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2025年4月に、国民の人権を脅かすことに繋がるような法律が、いくつか施行されました。

 

 

【悲報】2025年4月から施行される新ルール解説

 

 

 

一部の人達が危険を察知して、「SNSが規制される!情報統制が始まった!」...と、大騒ぎしていたので、記憶に新しいと思います。

 

 

ここ最近、戦前・戦中の大日本帝国の社会システムや、人々の性質などを記事にしているのですが、当時と比較すると、現代は酷くはなったとはいえ、まだマシです。

 

 

自分の頭で考えて、選択し、行動に移す自由は、かろうじて残されているからです。自分の命を守る自由もあります。

 

 

大日本帝国は、それすらも奪ったので、多くの国民が苦しみました。祖母が生前に「おばあちゃんらは、青春やなんか無かった」と言っていたのを思い出します。

 

 

現代の日本が、これ以上酷くならない為にも、かつて大日本帝国がどんな法律を作って国民を締め付けてきたのかを知っておく必要があります。

 

 

前回の記事では、言論弾圧に関するお話をしました。「治安維持法」によって、多くの日本人が亡くなった話は衝撃的です。

 

⑬GHQよりはるかに厳しかった大日本帝国の言論弾圧と隠蔽。

 

 

今回は、緊急事態条項や授権法を彷彿とさせる「国家総動員法」について考えてみたいと思います。

 

 

国民総動員法

 

国家総動員法(昭和13年4月1日法律第55号)の基本的な情報がこれです。

 

 

国家総動員法 wikipedia

 

1938年第1次近衛内閣により日中戦争の長期化による国家総力戦の遂行の目的で、国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨に関する法律である。

 

 

第73帝国議会で可決成立し、同年4月1日に公布、5月5日に施行された。第26代内閣総理大臣田中義一の下で1929年(昭和4年)に策定された「総動員計画設定処務要綱案」から発展した法律である。同年12月には満州における政策を統括する興亜院も発足した。

 

 

1945年(昭和20年)の大東亜戦争終結によって名目を失い、GHQ/SCAP被占領期にあって同年12月20日に公布された「国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律」(昭和20年法律第44号)により廃止され、効力が消失した。

 

 

当初は企画院第一部が所管し、商工省(現・経済産業省)工務局・鉱山局と連携して執行。

 

1943年(昭和18年)から降伏直後までは軍需省総動員局総動員課が所管し、大本営陸軍部、陸軍省兵器行政本部および農商省(現・農林水産省)商工局と連携。

 

 

軍需省解体後、本法律廃止までの残務整理は商工省大臣官房が担当した。

 

 

国家の全て...という部分が怖いですね。占領期に廃止されたということは、GHQがいなかったら、存在していたかもしれません。

 

 

wikiだと少し分かりにくいので、別の解説を参考にします。

 

 

『天皇財閥 皇室による経済支配の構造 / 著者:吉田祐二』

 

恐るべき「国家総動員法」の成立

 

これまで、日本のアジア進出および海外侵略とは、銀行と国策企業としての植民地会社を中核とする、天皇財閥の経営戦略であることを明らかにしてきた。

 

 

こうして対外進出を果たした日本は、迫りくる戦争に向けて軍事生産力の強化に乗り出したのである。

 

 

大日本帝国は、台湾、朝鮮、満州に続き、中国北部(華北)への進出を目指した。中国との全面戦争に突入した日本は、膨張する軍事支出、軍需物資の輸入増大に対応するため、直接的な経済統制下に入る。

 

 

総力戦(Total War)に備えるために、国をあげて「国家総動員体制」をつくり上げるのである。国家総動員体制とは何か?

 

昭和十三年(一九三八)に公布された国家総動員法のなかの定義を見て見よう(原文は、漢字は旧字体、平仮名は片仮名表記)。

 

 

第一条 本法において国家総動員とは、戦時に際し国防目的達成のため、国の全力を最も有効に発揮せしめるよう、人的および物的資源を統制運用するを謂う。

 

 

「総動員」とは、英語の「mobilize」の翻訳である。これは戦時に際して、政府はすべての物資、人命を、強制的に動かすことができるという、とても恐ろしい意味をもつ言葉である。

 

 

国家総動員法においては、「国家総動員上必要あるときは、勅令の定むる所により」、次のような、あらゆることが可能となるのである。

 

 

帝国臣民を徴用して総動員業務に従事せしめることを得(第四条)

 

物資の生産、修理、配給、譲渡その他の処分、使用、消費、所持および移動に関し必要なる命令を為すことを得(第八条)

 

新聞紙その他の出版物の掲載に付き制限または禁止を為すことを得(第二十条)

 

 

つまり国民すべてを「徴用」することができるのである。物資の生産や修理、移動など、必要なことなら何でもやらせることができるという、恐るべき目的が、この法律にはうたわれているのである。当然のように言論の自由などは完全に封殺された。これは現在の北朝鮮の体制とまったく同じである。

 

 

国家総動員法は第一次近衛内閣によって成立した。この法律により、政府は議会によって制定された法律によってではなく、勅令によって直接、国民を無制限に統制することができるようになったのである。

 

 

(122~124p)

 

 

●勅令とは、天皇が発した法的効力がある命令のこと。

 

●臣民とは、絶対的な君主に使える立場(つまり家来)。明治憲法下の日本で、天皇・皇族以外の者を指す。

 

●徴用とは、戦時などの非常時に、国家が国民に命令して、一定の仕事につかせること。

 

 

強制的に動かせる対象に「人命」が含まれるのが恐ろしいですね。戦争末期は、命や尊厳が、使い捨ての物同然の扱いでした。

 

お気付きでしょうか?このように扱われる人の事を、日本語で奴隷と言います。

 

 

奴隷 wikipedia

 

人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の私有財産や所有物として取り扱われる人のことである。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。

 

 

国民総動員法は、ありとあらゆるものを絞り取る為に、国民を奴隷にする法律だと言っても過言ではありません。

 

 

現代だったら、国民を奴隷化するような法律は作れません。それは日本国憲法があるからです。

 

 

奴隷システムは何故できた?

 

法律より強いのが憲法です。

 

そして憲法は、国民ではなく、公権力側の人達が守るべき決まり事です。以下は現代の「日本国憲法」です。

 

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ

 

憲法は権力者が守る決まり事。憲法は、権力者の暴走を止めるのが仕事です。

 

 

 

現代だったら、日本国憲法が国民の人権を守ってくれているので、それに反するするような法律は、憲法違反になります。

 

 

もし「自民党の改憲草案」のような内容に変更すると、国民の人権は守られなくなります。これは国民にとってはデメリットです。

 

 

 

 

戦前・戦中は、大日本帝国憲法でした。今の憲法とは中身が違います。

 

 

この時代なりに、国民(当時は臣民の立場)の事を考えていたのかもしれませんが、結果的に「人権を無視するような法律」がたくさんが作られて、それによって国民が犠牲になったのは事実です。

 

 

何故、「国民総動員法」のような国民を不幸にする法律ができてしまったのか、どのように実行されたのか見てみます。

 

 

『太平洋戦争と「国民総動員」 / 著者:小野賢一 けやき出版 1995年出版』

 

 

めざすは「軍備の充実」

 

 

戦後五〇年の今日、吟味しなければならないことがある。その一つが総動員の問題である。というは、九四年春に朝鮮有事を口実に、九五年一月には阪神淡路大震災を口実に有事法制の必要が説かれたが、この法制の原型は国家総動員法だからである。

 

 

国家総動員法は、近衛文麿が内閣をつくった直後にはじまった日中戦争のなかで立法が要請され、一九三七年十月の企画院創設にともない法案が作成された。すでに開戦とともに政府は、臨時処置として資金の使用と輸出入の統制をおこなったが、そのうえにたって総力戦体制をきずこうとしたのである。

 

 

法案は三八年二月、帝国議会に提出され、多少の紛糾があったが三月に議会を通過、天皇の裁可(承認)をへて同年四月一日に公布、五月から施行された。

 

 

なお、戦前の日本では明治憲法によって、議会が法案を通過させても天皇が承認しなければ法律とならないし、また天皇は一般の法律と同格の勅令というものを自由につくることができた。

 

 

議会は、真の立法権をもたなかったのである。

 

 

そのころ日本軍は、すでに中国の北京・上海・南京を占領し、内陸部の武漢にむかって進撃しようとしていた。

 

 

近衛首相は法案を提出した第七三帝国議会の施作方針で(三八年一月)、この法律が軍事に奉仕するものであることをあけすけにのべた。

 

 

すなわち、この法は物心両面にわたり、「国家総動員体制の完成を図る」もので、この方針にもとづいて「軍備の充実と国費の調達」につとめる。予算も「軍事の需要充足に集中」する。産業については「日満支〔日本・満州・中国〕を通ずる全体計画の下に我画生産力の拡充を図る」。ことに「国防上緊切なる物資の供給、重要産業の振興、輸出貿易の伸張に力」をつくす、という。

 

 

この主張にあるように、総動員体制はまず日本経済を直接軍事に奉仕させるもので、さらに植民地・占領地の力をも利用するものであった。

 

 

現代に比べると、議会がきちんと機能していなかったようです。まず、これが大きな問題です。

 

 

いうまでもないことだが、総動員法だけが国民にかかわったのではない。

 

 

治安維持法(二五年)や国防保安法(四一年)による弾圧が、ともに国民をおさえつけた。

 

 

特別高等警察(特高)と憲兵は、その担い手であった。うかつに不満や情報をもらすと処罰され、国家にかかわる重要なことは秘密とされた。

 

 

また文部省も、戦争にむけた国民精神総動員運動の主務官庁の一つであったし、その主任務である文教政策をつうじ青少年を精神的に動員することに力をつくしていた。

 

 

総動員法による統制は、日本経済と国民生活のすべての領域にわたり、年ごとに強まっていった。

 

 

今の人達は、権力が暴走しても、自由にしてたらいい、従わなければいい...と簡単そうに言いますが、戦前・戦時中にそれを実行するのは、かなりハードルが高そうです。

 

 

当時も、一応批判はあったみたいですが、進める力の方が強引です。

 

 

しかしこれには、戦前でも批判があった。たとえば法制定直後のことだが、東洋経済新報社編『日本経済の戦時編成』は、この法律は「政府の戦時統制に絶対服従する義務を負はせる」もの、「国民の服従宣誓書」、「政府への『白紙委任状』」であるという言葉をつかって問題にしている。

 

 

そうした批判もあったが、近衛内閣は三八年五月にこの法を施行した。法を直接適用した範囲は、北海道から沖縄までの内地と、樺太・台湾・朝鮮・南洋群島の外地である(四一年の改正法の骨組みは別項)。

 

 

それは、戦時ばかりでなく、平時から将来にそなえて準備することをふくんでいた。

 

 

当時、末川博教授は、東洋経済新報社の指摘を『国防経済法体制』のなかで別の表現で確認している。

 

 

改正された総動員法を「国防経済体制の根幹を法的に表現する基本法」だといい、

その国防経済は今日、統制経済とよばれているが、国防経済は「広い意味での政治的秩序」で、その秩序はこれまでの経済を「抑圧し規制する統制」によって実現されるものだから、そこには「権力的な要素が強大にはたらく」し、総動員とは「必要に応じいかなる方法でいかに強烈な統制でも成し得る」ものなのだと指摘している。

 

 

そして、「実際上の適用は各本条に基き更に改めて制定される勅令」によって統制・運用されると特徴づけている。

 

 

昔から、民意を無視して押し切っていたようです。

 

「戦時ばかりでなく、平時から将来にそなえて準備することをふくんでいた。」に驚きました。平時から備えるということは、永久に続くということなのでしょうか。

 

 

内容も酷く、これを法律と呼んでいいのかと言いたくなります。

 

 

それにしても総動員法自体は簡潔にすぎて、具体的な内容はつかみにくい。

 

 

実際は、この法律に膨大な数の勅令がともなっていて、なにをどう統制するかをしめしている。

 

だから総動員法は、具体的なことを権力者の自由にまかせる委任立法であった。

 

 

この法体系の根幹だけさだめておいて、その具体化は勅令を大量にだして統治するものである。議会はそれらをおしとどめる権限をもたなかった。

 

 

衣食と直接かかわったものの例をあげれば、価格等統制令(三九年十月)、生活必需物資統制令(四一年四月)、物資統制令(四一年十二月)がある。これらに違反した場合どのような処罰をうけるかは、あとでみることにする。

 

 

その勅令群の下に、さらに省令・道府県令があって、それで国民生活をがんじがらめに統制したのである。

 

 

しかも、それらにかんする情報もコントロールされた。太平洋戦争中の内閣情報局による発表禁止例では、四二年度下期の鉄鋼・石炭・アルミ生産確保のため「政府で対策を研究しているというようなものも不可」とか(四二年十一月)、政府の緊急物価対策の解説に「物資の名称も出てはいけない」という(四三年四月)あきれはてた事態であった(星野力『報道されなかったニュース』)。

 

 

(14~17p)

 

 

 

曖昧に作っておいて、細かい部分は権力者にお任せ、決めてもらう...というのが日本人らしいです。

 

 

現代の憲法や法律で動いている社会と大きく違うのは、勅令だと思います。

 

 

昔の日本の統治者は、選挙によって選ばれた政治家ではなく天皇です。以下の3つの条項を見たら分かるように、その地位は誰も侵す事のできない神聖なものなので、その天皇の命令は強力です。

 

 

大日本帝國憲法 第一章 天皇  wikipedia

 

第一條

大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

 

第二條
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所󠄁ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス

 

第三條
天皇ハ神聖󠄁ニシテ侵󠄁スヘカラス

 

 

次の3つの条項には、国家元首であること、陸海軍を率いて指揮する権限を持ち、戦争の際には、宣戦布告・講和・条約締結の全ての権限を持っていたことが書かれています。

 

 

第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲󠄁法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ

 

 

第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

 

 

第十三條
天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス

 

 

「国家総動員法」は、国家の全権を持つ統治者の出す命令で、具体的にどう統制するかを決めるわけですから、独裁になるでしょう。

 

象徴天皇になった「日本国憲法」だったら、「国家総動員法」は憲法違反と言われますが、この時代は天皇の地位は統治者なので、どうなるのでしょう...。

 

 

ちなみに、軍隊では、「上官の命令は天皇陛下の命令」と言われていました。国家の全権を持つ統治者の命令だと思って部下に接すれば、態度がデカくなります。

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

「国家総動員法」だけでなく、複数のヤバい法律とコラボして、国はどんどん悪い環境になっていきました。

 

 

治安維持法は、以下の記事で紹介しました。

 

⑬GHQよりはるかに厳しかった大日本帝国の言論弾圧と隠蔽。

 

 

国防保安法は(昭和16年3月7日法律第49号)は、政治的な国家機密の保護に関する日本の法律で、1941年(昭和16年)に公布・施行されました。かなり厳しいです。これもGHQが廃止してくれました。

 

国防保安法 wikipedia

 

概要

 

目的は国家機密のうち、政治的な機密を保護することにあった。1941年(昭和16年)3月7日に公布され、5月10日に施行された。そして、同年5月12日から、外地も含めて全国一斉に防諜週間が始まった。

 

 

法律の対象は、御前会議、枢密院会議、閣議ならびにそのために準備した事項を含む国家機密の漏洩、その他通敵を目的とする諜報活動、治安を害する事項の流布、国民経済の運行の妨害および妨害未遂、教唆、扇動、予備または陰謀などである。最高刑は死刑が適用された。

 

 

刑事手続きにおいては検事に広範な強制捜査権を与えた。裁判は原則として二審制で、弁護人の選任および人数も制限された。

 

 

第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月13日、GHQ指令を受け、ポツダム命令である国防保安法廃止等ニ関スル件(昭和20年勅令第568号)により廃止された。

 

 

「国家総動員法」はヤバすぎるので、中身を知れば、多くの現代人には受けないと思います。

 

 

しかし、これに近い法律を作りたいと思っている人達はいます。以前、参政党がそんな雰囲気を見せたことがあります。

 

 

参政党の問題は方向性

 

参政党は、一見良さそうな事を言うのですが、戦前回帰や、権力者寄りの考えをしているので、国民の味方というのは無理があります。

 

例えば、最近「治安維持法」を彷彿とさせる「スパイ防止法」を作りたいような事を言ったり、

 

 

 

 

 

 

 

スパイ防止法は、日本で作っても、意味ないという意見もあります。

 

 

 

 

参政党は、国民の味方だったら思わないような事を、何度も言って来たので、不安になる人の気持ちが分かります。

 

 

「国家総動員法」も、作りたいと思っているはずです。その根拠は、数年前に出ていました。

 

 

授権法 HPにのせた政策例に避難殺到

 

 

2021年に参政党は、「新しい国づくり10の柱」という政策例をHPにのせました。

 

 

そのうちの「六の柱」にある授権法が問題になったのです。

 

 

Dearわがままポメラニアン ②参政党の正体 授権法編

 

 

 

 

 

 

授権(じゅけん)とは、一定の資格・権利・権限などを特定の人に与えることです

(特に、代理権を授与すること)。

 

 

授権法とは、政府が立法権を掌握して、どんな法律も作り放題になる...という決まりです...。政府に丸投げ法案とでも言っておきましょうか。

 

 

授権法 wikipedia

 

 

国家における非常事態などの発生に際し、立法府が行政府やその他の国家機関に対し、一定の権限を授権する法律。

 

 

概要

 

 

非常事態の発生に対し通常の立法・行政手続きを行わずに権力を行使できる権限を与える授権法は、憲法に定義されている場合が多い

 

 

フランス憲法にはこうした授権法規定が明記されており、第一次世界大戦勃発後のフランス第三共和政下では授権法制定が頻発され、1940年1月までに13の授権法が発布された。

 

 

ドイツにおいても第一次世界大戦勃発直後に制定された。ヴァイマル憲法にも同様の規定があり、1921年に2度、1923年に1度制定されている。

 

 

1933年に制定された全権委任法も一種の授権法ではあるが、従来の授権法制定と異なり、憲法改正手続きに従って行われ、アドルフ・ヒトラーと国民社会主義ドイツ労働者党の政府は憲法改廃権を含む権力を手中にした。

 

 

日本においても国家総動員法は一種の授権法であると見られている。

 

 

アメリカ合衆国においては通商・国防などの分野で一定の授権を行う法律が存在している。ただし日本において国防授権法(英語版)などと訳される法律は「英語: Authorization Act」であり、厳密には「Enabling Act」である授権法とは異なる。

 

 

 

参政党は、戦前の「国家総動員法」と近い授権法を、政策例に入れたのです。

 

 

戦時中の事もありますし、「例」とはいえ、こういう発想をすること自体が怖いです。

 

 

授権法は、採用されなかったとして、後に削除されたのですが、参政党としては、これが本音だと思います。ヤバい事考えてるな...と警戒する人が何人もいました。

 

 

HPから消えても、それはそれで、みんなザワつきました。

 

 

知恵袋  参政党が授権法を掲げてたのはデマなんですか?2022/6/16

 

 

ベストアンサー2022/6/17

 

質問者さんが貼り付けた画像を「捏造」と言っている支持者がいますが、5月中旬にPDFごと削除された実在したものです。参政党のHPにも、「誤解を与えるので削除した」「政策は選挙後に党内で決める」とあります。

 

 

参政党のミーティングのズームで支持者の方が授権法を政策としているかと質問したら、
神谷さんは「全くそのようなことはありません」

 

松田さんは「党員がたたき台として書いてしまった」と言っていてそれで納得したそうです。

 

 

でも、演説では、神谷さんは、「東北大地震で、民間の車が邪魔で自衛隊の緊急車両が通れなかった。だから、授権法は必要。」とはっきり仰ってました。

 

 

他の演説では、「松田さんが『政策例』としてHPに載せた。松田さんは緊急事態条項は必要だけど、憲法だと細かい設定ができないから海外でも法律としてある授権法を政策としてあげた。全権取り上げるナチスのような法律というのは誤解。」

 

 

しかし、コロナ渦の海外で何が起きました?この法律のせいで、ワクチン強制、接種してなければ、仕事も生活もできない国がたくさんでて来ましたよね。日本もこうなるということです。

 

 

神谷さんは熱意があるから信じられる、日本を変えてくれる、維新のときもそう言っている人いましたが、今じゃ完全に「是々非々」で自民党に同調しているじゃないですか。

 

 

でも、参政党が維新よりもやばいのは、自民党がわざわざ票割れのために作った政党ってことです。改憲・緊急事態条項をスムーズにすすめるため。

 

 

だから、参政党は政策の説明が二転三転するし、痛いところをつかれると、YouTubeのコメントも即削除です。

 

 

コロナ禍の海外で何が起きましたか...と書かれています。知らない方もいるので、オランダの例を紹介しておきます。

 

オランダの憲法や法律はどうなっているのか分かりませんが、無抵抗の抗議者を滅多打ちにしていました。人権を侵害するような法律があるのかもしれません。

 

 

 

警察犬をけしかけたり、放水車を使ったり...あまりに酷いので退役軍人が抗議者を守る事態に発展しました。詳しくは以下の記事を参考にして下さい。

 

You3 note ロックダウン等のコロナ規制に反対する抗議活動の様子について(オランダ編)

 

 

日本がここまでならないのは、今の憲法が人権を守る「日本国憲法」だからです。もし大日本帝国憲法のままだったら、海外のような状態か、それ以上になっていた事でしょう。

 

 

憲法を変えると、国民にとっては不利益です。

 

 

 

 

 

 

 

「緊急の時だけ」みたいな誘いは要注意です。一度決まったら、改正して、範囲を拡大するかもしれません。「国家総動員法」のように、平時から将来にそなえて準備することとされたら最悪です。

 

 

今回の参院選で国会議員になった松田学氏は、緊急事態条項賛成派です。

 

 

 

 

戦時中の「国家総動員法」は、国民を奴隷化する法律だったのでヤバかったです。

 

「授権法」も、憲法に加えようとしている「緊急事態条項」も、どっちも奴隷化できるのでヤバいです。

 

授権法の件について語っている動画がこちら。

 

 

 

 

こういう曖昧な事をするから、3年前は本当にみんな心配していました。

 

以下は広島のタウンミーティングに参加した仲間が撮影したものです(たぶん2022年7月3日)。

 

②に、緊急事態条項、受権法は作らないと書いてあります。

 

 

 

 

 

 

しかしその一方で。

 

 

facebook 桂花 有希氏 6月28日

 

 

参政党のお膝元?である石川県の議会にて…。

 

 

自民・公明が提案した「緊急事態条項の国会審議を求める意見書」に、参政党の議員が賛成してますが!!

 

 

やばいでしょ、コレ!

 

 

「国会で緊急事態条項の審議をすすめてください」っていうヤツだよ?

 

 

参政党的には「国民から見えるところで審議を」ということだそうですが、自民党・公明党と足並みを揃えています。

 

 

自民党・公明党(緊急事態条項推進派)に有利に進むと言うことです。

 

 

国会で自民・公明と意見を交わすのは誰?人任せですか?

 

 

※書類は石川県議会の資料を私がスクショしてきたものです。

 

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/gikai/gaiyou/202205/mokuji202205.html?fbclid=IwAR08bMaN41lnm1kZ-lF6VLLeld0QM7v5Ig_Xd-vmzVCCXxs2LmeHbXJsJoM

 

 

 

別の仲間が、このことを問題視して、画像送ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロコロ変わるので、当然質問する人が出てきます。すると、こうなります。

 

 

 

 

批判や質問が殺到。インフルエンサーも問題視するようになりました。

 

 

なんとか言い訳したのがこの動画。

 

 

 

サルサ岩渕さんも、3年前から参政党の問題を分析しています。

 

サルサ岩渕のブログ 参政党に関する質問にお答えします

 

 

本音を炸裂させる参政党

 

現代人からするとありえない「国家総動員法」ですが、名前や形を変えて復活する可能性もあります。

 

参政党のような影響力のある人達が、良さそうに宣伝すれば、「国民にとって有益な法律」だと勘違いする人が出てくるからです。

 

神谷氏が「スパイ防止法」の必要性を語った時に、歓声が上がったのを見ると、そう思います。

 

 

 

 

熱狂する殆どの人は、その矛先が自分達に向くとか、仲間に向けることになる...といった想像をしていないのかもしれません。

 

 

昔の人が同じような過ちをしてないか、確認する事が大事だと思います。

 

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youtubeを見ようとすると、かなりの確率で、古い本の復刻版の宣伝が入ります。

 

 

GHQが発禁したというもの。

 

 

 

 

しつこいんですが...。

 

 

ということは、この手のシリーズはよく売れているのでしょう。宣伝なので嫌でも見てしまいます。

 

 

すると、GHQはこんなに日本の書物を発禁したんだな、なんてひどい奴らなんだ。日本はそれだけ凄いんだ...と言う風に誘導されます。

 

 

しかし、日本も戦前・戦中は、言論弾圧をしており、体制にとって都合の悪い本を発禁しまくってました。

 

 

「発禁本」1300冊を集める図書館とは…国会図書館にもない蔵書も 「歴史の証人として希少」

 

 

日本人も同胞を散々弾圧したのに、外から同じ事をやられたら、被害者アピールするのは、自分勝手というものです。

 

 

「GHQによる弾圧」だけ批判し、「大日本帝国による弾圧」は無視するなら、フェアではありません。両方問題視するべきです。

 

 

コロナ禍の時、非科学的な感染症対策に対して、穏やかに抗議する市民を、暴力を使って弾圧する映像がたくさん流れてきました。

 

 

 

 

それらを見て、日本は良い国だと思いましたが、ほんの80年前までは、日本はそれ以上の事をやっていたのです。

 

 

憲法の問題だけに気を取られていたのですが、他にもを気を付けないといけない事が沢山あることに気づきました。

 

 

80年以上前、「国民を黙らせるような決まり事」がたくさん作られていったのです。

 

 

国民はそれに対して強く反対したようには見えないですし、反対があっても強引に決定したような印象も受けました。現代とソックリです。

 

 

そのヤバイ決まりごとは、敗戦のお陰で無くなりましたが、名前や雰囲気を変えて、現代に蘇る危険性があります。

 

 

それを防ぐ為には、かつての日本が、どんな方法によって、合法的に言論弾圧を可能にしていったのか、知っておいた方がいいです。

 

 

本記事では、GHQよりはるかにヤバイ日本の言論弾圧を紹介します。

 

 

治安維持法

 

 

戦前・戦中のヤバイ法律といえば、なんといってもこれでしょう。

 

 

 

 

北朝鮮や中国の人達の自由のなさを見て、気の毒だなと思いますが、大日本帝国がモデルを作ったのではないかなと思います。

 

 

治安維持法によって犠牲になった人達への謝罪と賠償を求める集いがあったとは知りませんでした。

 

 

治安維持法が1925年に作られた当初は、「共産主義思想の人」を取り締まる為の法律だったのですが、対象者の範囲が広がり、最終的には「戦争に反対する人」を弾圧していくものになりました。

 

 

小さく生んで大きく育てる...現代と同じですね。拡大解釈や、小さな変更を加えていき、いつの間にか有害なものに変わるのです。

 

 

民主主義を訴えて犠牲になった人達は、国民の人権や自由を守ろうとした人たちなので、愛国者です。

 

 

 

 

 

関連する法律に、思想犯保護観察法(昭和11年5月29日法律第29号)というものがあります。

 

 

思想犯保護観察法 wikipedia

 

 

思想犯保護観察法は、1936年(昭和11年)、思想犯を公権力の下に監視しておくために制定された日本の法律である。

 

 

全14条から成る。治安維持法違反で逮捕されたが執行猶予がついた者や、起訴猶予になった者、仮釈放された者、満期出獄者に対して適用された。

 

 

思想犯保護観察制度とは、一言で言うと、思想犯の再教育・監視制度である。犯罪者の保護観察制度は、19世紀のアメリカ合衆国を起源として、ヨーロッパに広まった制度だったが、思想犯を対象とした制度の導入は日本が最初である。

 

 

1945年(昭和20年)、「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク治安維持法廃止等ノ件(昭和20年10月15日勅令第575号)により廃止された。

 

 

徹底してますね。

 

 

現代であれば、日本国憲法(思想信条の自由)が守ってくれてますが、当時は大日本帝国憲法だったので、そんな効果はなく、国民の人権は平気で踏みにじられたのです。

 

 

もし、敗戦してなかったら、当時の憲法や法律のままだったら、日本人はいまだにこのような社会で生きていたことでしょうね。

 

 

 

 

この治安維持法は、GHQが廃止してくれたとのことです。

 

 

いい仕事します。日本は自浄作用がないので、日本人が中から変える事は不可能でしょう。

 

不穏文書臨時取締法

 

 

あまり有名ではありませんが、不穏文書臨時取締法(昭和11年6月15日法律第45号)を紹介しておきます。

 

 

不穏文書臨時取締法 wikipedia

 

「怪文書」の取締に関する日本の法律である。1936年(昭和11年)6月13日成立、同月15日公布・施行。

 

本法は、「昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク国防保安法廃止等ニ関スル件」(昭和20年勅令第568号)1条の規定によって、1945年(昭和20年)10月13日から廃止された。

 

 

 

日本人による言論弾圧「新聞紙法」

 

 

新聞紙法(明治42年5月6日法律第41号)によって検閲が強化されました。

 

 

戦前日本で制定された、日刊新聞および定期刊行雑誌を規制する法律。全45条と附則からなる。

 

 

1909年に公布・施行された法律で、帝国議会の初期議会で議員立法として成立したが、事実上は新聞紙条例を引き継ぐ法律となった。1949年に廃止。

 

 

 

成立後

 

 

新聞紙法の施行によって、出版法とあわせ検閲が強化されていった。

 

 

1938年には国家総動員法が定められ、新聞紙法第27条においては軍事・外交のみならず一般治安や財政金融に関しても統制できるものとした。また情報局が設けられ、新聞統制が進められていった。

 

 

廃止

太平洋戦争(大東亜戦争)の終結に伴い日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月27日付で「新聞及び言論の自由への追加措置に関する覚書」を発し、これにより新聞紙法は事実上効力を停止された。

 

 

なおこの間、9月27日の会見時に撮影された3枚の昭和天皇とマッカーサーが並び立つ写真のうち1枚を9月29日に新聞各紙が掲載したことに対し、内務省が新聞紙法第23条を理由に頒布を禁止するなど、混乱も見られた。

 

 

ただし、法律そのものは存続し、昭和憲法施行後の1947年(昭和22年)末に行われた内務省解体に伴い、内事局に移管。この内事局はわずか2カ月で組織再編となったため、さらに国家公安委員会(実務は国家地方警察本部警備部)へ移管された。正式に廃止されるのは、第3次吉田内閣下の第5回特別国会で可決成立した「出版法及び新聞紙法を廃止する法律」(昭和24年法律第95号)が公布された、1949年(昭和24年)5月24日付のことだった。

 

 

 

日本人による言論弾圧「出版法」

 

 

次に出版法(明治26年4月14日法律第15号)を見てみましょう。

 

 

出版法 wikipedia

 

 

明治時代に出版物の取締りを目的として制定された法律である。

 

 

検閲などを政府が行えることを定め、大日本帝国憲法下で政府による言論統制を推し進める根拠の一つとなった。

 

概要

 

1893年、出版条例を継承するものとして制定。治安警察法・行政執行法・著作権法の立案・草案作成にあたった有松英義の起草による。廃止までには全36条となっていた。

 

 

終戦後、ダグラス・マッカーサー率いる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、日本政府による言論統制を禁じ、代わってGHQが言論統制を行うようになったこと(プレスコードを参照)、日本国憲法第21条において表現の自由と検閲の禁止が定められたことに伴い、本法は有名無実となり、1949年に出版法及び新聞紙法を廃止する法律(昭和24年5月24日法律第95号)により廃止された。

 

 

なお、稀に情報公開制度を取り扱う文脈で出版法が出てくることがあるが、これは上記の出版法ではなく1800年代にスウェーデンで世界で初めて制定された情報公開制度、出版の自由法についてである。

 

 

 

GHQによる言論弾圧「プレスコード」

 

 

次にGHQのプレスコードを見てみましょう。

 

こちらは法律ではなく、規則とのこと。

 

 

プレスコード wikipedia

 

太平洋戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則である。これにより検閲が実行された。

 

 

正式名称はSCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」、昭和20年(1945年)9月19日に発令、9月21日に発布された。「日本新聞遵則」また「日本出版法」ともいう。「プレス・コード」と表記されることもある。

 

 

概要

 

 

このプレスコードに基づいて、主にGHQ批判、原爆に対する記事などが発禁処分に処された。占領開始前からの計画に従い、占領開始後間もなく個人的な手紙などにも検閲の手が回った。

 

この事実は当時の一般の大衆には知らされず、出版・報道関係者(学校の同窓会誌・村の青年会誌などのミニ・メディア関係者なども含む)以外に存在が広く認知されたのはのちの事である。

 

 

1945年9月22日に出されたSCAPIN-43「日本放送遵則(Radio Code for Japan)」と一対のものである。新聞遵則は、この放送遵則と映画遵則もこれに準拠した。

 

 

昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により失効。

 

 

プレスコードなどの検閲を主に担当したCCDが収集した資料(領域内の全刊行物を含む)は、メリーランド大学のプランゲ文庫に保管されている。

 

 

 

「日本による言論弾圧」と、「GHQによる言論弾圧」、どちらもいい勝負です。後者だけを叩いて、前者を無視するのはフェアではありません。

 

 

違いはこれです。

 

 

GHQの言論弾圧 → 味方ではなく敵に向いている

 

 

日本の言論弾圧 → 味方である仲間に向いている

 

 

 

日本が言論弾圧を行っていた時期は、他のヤバい法律もあるので、政府の考えに疑問を持っている事がバレたら、発禁どころでは済みません。命の危険があります。

 

 

一方、GHQが言論弾圧を行っていた時期は、他のヤバイ法律が、機能していなかったので、まだマシと言えます。

 

 

サンフランシスコ講和条約発効により失効したとのことですが、現代もこのプレスコードの影響を受けていると主張する人もいます。

 

 

しかし、そうであっても、その事を国民が批判できるだけ、まだマシです。日本国憲法があるお陰なのは言うまでもありません。

 

 

何が検閲されたか、以下のリンク先に分かりやすく解説されています。

 

【プレスコードとは】GHQの行なった言論統制!!背景や30項目・影響について

 

 

日本人に戦争の罪悪感を植え付ける為に、怒りの矛先を「日本vsアメリカ」から「日本国民vs軍国主義者」にすり替えたとのことです。

 

 

しかし、大日本帝国では、日本国民とそれを虐待する軍国主義者の構図に現実になっていました。お上を批判できない人ばかりなので、ここに問題があった事を教えたのは良かったと思います。

 

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

よく、「歴史は勝った者が書く。だから、負けた日本にとって都合の悪い歴史はデマなんだ。日本だけが悪いなんておかしい」と言う人がいるのですが、それを言うなら、

 

 

負ける前、調子に乗っていた時代の日本は、勝者の理屈で、弱い立場の人達が訴える主張や歴史まで弾圧していました。

 

 

その被害者は日本人です。

 

 

歴史学者が受けた扱いについて見てみましょう。

 

 

大日本帝国が圧力をかけた歴史観

 

 

内容云々よりも、

 

 

少数意見だからとか、主流ではないからとか、利権を脅かすからとか、気に入らないから...といった理由で、隠蔽したり、圧力をかけたり...

 

 

そういう事をする事に問題があります。

 

 

『「天皇機関説」事件 / 著者:山崎雅弘』

 

津田左右吉は、一八七三年一〇月三日生まれの日本史学者で、美濃部と同い年でした。東京専門学校(のちの早稲田大学)を卒業後、満鉄(南満州鉄道)調査部勤務を経て、一九一八年に早稲田大学講師となり、一九二〇年には同教授に就任しました。

 

 

日本史研究の著書は、一九〇一年に出した『新撰東洋史』が最初でしたが、国体明徴運動が進行中だった一九三九年に問題視されたのは、一九一九年の『古事記及び日本書紀の新研究』や、一九二四年の『神代史の研究』などでした。

 

 

津田の論考は、『日本書記』などに記された建国神話の大部分が、皇室による統治を権威化するために人為的に創作、構成されたものであること、神武天皇(初代)から仲哀天皇(第一四代)に至る記載は、歴史的事実の記録というよりは、これらの物語を作った朝廷や諸氏族の思想を表現したもの(思想史の文献)として読まれるべきものであることなど、当時の国体思想が絶対視した「皇国史観」の土台部分に疑問を差し挟むものでした。

 

 

こうした史料批判に基づく実質的な研究は、歴史学の分野では正統的な手法でしたが、一九三九年一〇月三〇日から、津田が東京帝国大学の法学部で東洋政治思想史の講座を開くことになると、天皇機関説事件の時と同様、「原理日本社」の蓑田胸喜と三井甲之らが、津田に対する激しい攻撃を開始します。

 

 

蓑田は、かつて美濃部に対して行ったのと同様、津田に「日本精神東洋文化抹殺論に帰着する悪魔的虚無主義の無比区悪思想家」などの罵倒と誹謗の石つぶてを投げましたが、政府も国体明徴の方針からこうした糾弾の動きを無視できませんでした。

 

 

その結果、一九四〇年二月一〇日から一二日に津田の著書『古事記及び日本書紀の新研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の四冊が発禁処分となり、三月八日には津田と発禁本の出版本である岩波書店の岩波茂雄が、出版法第二六条違反の容疑で起訴されました(ただし数度の裁判を経て一九四四年に免訴となる)。

 

 

(224~226p)

 

 

遺跡への扱い

 

歴史の弾圧は、資料に限った話ではありません。遺跡も対象です。

 

 

広島県の荘原市に「葦嶽山 あしたけやま」という山があるのですが、ここの遺跡の話が有名です。

 

 

日本式のピラミッドが発見されたと、中国新聞の記事になっています。

 

 

 

 

 

しかし、おかしな展開になります。

 

 

火(ホ)と「ニワ」と鍋釜 「日本ピラミッド」葦嶽山の巨石探索-12 太陽石についての疑問

 

 

広島県庄原市にある「葦嶽山」は、「日本ピラミッド」と呼ばれ、道路標識にもそのように書かれている。「葦嶽山」を「ピラミッド」としたのは、「酒井勝軍 (サカイカツトキ)」。

 

(中略)

 

「酒井勝軍」は「葦嶽山」を「ピラミッド」として発見した後すぐに「太古日本のピラミッド」という本を書いている。発刊は発見と同じ年の昭和9年(1934年)。著者名を「発見者酒井勝軍 著」としている。

 

 

この本は発刊後、発禁処分になり、貴重な一冊が「国会図書館」に残されていて、そのライブラリーから今は誰でも読むことが出来る。

 

 

(中略)

 

 

その後、「葦嶽山山頂」の「太陽石」や「磐境」は、軍部によって破壊され、跡形もなくなってしまったとされている。そこそこの石を、たとえ風化が進んでいたとしても、粉々にして跡形もなく処理しようと思えば、それなりの技術も労力もいる。そう簡単ではない。

 

 

本を発禁にするのはたやすいが、困難を伴う山頂の石の破壊を、「ピラミッドであるという主張」を、打ち壊すために、わざわざ軍部がするだろうか。もし軍部が破壊したとするならば、むしろ軍部が「葦嶽山はピラミッドである」と認める行為になるまいか。むしろ、無視する方が、よほど強い否定になると思うのだが。

 

 

「太古日本のピラミッド」という本が発禁になったというのも、「ピラミッド」を問題視したというより、天皇への不敬罪だったのではないかと、推察できる。

 

 

破壊したという話は「デマ」だとする意見もあるのですが、発禁処分にもしてますからね。貴重な歴史資料を隠蔽しようとした事は間違いありません。

 

 

日本式のピラミッドは歴史が古く、1万年以上前と言われています。どうやって運んだんだ...というくらい不自然に積みあがった巨石を見ると、古代に今とは違った技術があった可能性もあり、ロマンがあります。

 

 

でもこういった遺跡にはスポットライトが当たりません。公式になっている歴史感と矛盾する遺跡は、あってはマズいのでしょう。

 

 

...というわけで、日本は昔から歴史の隠蔽をしてました。

 

 

隠蔽

 

 

自分達にとって都合の悪い事を隠蔽する行為は、権力者は誰でもやります。日本もGHQも、どっちもどっちです。

 

 

GHQが酷かったから、日本人による歴史認識はまともだった...みたいな理論は、そろそろ卒業しましょう。

 

 

調べたら、江戸時代の話でも捏造があるようです。

 

 

 

 

 

昔から隠蔽大好き。

 

 

詳しい資料が残ってないみたいなのですが、戦後にもあったみたいです。

 

 

マンガ弾圧の歴史!鉄腕アトムは燃やされたのか?「悪書追放と焚書」

 

 

 

反省をする事は日本人の為

 

 

日本人は悪くないと言い張る人達を見て、いつも思うのですが、普段から仕事等で、ミスや問題を発見しても、そんな風に揉み消しているのでしょうか...。

 

 

「悪くない」と言い張って、反省しない姿勢を貫くなら、当時日本人に対して行っていた非人道的な行為に対しても該当するので、また同じ事を日本人にやる可能性大です。

 

 

 

そして、「日本は悪くない」と言っている人の中でも、特に影響力のある人が、こんな事を言いだしているので、注意が必要です。

 

 

毎日新聞 「極端な思想の公務員、洗い出し辞めさせる」 参政・神谷代表が発言

 

 

 

 

問題となった発言場所です。

 

 

 

 

スパイ防止法は、治安維持法を彷彿とさせます。

 

 

80年以上前の日本人が、有無も言わさず国民をコントロールする為のノウハウを作ったので、その方法を使えば、当時の環境にすることは可能...と思っていたら危ないです。

 

 

治安維持法は、「結社」取り締まりから、「思想」取り締まりへ進化したことを忘れてはなりません。

 

 

続編はこちらから。

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

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GHQによって日本人は劣化させられた...は、この界隈で人気の説です。

 

 

確かに、どんどん環境が悪くなっているので、ここ数十年だけにスポットを当てたら、どうしようもないくらいダメになっている気がします。

 

 

しかし、時代をさらに遡って、比較対象を戦前、戦中にすると、現代人は意外にダメになっていないことがわかります。

 

 

私は数回にわたって、戦前、戦中の日本人について書いてきました。例えば...

 

 

②幻の自虐史観。実際に受けた教育をふり返って思う事

 

③軍隊内での壮絶なイジメ。日本軍が強かった本当の理由。

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

これらの記事を読んだ方なら、どこからどうみても、「GHQの影響を受ける前の日本人」より、「GHQの影響を受けた現代の日本人」の方が人として正常である事が分かると思います。

 

 

ですが最近、よく見かける「昔の日本人」の設定はこうなっています。

 

 

日本人は優れた遺伝子を持ち、精神性が高く、強く、仲間思いだった...と。GHQの影響によって日本人は変わってしまった...と。

 

 

youtubeにあがってくる書籍の広告がこんなのばっかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうちょっと現実に寄せてくれよ...と言いたくなります。まるで少年漫画のキャラのようです。

 

 

その見解が本当なのか、調べる人は少ないので、あっさり信じる人がいます。褒められて悪い気はしませんから...。

 

 

 

戦前の日本サイコー、日本の問題は全てGHQが悪い、明治憲法賛美、天皇万歳...と、日本を美化しまくっているコンテンツは、googleには気に入られているようで、良く勧めてこられます。

 

 

これも違和感を感じます。

 

 

何でもGHQのせいにする理論展開は、日本人の自尊心をくすぐるので、嬉しくなる気持ちも分かりますが、もう少し現実を直視しましょう。

 

 

「GHQが来る前の教育を受けた日本人(つまり、~昭和初期世代)」は、私が子供の頃は沢山生きていました。

 

 

でも、実際に彼らと接した感想は...現代の人達と比較して、特別素晴らしいと思った事はありません。

 

 

優れているのは、手先が器用とか、体力があるとか、理不尽な事にも黙って耐える辛抱強さです。

 

 

前者は、文明に頼るか、自力でやるかの違いから生じた差なので、GHQは関係ありません。

 

 

GHQの影響を受けていない日本人は荒れていた

 

 

大正、昭和生まれの人は、現代人より人権意識が低いので、個人差はありますが、今の人達に比べて性格はキツめです。

 

 

自分の人権を大事にしないから、人の人権も大事にしません。

 

 

...と言っても、昔の人と関りが少ない人は信じないと思うので、

 

 

昔の新聞裁判記録を元に書かれた本、『戦前の少年犯罪』を例に説明します。

 

現代の事件以上に酷いものが多いです。

 

動画もあるので貼っておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

昔の日本に幻想を抱いている人は、夢が壊れてショックかもしれませんが、これがGHQが来る前の日本人の実態です。

 

 

この情報は、人から聞いたとかではなく、昔の新聞裁判記録が元になっているので信憑性があります。

 

 

生前、祖母(今生きてたら100歳になる)が言っていたのですが、戦前の小学校でも学級崩壊は普通にあったそうです。

 

 

女の先生だったら、バカにして言う事をきかなかったそうです。女子も授業中におじゃみ(お手玉)をして遊んだり...。

 

 

今の厳島神社は、格式高そうな感じで、お金を払わないと入れませんが、昔は普通に入れていて、子供は廊下を走り回って疲れたら寝転がっていたそうです。今みたいに遊びに規制がかからないので、楽しそうだと思いました。

 

 

祖母が子供だった時は、太平洋戦争に突入していないので、まだ自由度が高かった感じがします。

 

 

次は戦前・戦中の日本人が、学校でどんな教育を受けてきたのか見てみます。

 

 

GHQが来る前の教育。軍隊が元になっている体育。

 

 

戦前・戦中の日本は、天皇や国家を重視する国だったので、「国民の人権」は二の次でした。その為、様々な政策が非人道的になります。

 

 

教育も例外ではありません。まず、体育から解説します。

 

 

日本の教育制度は、伊藤博文内閣の時、初代の文部大臣になった森有礼(もり ありのり)が作りました。

 

 

森は「国家優位の為の人材」を育成する事が学校の役割だ...と考えていました。

 

 

特に、初等教育は「優秀な兵隊」を作る事が目的です。体育は軍隊の訓練をそのまま採用したそうです。

 

 

従って、「命令する側」と「命令される側」の権力関係が叩き込まれます。

 

 

このようなコンセプトで戦前の学校制度の基礎は作られたのです。

 

 

 

 

学校のアイテム、イベントは軍隊そのものです。

 

 

●運動会そのものが野戦演習

 

●ランドセルは背嚢

 

●詰襟の制服は陸軍の軍服

 

●セーラー服は海軍の軍服

 

 

 

富国強兵の名のもとに学校が形作られていった事実は、それらを連想させる道具を使っていても、調べなかったら分からないですね...。

 

 

昔の日本は「優秀な兵隊」を作る為の教育が行われていました。

 

 

「忠実な下っ端」を作ることが目的なので、「優秀な労働者」を作る為の現在の教育と、大差ないです。

 

 

日本が現在のような「自分の頭で考えさせない教育」になってしまった事を、GHQが作った教育のせいにする人は多いですが、実際は、GHQが来る前に、日本人の手で完成させていたのです。

 

 

こんな性格の子が、大人になったらどうなるか、戦場に行ったらどうなるか...想像がつきますね。

 

 

よく、「戦争になればどこの国でも酷い事をするんだ」と言う人がいるのですが、日本人が異常なのは、仲間を虐待していたことです。

 

③軍隊内での壮絶なイジメ。日本軍が強かった本当の理由。

 

 

身内への攻撃は、ただの嫌がらせなので、人間性に問題があります。そんな人達を大量に生む社会システムだったということです。

 

軍国教育

 

 

日本の軍隊を意識した教育は、没個性、非論理的な思考をする人間を育てます。個人を支配する圧力は、GHQどころではありません。

 

 

その結果、見事に軍国少年、軍国少女を大量生産しました。経験者のお話を聞いてみましょう。

 

 

 

 

 

当時の授業内容は、論理的思考を奪う教えのオンパレードです。しかも、体罰つき...。

 

 

●歴代天皇の名前を言わされ、途中で間違えるとぶん殴られる。

 

 

●中学校の入学試験に、特攻隊の名前を漢字で書かされる。

 

 

 

体力はつくでしょうが、思考を押さえつけられるので、間違いなくバカになりますね。

 

 

言いなりになったからといって、それなりのリターンがあるわけではありません。従い損、搾取され損です。利用だけして、後捨てられる事もあります。

 

 

戦力が足りなくなると、子どもでも兵隊として利用されたのですが、そこでも人権はありませんでした。

 

 

沖縄では負傷して歩けなくなった少年兵を、日本の軍医が射殺したとのこと。従っても、「役に立たない」と判断されたらこうなります。

 

 

一番物覚えが良い時に大人に利用されて、子供が気の毒です。

 

 

当時、軍国少年だった人がインタビューを受けてますが、大人に対して怒りがあるそうです。

 

 

 

 

別の動画でも怒っている方がいました。

 

 

 

 

 

 

バリバリの軍国教育を受けて、洗脳されていた人達も、後で真相が分かって怒っています。体験者が失敗だと認識してるんですよ。

 

 

それなのに、「当時の日本の教育を受けていない現代人」が、GHQ以前の教育が理想であるかの様に語っているのは滑稽ですね。

 

 

これを理想と考える人は、命令される側ではなく、命令する側に立てる人です。

 

 

もし今、自分が子供だったとします。「戦前と戦後、どちらの教育を受けたいですか?」と問われたら、私は迷わず、戦後のGHQの影響を受けた教育を取ります。これを良いとは思いませんが、マシではあります。

 

 

「竹槍で戦闘機に勝てる」等といった非論理的な頭にはなりたくないので...。

 

 

ここまでの話で分かると思いますが、軍国教育とは、間違いなく奴隷教育です。

 

 

そして、GHQ以降の教育も、洗脳であり、奴隷教育だと言われています。

 

 

つまり、程度の差はありますが、どちらも奴隷教育です。言うまでもありませんが、国の為に死を要求する日本の方が奴隷レベルは高いです。

 

 

では何故、愛国者は、「GHQの教育」は批判して、「日本人が勧めた富国強兵・軍国主義の教育」には怒らないのでしょうか?

 

 

 

それは、「戦前の奴隷教育」を批判する事は、国家神道や天皇の批判に繋がるからです。

 

 

日本式奴隷教育が作り上げた人格

 

 

教育が良かったかどうかは、どう成長したか、結果を見る事で分かります。論より証拠ですね。

 

...で、日本式奴隷教育の成れの果てがこれです。

 

 

 

 

知力に欠けていました。

 

自由や民主主義を考えただけで、殴り殺されたそうです。いらんですね。こんなものは。

 

 

 

 

 

さらに酷いのがこれ。上の立場の人間は、危険を察知すると弱者を見捨ててさっさと逃げました。

 

 

そうなると、部下が残るわけですが、命令されないから何をしていいか分からない状態だったそうです。

 

 

 

 

 

(7:38~)

 

 

指揮官にあたる上官はみんな逃げて居ないの。兵隊さん達はどうしていいか分からないから、ここにいてね。

(インタビュアー)上官逃げたの?

上官いないの。だから、指揮官がいないから、日本は負けたってことはまだ分からない。その時に兵隊さん達はどうしたかっていうと、近所のうちへ来て、我が家なども大勢の兵隊さんが来て、お風呂へ入るわけ。で、兵隊さんはお風呂へ入って、我が家でみんな寝そべったりしてましたよ。何にもできないのよね。

(インタビュアー)上官逃げたの?

命令をする人が逃げていないの。兵隊さんってね。本当に烏合の衆って言うけれども、兵隊さん達もね、逃げて良いのか、逃げればいいんですよ。誰も逃げないの。

 

 

自分で考えて動けよと言いたくなります。イエスマンは脆いです。

 

 

 

(2:20~)

 

 

自分達を守ってくれるはずの日本軍は、駅や線路を爆破し、既に撤退。

 

 

 

当時の体験者が問題視している「戦前の教育」を、理想であるかのように語る人は、内容をよく知って、その教育がどんな大人を作ったかをよく見た方がいいです。

 

 

上の立場の人間にはペコペコし、差別大好き、物事をきちんと考えない、責任は取らない...これが戦前、戦中の大人の姿です。

 

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

 

教育勅語

 

 

教育勅語(ちょういく ちょくご)を褒めたたえる人がいます。

 

 

正式名称は「教育に関する勅語」と言い、「勅語」とは天皇が国民に対して発する意思表示の言葉です。

 

 

この教育勅語は、大日本帝国時代に絶大な権力を持っていました。教育で学ぶ考える議論する...というよりは、宗教の経典のように疑問を持ってはいけない教えでした。

 

 

1890年から、太平洋戦争敗北の1945年までの55年間、日本の教育の中核だったので、日本人の思考に大きな影響を与えたことは間違いありません。

 

 

教育勅語の内容は、家族を大切にしたり、勤勉である事等、生きていくうえで大切な事が書いてあるので、一見「国民の為」になりそうです。

 

 

しかし、教育勅語の重要なところはそこではありません。一番重要なところは、天皇の為に命をかけろという部分です。

 

 

以下は高橋源一郎氏の教育勅語・現代語訳で、2017年の記事です。一度は目を通しておいた方がいいでしょう。長いので途中まで、続きはリンク先の2ページ目にあります。

 

AERA 『作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!!』

 

 

■高橋源一郎「現代語全訳」

 

『はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。

 

 

そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。

 

 

きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。

 

 

そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。

 

 

さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。

 

 

というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。

 

 

 

以下は高橋氏のXです。

 

 

 

 

どうでしょう?途中までは、家族を大事にしよう、勉強や仕事を頑張ろう、みんなの為に...といった、何時の時代でもウケるような、美しい事が書いてあります。

 

 

これだけなら、人権を大事にしているんだな...と思います。ですが、後半の本音を読むと、ちょっと待ってと言いたくなります。

 

 

何だかんだ言って、結局最後は「天皇の為に命をかける」事を要求しているのです。人の命や尊厳を何だと思っているのでしょうか。

 

 

この思想だと、当時の日本では、「人権の大切さ」は絶対的に決まっているのではなく、相対的に決まっている感じがします。

 

 

つまり、何もなければ、国民の人権は大事だけど、「天皇」という存在が比較対象としてある場合は、国民は下なので人権は低くなります...という意味です。

 

 

人権は一応ありますが、条件付き。「全く無い」とは言えないので、見方によったらマシに見えるでしょう。

 

 

でも、教育勅語を教えるような戦前は、人権もなく、今の教育よりずっと酷いです。

 

 

 

 

ちなみに、当時の国民には知らされなかったようなのですが、実はこの教育勅語を書いたのは、明治天皇ではなく、内閣法制局長官の井上毅と、明治天皇の側近であり儒学者の元田永孚だったそうです。

 

 

表面的に良い事を言っていても、人権無視、選民思想、優性思想、全体主義に行き着くならアウトです。

 

 

当時も、人格者、頭の良い人はいたと思いますが、全体に染まらない人は、弾圧の対象になるので、表舞台からは姿を消します。

 

 

こうして国家が腐っていくので、国民のレベルもそれなりになります。

 

 

GHQの影響を受けていない日本人の人間関係

 

 

教育勅語には、親、兄弟、夫婦、友達を大切にしましょう...みたいな事が書かれています。この部分は良いので、評価する人は多いです。

 

 

しかし、書いている事と、それが実行できているかどうかは、また別の話です。

 

 

教育勅語の「天皇の為に命をかける」という部分は、忠実に実行に移した日本人ですが、周囲の人達の事は、果たして、大事にできていたのでしょうか。

 

 

その事についても、現実を伝える事にします。

 

 

文明の力を借りれば、たいていの事は一人でこなせるようになった現代とは違い、助け合わないと生きていけないので、コミュニケーションがとれていた...

 

 

このように想像する人は多いと思います。

 

 

昔の家族や近所付き合いは、今より深いです。

 

 

しかし、その一方で、陰湿な嫌がらせが多かったそうです。

 

 

特に「嫁」と「姑」の関係、あるいは「嫁」と「小姑」の関係でのイジメ...この話は、子どもの時から、何件聞いたか分かりません。

 

 

家族なのに、「嫁は他人」という感覚の姑も多かったです。「同じ家族なのに、なんでそんな嫌がらせみたいな事するの?」と、思っていました。

 

 

旦那が、嫁を姑から守るケース、旦那の兄弟が、嫁を小姑達から守るケースもありましたが、そういうのは稀です。

 

 

「イジメを解決する気がない旦那」も珍しくありませんでした。

 

 

女性の地位が低い、女性差別というより、女性も女性をイジメる感じですね。姑が嫁を。小姑が嫁を。

 

愛がないので、どこかでツケが回ってきます。姑が高齢になって弱った時に、立場が逆転し、仕返しする話もよく聞きました。

 

 

共通しているのは、上下関係。「立場の弱い奴」を虐めてやろう...という「根性の悪さ」が家庭の中でも発揮されていました。身内なのに健全な関係ではありません。

 

 

昔は女性の地位が低かった...という話になると、「女性が家に閉じ込められて働けない事」ばかりが強調されますが、それよりも、「嫁ぎ先でイジメられる事」の方が問題だと思います。

 

 

「昔の家族スタイル」を礼賛する人がいますが、たいてい男性です。聞き取り調査してないだろうなと思います。当時の女性達が、家庭内で粗末に扱われていた事実を知らないのです。

 

「昔の家庭」は、表面的には美しいかもしれませんが、「嫁の我慢」で成り立っていたと言っても過言ではないでしょう。

 

 

現代は自分の意見を言える環境になったので良かったと思います。

 

 

昔の人は、身内だけでなく、他人でも、「立場が低い相手」への態度が悪かったです。外国人に対する差別用語も普通に使っていましたし、表現もキツいです。

 

 

日本人に対しても、見下した相手に対しては、容赦ないです。例えば、今誰かが認知症になったら、「認知症」と言う言葉を使いますが、昔は「〇〇さんはクルクルパーになっちゃった」...とか、今では考えられない言い方をしてました。

 

片方の悪は叩くけど、片方の悪は応援する矛盾

 

GHQが来る前の教育は、人格者を育てる内容ではありませんでした。自分の頭で考えさせないのでロボットになります。

 

 

国民にとっては、メリットがありません。

 

 

戦後の日本の教育については、洗脳だ!奴隷教育だ!...と文句を言うくせに、

 

戦前・戦中のもっと酷い日本の教育については、批判するどころか絶賛する人がいます。

 

 

「洗脳」や「奴隷化」を批判するなら、同じ事をやっている両方を叩くべきですが、そうはなっていません。矛盾の理由を解説します。

 

 

前者は外国人が関わっています。後者は指導しているのが日本人です...。

 

 

戦後の教育を叩いている人は、「教育の内容」ではなく、指導している人を「好き」か「嫌い」か...で判断しているように見えます。

 

 

外国人がやるのは何でもダメだけど、日本がするのは何でもOK...という発想です。

 

 

このタイプの人達は、同時に、「昔の日本」や「天皇」の事をおかしいと思ってはいけない...と考えています。

 

 

だから、外国勢力が絡んでいる事は「良い事」でもけなすし、昔の日本人がやった事は、「悪い事」でも評価を高くするのです。

 

 

この思想は、色んな所に影響しています。矛盾が一杯見つかります。

 

 

例えば、「ニューワールドオーダー(NWO)の独裁」や「WHOの独裁」には批判するけど、「天皇制の独裁」は問題視せずに歓迎します。

 

 

この矛盾に陥ってる人は、NWOやWHOに反対する動機も、「正義」や「民主主義を守るため」とかではありません。また、「独裁」や「支配」に怒っているわけでもないです。

 

 

単に、支配者が「自分の推しの人」ではないから気に入らないのです。

 

 

「天皇」一筋だから、「天皇以外の支配」は受け付けない...と考えているのです。従って、「天皇」になら支配されても良いと考えています。

 

 

「Aさんにシバかれるのはいいけど、Bさんに叩かれるのは好きだからいい♡」という考えなので、「独裁的なシステムそのもの」に反対しているわけではありません。

 

 

トップの椅子に座る「人」が、「自分の推しの人」であればOKなのです。

 

 

本気で独裁や支配に反対していたら、全ての独裁や支配にNO!を突き付けるはずです。例え推しであっても。

 

 

奴隷・洗脳教育に反対するなら、戦後の教育だけでなく、戦前・戦中の教育にも反対しなければ、フェアではありません。

 

 

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

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最近、外国人の事を危険視する人達が増えました。

 

 

私も最初は、外国人が起こした事件を見る度に、「これは大変だ」と思って拡散していたのですが、最近は冷静になりました。

 

 

「人種」というくくりを基準に、「真面目に暮らしている外国人」まで叩く風潮に、違和感を感じるようになったからです。

 

 

時々、「マスク」をしている外国人を見ます。日本社会に合わせる努力をしている謙虚な人もいるので、こういう人を叩くのはどうかなと思うわけです。

 

 

歴史を学ぶと、過去に日本人も相当酷い事をしています。

 

 

それをきちんと反省してないのに、上から目線で「自分達は正しい」という態度をとるのは、大人としてみっともないです。

 

 

外国人が起こす問題は、放置できない状態なので、伝える事自体は必要だと思います。

 

 

しかし、「自分達の先祖も同じか、それ以上の事をした」...と、頭に入れた上で語らないと、説得力がありません。自分達が悪い部分を直せないのに、人には直せというのは、筋が通っていないと思います。

 

 

伝え方も煽るのではなく、慎重にしないといけないです。

 

 

 

しかし、「日本人にとって都合が悪い事実」は、証拠があっても、揉み消そうとする人達がいます。

 

 

「相手の悪事」は叩く、一方で「自分達の悪事」は無かった事に...これでは無駄な争いを生みます。こんなタイプの人は普通、信用されません。

 

 

私はワクチン被害を伝える活動をしているのですが、それを堂々と揉み消そうとしたり、しれっと無かった事にする人達を沢山見てきました。

 

 

推進していた人達は、「反ワクチン」「陰謀論」と言って、被害者を露骨に弾圧するし、なんとなく流されて接種した人達は、なるべくその件に触れないように、何事も無かったかのように生活しています。

 

 

...そんな状態を見た反ワクチンの仲間達は、「なんと酷い、今の日本人はダメになった~」と憤慨するのですが、こういう態度は昔からあるので、ダメになったのではなく、日本人は元からそういう気質なのです。

 

 

他の分野でも「日本人にとって都合が悪い事実」は、弾圧や無視が、昔から行われてきました。

 

 

前回の記事では、南京大虐殺が「捏造」と言われている問題をとりあげました。

 

⑩戦争加害の否定。あった事を「なかった事」にしたい心理と目的。

 

 

今回は、南京大虐殺が起きた時とほぼ同時代に起きた、国内の虐殺事件についてとりあげます。

 

 

外国人の事件を拡散する人は、知っておいて下さい。

 

 

昔の日本人の心理状態

 

 

南京大虐殺は「無かった」説を唱える人達は、日本人が虐殺をする理由がないとか、日本人が悪い事するはずない...という幻想に取りつかれています。

 

 

ですが、ほぼ同じ時代に、国内で起きた似た類の事件を調べる事で、当時の日本人が戦争中でなくても虐殺できる理由、日本人は結構悪い事していた...という事実を知ることができます。

 

 

当時の日本人は、自分達は天皇を戴く優秀なる日本民族だという選民思想が根底にありました。信じられないかもしれませんが、調べると、そういった考えをしていた形跡がいくつも見付かります。

 

 

そして、そこから、他民族を下に見る差別意識や、自分達に反抗する奴はけしからんというロジックが生まれるのです。

 

 

なにせ当時の日本では、軍隊を例に出すと、上官の命は天皇の命と心得よ...と言われていたぐらいですから、下に者が上の者に逆らう事は、「天皇に歯向かう事」と認定されて、攻撃の対象になっていました。恐ろしいですよ、ハッキリ言って。

 

 

その日本人の性質、心理を考えると、南京大虐殺は起きても不思議ではありません。現代人とは感覚が違うのです。

 

 

関東大震災の後に起きた虐殺も、日本人の選民思想、差別意識が根底にあります。

 

 

まず、以下の「十円五十銭」の話をご覧ください。

 

 

 

 

 

「十五円五十銭(※動画では十円と言っている)」とは、関東大震災の後、普通の日本人が朝鮮人を殺したのですが、その時に、相手が朝鮮人かどうかを見極める判断材料として使った言葉です。

 

 

『地震と虐殺 1923-2024 / 著者:安田浩一』

 

武器を手にした自警団員は徒党を組み、行きかう人々を誰何した。彼らは朝鮮人だと疑った人間に、正確な日本語を話すよう強要した。

 

 

「サシスセソ」「バビブベボ」、あるいは「十五円五十銭」。清音と濁音の区別がはっきりしない韓国・朝鮮語の特性上、「バビブベボ」も「じゅうごえんごじっせん」も、朝鮮人には発音が難しい。

 

また、たとえ正確な発音ができたとしても自警団が疑念を向けた人間には、君が代を歌わせたりするなどの検分が繰り返された。

 

当事者にとっては屈辱ともいうべきこうした“見分け方”は、実は政府が“発案”し、さらに扇動したものでもある。

 

震災からさかのぼる10年前の1913年、当時の治安トップである内務省警保局長は、「朝鮮人識別資料二関スル件」なる文書を各府県本部に送達した。

 

(中略)

 

結果としてそのために利用されたのが、朝鮮人を識別するためのマニュアルだった。当初は官憲や役人だけに配布されたものが、いつしか民衆の間にも知れ渡り、「十五円五十銭」の発音が、ひとつの目安として機能するようになった。

 

それが生死を分けた。朝鮮人であると自警団が結論を下せば、容赦なく刃物が振り下ろされた。

 

 

「朝鮮人だぞ!」。そうした叫び声とともに、血しぶきがあがった。

 

被害者のなかには、朝鮮人だと間違われて殺された日本人も少なくない。いずれも標準語を話すことのできない東北や沖縄などの地方出身者だった。

 

自警団長の任に当たりながらも、前出の南喜一は殺戮行為には加わらなかったという。その残虐行為に疑念を感じていたのだろう。

 

近くの電線工場では多くの朝鮮人が働いていた。南はこれら朝鮮人労働者が暴徒に殺されることを危惧し、救い出したことも手記に記している。

 

ちなみに南の実弟である吉村光治(労働運動の活動家)は、地震から2日後の9月3日、労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、殺された(第7章で後述する亀戸事件)。

 

それをきっかけに南は当時非合法だった日本共産党に入党、その後約5年間、党活動家として生きることになる(のちに逮捕されて獄中転向)。

 

(30~34p)

 

 

この件に関しては、それに従わなかったまともな日本人もいたことが救いです。

 

 

 

殺した動機は、誰かが流したデマではなく、日本政府側の発表が原因です。

 

 

『地震と虐殺 1923-2024 / 著者:安田浩一』

 

本書でも後に詳述するが、9月2日には埼玉県内務部が「不逞鮮人暴動に関する件」なる通達を県内の各役所に送り、自警団の結成、「適当の方策」を訴えた。

 

怪しい朝鮮人を見たらそれぞれで何らかの措置を取れという行政命令である。

 

翌3日には内務省警保局長名で、「朝鮮人ハ各地に放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ、現二東京市内二於テ爆弾ヲ所持」して暴れているといった内容の電文を全国に打電する。

 

ちなみに2日、東京市とその周辺5群に戒厳令が布告された。翌3日には東京府全体、神奈川県に、4日には埼玉、千葉両県にも布告される。

 

そう、デマ流布に太鼓判を押したのは政府、国だった。

 

当然、当時のメディアもこれに加担している。

 

(中略)

 

国や地方行政、軍や警察、そしてメディアや一般民衆が束になって襲い掛かった結果、多くの朝鮮人、そして中国人、社会主義者、さらには障がい者、朝鮮人と誤認された地方出身者など、多くの犠牲者を出すことになった。

 

 

(6~7p)

 

 

被害者は6000人を超えるとのことです。

 

 

扇動した国は、いまだにきちんと責任を取っていないみたいです。認める事からも逃げ回っています。

 

 

関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相究明に関する請願

 

 

一九二三年の関東大震災のときには、多くの朝鮮人や中国人が日本の軍隊や警察、民衆により虐殺された。また、朝鮮人と間違えられた日本人虐殺事件や軍隊による労働運動家・無政府主義者らの虐殺事件も起きた。

 

 

しかし、特に朝鮮人犠牲者については、名前や人数など、その実態はほとんど分かっていない。

 

 

事件後、議員が帝国議会において内務省や地方行政が流言飛語の拡大に関わったことを追及したが、当時の首相は調査中と答えたまま九十年がたっている。

 

 

今日まで虐殺の実態について調査を進めてきたのは各地の市民や研究者であり、流言の流布から虐殺、そして事件の隠蔽に至るまでの日本政府の関与が明らかになった。

 

 

しかし、これまで日本政府は、虐殺・事件隠蔽に関与したことを認めたことはない。

 

 

二〇〇三年八月には、日本弁護士連合会が日本政府に対して責任を認め謝罪し真相を調査するように勧告したが、これも政府は無視してきた。

 

 

再びこうしたジェノサイドを起こさないためにも、この事件の解明が必要である。

 

 

 

取り分け、排外主義的な言動が在日外国人に対して公然と繰り返される今、かつて日本が行った虐殺事件を真剣に省みなければならない。

 

 

 

国が真相解明から逃げて、市民が問題の解決に動いている...ワクチン薬害と共通しています。

 

 

安田浩一氏が書かれた本は、600ページ近くある大作で、過去にこの問題について色んな人が調べた情報がよくまとめられていました。

 

 

虐殺の具体的な攻撃方法が説明されており、読むのがしんどいですが、こういう残酷な事をすることを知っておく必要はあると思います。

 

 

現在外国人が増えたので、「日本が侵略されるかもしれない」...と心配している人が増えています。

 

 

そんな疑心暗鬼の時に、昔のように政府やメディアが煽ったらどうなりますか?コロナを煽った時のように、過剰な対策をする可能性は高いです。

 

 

外国人と暴動になれば、それを鎮圧する為に、自衛隊や警察の力を国民に対して使ったり、法律が改正され、自由が制限されるかもしれません。

 

 

真面目に生活している外国人がほとんどです。

 

 

問題を起こしている外国人の「行為」を非難するのは大事ですが、「人種」を非難するようになったら、このような事件が再び起きるかもしれません。

 

 

日本人が加害者になるかもしれないし、立場が逆転して、被害者になるかもしれない。

 

 

そうなってはいけないので、過去に日本人がやった事と向き合い、ダメな事はダメだと反省することが必要なのです。

 

 

 

 

 

 

揉み消そうとする人たちと、事実と向き合って成長しようとする人達

 

 

国が問題を解決しないから、一般の人が調べて形に残し伝える...

 

 

関東大震災後の虐殺もそうなってます。一つの例を紹介します。

 

 

足立区の小学校に勤務していた絹田幸恵氏は、社会科の授業で、現在の荒川が「人間が掘った川」であることを伝えた時、生徒が「大きい川だから掘れるわけない」とか、「どうやって掘ったのか」と言いだしたので、それに答える為に、独自取材をして虐殺の話を知りました。

 

 

彼女は、荒川流域で聞き込みをしたり、役所や関係機関から資料を取り寄せたり、古い家屋を見つけたら足を運んで話を聴く...といった取材をしたのです。

 

 

その時、予想しなかった展開へと発展します。

 

 

調査を続ける過程で、彼女はひとつの証言にたどり着く。震災時の荒川工事について調べている際、出会った老人から聞いた言葉だった。

 

〈旧四つ木橋の下手の川原では一〇人ぐらいずつ朝鮮人をしばってならべ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。橋の下手に三ヵ所くらい大きな穴を掘って埋めた。ひどいことをしたもんです。いまでも骨が出るんじゃないかな〉

 

絹田はその時まで、あくまでも荒川の歴史を調べていただけだった。そこへ突然、「虐殺」の証言が飛び込んできたのだ。とんでもないことを耳にしてしまたのだという衝撃があった。

 

震災当時、荒川は現在の形をしていない。工事の真っ最中であり、掘られた水路に水は流されていたものの、現在ほどの水量はなかった。土手の上には土砂を運ぶためのトロッコ列車が走っていた。

 

そこで多くの朝鮮人労働者が働いていた。1910年に日本の植民地となった朝鮮からは、様々な形で労働者が日本に渡っていた。

 

その多くが、こうした工事現場で、もっとも過酷な環境に置かれた安価な労働力として“利用”された。給与は日本人労働者の半額以下だった。

 

朝鮮人は自らが切り拓いた川で、斬られ、突かれ、殺されたのである。

 

(55p)

 

 

現代であれば、災害時は、レスキューに力を注ぐのが普通ですが、これが100年くらい前の日本です。

 

 

しかも、戦場の話ではありません。軍隊が機関銃を使うなんて、危険すぎます。

 

 

 

日本人が中国で酷い事をした証言が集録されている本を、何冊も読んだのですが、その中に出てきた攻撃の仕方とそっくりです。

 

 

川岸で撃つという部分を読んで思い出しました。南京大虐殺でも、揚子江岸まで連れて行って撃っていました。

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行 (134p)』

 

 

宮本省吾氏(所属:歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記。

 

 

 

こういう話をすると、現代ではすぐ「デマ」呼ばわりする人が出てくるのですが、一昔前は証言者もポツポツいたようです。

 

 

死へ向かっていく一瞬を想像する

 

絹田は初めて虐殺証言を耳にして以来、立て続けに同じような体験談を耳にすることになる。

 

たとえば墨田区内に住む老人は次のように語ったという。『荒川放水路物語』から引用する。

 

〈(9月)三日に、習志野から騎兵隊が来ました。兵隊は荒川駅の南、旧四つ木橋の下手の土手に、あちらこちらから連れてきた朝鮮人を、川のほうに向けて並ばせ、機関銃で撃ちました〉

 

打たれた朝鮮人は土手を転がり落ちていく。人間が倒れ、ボールのように転がっていく、凄惨な光景だった。老人はこう続けている。

 

〈何人殺したでしょう。ずいぶん殺したですよ。私は穴を掘る手伝いをさせられました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。いやでした〉

 

絹田がこの目撃証言を聞いたのは、区内の八広だった。そう、後に追悼碑が建立される場所の近くだった。

 

(中略)

 

絹田に証言を託した老人は「お経でもあげてくれれば供養になるのだが」と別れ際に述べていた。彼女はそれを聞き流すことなどできなかった。きちんと弔いたいと思った。さらには、こうした事実を歴史に正確に残すべきだとも考えた。

 

絹田は荒川の土手を駆け抜ける。必死に聞き書きを続けると同時に、自らの手に負えないと思った際には、新聞社に「調査してもらえないか」とも相談した。

 

供養することができないだろうか。せめて遺骨を見つけることはできないだろうか。絹田の思いは単なる調査から、日本で生まれた者としての「責任」を考えるまでになっていた。

 

(55~57p)

 

 

 

 

日本人だから、「日本人にとって都合の悪い事」を見て見ぬフリをするのではなく、

 

 

日本人だから、都合の悪い歴史であっても、向き合って、同じ失敗をしないように未来に繋げる...という姿勢が必要ではないかと思います。

 

 

しかし、それが出来る人は少ないです。

 

 

 

 

 

この問題は戦争やワクチン等、あらゆる加害の問題にあてはまります。

 

 

 

 

こういった証言で興味深いのは、事件があった舞台に、後から住み着いて何十年生活している人から、「そういう事件があった事は知らなかった」という意見が出てくるところです。

 

 

これなんです。南京に住んでいたけど、「南京大虐殺の話は聞いた事がない」と言う人がいるのは。

 

 

人間の記憶はそんなもんです。

 

 

私は広島出身ですが、日清戦争の時、明治天皇が一時期広島に来て、広島大本営があった事を知っている広島人にほとんど会った事がないです。軍都だった意識すらない人が大半です。授業で教えないとこうなります。歴史が好きな人でも知らない人は多いです。

 

 

また、福岡出身の仲間に「振武寮」を知っているかどうか聞いたら、「知らない」と言われました。「振武寮」とは特攻失敗組が収容され、自殺したくなるレベルのイジメが行われていた場所です。

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

ワクチンで亡くなっている人は大量にいるのに、世間の人は、その現場にいるのに、気付かないでしょう。気付かないと無い事にされます。

 

 

ワクチン被害の問題はいずれ表に出るだろう...と軽く考えている人がいますが、こんな酷い事ですら、無かった事にされるなら、簡単に揉み消されると思います。

 

 

恐怖の原因は日本の侵略行為

 

この事件で最も狙われたのは朝鮮人です。攻撃の仕方が異常なので、恐れを感じていたことが分かります。

 

 

しかし、その恐怖も元を辿れば、植民地化した日本側に原因があります。

 

 

 

「併合」だと言い張っていますが、実質は植民地にしたので、日本側には、その罪悪感ややましさがあり、カウンター攻撃されるかもしれない...という不安は常にあった事でしょう。

 

 

 

朝鮮人を恐れた。地震のドサクサで虐殺。

恐れた理由は恨まれていることがわかっているから

その原因は植民地支配。

 

 

 

こういう事を言うと、「植民地だったか、植民地じゃなかった」論争に発展しそうです。

 

 

日本人はインフラを整えたんだ、日本のお陰で国が発展したんだ...と説明されるのですが、仮にそうだったとしても、「そこの現場で働いたのは日本人だけですか?」...と言いたくなります。

 

 

軍事施設、鉄道、ダム、道路の多くは、多くの外国人労働者の協力があって建設されたのではないでしょうか?だとしたら「日本人のお陰」というのは、ちょっと違うと思います。

 

 

労働力として、しっかり利用しておきながら、何かあったら暴徒の疑いをかけたり、危険視する...同じ人間として扱っていません。

 

 

 

また、インフラがどうこう以前に、こんな話もあります。

 

 

『天皇財閥 皇室による経済支配の構造 / 著者 吉田祐二』

 

さて、満鉄は事実上、日本による独占経営であるが、かたちの上では日清合併の株式会社である。

 

 

株主の募集は明治三十九年(一九〇六)九月に行われた。一〇七八倍の申し込みがあったというから、相当なブームである。天皇もまた大株主になったことは前述した通りである。

 

 

初代総裁には、台湾総督府民政長官であった後藤新平(一八五七ー一九二九)が任命された。後藤は、満州軍総参謀長の児玉源太郎(一八五二ー一九〇六)の台湾総督時代からの部下であった。

 

 

満鉄が重要なのは、民間の一企業ではなく、国策会社であったことである。

 

 

満鉄は満州を植民地として経営することを念頭において、設立された会社であった。

 

 

設立には、イギリスをはじめとする西欧列強がアジアの植民地化を進めたときの「東インド会社」をモデルとした。

 

(中略)

 

満鉄で働いた人は、一九〇七年には社員二九五八名、日本人の雇人六一三五人、中国人雇人四一二九人の合計一万三二一七名であった。それが一九二二年には三万六〇三七名と三倍近く増えている。

 

 

一九四二年には三十万人近くに急増した。満鉄は日本の満州進出の拠点という役割を担いながら、つねに利益を計上していた。

 

 

それは鉄道運賃の価格を独占できたこと。および中国人労働者を日本人労働者の賃金を二~四割程度で雇用したからである。

 

 

(89~91p)

 

 

 

天皇財閥の植民地経営―朝鮮の場合

 

 

開運事業と鉄道事業の他に、皇室財産として株式が所有されていた会社には、明治六年(一八七三)に設立され、現在でも売上高一兆円を越える製紙会社である王子製紙、現在の東京電力のもとになった「東京電燈株式会社」、また、現在も営業している「東京瓦斯株式会社」などの会社もある。

 

これらの企業は、いずれも「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が関与していた会社である。

 

 

しかし、こうした国内の近代産業の株数は決して多くなく、天皇家は一株主として参加していたにすぎない。

 

 

天皇家所有株で重要なのは、銀行株および海外進出にかかわる国策企業である。

 

 

とくに、朝鮮植民地経営のための「東洋拓殖株式会社」(東拓)、および台湾植民地経営のための台湾銀行が中心的な役割を果たしていた。

 

(103~104p)

 

 

 

もう...植民地だったで、良くないですか...。

 

 

 

酷い事をする原因

 

 

戦前・戦中の日本人が酷い事をする時の理由は、だいたいこれです。

 

 

●選民思想(優秀な俺様に逆らったら許さん)

 

●差別意識(相手を落として、自分が上に行く方が楽)

 

●失敗と向き合えない(俺スゲーの設定が崩れるのが怖い)

 

日本人の問題点を指摘すると、「悪いのは人ではなく戦争だ」と言う人が出てきます。

 

 

しかし、戦争中でなくても昔の日本人は、酷い事をしていたので、戦争だけを原因にすると整合性がとれません。関東大震災後の虐殺がそうです。

 

 

戦争で人が鬼畜になるなら、戦地でもないのに鬼畜になるのは説明がつきません。

 

 

戦争が悪いのは、そうなんですが、戦争が悪くて、個人は悪くないとすれば、加担した人は責任を取らなくてすみます。

 

 

作られた感じがする外国人問題と今後

 

 

現在、日本はたくさんの移民を受け入れています。外国人が国内で問題を起こしたという話も以前より聞くようになってきました。

 

 

また、外国人による日本の土地の購入も問題になっています。

 

 

こういったニュースが流れる度に、みんな怒りますし、何とかしなければという気になります。私も少し前はそうでした。

 

 

しかし、戦前、戦中に日本人が海外の人に対して行った非人道的な行為を、無かった事にしたり、謝罪や反省もない態度をとるなら、外国人に同じことをされても、文句を言う資格はありません。

 

 

外国人に対しては非人道的なことをやってもいい、...というモデルケースを作ったのは日本人なのですから。

 

 

外国人問題は簡単に解決できません。

 

 

悪い事をする外国人もいますが、大多数は真面目に働いている人達です。その人達を巻き込まないような配慮は絶対必要です。

 

 

また片親が外国人、配偶者が外国人、仕事でよく海外に出張に行く人...このような人達は意外に多いです。彼らの立場が悪くなるような活動は、日本人にとってもマイナスです。

 

 

保守系の人達は、外国人を受け入れる事を叩いていますが、その一方で、この政策を進めた安倍元総理のことは大好きです。

 

 

 

 

移民を反対しながら、そうなる政策を進めた人を支持するのは、矛盾しています。

 

 

これは例えるなら、ワクチン政策を反対しながら、ワクチンを推進した河野太郎氏を応援するような矛盾です。

 

 

このような展開です。解決策ばかり言って原因を叩かないので、不自然です。

 

 

●PCR、マスクで感染症が流行っていると見せかける ワクチンがあなた達を助けますよ、「打ちましょう」と宣伝

 

●わざと外国人を入れる 日本人ファーストだ、愛国者が日本を守る、「外国人から日本を守れ」と宣伝

 

 

外国人問題は、作られた感じがあります。一時の感情に流されたら100年前のような状態になるので、冷静に考える人が増えてほしいです。

 

 

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