- 投稿 2025/07/24
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前回の記事で、大日本帝国の軍隊では壮絶なイジメがあり、その様子を簡単に説明しました。
それだけでは、信じられないという人もいるので、本記事では具体的な体験談を中心に紹介します。
こちらはショッキングな内容が含まれているので、そう言うのが苦手な方は読まない方がいいかもしれません。
大日本帝国時代の日本人のモラル
戦争体験者の話を読んでいると、暴力の話が沢山でてきます。
敵への暴力ではなく、味方である日本人に対しての暴力です。ちょっとした事でイチャモンをつけて、過剰な暴力をふるっていました。海軍・陸軍関係なくです。
人も戦闘力の1つですから、大切に扱うのが本当です。怪我をしたら使い物になりませんし、健康は大事です。昔から我が国は物資が不足しているので、人を大切にしなければならないのです。
上下関係があるとは言え、戦友をストレス解消のように暴力をふるっていた人達が大勢いたことに驚いています。イジメを止めようとしない仲間も酷いです。
訓練中の暴力で叩き殺された特攻隊員もいたそうです。

同胞と、日本のくだらない国家観に未来ある若者が殺されたのです。
特攻の裏側
特攻隊を美化する人は多いです。
お国の為に勇敢に敵に突っ込んでいった...という話ばかり強調されますが、そんな建前を真に受けるのは、子供だけにして下さい。本音と建て前を使いわける大人が騙されてはいけません。
本当は死にたくなかった、家族の事を考えた...という話は腐るほど残っています。同調圧力に逆らえなかったと。
敵よりも上官の方が怖いから向かって行った人もいたそうです。
これはパワハラと言います。
同調圧力によって死ぬ闘いをさせるのは、命令とも言いますが、同胞殺しです。
命令でも同調圧力でも、同胞殺しです...。
大日本帝国のブラック国家ぶりは枚挙にいとまがありません。
特攻隊員にヒロポンを打って、ハイにして出撃させた話も残っています。
元軍医の証言は是非動画で見て欲しいです。

よく分からないものを打たせるとは、コロナワクチンに通ずるものがあります。
こっちの方が酷いですが...。


加害者を責めたくなりますが、こんな風に晩年になって苦しむ姿をみると、かわいそうになってきます...。
笑って飛び立って行った...みたいなところだけ切り取れば、「国の為に喜んで命をささげた若者」という美談ができあがります。しかしその裏で、気持ちをハイにさせる工作があったのです。
「裏工作をされて突っ込んだ現実」や「加害者の苦しみ」を無かったことにして、「お国の為に自ら死んでいった」という美談にする風潮に怒りを覚えます。
こうして話してくれる人は氷山の一角です。表に出ない酷い話もまだたくさんあるはずです。
美談の皮を一枚めくってみると...
特攻は相当美化されています。
笑って死んだのは、ヒロポンを打ったからではなかったのか...。
遺書に前向きな言葉を書いたのは、手紙を検閲されて家族に危害が及ぶことを恐れたからではなかったのか...。
当時の人が、「任意で自ら進んで死んだ」という事になっていますが、任意の部分は、作りが多いです。
任意にしたら、命令した上官は責任を問われなくて済むからです。都合が良いんですよ。「国の為に死ぬのは私の意志です」と言わせる方が。
「ワクチンは任意だった」「サインしたお前が悪い」と言って、騙して推奨した人が逃げ回っていますが、あれと骨子は同じです。
「特攻は志願だった」という設定ですが、命令だったと証言している人がいます。

以下の記事にも、特攻の証言が紹介されています。
特攻失敗組が入る「振武寮」
元々、死ぬことに憧れる教育で洗脳されていたので、特攻を志願する人もいたみたいですが、基本的に特攻は同調圧力と命令で成り立っています。
ワクチンと同じです。建前は強制ではないとしているけど、実際は同調圧力が大きな力を発揮しました。
自ら死ぬこと、特攻が命令だったことが良く分かる話があるので紹介します。
特攻は時々失敗していました。例えば、飛行機がボロくて戻ってきた...とか、燃料もれ...とか、本人の責任ではない事もありますが、当時の日本は、戻ってくる事自体が「恥」という扱いでした。
死んだはずの軍神が生きていてはおかしい...という理屈です。戦争の目的がズレています。
陸軍では特攻隊員として出撃したものの、何らかの要因により攻撃に至らずに帰還し
た特攻隊員を、次の出撃まで人目につかないよう秘密裏に「振武寮(しんぶりょう)」と呼ばれる施設に隔離していました。
「九電記念体育館」跡地で帰還特攻隊員を隔離差別した【振武寮】発掘を!

振武寮は、現在の福岡県福岡市中央区にあった大日本帝国陸軍第6航空軍司令部
内にありました。帝国海軍航空隊には、同様の施設の存在は知られていないそうです。
ここまで読んだ方なら、だいだい察しがつくと思いますが、この施設の実態もご多分に漏れず酷くて、特攻失敗組は人間として扱われませんでした。
振武寮では、罵倒され足腰が立たなくなるほど殴られる等、非人道的な事が行われていました。仲間の中には耐え切れず自殺した人もいたそうです。
「振武寮」に隔離された元陸軍 特攻隊員の証言など(文字起こし)
元第二十二振武隊所属 大貫健一郎さんの証言
「お前たち命が惜しくて帰ってきたのか。そんな死ぬの嫌か。卑怯者だとか、死んだ連中に申し訳ないと思わないかとか、そういことを毎日毎日言う訳です。おまえら人間のクズだと。」
元第六十五振武隊所属 片山啓二さんの証言
「振武寮に入ったらビックリしましたね。周り見たらもう出撃して死んだと思っていた奴らがごろごろしとったんですね。ここは特別攻撃隊の収容所かと思いましたね。そのときの参謀の態度も非常に腹が立ちましてね。腕組みして長靴履いた足をバーンとこういう(机の上に足をのせる)格好でだしましてね。ふんぞり返って、貴様らなんで帰ってきた。飛行機が具合悪かったんでございます。悪かったのはお前らの腕前だろ。」
先に紹介した大貫氏は、特攻が生きて帰ってはマズい理由を知ることになります。
『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍 / 著者:相可文代』
出撃前には「軍神」と呼ばれ、生き神様として扱われた我々特攻隊員でしたが、生き残るや一転、国賊扱いとなったのでした。
振武寮に収容されて一週間ほどが過ぎたころでしょうか。ひょんなことから出撃名簿を見る機会を得たのですが、私は強い衝撃を受けました。
我々第二二振武隊一二人のうち五名は帰還したにもかかわらず、沖縄作戦で飛び立った日付で戦死公報が作成され、軍籍から抹消されていました。
つまり、我々は飛び立った瞬間に戦死したことになっているわけで、軍司令部にしてみれば、いまさら生きて帰ってこられても扱いに困るということですね。
倉澤参謀が我々に与える仕打ちの理由が、書類上からも明確になりました。私、大貫健一郎は戸籍上、名誉の戦死を遂げていたのでした。
(124~125p)
勝つことが目的ではなく、最初から死ぬことを前提にしているあたりが意味不明です。
しかも、これを美しい事のように語るわけです。
死ぬことを目的にする事自体が異様ですし、それを美しいとする発想は、生き残る為、守る為にある軍隊の存在意義を否定しています。
死ぬことが目的と聞いたら、生贄みたいで、悪魔崇拝を彷彿とさせます。
上官は責任逃れ
徹底した暴力で支配した軍隊ですが、
終戦後、上の立場の者ほど、責任逃れをした人が多かったみたいです。
『愛国者の条件 昭和の失策とナショナリズムの本質を問う 著者 / 半藤一利 戸高一成(2006年12月4日 初版発行)』
私は太平洋戦争の本質、ひいては現代日本社会をつくり上げてきた本質は、あの特攻作戦にあると考えています。
古今東西の戦史を見てみると、実のところ特攻作戦のような攻撃は枚挙にいとまがありません。
アメリカの南北戦争では、ポトマック川河口のチェサビーク湾に停泊中の北軍砲艦ホウサトニックに、南軍の潜航艇ダビッドが爆薬を装着して体当たりし、撃沈したことがあります。当然ながら、指揮官ディクソン中尉以下全員戦死しています。人によっては、世界貿易センターへの同時多発テロを「特攻のようだ」と感じたかもしれない。
しかし、これらと太平洋戦争における特攻作戦は決定的に違っています。
特攻作戦は、制度として体当たり攻撃部隊を編制し、制式兵器としての体当たり専用兵器を開発し、上官の命令によって隊員に体当たり攻撃を命じた、前代未聞のものであって、今日の自爆テロとは、成り立ちからして違うのです。制度として正式の手続きを踏んでつくられた体当たり攻撃部隊が、特攻部隊なのです。
そして冒頭の対談でも触れているように、上官たちは「俺も後から行くから」と約束して隊員たちを送り出した。つまり「死んでこい」という命令を出した。
ところが、終戦時に「約束」を守ったのは大西瀧治郎中将と、宇垣纒中将の二人だけでした。大西は割腹し、宇垣は部下と共にという点で問題があったにせよ、艦上爆撃機の「彗星に乗り込んで沖縄に向かって帰りませんでした。
それで、残った上官たちはどうしたか。当然のように「死ぬことよりも、戦後の復興に尽くすことが自分の役目」と気づき、隊員たちと交わした命をかけた約束などきれいさっぱり忘れてしまうのです。
さらにひどいことに、彼らは戦後一貫して特攻隊員たちは自発的に志願したと主張し、自らが死を命じた責任をかき消そうとし続けました。
私が問題にしているのは上官たちが腹を切らなかったことではありません。隊員たちとの約束を破り、保身のために過去を偽ったことなのです。そして、こういう人間がつくっていった戦後が、どのようなものであったか。
他人に死を命じながら、命をかけた約束を忘れてしまった人間、そしてそれを許容した社会がどうなっていったか。はたして「美しい国」であったかどうか。
ですから、私にとっての「美しい国」の姿ははっきりしています。それは、ただひたすら「約束を守る国」であり、しっかりと「責任をとる国」であり、そして「命をかけた約束は守る国」であることにほかなりません。
そうやって考えると、戦後日本がいかに「美しくない国」であったかが見えてきます。公約を守ろうとしない政治家、そしてそれを黙認する有権者。
あるいは、昨今の耐震偽装問題に代表されるような民間企業の偽装隠蔽体質。そのような大人を見て育った子どもたちに、どれだけ愛国心を教えようとしたところで、およそこの国に対する自信や誇りを持つことはできません。できたとしても、それは「偏狭なナショナリズム」でしかないはずです。
戸高一成(44~46p)
満州でも同じです。逃げたそうです。
(7:38~)
指揮官にあたる上官はみんな逃げて居ないの。
(2:20~)
自分達を守ってくれるはずの日本軍は、駅や線路を爆破し、既に撤退。
酷い話ですが、支配者にとっては天国です。命令するだけして、あとは知らんぷり。
大日本帝国は奴隷社会
結果が全てを物語っています。やってる事をみたら、国民は使い捨てです。
下っ端の者には国を愛せと強要されますが、上の立場の人からすれば、下っ端は切り捨ててもいい、どうでもいい存在なのです。
奴隷の定義をご存じでしょうか?
人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の私有財産や所有物として取り扱われる人のことである。
所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。
奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。
日本には奴隷制がなかった、素晴らしい国だ...と言う人がいますが、大日本帝国の国民、軍隊が、バッチリあてハマっています。
歴史作家の加治将一氏が、奴隷の定義について分かりやすく説明してくれているので、参考になります。
日本人は奴隷と呼ばれない奴隷です。
いや、死ねと言われるので奴隷以下です。
国家による国民への虐待
日本はお上に甘く、下っ端に対してはキツイ国です。昔から。
「虐げられる側」の立場に立って考えると、戦前の日本には戻りたくないと思います。しかし、あのような非人道的な行為を良いと思っている人もいます。
そう考える人はおそらく、戦争になった時、「虐げられる立場」ではなく、「支配する側」に立てる可能性がある人でしょう。それか、昔支配していた側の末裔か。
その理由だったら、国民にとってマイナスでしかない社会システムや戦争を素晴らしいと言うのも納得です。
戦前回帰を叫ぶ一部の人達にのせられて、「戦前の日本人はカッコイイ!」と思っている若者もいるみたいですが、徴兵制が復活したら極上の虐めも復活すると思いますよ。
男ばかりの生活でしたから、おそらく、数%はいたと思うんです。ジャニー喜多川氏のような上官が...。
ちなみに日本は男色文化が昔からあります。
日本では武士の世界においても武将と小姓との間に男色関係があったという例は数知れず、また江戸時代に流行した陰間茶屋(少年版の売春居酒屋・料理屋)の例を見ても、男色が世間で浸透していた文化であることがわかります。ごく最近まで同性愛などはタブー視されていたように感じますが、それは明治以降のこと。それ以前は意外と普通に受け入れられていた文化だったのです。
戦時中はこの文化があったかどうか分かりません。どうだったんだろう?
でも、この文化が残っていて狙われたら、上官の命令は絶対ですから...。
戦争は同胞殺しが行われます。それは日本以外でも同じです。
私が戦争に反対なのは、敵国ではなく、自国が国民を殺すからです。
愚かな戦い
うちにも特攻で戦死した身内がいますが、このような実態を知ってからは印象が変わりました。
いい作戦であれば生き残れたかもしれないのに、それをさせないように仕向けたのです。使い捨てにされたと思っています。
特攻だったら少しでも敵を倒せる可能性があるんだ...という意見もあるかもしれませんが、体を武器にするほど物資が不足している時点で、もう負けなんですよ。
突っ込んだところで、人の切れ目が攻撃の切れ目。多勢に無勢でやられてしまいます。負けるまでの時間を引き延ばすことはできても、勝つことはできません。
同胞を物扱いする時点で、戦争の動機「日本人を、味方を守る」という本来の目的がどっかいってます。本末転倒になっていることに誰も気づいてないのが怖いです。
「お国の為」だと言って敵に突っ込んだ若者がいたとしても、その背景に、洗脳と暴力と支配があった事を忘れてはいけません。
同胞によって殺されのですから、最も美化されるべきではない戦術です。
数年前に起きた自爆テロを、カミカゼと言われてしまったり...。
世界に非人道的な文化を残してしまったのですから、恥ずかしいと感じて、反省しなくてはならないでしょう。









