youtubeを見ようとすると、かなりの確率で、古い本の復刻版の宣伝が入ります。

 

 

GHQが発禁したというもの。

 

 

 

 

しつこいんですが...。

 

 

ということは、この手のシリーズはよく売れているのでしょう。宣伝なので嫌でも見てしまいます。

 

 

すると、GHQはこんなに日本の書物を発禁したんだな、なんてひどい奴らなんだ。日本はそれだけ凄いんだ...と言う風に誘導されます。

 

 

しかし、日本も戦前・戦中は、言論弾圧をしており、体制にとって都合の悪い本を発禁しまくってました。

 

 

「発禁本」1300冊を集める図書館とは…国会図書館にもない蔵書も 「歴史の証人として希少」

 

 

日本人も同胞を散々弾圧したのに、外から同じ事をやられたら、被害者アピールするのは、自分勝手というものです。

 

 

「GHQによる弾圧」だけ批判し、「大日本帝国による弾圧」は無視するなら、フェアではありません。両方問題視するべきです。

 

 

コロナ禍の時、非科学的な感染症対策に対して、穏やかに抗議する市民を、暴力を使って弾圧する映像がたくさん流れてきました。

 

 

 

 

それらを見て、日本は良い国だと思いましたが、ほんの80年前までは、日本はそれ以上の事をやっていたのです。

 

 

憲法の問題だけに気を取られていたのですが、他にもを気を付けないといけない事が沢山あることに気づきました。

 

 

80年以上前、「国民を黙らせるような決まり事」がたくさん作られていったのです。

 

 

国民はそれに対して強く反対したようには見えないですし、反対があっても強引に決定したような印象も受けました。現代とソックリです。

 

 

そのヤバイ決まりごとは、敗戦のお陰で無くなりましたが、名前や雰囲気を変えて、現代に蘇る危険性があります。

 

 

それを防ぐ為には、かつての日本が、どんな方法によって、合法的に言論弾圧を可能にしていったのか、知っておいた方がいいです。

 

 

本記事では、GHQよりはるかにヤバイ日本の言論弾圧を紹介します。

 

 

治安維持法

 

 

戦前・戦中のヤバイ法律といえば、なんといってもこれでしょう。

 

 

 

 

北朝鮮や中国の人達の自由のなさを見て、気の毒だなと思いますが、大日本帝国がモデルを作ったのではないかなと思います。

 

 

治安維持法によって犠牲になった人達への謝罪と賠償を求める集いがあったとは知りませんでした。

 

 

治安維持法が1925年に作られた当初は、「共産主義思想の人」を取り締まる為の法律だったのですが、対象者の範囲が広がり、最終的には「戦争に反対する人」を弾圧していくものになりました。

 

 

小さく生んで大きく育てる...現代と同じですね。拡大解釈や、小さな変更を加えていき、いつの間にか有害なものに変わるのです。

 

 

民主主義を訴えて犠牲になった人達は、国民の人権や自由を守ろうとした人たちなので、愛国者です。

 

 

 

 

 

関連する法律に、思想犯保護観察法(昭和11年5月29日法律第29号)というものがあります。

 

 

思想犯保護観察法 wikipedia

 

 

思想犯保護観察法は、1936年(昭和11年)、思想犯を公権力の下に監視しておくために制定された日本の法律である。

 

 

全14条から成る。治安維持法違反で逮捕されたが執行猶予がついた者や、起訴猶予になった者、仮釈放された者、満期出獄者に対して適用された。

 

 

思想犯保護観察制度とは、一言で言うと、思想犯の再教育・監視制度である。犯罪者の保護観察制度は、19世紀のアメリカ合衆国を起源として、ヨーロッパに広まった制度だったが、思想犯を対象とした制度の導入は日本が最初である。

 

 

1945年(昭和20年)、「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク治安維持法廃止等ノ件(昭和20年10月15日勅令第575号)により廃止された。

 

 

徹底してますね。

 

 

現代であれば、日本国憲法(思想信条の自由)が守ってくれてますが、当時は大日本帝国憲法だったので、そんな効果はなく、国民の人権は平気で踏みにじられたのです。

 

 

もし、敗戦してなかったら、当時の憲法や法律のままだったら、日本人はいまだにこのような社会で生きていたことでしょうね。

 

 

 

 

この治安維持法は、GHQが廃止してくれたとのことです。

 

 

いい仕事します。日本は自浄作用がないので、日本人が中から変える事は不可能でしょう。

 

不穏文書臨時取締法

 

 

あまり有名ではありませんが、不穏文書臨時取締法(昭和11年6月15日法律第45号)を紹介しておきます。

 

 

不穏文書臨時取締法 wikipedia

 

「怪文書」の取締に関する日本の法律である。1936年(昭和11年)6月13日成立、同月15日公布・施行。

 

本法は、「昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク国防保安法廃止等ニ関スル件」(昭和20年勅令第568号)1条の規定によって、1945年(昭和20年)10月13日から廃止された。

 

 

 

日本人による言論弾圧「新聞紙法」

 

 

新聞紙法(明治42年5月6日法律第41号)によって検閲が強化されました。

 

 

戦前日本で制定された、日刊新聞および定期刊行雑誌を規制する法律。全45条と附則からなる。

 

 

1909年に公布・施行された法律で、帝国議会の初期議会で議員立法として成立したが、事実上は新聞紙条例を引き継ぐ法律となった。1949年に廃止。

 

 

 

成立後

 

 

新聞紙法の施行によって、出版法とあわせ検閲が強化されていった。

 

 

1938年には国家総動員法が定められ、新聞紙法第27条においては軍事・外交のみならず一般治安や財政金融に関しても統制できるものとした。また情報局が設けられ、新聞統制が進められていった。

 

 

廃止

太平洋戦争(大東亜戦争)の終結に伴い日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月27日付で「新聞及び言論の自由への追加措置に関する覚書」を発し、これにより新聞紙法は事実上効力を停止された。

 

 

なおこの間、9月27日の会見時に撮影された3枚の昭和天皇とマッカーサーが並び立つ写真のうち1枚を9月29日に新聞各紙が掲載したことに対し、内務省が新聞紙法第23条を理由に頒布を禁止するなど、混乱も見られた。

 

 

ただし、法律そのものは存続し、昭和憲法施行後の1947年(昭和22年)末に行われた内務省解体に伴い、内事局に移管。この内事局はわずか2カ月で組織再編となったため、さらに国家公安委員会(実務は国家地方警察本部警備部)へ移管された。正式に廃止されるのは、第3次吉田内閣下の第5回特別国会で可決成立した「出版法及び新聞紙法を廃止する法律」(昭和24年法律第95号)が公布された、1949年(昭和24年)5月24日付のことだった。

 

 

 

日本人による言論弾圧「出版法」

 

 

次に出版法(明治26年4月14日法律第15号)を見てみましょう。

 

 

出版法 wikipedia

 

 

明治時代に出版物の取締りを目的として制定された法律である。

 

 

検閲などを政府が行えることを定め、大日本帝国憲法下で政府による言論統制を推し進める根拠の一つとなった。

 

概要

 

1893年、出版条例を継承するものとして制定。治安警察法・行政執行法・著作権法の立案・草案作成にあたった有松英義の起草による。廃止までには全36条となっていた。

 

 

終戦後、ダグラス・マッカーサー率いる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、日本政府による言論統制を禁じ、代わってGHQが言論統制を行うようになったこと(プレスコードを参照)、日本国憲法第21条において表現の自由と検閲の禁止が定められたことに伴い、本法は有名無実となり、1949年に出版法及び新聞紙法を廃止する法律(昭和24年5月24日法律第95号)により廃止された。

 

 

なお、稀に情報公開制度を取り扱う文脈で出版法が出てくることがあるが、これは上記の出版法ではなく1800年代にスウェーデンで世界で初めて制定された情報公開制度、出版の自由法についてである。

 

 

 

GHQによる言論弾圧「プレスコード」

 

 

次にGHQのプレスコードを見てみましょう。

 

こちらは法律ではなく、規則とのこと。

 

 

プレスコード wikipedia

 

太平洋戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則である。これにより検閲が実行された。

 

 

正式名称はSCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」、昭和20年(1945年)9月19日に発令、9月21日に発布された。「日本新聞遵則」また「日本出版法」ともいう。「プレス・コード」と表記されることもある。

 

 

概要

 

 

このプレスコードに基づいて、主にGHQ批判、原爆に対する記事などが発禁処分に処された。占領開始前からの計画に従い、占領開始後間もなく個人的な手紙などにも検閲の手が回った。

 

この事実は当時の一般の大衆には知らされず、出版・報道関係者(学校の同窓会誌・村の青年会誌などのミニ・メディア関係者なども含む)以外に存在が広く認知されたのはのちの事である。

 

 

1945年9月22日に出されたSCAPIN-43「日本放送遵則(Radio Code for Japan)」と一対のものである。新聞遵則は、この放送遵則と映画遵則もこれに準拠した。

 

 

昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により失効。

 

 

プレスコードなどの検閲を主に担当したCCDが収集した資料(領域内の全刊行物を含む)は、メリーランド大学のプランゲ文庫に保管されている。

 

 

 

「日本による言論弾圧」と、「GHQによる言論弾圧」、どちらもいい勝負です。後者だけを叩いて、前者を無視するのはフェアではありません。

 

 

違いはこれです。

 

 

GHQの言論弾圧 → 味方ではなく敵に向いている

 

 

日本の言論弾圧 → 味方である仲間に向いている

 

 

 

日本が言論弾圧を行っていた時期は、他のヤバい法律もあるので、政府の考えに疑問を持っている事がバレたら、発禁どころでは済みません。命の危険があります。

 

 

一方、GHQが言論弾圧を行っていた時期は、他のヤバイ法律が、機能していなかったので、まだマシと言えます。

 

 

サンフランシスコ講和条約発効により失効したとのことですが、現代もこのプレスコードの影響を受けていると主張する人もいます。

 

 

しかし、そうであっても、その事を国民が批判できるだけ、まだマシです。日本国憲法があるお陰なのは言うまでもありません。

 

 

何が検閲されたか、以下のリンク先に分かりやすく解説されています。

 

【プレスコードとは】GHQの行なった言論統制!!背景や30項目・影響について

 

 

日本人に戦争の罪悪感を植え付ける為に、怒りの矛先を「日本vsアメリカ」から「日本国民vs軍国主義者」にすり替えたとのことです。

 

 

しかし、大日本帝国では、日本国民とそれを虐待する軍国主義者の構図に現実になっていました。お上を批判できない人ばかりなので、ここに問題があった事を教えたのは良かったと思います。

 

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

よく、「歴史は勝った者が書く。だから、負けた日本にとって都合の悪い歴史はデマなんだ。日本だけが悪いなんておかしい」と言う人がいるのですが、それを言うなら、

 

 

負ける前、調子に乗っていた時代の日本は、勝者の理屈で、弱い立場の人達が訴える主張や歴史まで弾圧していました。

 

 

その被害者は日本人です。

 

 

歴史学者が受けた扱いについて見てみましょう。

 

 

大日本帝国が圧力をかけた歴史観

 

 

内容云々よりも、

 

 

少数意見だからとか、主流ではないからとか、利権を脅かすからとか、気に入らないから...といった理由で、隠蔽したり、圧力をかけたり...

 

 

そういう事をする事に問題があります。

 

 

『「天皇機関説」事件 / 著者:山崎雅弘』

 

津田左右吉は、一八七三年一〇月三日生まれの日本史学者で、美濃部と同い年でした。東京専門学校(のちの早稲田大学)を卒業後、満鉄(南満州鉄道)調査部勤務を経て、一九一八年に早稲田大学講師となり、一九二〇年には同教授に就任しました。

 

 

日本史研究の著書は、一九〇一年に出した『新撰東洋史』が最初でしたが、国体明徴運動が進行中だった一九三九年に問題視されたのは、一九一九年の『古事記及び日本書紀の新研究』や、一九二四年の『神代史の研究』などでした。

 

 

津田の論考は、『日本書記』などに記された建国神話の大部分が、皇室による統治を権威化するために人為的に創作、構成されたものであること、神武天皇(初代)から仲哀天皇(第一四代)に至る記載は、歴史的事実の記録というよりは、これらの物語を作った朝廷や諸氏族の思想を表現したもの(思想史の文献)として読まれるべきものであることなど、当時の国体思想が絶対視した「皇国史観」の土台部分に疑問を差し挟むものでした。

 

 

こうした史料批判に基づく実質的な研究は、歴史学の分野では正統的な手法でしたが、一九三九年一〇月三〇日から、津田が東京帝国大学の法学部で東洋政治思想史の講座を開くことになると、天皇機関説事件の時と同様、「原理日本社」の蓑田胸喜と三井甲之らが、津田に対する激しい攻撃を開始します。

 

 

蓑田は、かつて美濃部に対して行ったのと同様、津田に「日本精神東洋文化抹殺論に帰着する悪魔的虚無主義の無比区悪思想家」などの罵倒と誹謗の石つぶてを投げましたが、政府も国体明徴の方針からこうした糾弾の動きを無視できませんでした。

 

 

その結果、一九四〇年二月一〇日から一二日に津田の著書『古事記及び日本書紀の新研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の四冊が発禁処分となり、三月八日には津田と発禁本の出版本である岩波書店の岩波茂雄が、出版法第二六条違反の容疑で起訴されました(ただし数度の裁判を経て一九四四年に免訴となる)。

 

 

(224~226p)

 

 

遺跡への扱い

 

歴史の弾圧は、資料に限った話ではありません。遺跡も対象です。

 

 

広島県の荘原市に「葦嶽山 あしたけやま」という山があるのですが、ここの遺跡の話が有名です。

 

 

日本式のピラミッドが発見されたと、中国新聞の記事になっています。

 

 

 

 

 

しかし、おかしな展開になります。

 

 

火(ホ)と「ニワ」と鍋釜 「日本ピラミッド」葦嶽山の巨石探索-12 太陽石についての疑問

 

 

広島県庄原市にある「葦嶽山」は、「日本ピラミッド」と呼ばれ、道路標識にもそのように書かれている。「葦嶽山」を「ピラミッド」としたのは、「酒井勝軍 (サカイカツトキ)」。

 

(中略)

 

「酒井勝軍」は「葦嶽山」を「ピラミッド」として発見した後すぐに「太古日本のピラミッド」という本を書いている。発刊は発見と同じ年の昭和9年(1934年)。著者名を「発見者酒井勝軍 著」としている。

 

 

この本は発刊後、発禁処分になり、貴重な一冊が「国会図書館」に残されていて、そのライブラリーから今は誰でも読むことが出来る。

 

 

(中略)

 

 

その後、「葦嶽山山頂」の「太陽石」や「磐境」は、軍部によって破壊され、跡形もなくなってしまったとされている。そこそこの石を、たとえ風化が進んでいたとしても、粉々にして跡形もなく処理しようと思えば、それなりの技術も労力もいる。そう簡単ではない。

 

 

本を発禁にするのはたやすいが、困難を伴う山頂の石の破壊を、「ピラミッドであるという主張」を、打ち壊すために、わざわざ軍部がするだろうか。もし軍部が破壊したとするならば、むしろ軍部が「葦嶽山はピラミッドである」と認める行為になるまいか。むしろ、無視する方が、よほど強い否定になると思うのだが。

 

 

「太古日本のピラミッド」という本が発禁になったというのも、「ピラミッド」を問題視したというより、天皇への不敬罪だったのではないかと、推察できる。

 

 

破壊したという話は「デマ」だとする意見もあるのですが、発禁処分にもしてますからね。貴重な歴史資料を隠蔽しようとした事は間違いありません。

 

 

日本式のピラミッドは歴史が古く、1万年以上前と言われています。どうやって運んだんだ...というくらい不自然に積みあがった巨石を見ると、古代に今とは違った技術があった可能性もあり、ロマンがあります。

 

 

でもこういった遺跡にはスポットライトが当たりません。公式になっている歴史感と矛盾する遺跡は、あってはマズいのでしょう。

 

 

...というわけで、日本は昔から歴史の隠蔽をしてました。

 

 

隠蔽

 

 

自分達にとって都合の悪い事を隠蔽する行為は、権力者は誰でもやります。日本もGHQも、どっちもどっちです。

 

 

GHQが酷かったから、日本人による歴史認識はまともだった...みたいな理論は、そろそろ卒業しましょう。

 

 

調べたら、江戸時代の話でも捏造があるようです。

 

 

 

 

 

昔から隠蔽大好き。

 

 

詳しい資料が残ってないみたいなのですが、戦後にもあったみたいです。

 

 

マンガ弾圧の歴史!鉄腕アトムは燃やされたのか?「悪書追放と焚書」

 

 

 

反省をする事は日本人の為

 

 

日本人は悪くないと言い張る人達を見て、いつも思うのですが、普段から仕事等で、ミスや問題を発見しても、そんな風に揉み消しているのでしょうか...。

 

 

「悪くない」と言い張って、反省しない姿勢を貫くなら、当時日本人に対して行っていた非人道的な行為に対しても該当するので、また同じ事を日本人にやる可能性大です。

 

 

 

そして、「日本は悪くない」と言っている人の中でも、特に影響力のある人が、こんな事を言いだしているので、注意が必要です。

 

 

毎日新聞 「極端な思想の公務員、洗い出し辞めさせる」 参政・神谷代表が発言

 

 

 

 

問題となった発言場所です。

 

 

 

 

スパイ防止法は、治安維持法を彷彿とさせます。

 

 

80年以上前の日本人が、有無も言わさず国民をコントロールする為のノウハウを作ったので、その方法を使えば、当時の環境にすることは可能...と思っていたら危ないです。

 

 

治安維持法は、「結社」取り締まりから、「思想」取り締まりへ進化したことを忘れてはなりません。

 

 

続編はこちらから。

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える