてもらったあと、院長になったばかりの若い行武正刀の許可を得て入院患者たちに会った。

 

七〇年当時、まだ戦争の名残をとどめる憲兵隊の建物を改造した木造病棟で、廊下を歩くとガタピシときしむ音と、すき間風が病室に容赦なく吹き込んで、患者は寒々とした病室内でひどい咳と痰に悩まされていた。どの入院患者も重症な人たちばかりで、治るあてのない重苦しい雰囲気に病室はつつまれていた。

 

四日市の患者もひどかったが、さらにひどい現実が目の前にあった。想像を絶する毒ガス患者の実態、

 

彼らの苦しみを二五年間も放置してきた現実にただ呆然とたちすくむのだった。

 

(201p)

 

毒ガス患者は、学校で教えられる四日市の問題より酷い状況なのに、報道写真家も知らないほど、日本国内で問題視されていなかったということです。

 

 

樋口氏は1937年生まれで、現在は活動の動きがありませんが、数年前の動画が残されていました。

 

音が悪いのと長いのが難点ですが、彼の本に掲載されていた毒ガス患者の写真とともに解説されています。

 

 

 

 

戦争は軍だけの責任ではない

 

普通のケンカと違って、お金が動くのが戦争です。

 

 

従って、その過程に関わる人達も加害者になります。

 

 

 

 

 

ずさんな戦後処理

 

 

ポツダム宣言によって、「完全なる武装解除」をしなければならなかった日本軍は、武器、施設などを全て引き渡して降伏する事になりました。

 

 

毒ガス兵器は危険物です。

 

 

従って、引き渡すなら、きちんと毒ガス兵器ということが分かるようにして処理するのが筋と言うものです。その辺に放置したら汚染の原因になるので、終戦になっても、武器が人を傷付けることになります。

 

しかし、日本軍には、そういった頭が無かったのです。ジュネーブ議定書違反をして作った毒ガスですから、証拠隠滅の為、現地に捨てたのです。

 

 

戦後、捨てられた兵器に触れて、被害にあった人が大勢います。

 

 

 

 

日本人の毒ガスにまつわる仕事ぶりを見ると、全部いい加減です。

 

 

粗末な防護服、途中からはそれを使いまわす。安全性は二の次、体調不良になったら「治るようでは兵器とは言えない。治療法はない」と吐き捨てる、作るだけ作って処理の意識はない...。

 

 

そして、これが戦時中の大久野島の地図です。これを見てどう思いますか?

 

 

 

「地図から消された島」...という事は知っていましたが、まさかこんな雑な消し方をしていたとは思いませんでした。これでは、いかにも「ここに何かありました!」と言っているようではありませんか。こんなん却下でしょう...。

 

 

もし、こんな地図を渡されたら、「えっ、この白いところは何かあったんですか?」と、誰でも聞きたくなります。余計興味を持つので逆効果です。

 

 

普通の人だったら、島の所を普通の海のように描くなどして、消した事を解らないようにすると思います...これを作る方も凄いですが、これで良しとする方もする方です。仕事できないなと思います。前にも書いた事がありますが、日本人は情報戦が下手です。

 

 

⑯【欠陥だらけの社会システム】日本が改憲しても国防軍にしても、戦争したらボロ負けする残念な理由

 

 

昔の日本人は意識が低いし、仕事の能力が低いという事が、戦争の歴史を調べていて解ったのですが、どこも一緒です。

 

 

 

 

 

 

終戦後、大久野島には大量の毒ガスの在庫が残っていました。それらは、海洋投棄、焼却、埋め立てなどの処理がされました。日本人も手伝わされましたが、占領軍の指示によって、事を進めたのは良かったと思います。

 

 

もし、占領軍がいなくて、日本人だけだったら、これまでの仕事ぶりから考えると、戦後に余った毒ガスは、もっとずさんな処理をしていたかもしれません。

 

 

広島の山奥の方に適当に捨てたり、近場の海に沈めて、見えなければいいやと誤魔化しそうで怖いです。

 

加害者

 

平和公園には、「過ちは繰り返しませぬから」と書かれた碑があります。

 

 

それに対して、「原爆を落としたアメリカではなく、日本側がこの言葉を言うのはおかしい」と考える人がいます。例えばこれ。

 

 

広島市 原爆死没者慰霊碑の碑文を改めるべき

 

 

その意見は一理あります。原爆を落としたのはアメリカですから(※ただし、原爆の事を3ヶ月前に知って、身内を疎開させた人がいるので、日本人も無関係ではありません)。

 

 

しかし、ここまで読むと、日本が、広島が「過ちを繰り返しません」と発信しなければならない理由が良く分かると思います。

 

 

碑に言葉を刻んだ人が認識しているかどうかは別として、事実日本は、被害者であると同時に、加害者でもあるからです。

 

 

そして、その加害行為を反省し、後世に啓蒙している真っ当な日本人がいました。既にお亡くなりになられましたが、先に紹介した動画にでていた藤本安馬氏です。

 

 

彼は生前、高齢と後遺症で弱っている体でも、頑張って証言活動を続けていました。

 

 

都合の悪い事には黙る日本人が多い中、彼の姿勢には頭が下がります。

 

こういう人だらけなら、日本人は素晴らしいと言ってもいいです。

 

 

色んな証言者の話を見聞きしてきましたが、ここまでハッキリと自分の事を犯罪者だと言い切った人を見たのは初めてです。

 

 

戦争中に行った事は犯罪ではない...等という人に聞かせたいです。

 

 

藤本氏がすごいのは、実際に毒ガスが使われた村に訪れ、謝罪している事です。

 

 

 

藤本氏も凄いですが、それを受け止める中国の人も素晴らしいと思います。

 

 

 

 

謝罪をする...とは、こういう事を言います。反省をして、そうならない為にどうするのかを宣言し、行動で示す。そこまでできて謝罪です。

 

 

これは本来、政府がやらなければならない事ですが、日本政府は、毒ガスの使用を曖昧にし、こうならない為にどうすべきかの対策を行っていません。

 

 

よく、謝罪したら相手がつけあがるとか、いつまで謝ればいいんだ...という人がいますが、本当の謝罪はできていないのが現実です。謝罪と反省をしているのであれば、平和学習で同じ大量破壊兵器である原爆と同等に伝えているはずです。しかし、そうはなっていません。

 

 

頑張っているのは、藤本氏や山内氏のような国民です。

 

 

拡散力が衰えている気がする

 

普通の人が頑張っているので、国や施設はどんな取り組みをしているのかが気になります。

 

 

広島には、平和記念資料館大和ミュージアムといった、戦争に関する資料館があるので、毒ガス資料館とそれらを比較してしまいます。

 

 

 

(毒ガス資料館。左側が展示室。右側は研修室でビデオ視聴等の場所)

 

 

毒ガス資料館に行った時、「本等は売っていますか?」と聞いたら、ここではなく、休暇村大久野島の方にあると教えられました。

 

 

(休暇村で販売されている山内氏の本。大久野島から平和と環境を考える会 HP でも購入可能。)

 

以前は毒ガス資料館でも販売していたそうなのですが、こういう場所で販売するのは良くないという指摘があったみたいで、置くのをやめたと言われていました。

 

 

大和ミュージアムでも普通に売店があるので、問題はないと思うのですが、何がダメなのでしょう...。

 

 

資料館で興味をもち、その場で「買いたい」と思う人もいるはずです。でも売っている場所が離れていたら、そこに行くまでに気持ちが冷めてしまいます。島内にはウサギがたくさんいるので、そちらに夢中になります。

 

 

私も聞かなかったら休暇村の売店に本があるなんて分からなかったです。本を買う目的で探したので見つけましたが、そうでなかったらウサギグッズをさーっと見て、見落としていたかもしれません。

 

 

資料館に売ってないなら、「本をお求めの方は休暇村の売店へ」とか、でっかく案内を書いた方が親切です。

 

 

大久野島の歴史について、別室で、10分程度のビデオを見せていただいたのですが、これは予約制です。館長さんは、一人でも多くの人に見てもらいたいということで、その時いた予約してない他のお客さんも一緒でいいですか?と聞いてこられました。

 

 

私も沢山の人に知ってもらいたいので、他の人と一緒に見れて良かったと思います。

 

 

予約制だと、ウサギ目当てで島を訪れて、ついでに資料館に入ったような人は、見る事ができません。これはもったいないです。

 

 

島にある他の施設の人に、以前はずっとビデオを再生されていたと聞いたのですが、その方が良かったと思います。

 

 

竹原市 大久野島毒ガス資料館紹介

 

 

なんとなくですが、伝える仕組みが萎縮していってる気がします。

 

 

また、抗議によって展示が変化した事もあるそうで、弱さを感じます。是非元記事を読んで下さい。

 

 

Dialogue for People 「やらされた」「しかたがなかった」という語りの危うさ―毒ガス製造の島が問う広島の加害の歴史

 

 

市の担当者によると、2020年12月に「ある団体の方」から指摘を受け、調査のために当時の市担当職員が「防衛省防衛研究所」へ直接問合せ、同年12月にただし書きを加えたのだという。

 

その「ある団体」とは…? 竹原市の担当者に尋ねても、「団体名については回答致しかねます。主な活動内容等も詳細に存じておりません」という回答が返ってくるのみだった。

 

果たしてここに収められている事例は、防衛研究所の見解通り、「緊急的に対応した稀な事例」なのだろうか。

 

 

島にある発電所の建物も、環境庁が取り壊そうという計画を立てたのですが、地元の人や修学旅行の人達の署名活動によって、残すことに決まったそうです。

 

これも国民の力です。

 

広島の責任

 

戦時中に日本が他国に侵略した事に対して、「日本は悪くない」とか「あの戦争は侵略ではない、解放だ」と言う人がいます。

 

 

そうなるのは、広島の発信の仕方に問題があると思っています。被害ばかりを誇張し、きちんと加害の歴史を伝えてこなかったからです。

 

 

「加害」を全く伝えていないわけではありませんが、「被害」に対して、「加害」の紹介が少なすぎます。

 

 

私のように能動的に調べない人は、ほとんど知りません。また、毒ガスを作っていた事は知っても、具体的にどう酷かったのかを解っていません。

 

 

自分も無知だったので反省しないといけないですが、教えてくれていたら、もっと前から関心を持てたと思います。

 

 

樋口氏の写真集が出版された八三年当時は、東京・名古屋・大阪、広島の平和記念資料館、その他で「毒ガス展」を行い、それを受けてNHKテレビ、中国放送はじめ、ほかのメディアも採り上げてくれたそうです。しかし、人々の関心を惹くまでにはいたらなかったと、樋口氏は書かれています。

 

 

原爆と同じように宣伝出来ないのかな、広島の議員や役人の多くは分からないのかな...と思って、色々調べたら、

 

 

1993年1月30日に、広島市内の東方2001(広島教育会館)で被毒者と被爆者が同席した全国シンポジウム「ヒロシマから生物・化学兵器を考える」が開かれたそうです。

 

 

被爆者と一緒なので、訴える力も強くなると思います。でも、このような活動は一回二回ではなく、繰り返ししないと忘れられてしまいます。

 

 

核兵器と化学兵器をセットで反対する何らかの運動は、あった方がいいと思います。

 

 

本音を言えば、既に2000人以上死者を出している生物兵器である遺伝子ワクチンもセットで危険視してほしいところですが...それは難しいので、せめて核と毒ガスは、同じ熱量で危険性を訴えてほしいです。

 

 

世界に向けて平和をアピールしているのに、大久野島の宣伝があまりに小さい原因は、行政の協力に差があるからだと思います。

 

 

被害と加害の両方をバランスよく伝えるには、やはり原爆と同じくらい国、県、市が協力しないと難しいと思います。前者はそうなっているので、どうしても偏りが生じます。

 

 

ボランティア経験がある人なら分かると思いますが、国民が個人で啓蒙活動するのは限界があります。

 

 

また、伝え方は工夫する必要があると思います。

 

 

書き変わるイメージ

 

大久野島に行きましたが、港の切符売り場はウサギイメージ一色。竹原市のHPもウサギが全面にでてしまい、毒ガスの歴史遺産の情報が埋もれてしまっています。埋もれるのがダメなのです。

 

 

ウサギの島、楽しい雰囲気に誘われて来てもらい、歴史にも関心を持ってもらう...という戦略なのかもしれませんが、ウサギや楽しいイメージに書き換わってしまっている状態です。

 

 

 

 

休暇村 大久野島 公式HP

 

 

休暇村が出来た時から、生まれ変わりを強調していますが、毒ガスの歴史が埋もれてしまうやり方は違うと思います。

 

 

 

 

 

少ない情報

 

 

原爆ドームにしろ、大和ミュージアムにしろ、倉庫にも展示物が保管されており、時々中身を入れ替えます。戦争関連のものは、後になって出てくることもあるので、寄贈された物が増えていきます。

 

 

例えばこれ。大久野島に関連する資料が、呉市の大和ミュージアムに寄贈されたお話です。

 

 

 

 

証拠隠蔽のために処分されたので、当時の物はほとんど残っていません。毒ガス資料館に行った時、展示されている物があまりに少なかったので、展示しきれなかった物がまだあるのかどうかを尋ねました。

 

寄贈などもあり、在庫はあるとのことです。しかし、保管が続いている状態で表に出していないとの事。もったいないので、人目にふれるようにしたらいいのに...と思いました。

 

 

自虐史観は教えられていないという事実

 

 

加害の歴史は「他国の人に対する加害」と「自国の国民に対する加害」があります。

 

 

二度と戦争を起こさせない為には、戦争をすると国は国民に対しても酷い事をすると、しっかり伝えなければならないです。

 

 

人権無視、現代であれば労働基準法違反的な事を、堂々とされたあげく、最後は捨てられます。

 

 

樋口氏の本には毒ガス棄民という言葉が使われており、戦争は人を使い捨てにする社会になるということが伝わってきます。

 

 

その歴史が大久野島にはあります。

 

 

今回は、自虐史観はないことを説明するために、大久野島を例に、都合の悪い歴史は伝えていない事実をお話ししました。

 

 

国が積極的に動かない事を、国民が体を貼って伝えている状態を知って、反ワク活動と共通したものを感じました。

 

 

どの活動も、風化させないようにするのは大変です。