カテゴリー:憲法

 

 

日本軍のやった行為を、「侵略」だと言うと、

 

 

「日本は侵略したのではない、悪い事はしていない」と言う人が、たまにいます。

 

 

そんな方に証拠をつきつけると、今度は「アジア解放説」を主張されます。

 

 

「アジア解放」説を強調したい人の動機

 

 

証拠があるから揉み消すのは難しい...と悟るからなのか、「それなら、やった行いの解釈を変えよう」となるのでしょう。

 

 

「犠牲はあったかもしれない。でもそれは相手の為なんだ」...というズラしのテクニックが使われます。

 

 

これは、「ワクチンでこんなに死んでるじゃないか。どこからどう見ても毒だろ、認めろよ」と批判した時に、

 

 

「ワワクチンは薬だから稀に死ぬことはあるかもしれないけど、みんなの命を救うために必要なんだ」と言い張る推しワクと、頭の構造が同じです。

 

 

ズラしの会話は他にもあります。比較してみましょうか。

 

 

「打たなかったら、コロナの被害はもっと酷かった。打ったからこの程度だった」

 

 

「日本が行かなかったら、欧米の植民地支配で現地はもっと悲惨な目にあっていたんだ。日本が行ったから良くなった。」

 

 

ね。そっくりでしょう。詐欺師みたいです。

 

 

他にも、やった事を胡麻化す考え方は多数あります。でも、どんなに解釈を変えて、言い訳をしても、それでも「やった事そのもの」は消えません。

 

 

●大東亜戦争の賛美(太平洋戦争とは言わない)

 

 

●侵略戦争の否認、解放説を唱える

 

 

●東京裁判の否定

 

 

●大日本帝国時代の国家体制や、戦争を批判的に見る歴史認識に対して「自虐史観」とか「東京裁判史観」というレッテルを貼って叩く

 

 

これらは大日本帝国を擁護する考え方です。

 

 

こういった発想の源流を辿っていくと、たいてい「日本会議」に行き着きます。

 

 

反ワク界隈でも、見事にこの思想に染まっている人がいます。

 

 

一番の問題は、「非人道的な行為」を批判していた反ワク仲間が、「日本が戦前・戦中に行った非人道的な行為」に対しては甘い事。

 

 

今の政府や報道は「間違っている」と批判しているのに、今よりずっと酷かった、明治憲法下の政府や報道は「正しかった」と認識してしまう判断基準にも驚かされます。

 

 

そして、その問題を指摘する人に対して、失礼極まりないレッテルを貼って、言論を封じようとする人もいます。

 

 

自分達が反ワク活動において、世間から「陰謀論」「デマ」と言われたら怒るのに、それと同じような事をしているわけです。

 

 

「戦争」は「ワクチン」よりも、被害が分かりやすいです。従って、あれが「悪意がある加害だった事」は分かりやすいので、誤魔化されたりズラされていた解釈を、一つ一つ正していきます。

 

 

「大東亜戦争」の建前と本音

 

 

「太平洋戦争」は、「大東亜戦争」とも呼ばれます。後者はなじみが薄いので、呼び名の経緯についてご紹介します。

 

 

「大東亜戦争」という呼び名がいつ誕生したのかというと、日米開戦とほぼ同じ時期です。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

 

真珠湾攻撃(日米開戦)から二日後の一九四一年一二月一〇日、日本の陸海軍と政府の代表者から成る大本営政府連絡会議は、自分たちが始めた戦争の呼び名について、「支那事変を含め大東亜戦争と呼ぶ」と宣言しました(一二日の閣議で正式に決定)

 

 

(中略)

 

 

この宣言から一ヵ月後の一九四二年一月二一日、当時の東條英機首相は、日本が始めた戦争について、「一〇〇年間にわたって米英の搾取に苦しんできたアジア諸国を解放し、大東亜永遠の平和と、帝国(日本)を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立する」ための義戦(大義に基づく戦い)であると説明しました。

 

 

(164~165p)

 

 

 

「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」と呼ぶ人達は、大日本帝国の政府寄りの考えをしています。東條が唱えた「戦争の大義名分」を支持し、あの戦争は「侵略」ではなく「アジア解放」の正しい戦争だったという歴史認識を持っています。

 

 

当然ですが、立場の違いで「侵略」にもなるし、「アジア解放」にもなります。

 

 

どちらの意見も聞く必要がありますが、大事なのは動機結果です。

 

 

アジアの人を幸福にする気があったのかどうか、本当に開放されたのかどうか、それでアジアの人が幸福になったのかどうか...そこを見る事が重要です。

 

 

過去の記事でも説明した通り、日本は自国の人間を粗末に扱う国です。扱いは酷いのに、それを呼び方だけは「英霊」「軍神」と言って褒めたたえるようなところがあるので、言葉に騙されてはいけません。

 

 

建前ではなく本音も見ましょう。

 

 

一九四二年一月二一日、東條英機首相が、日本が始めた戦争を、「アジア諸国の解放」だとか、「大東亜永遠の平和」だとか、「帝国(日本)を核心とする共存共栄」だとか言ったのが建前なら、本音はこちらです。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

また、日本の東南アジアへの侵攻が「資源獲得のための侵略」であった事実は、開戦から三ヶ月後の一九四二年二月一三日に政府の閣議決定で設置された「大東亜建設審議会」の議事録など、当時の日本政府の記録によっても裏付けられています。

 

 

東條首相が総裁を務めたこの会議は、閣僚やその経験者、財界有力者らが「大東亜共栄圏(実質的に日本が支配する東南アジアの一大経済ブロック)」建設の具体的な方策を討議する、いわば有識者会議でしたが、そこで参加者の口から語られたのは、東條が示した「大義名分」とはかけ離れた、生々しい「本音」でした。

 

 

「極端に言いますれば、向こう(占領したアジア植民地)から取ってきた資源は、対価を払わなくてもよろしい。タダで取る。いわゆる出世証明のような方法で、(住民への)支払いは一〇〇年先でもよろしいというふうに私は思うのであります」

 

 

「日本を中心として(占領したアジア植民地から)搾取していかねば続かぬということは、ごもっともな意見ではありますが、そこは公明正大にカムフラージュすべきかと」

 

 

(NHK取材班編集著『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編』NHK出版、三七~三八ページ)

 

 

(168~169p)

 

 

本音は侵略なので、アジアの為にどんな事したのか紹介します。

 

 

日本にとって都合のいい思想を押し付ける

 

 

太平洋戦争と国民総動員という本で、太平洋戦争に即して「アジア解放」論を検証されていたので紹介します。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

「大東亜共栄圏」の構想と具現化

 

 

領土拡大の野望

 

 

戦中、いろいろな場合に「アジア解放」論が登場したが、たいていは「大東亜共栄圏」とむすびついていた。

 

 

「大東亜共栄圏」の語を使って、日本の新たなアジア侵略のくわだてを明瞭にしたのは、松岡洋右である。松岡は四〇年八月、第二次近衛内閣の外相として、この内閣の外交方針を内外にあきらかにした。

 

 

談話で松岡は、天皇主義を世界におしひろげるのが日本の使命だと主張し、日本のかいらい国家・勢力である「満州国」、中国の汪精衛(兆銘)と日本とを結合し、そのうえで「日満支をその一環とする大東亜共栄圏の確立を図る」、これこそが「世界平和に貢献する道程」だ、その実現を妨害する一切の障害を排除するとのべた。

 

 

談話についての報道によれば、松岡は「大東亜共栄圏」の範囲を、朝鮮、中国はもとより、現在のインドシナ、インドネシアまではいるとした(「朝日」四〇年八月二日付夕刊)。

 

 

松岡がそこまでうそぶくのは。三一年いらいの侵略拡大と国策の積み重ねがあったし、第二次近衛内閣の「基本国策要領」(四〇年七月)で「大東亜の新秩序を建設」するとしていたという背景がある。

 

 

こうして「大東亜共栄圏」は、「大東亜の新秩序」を言い換えたもの、東アジア・西太平洋を日本の版図にくみこむ構想で、イギリス、オランダ、フランス、そしてアメリカとの軍事衝突を不可避とするものだった。

 

 

松岡談話の一ヵ月後に日本は、インドシナ北部に侵入し、日独伊同盟条約を締結(四〇年九月)し、「大東亜共栄圏」の実現にむかって行動を開始した。

 

 

この九月、大本営政府連絡会議の文書「日独伊枢軸強化に関する件」の別紙(「秘密とす」)には、日本の「生存圏」の範囲をつぎのように明記していた。

 

 

「生存圏として考慮すへき範囲は日満支を根幹とし旧独領委任統治諸島、仏領印度及同太平洋島嶼、泰国、英領馬来、英領ボルネオ、蘭領東印度、ビルマ、濠州、新西蘭並に印度等」(外務省編纂『日本外交年表並主要文書』下)。

 

 

オーストラリア、ニュージーランド、インドまでふくめていたのである。

 

 

太平洋戦争をはじめてから、日本政府はこの戦争を単に「自存自衛」のためでなく、「大東亜解放」のためだと性格づけ、アジア諸国もそれを「了解すべき」だと説教するようになった(四一年十二月、東郷茂徳外相、衆議院)。

 

 

日本は明治いらい、台湾、朝鮮を植民地とし、そこで残酷な支配をおこない独立運動を弾圧してきたが、それらには口をぬぐい、新たな攻撃地点の多くが欧米の植民地であるため解放をとなえたものである。

 

 

あけて四二年一月、東条英機首相は衆議院で、この戦争目的をもう少しあからさまに、アジアの戦略拠点と重要資源を獲得するもの、米英両国を屈服させるものだとのべた。

 

 

「大東亜戦争指導の要諦は、大東亜に於ける戦略拠点を確保致しますると共に、重要資源地域を我が管制下に収め、以て我が戦力を拡充しつつ、独伊両国と密に協力し、互に呼応して益々積極的作戦を展開し、米英両国を屈服せしむるまで戦ひ抜くことであります」(議事速記録)。

 

 

さらにこの日、東郷外相も、衆議院で「大東亜共栄圏」内の必要地域を「帝国に於て把握すべきは当然であります」と演説した。

 

 

そうした言明は、戦争のなかで具体化されていった。

 

 

先の東条演説は、「大東亜防衛の為め絶対必要なる地域は、帝国自ら之を把握処置し」とのべ、日本軍国主義の解放なるものの真の意味を鮮明にした。そして香港、マレー半島を直接あげ、これを「大東亜防衛の拠点」とする、フィリピンが「大東亜共栄圏建設の一翼として協力」するなら「独立の栄誉」をあたえるなどとのべた(議事速記録)。

 

 

すでに四一年十二月に米領ウェーキ島を占領した日本は、「大日本軍司令部」名で「ウェーキ島は全部大日本帝国の国有たることを宣言す」としていたが、領土についての本格的な決定は四三年五月の御前会議の「大東亜政略指導大綱」である。

 

 

この大綱のなかに、マレー、スマトラ、ボルネオ、セレベスを「帝国領土と決定し重要資源の供給源として極力之が開発並に民心の把握に努む」、またニューギニア等のその他の占領地はこれに準じ「追て定む」とある(『日本外交年表並主要文書』下)。この会議には政府と軍の最高メンバーが出席し、会議後に署名と花押を印したのである。

 

 

そのとき、東条はこういう理由づけをしている。「マライ、スマトラ、ジヤワ、ボルネオ、セレベスは民度低くして独立の能力乏しく且大東亜防衛の為帝国に於て確保するを必要とする要域であります」(『杉山メモ』下)。

 

 

会議にでていた天皇はこの日、極秘のこの決定をただちに裁可した。内大臣の木戸も、それが天皇の決定であることがわかるように、「二時より御前会議あり、大東亜政略指導大綱を御決定あり」と記している(『木戸幸一日記』下)。

 

 

領土とすることが解放でないことは、子どもでもわかることである。

(219~222p)

 

 

 

何様のつもりなんでしょうか。選民思想丸出しで、ジャイアンが唱える理屈と変わりません。

 

 

松岡洋右(ようすけ)は、「満州国」に存在した南満洲鉄道(満鉄)の総裁を務めた人物でもあります。

 

 

満鉄は、鉄道経営にどどまらず、経済や行政も掌握し、最盛期には80余りの関連企業を持っていた巨大組織だったのです。

 

 

松岡洋右が満鉄総裁に就任した時、優秀な人材を集めて「大調査部」を発足しました。この組織は実態がよく分かっていないのですが、簡単に言うと、諜報活動のプロが集まったスパイ組織のような役割をしていたようです。

 

 

戦後、満鉄が解体されたら、多くの人が「電通」に再就職しました。

 

 

戦前と戦後は一見変わったように見えますが、水面下は繋がっていたりします。ちなみに松岡洋右は岸信介と親戚関係だそうです(系図はこちらが参考になります)。

 

 

日本軍による満州国の中核であった満鉄総裁を務めた松岡が、天皇主義を世界に押し広げるのが日本の使命だと主張するのですから、日本が何を考えてアジアに進出していたのかが分かります。

 

 

これって、思想の押し付けですよね。今の日本国憲法下だったら考えられない行為です。

 

 

 

 

略奪

 

 

「アジア解放」論を太平洋戦争に即して見てみると、以下の展開もジャイアニズムが炸裂しています。「解放」という解釈は、どう頑張っても不可能です。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

石油、外国企業の獲得

 

 

四一年十一月二十日、連絡会議は「南方占領地行政実施要領」を決定している。開戦より一八日まえのことである。

 

 

「占領地に対しては差し当たり軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す。占領地域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に之を定むるものとする」。これは、南方を植民地・資源供給地とみて、そこに軍事支配を確立する方策である。

 

 

そこで、日本の南進のカギとされた石油についてである。戦時中、「石油の一滴は血の一滴」という宣伝がなされたものだが、日本支配層は開戦まえから石油獲得に執念を燃やしていた。

 

 

四一年夏~秋には、民間の石油会社社員を徴用し特別の部隊を編成して待機させており、開戦と同時に目的地に急行させた(ボルネオのセリア、スマトラのパレンバン)。

 

 

 

そして、破壊・炎上による被害を急速に修復し、多量の石油を獲得した。四四年八月の最高戦争指導会議の報告では、東南アジアからの「石油還送」は四二~四四年度に五五四万キロリットルである(参謀本部所蔵『敗戦の記録』)。

 

 

戦後明らかにされた一つの数字では、原油産額(四二~四五年)の合計は一九五〇万キロリットル、うち日本の取得量が四八五・九万キロリットルで、この差が「現地消失又は減失」となっている(『史料集・南方の軍政』)。

 

 

こうして日本への「還送量」は、三年間で五〇〇万キロリットル前後となる。今日の石油輸入量からみればわずかなものだが、当時としては相当の量を意味した。

 

 

これらの石油の油井と施設はもともと欧米資本のものだったが、占領後はすべて日本軍の管理下にいれた。「敵産」と称してうばいとったのである。

 

 

さらに、四二年八月の南方軍政総監の指示というものがある。

 

 

軍政の目的は、南方諸民族に「適切なる指導を与へ南方資源を確保して帝国の戦力を急速に充実する」こと、「帝国臣民に発展の機会を与へ」「大和民族永遠の発展を図るを基本理念とす」とあからさまである。

 

 

そして「敵産」については、「従来の国際法規に拘泥することなく敵国の国有及公有たりしものは帝国の国有に又私有たりしものと雖も所要に応し帝国に帰属せしむる如く処置し之を適切に運営す」(第八項Ⅰ)と露骨きわまりない。

 

 

それは単に出先の問題ではなく、連絡会議の方針の具体化であった。連絡会議は開戦半年後の四二年六月に「敵産」の処理について議論しているが、そこで東条首相は「現に日本軍の手にて占領地に於て押収せる敵産は数百億〔円〕に上り・・・・・・」(『杉山メモ』下)と発言している。

それらの処理が国際法、とくに日本も批准していたハーグ陸戦法規に違反することを承知のうえでやっているのである。

 

 

公式の発言や決定では表現は多少ひかえめだが、個人的な文書にはつぎのようなのもある。

 

 

インドネシアについて、「没収し得る敵性大規模企業が極めて多い」「全鉱業資源の開発、精錬等、処分は全くわれわれの自由であり、農業部門においても......全産額を支配することが出来る」「鉱業に於ては総べてが敵性利権であつて、我の没収し得るところ」(川西正鑑『大東亜産業立地計画論』)。

 

 

川西はこの本を、東京工業大学教授・経済学博士という肩書きで書いている。

 

 

 

乱暴なのは政府・軍部だけではなかった。開戦とともに南方には多数の日本企業がおしかけ、「敵産」に到達した。三菱電機はジャカルタのマシンファブリック工場に乗り込んだし、東芝はスラバヤのフィリップス工場、日立製作所もスラバヤのフラート鉄工場・ボルミス板金工場、住友電気もバンドンのフィリップス工場、といった具合である(『史料集・南方の軍政』)。

 

 

原料・資源についても同様である。日本の軍と企業は、欧米資本が駆逐されたのを好機に現地でとってかわったのである。

(222~224p)

 

 

すいません。

 

もう、侵略...でよくないですか?

 

 

Wikipedia

 

侵略とは、直接武力をもって他国の領域に侵入したり、攻撃すること、一国が他国に対する要求を貫徹するために武力行使によって事態を変更せしめること、他国に攻め入って土地や財物を奪い取ること、他国の主権を侵害すること、などを意味する。

 

 

まだ、「解放」だと言い張りますか?

 

 

 

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これまでの記事で、戦時中に日本人が日本人に対して行ってきた事、日本人が外国人に対して行ってきた事を紹介しました。

 

 

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

⑤日本軍が他国の人に対して行っていたこと。

 

 

 

かなり酷い事をやってきたのですが、「日本人は悪くない」と言う人がいるので問題視しています。

 

 

ワクチンで亡くなった人が大勢いるのに、「因果関係が認められない」とか、「死んだ人はいない」...みたいな事を言い張る人と同じくらい酷いと思っています。

 

 

 

 

日本人は人権意識が低いです。自分に対しても、同胞に対しても。

 

 

これに加えて「日本人は特別だ」という選民思想が強かったら、下に見た人の人権を平気で踏みにじります。

 

 

戦前・戦中は、外国人を見下していた記録があちこちに残っており、その差別意識は、今では考えられないくらい酷いです。

 

 

捕虜に対する昔の日本人の反応

 

「日本人は悪くない」...と思いたくても、当時の日本人がやった事を、大喜びしている様子を、新聞が伝えています。

 

 

捕虜に対してどう思っているか、本音が分かる記事がコレ。

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 大月書店』より

 

 

 

 

 

「鏖殺」とはみなごろしだそうです。新聞に書いて良い言葉ではありませんね。

 

 

老若男女一様に...と書かれているので、日本全体がこの雰囲気だったのでしょう。恐ろしい...。

 

それを普通に書いているところも凄いです。それが許される社会、何とも思わない社会

だったのでしょう。当時の日本は。

 

 

 

 

 

 

 

これを読むと、イスラエルのガザ地区の人々に対する非人道的な行為が思い出されます。

 

 

選民思想が強い人達にとって、下に見た相手の命など、どうでもいいのです。

 

 

 

揉み消し

 

 

「なかった事」にされた悪事は、外国人に行った事だけではありません。

 

 

同胞の中で起きた問題についても、「なかった事」にしていたようです。

 

 

『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍 / 著者:相可文代』

 

私の叔父(父の一番下の弟)は初年兵のときに、部隊内で下着を盗まれた。

 

軍隊では持ち物検査があり、きちんとそろっていないと厳しく叱責される。そのため、叔父は盗まれたことを正直に報告した。

 

すると、上官は「天皇陛下の軍隊に泥棒はおらん!」と言って、叔父を嘘つきと決めつけて殴った。

 

私はこの話を母から聞いたのだが、母に言わせると「軍隊では物を盗まれたら、別の人の物を盗ってつじつまを合わせるか、家族に手紙を書いて届けてもらうしかない。軍隊とはそういうところ」なのだそうだ。

 

軍隊ではしばしば、こうした盗難事件が起こったそうだ。基本的な物品は支給されるが、傷んだりしても、すぐ新しいものが支給されるわけではない。そのため、家から送ってもらったりするわけだが、送ってもらえる家ばかりではないから、新品を持って入隊する初年兵の持ち物は、しばしば狙われたらしい。

 

しかし、そんなことが起これば、班長である上官の監督責任が問われる。それゆえ、盗難事件などなかったことにされ、本人の責任にされたわけである。

 

さらに、母は、「泥棒はおらんと言われたときに、自分の勘違いでした、自分が紛失しましたと言えばいいのに、不服そうな顔をするからよけいに殴られる。軍隊では要領よく立ち回るものが勝ちなのだ」「軍隊では家から送ってきた物があるときは、必ず上官にも渡してふだんからかわいがってもらえるようにしておかなければならない」とも言った。

 

だが、私の叔父は要領よく立ち回ることができず、上官から目をつけられた。しばしばリンチを受け、やがて精神を病んで除隊させられた。私の軍隊嫌いは、この話を聴いたときから始まった。

 

(331p)

 

 

 

弱い者には偉そうにし、強い者には媚びる...スネ夫みたいな性格の人が軍隊では出世するとのこと...。スネ夫の集団で戦争をしても勝てるわけありません。

 

 

私は日本人を凄いと思います。現代の日本人を。

 

 

...何故なら、先人がここまで人間のクズだったにもかかわらず、今の人達はモラルが高いからです。全部が良いとは言えませんが、マシになりました。

 

 

戦後80年...すごい成長だと思います。

 

 

一方で、盗難、事件のもみ消し、リンチ...このような事が出来る人間性を「美しい」とか「精神性が高い」等と感じる人もいるみたいなのですが、そんな社会にして国民が幸せになると思っているのでしょうか。

 

 

 

 

盗難があっても、泥棒はいなかった事になったり...

 

侵略しても、悪い事はしてなかった事になったり...

 

このような綺麗事で成り立っている社会は健全とは言えません。

 

 

事実を突きつけられても「それは違う」と言い張るクセは、いい加減直した方がいいと思います。

 

 

昔の人がこの性質を問題視せず、改善しなかったせいで、現代もその伝統が受け継がれてしまいました。

 

 

だから、現実に被害に苦しんでいる人がいるのに、推進派は「ワクチンの被害はない」と厚かましい事を言うのです。

 

 

七三一部隊の当事者の証言

 

 

都合の悪い事を、「なかった事」にしたい勢力は、あの手この手を使って、証言しようとする人達の邪魔をします。

 

 

以下は731部隊の証言者の話です。

 

 

私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』

 

第二章 忘れえぬ七三一部隊の狂気

 

篠塚(旧姓・田村)良雄(千葉県在住・七七歳)

 

 

この一カ月ほど前の一九九八年六月二五日、自らの罪行について米国とカナダで講演をするため、篠塚は飛行機でシカゴ(米国)へと向かった。事前に、両国政府機関から「七三一部隊の戦犯なので、入国を許さない」という情報を受け取ってはいた。それでも、「話せば分かってもらえる」という思いで出発したのだ。

 

 

シカゴのオヘア国際空港の入国審査で、コンピュータが反応した。「ワシントン(米国政府)の命令だから、入国は認められない。篠塚には、ただちに日本へ帰ってもらう」。審査官にそう言われ、篠塚は成田へと送還された。

 

 

「米国とカナダで、わしの罪行について証言をしたかったのですが、残念でなりません。証言するから入国させない、としか思えない。口をつぐんでいる人は入国できるのに」。悔しさを押し殺してそう私に言うと、篠塚は目をつぶったまましばらく動かなかった。

 

 

(中略)

 

 

中国の寛大政策により、篠塚は五六年七月に起訴免除となり、八月に帰国した。千葉県の故郷へ戻って数日後、同郷の七三一部隊の元上官たちが「歓迎会」を開いてくれた。その場で、別の部署の元上官から、「石井(四郎)部隊長閣下のところへ、帰還の挨拶に一緒に行こう」と誘われた。篠塚は行く筋合いではないと思い、「わしはもう石井の部下じゃない。行くのは嫌だ」と断った。

 

その場は険悪な雰囲気になり、それ以降こういった会合に誘われることはなくなったという。

 

あの時、石井四郎に会って就職の世話にでもなっていたら、今頃は口をつくんでいたかもしれません。行かなくてよかった」。そう当時をふり返る。その後、地方公務員となり、定年まで働いた。

 

定年後の八四年ごろから、七三一部隊での体験を講演するようになった。「わしが中国でやったことを、闇から闇に葬るわけにはいかない、と思ったのです。真剣な眼差しで、そう篠塚は私に訴えた。

 

 

講演会での証言は、九三年から七三一部隊展が全国各地で開催されるのと並行して、頻繁に行われた。嫌がらせも度々あった。渋谷(東京都)での講演後、ロビーでチンピラ風の若い男に「でたらめ言うな!刺すぞ!」と脅されたこともある。

 

千葉で講演をした時は、七三一部隊の部隊長のことを「石井四郎」と言うと、会場内の中年の男から「なんで石井閣下のことを、呼び捨てにするんだ!」と怒鳴りつけられたこともある。そんなことがあっても、証言を続けている。

 

 

「わしたちは、人としてやるべきでない事をしてしまったのです。被害者や遺族の立場になれば、どう思っただろうかといつも思います。せめてもの償いです」。

 

 

そう篠塚は言うのだが、講演で目にする彼はいつも苦しそうだ。それでも、悲しみやつらさの感情を押し殺し、必死に平静を装おうとする。「講演をして当時のことを思い出すと、苦しくて夜はなかなか眠れません。思い出すのは、とてもつらいのです」。そう篠塚は私に語ったことがある。

 

 

生涯を通じて責任を取る

 

 

米国とカナダへの入国拒否について、篠塚は力を込めて言う。

 

 

「確かにわしのやったことは、非人道的な行為でした。申し訳ないと思っています。しかし、米国は石井四郎(元部隊長)ら幹部と取り引きをして、“免罪”しているじゃないですか。彼らが入国できたのに、わしみたいな下っ端を入国させないのは、納得できない」

 

確かに、篠塚は非人道的行為をした。しかし、被害国である中国の裁判では不起訴処分となっており、「元戦犯」ではない。米国は、七三一部隊などの人体実験やその他の“研究”資料を手に入れることを条件に、これら戦争犯罪を追及しない、という取り引きをした。その一方で、篠塚のように自らの罪を認めて謝罪し、積極的に事実を証言している元下級軍属を入国させないのである。

 

 

(160~167p)

 

 

 

実際に関わった人が証言しようとすると、周囲から圧力がかかるみたいです。

 

 

それだけではありません。日本人はお上を悪く言えない性質があります。

 

 

上の立場の者や、政府の悪行を指摘することから逃げ回るケースも目立ちます。

 

 

 

私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』

 

「潞安陸軍病院だけでも三〇人以上、中国全土だと一〇〇〇人以上が生体解剖に直接かかわったはずなのに、ぼく以外ほとんど誰もしゃべらないんですよ」。

 

 

湯浅は、力を込めて会場の皆に訴える。「みんな『忘れて』るんです。日本人は戦争で犯した罪の意識がとても弱いのです。あるのは恥だけ。知らなければいいと思ってるんです」。

 

 

個人責任に収斂される危機感

 

このように、湯浅は自らの罪行を深く認識し、帰国後も認罪活動を続けてきた。しかし最近、自分と同じように認罪活動を続ける中国帰還者連絡会(中帰連)の仲間が「自分が悪かった」「当時は本当の鬼になった」などとばかり言い、当時の社会体制についてあまり指摘しないことに、ある種の危機感を持つようになってきた。

 

 

当時は日本こそが理想的な国だと思っていて、中国人や朝鮮人を見下していた。そういう精神構造にさせられていたんです。『ヘッドギア』を付けられて洗脳されていたことに、気づかなかった。それなのに、自発的に考えて行動している、と思い込んでいたんです」。

 

 

湯浅はこう私に向かって訴える。しかし、中帰連の仲間にこのように言うと、「僕らがそんなこと言っちゃいけないんだよ。本当にひどいことをしたんだから」とたしなめられることもあるという。それでも。湯浅は自らの行為を認罪しつつも、あえてその大本の国家責任や構造的問題を指摘することを忘れない。

 

(184p)

 

 

このように、どんな理不尽な目にあっても、お上には絶対に逆らわないという精神構造は問題だと思っています。

 

 

戦後は日本国憲法になって、言論の自由が保障されているのに、奴隷服従根性のままなのが勿体ないです。

 

 

 

731部隊がやった事については、読むだけでもきついので、詳しい内容はあえて文字お越ししませんでした。その代わりに動画を貼っておきます。

 

 

 

この動画は、今から30年前、戦後50年に作成されたもののようです。

 

 

 

 

 

 

 

苦しい言い訳

 

 

家族に暴力を振るうような人は、他人に対しても酷いことができます。また、こういう人に限って、外面は良かったりします。

 

 

この理屈は国に置き換える事ができます。

 

 

自分の国に酷い事ができる体制は、他国に対しても酷いことができます。また、こういう国に限って、外面は良かったりします。

 

 

大日本帝国がまさにそうでした。

 

 

日本国民を人間として扱わず、他国に対しても酷い事をしていました。しかし、外面は気にするので「悪い事はしていない」と言い張っています。

 

 

しかし、日本側がどう言い訳しても、隠せないぐらい被害が酷いので、誤魔化すことは難しいです。

 

 

マイケル・ジャクソンが「私は整形してない」と言うのと同じくらい無理があります。

 

 

よく、GHQのせいで、「日本人が日本に誇りを持てなくなった」と言う人がいるのですが、

 

 

証拠が大量にあるのに、「やってない」と言い張る往生際の悪さ、「いつまで謝ればいいんだ」と開き直る態度は、ダサいキャラクターの特徴であり、「恥」以外のなにものでもありません。

 

 

 

嘘に嘘を重ねるような態度に、誇りを持てる方がどうかしています。

 

 

 

証拠や証言を客観的に見れば、相手国から見れば、やっている事そのものは加害であり侵略です。

 

 

 

満蒙開拓平和記念館(長野県):本人が語る76年前の「地獄の逃避行」 国策による苦難の歴史伝える

 

「満洲国の『五族協和』なんてとんでもない話で、日本人は一等国民、朝鮮人は二等、中国人は三等と、もうあからさまの差別。だから暴動が起きるのは何の不思議でもない」

 

 

日本人が綺麗なキャッチコピーを宣伝する時は要注意です。

 

 

続きは以下の⑦になります。

 

 

日本国憲法の大切さについて考える

 

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日本国憲法と、その恩恵を受けている今の日本がいかにありがたいか...を、これから解説していくつもりですが、まずは、反対意見を解決する必要があると思っています。

 

 

前回も説明しましたが、よくくるのが、このような反論です。

 

 

●敵が攻めてきたらどうするんだ

 

 

●丸腰はダメだ。

 

 

●自分の国は自分で守らなければいけない。

 

 

●昔の日本人は国の為に勇敢に戦った。

 

 

●今の日本人が戦えなくなったのは、GHQによって弱体化させられたからだ。

 

 

●GHQのせいで自虐史観を植え付けられて、日本人は自信が持てなくなった。

 

 

●GHQに支配される以前の日本人の精神はすごかった。

 

 

●他国を支配していない、解放したんだ。日本人が悪い事をしたというのはデマだ。

 

 

 

これらのうち、本記事では、自虐史観について考えてみます。

 

 

 

自虐の定義

 

 

GHQのせいで自虐史観を植え付けられて、日本人は自信が持てなくなった。

 

 

...という話はよく聞きます。従って、まず「自虐」の定義から。

 

 

自虐とは、「自分で自分をいじめ苦しめること。自分の肉体や心をいためつけること。」を意味します。

 

 

そして、自虐史観とは、wikipediaによると、

 

太平洋戦争(大東亜戦争)後の日本の社会や歴史学界、教育界における特定の歴史観を批判・否定的に評価する概念である。 この言葉を使用する論者が何らかの歴史に関する記述が日本の歴史の負の部分をことさらに強調して日本を貶めていると批判する際に用いられる。

 

 

...ということだそうです。

 

 

日本の歴史の負の部分をことさらに強調...ということなので、「負の部分」をどれだけ教育されたかを考えてみます。

 

 

大日本帝国時代の日本人が行った人権侵害

 

 

教育で教えられたかどうか...は置いておいて、まずは戦前、戦中の日本人が行った人権侵害を、今思いつくだけ書いてみます。

 

 

外国人に対してだけでなく、同胞に対しての行いもあげていきます。

 

 

 

●国民を騙して戦争に向かわせる

 

 

●密告し合う

 

 

●逆らったら家族にも影響がある

 

 

●上官は部下に酷い事をするのは当たり前だが、ヤバくなったら部下を放ってさっさと逃げる

 

●口減らしの為に貧しい人達を満州に追いやる

 

 

●アヘン漬け

 

 

●731部隊

 

 

●満州での地位は日本人の方が上(支配する側)

 

 

ざっとこれだけ思いつきました。戦争中とはいえ、酷い事をしたのは変わりないです。

 

 

よく「日本はインフラを整えた。喜ばれたんだ」と言う人がいます。たしかに良い事もしたのかもしれませんが、だからといって、悪事がチャラになるわけではありません。

 

 

身近な例に置き換えてみます。

 

 

例えば、他人の家庭に強引に押し入って、その家のものを略奪したり、奴隷にしたとします。その時、その家がボロいから改装したら、見違えるように綺麗になったとします。

 

 

押し入った人が、改装した事をピックアップして、「いい事したよね」と言ったらどう思いますか?

 

 

環境をよくしてあげれば、他人の家を乗っ取った事はOKになるのでしょうか?家が綺麗になって結果的に喜ばれれば良いですが、そうだとしても、最初の目的は問題があります。

 

 

悪事はチャラになりません。

 

 

また、本当に現地の人の為だけにインフラの整備を行ったのかも疑問です。日本人も同じ地で生活するなら、自分達が快適に過ごす為に、不便な環境を整備した...と考えるのが普通です。

 

 

とりあえず、日本人がやっていた人権侵害をいくつか上げてみましたが、次はこれらが、どれだけ教育現場で教えられているのかを考えてみたいと思います。

 

 

自虐を教育で教えたらこうなる

 

 

何処の国も自国の歴史を正当化しているのに、日本だけ自虐史観を植え付けられている...と言う人がいるのですが、とんでもないデマです。

 

 

日本は「自国の歴史」を悪く言ってはいません。

 

 

私は広島出身ですが、広島の学校の平和学習でさえ、被害者視点重視です。加害者視点は、私が知る限りありません。

 

 

広島は軍都だったので、加害の歴史を持っている地域ですが、それを教えられた記憶はないのです。

 

 

本当に自虐の授業なら、当時の政治や、責任者である天皇を問題視するはずですが、そんな教えはありませんでした。

 

 

当時の年寄りから文句を聞いた事はありますが...。

 

 

平和学習では、犯人探しみたいな事はせず、むしろ当時の政治の問題点に矛先が向かないように「かわいそう」「戦争はいけない」という感情論に持って行こうとしています。

 

 

平和学習の内容は、映画、本、漫画、証言者の話を聞く、感想を書く、歌を歌う、劇をする、折り鶴を折る、原爆ドーム・平和資料館訪問...等。覚えるより、体験型が多かったです。

 

 

繰り返しますが、日本人が行った悪い事...つまり自虐だと言われている要素は、習った記憶が全くありません。(...と言っても、日本人が実際にやっていた事を教えるなら、自虐ではなく事実というべき。)

 

 

もしこの広島式体験平和学習のスタイルで「自虐」を教えるなら、次のような内容になるはずですが、全くこうはなっていませんでした。

 

 

 

●元兵隊を学校に招き、具体的にどんな悪行を働いたのか証言してもらう

 

●アヘンにまつわる話を聞く

 

●731部隊で行われた研究の酷さを伝える為に、生徒に証言集を朗読させる。昆虫で再現実験。

 

●配給がどんなに少なかったか、当時の一日の食事の量がどれだけ少ないかを調理して体験。

 

●(高校生限定)軍隊に入る年代の子たちに、かつで軍隊でどれほどのパワハラがあったのか、体罰体験。

 

●洗脳講座。洗脳されてみる。

 

 

 

「日本人は悪いんだ、加害者として反省しろ」と、自信を失うくらい悪い部分を教えるなら、最低でもこのくらいの授業は必要でしょう。

 

 

こんな事を教えられたら、「日本人は悪い事をしたんだな」と思うかもしれませんが、こういう事は習いません。

 

 

日本人が悪い事をしたという話は、私の場合、年寄りの体験を聞いたり、大人になって調べて分かりました。

 

 

自虐を教えられたと思っているみなさん、心配する必要はないです。現場は自虐など教えてはいません。

 

 

むしろ、日本人の悪事に触れない、日本人を傷付けない内容になっています。

 

 

高校の日本史の教科書に、アヘン王「里見甫(さとみはじめ)」の名前すらないのです。

 

 

 

 

教科書に載ってない人物

 

 

ここに、25年くらい前の日本史の教科書があります。

 

 

 

 

「さ」行を見てみましょう。

 

 

 

 

...さ..さと....里見甫がないですね。

 

 

関東軍の命を受けて、情報の収集・統制を行い、アヘンの密売を取り仕切った「里見機関」のトップなのですが。

 

 

関東軍とは大日本帝国陸軍の総群の一つです。満州国で独裁的権限を持ち、日本の大陸政策の先兵となった日本陸軍部隊のことです。名前は中国北東部の「関東州」からきており、日本の関東地域とは関係ありません。

 

 

関東軍は、東京にある「中央政府のお金」ではなく、「アヘンを売ったお金」で戦争をしていました。関東軍の財源はアヘンだったため、その産地を拡大するように、戦線が拡大していったのです。

 

 

日本軍の占領地では、日の丸を掲げてアヘン売りが売りに来ていたので、中国人が日の丸を見みて、「あ、アヘン売りが来た」と思われていたそうです。

 

 

金の為なら、無知な同胞に、薬害だらけの遺伝子ワクチンを平気で推奨する民族の先祖はやることが違いますね。

 

 

我が国は、数十万人の中国人に健康被害を与えただけでなく、その金で武器を購入し、中国人を殺傷していました。

 

 

アヘンを売ったお金で、戦費と資源の調達。戦争の為に使うダイヤモンドやタングステンを購入してました。当然、このアヘンマネーには人が群がりました。これを「満州・アヘン人脈」と言います。

 

 

満州国の運営資金を握っていた里見甫は、民間人でありながら、東条英機、岸信介、佐藤栄作、愛知揆一、児玉誉士夫、笹川良一等も頭が上がらなかったと言われています。

 

 

彼は戦犯として巣鴨拘置所に拘留されたのですが、やがて不起訴になり無条件釈放されました。戦後は表に出ることなく一般市民として生涯を終えたので、知らない人が多いかもしれませんが、歴史上重要な人物であることは間違いありません。

 

 

このアヘン政策は、首相を総裁とし、外・蔵・陸・海相を副総裁とする「興亜院」および、「大東亜省」に掌握、立案、指導され、国策として計画的に展開されたので、出先の軍や機関が、暴走して勝手にやったものではないです。

 

 

誰がどう考えても鬼畜極まりない作戦であり、細菌戦や毒ガス戦等とならぶ、日本国家の大規模な戦争犯罪です。

 

 

それが載っていない教科書を採用しているので、日本人が傷つかない配慮がされています。

 

 

最近、「悪い事をした人物」は全部外国人だと言う人がいるのですが、里見家は源氏の流れをくむ武将の血筋で、「南総里見八犬伝」にもつながると言われているので、日本人です。

 

 

戦後は、大人しく暮らしたとのこと。

 

 

週刊現代 満洲国を裏工作で支えた「フィクサー」がいた…アヘン王・里見甫の「数奇な生涯」戦後は静謐な生き方を選んだ

 

 

 

名前はあるけど、問題点は載っていない

 

 

「岸信介」は....

 

 

 

 

354ページにあります。このページだけです。

 

見てみると、こうなってました。

 

 

 

 

 

戦後の話だけで終わってます。

 

 

戦前、戦中の活躍の方が重要だと思うのは私だけでしょうか。なんなんこの教科書...。

 

 

重要政策が載っていない

 

 

関東軍の「アヘン政策」はどうでしょう...

 

 

あ....

 

 

 

 

「アヘン戦争」が226ページにありました。

 

 

 

 

 

自国の闘いではない「アヘン戦争」はあるのに、肝心の日本の「満州国のアヘン政策」はないわけです。

 

 

後者の方が、日本にとって重要だと思うのは私だけでしょうか?この扱いの差の基準がわかりません。

 

 

ところで、この教科書の戦後の様子が書かれたページを見てみると、美空ひばりの名がでています。

 

 

 

 

歴史の教科書なのに、歴史に影響を与えた里見甫や、岸信介の活躍よりも、お茶の間を魅了した美空ひばりの方が重要みたいです。

 

 

なんということでしょう...。

 

 

美空ひばりは昭和を代表する歌手で、歌謡界では外せない名前です。しかし、歴史の教科書なので、歌手より、政治を動かした人物を、まずしっかり載せてほしいと思います。

 

 

 

紹介したのは、地元でも有名なバカ高校が採用した教科書なので、うっかり、自虐情報を載せ忘れたのかもしれません。

 

 

それとも私が見落とした自虐記述がどこかにあるのか...

 

 

もしかしたら、もっと優秀な人達が通う学校の教科書は、自虐的な内容が書かれているのかもしれません。

 

 

自虐を植え付ける為の教科書なら、事実である日本人の悪行が、これでもかこれでもかこれでもか...と書かれていて、恥ずかしくなる内容になるはずなんですが、そういうのが見当たらないのです。

 

 

 

これを自虐教育だと言われると、もう...不思議で不思議で不思議でしょうがないです。

 

 

 

何故なら、「日本人にとって都合の悪い事」に一切触れてない、甘やかし教育だからです。

 

 

だから、「日本人は悪い事をしていないと思う人」や「アジアのインフラを整えたから、日本は良い行いをしたと主張する人」が増えるのです。

 

 

日本人が本当に反省して、それで相手側から「でも街を発展させてくれたのは日本人だよね」と言われるなら分かりますが、

 

 

そもそも侵略した側なので、それで「街を発展させてやったのは俺たちだ」というのは、メッチャ図々しく支配者の理論です。

 

 

日本人は自信を持てなくなった

 

 

GHQのせいで自虐史観を植え付けられて、日本人は自信が持てなくなった。

 

 

...というストーリーが一人歩きしていますが、実際の教育現場では、自虐など教えられておらず、被害者の立場のみ教えられている事が、お分かりいただけたかと思います。

 

 

ということなので、教えられていない自虐史観によって、日本人は自信が持てなくなった...という話も成立しません。

 

 

そもそも、私が子供だった80年代はバブル期でしたが、大人は自信を持っていましたし、どちらかというと、「少しは謙虚になれよ」と言いたくなるぐらい横柄な大人が一杯いました。

 

 

もし、現代に自信のない日本人がいたとしたら、それはGHQのせいではないと思います。

 

 

 

続編は以下の③です。

 

 

日本国憲法の大切さについて考える

 

 

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2025年、参議院議員選挙の結果が出ました。

 

 

広島県選挙区から立候補した、無所属連合の谷本誠一氏は26,947票。

 

 

広島選挙区は、10人立候補したうち、2人しか通らないので、谷本氏は落選ですが、それにしても、この短い準備期間で、これだけ票を入れてもらえたのは凄い事だと思っています。

 

 

ありがたいの一言です。

 

 

今回、国政選挙を戦ったことで得たことや、学びも沢山あり、充実した一カ月間でした。

 

 

出馬の経緯

 

 

谷本誠一氏は26,947票です。

 

 

今回の結果を受けてガッカリされている方もおられますが、この選挙に至る背景を考えると、私は大健闘だったと思います。

 

 

出馬が正式に決まったのは、告示日の約一カ月前です。つまり、準備期間はわずか一カ月です。

 

 

「選挙運動はセレモニーみたいなものなので、当落にはあまり影響しない。それよりも、選挙期間までの間にしてきた準備が当落に影響する。その準備は一カ月前にはできていないといけない。」

 

 

...これは、2023年、呉市議会議員の選挙を手伝った時に、選挙参謀に言われた言葉です。

 

それがずっと頭にあったので、今回の挑戦は「票の獲得」という意味では無理ゲーだと思っていました。準備期間がなかったですから。

 

 

従って、「負ける事が分かっていても、その中でどんな成果を得るか」を考えて動きました。

 

私は谷本氏とは以前から「改憲勢力の危険性」について頻繁に話し合っており、とくにここ最近の日本美化、戦前回帰の流れに危機感を感じていました。

 

 

改憲派の勢いに押され、護憲を訴える声がだんだん小さくなっている中で、何とかしなければいけないと思っていた時に、出馬の話がきました。

 

 

憲法記念日の5月3日、無所属連合の共同代表である大西つねき氏が、広島に街頭演説に来られ、谷本さんが弁士を行った日でした。

 

 

谷本誠一 2025年5月3日

 

 

記事や動画などで伝えても、なかなか広がらないので、選挙運動を通じて、リアルの場で訴えることはとても意味があります。

 

 

そう思って本人の背中を推し、その一か月後に出馬が決まりました。

 

 

今回そのチャンスを与えてくれた無所属連合さんには本当に感謝しています。

 

 

無所属連合

 

 

組織力がない中で心がけていた事

 

今後選挙に出たい人の参考になればと思い、簡単に説明します。

 

選挙はお金を持っている人ほど出やすい仕組みになっています。供託金の他に、ポスターや、選挙カー、選挙ビラなどに、かなりのコストがかかります。

 

最もネックなのは供託金ですが、これは得票が少なければ没収となります。

 

 

ポスターは一応公費で出してくれる...事になっているのですが、条件があります。得票が少なく、供託金が没収になれば、公費では払ってもらえません。つまり、ある程度票がないと、ポスター代は自腹になります。

 

 

ポスターの掲示板は、広島県だと設置場所は全部で8073カ所。これだけの枚数が必要になります。ポスター代は印刷会社にもよりますが、私の給料の数か月分でした。

 

 

没収になるかどうかの境界線は、2022年の参院戦広島選挙区を例にすると、144,587票。この数字は、投票数や定数によって変動しますが、「だいたいこのぐらいの票以上を取らなければ没収」だと聞かされていたので、最初から、落選する事も、没収される事も分かっていました。

 

 

組織が整っておらず、知名度も準備期間もない状態では、無理ゲーです。

 

 

そう考える根拠は、過去の反コロナ界隈の仲間達が選挙に出た時の得票です。

 

 

特に2022年の参院選の情報は参考にしました。「このぐらいか」という目安はだいたい想像つきます。

 

私個人的には、告示日数日前に出馬を決めた埼玉選挙区から出馬した高橋やすし氏の票を目標にしていました。

 

 

谷本さんの場合は、マスクのイメージもあるので、マイナスからスタートです。これをどうやって巻き返すかも課題でした。

 

 

コロナ関係では参政党がいますし、護憲ではれいわのはんどうさんがいるので、票が割れる事が予想されます。

 

 

だから今回の選挙は、票がとれなくても、「今伝えなければならない事」を伝えるということに力を注ぎました。

 

 

 

お金をかけない選挙

 

 

できるだけお金をかけないよう、無理をしないように心がけました。

 

 

例えば、谷本さん本人の車にポスターを貼って選挙カーにしました。

 

 

スピーカーがついていないので、ウグイス嬢はなし。色んな所へ行って街頭演説をして撮影したものをアップするというスタイルを採用。

 

 

問題は運転手です。市議選の時に常に一緒だったドライバーさんは、今回は家庭の事情で全てに参加が難しく、他に運転できる人は、前半はポスター貼りに行くことになっていたので、それ以上負担かけられません。

 

 

その為、得に前半は谷本さんが運転することもありました。

 

 

行ったことがない場所がほとんどですし、街頭演説の場所選びには苦労しました。

 

 

選挙カーは公道は停められるのですが、あまりにも邪魔な停め方をすると、法律上は問題なくても、イメージが悪くなります。

 

 

人通りの多いショッピング施設でも何度か街頭演説をしましたが、うっかり敷地内に入るとマズいです。かといって、店から出てすぐ車に直行する人が多いので、離れすぎると聞いてもらえないといった問題もあります。

 

 

地元の仲間が誘導してくれた時は、迷わないので助かりました。街宣場所が想像できると、日程調整も楽になります。

 

 

何処に行ったらいいか分からないのが困りました。

 

 

最も過酷だったのは、ポスター貼りです。急なお願いだったのですが、忙しい中、色んな方が協力してくれました。ほぼコンプリートしたと思います。

 

 

伝えたかった事

 

 

谷本氏は政策を5つ掲げていましたが、得に訴えたかった事は、「ワクチンの問題」と「日本国憲法を守る」ことです。

 

 

ワクチンに反対する為には、日本国憲法によって人権が守られている必要があります。憲法を変えると、ワクチンを強制されたり、自由に意見が言えなくなったりする可能性があるので、最優先事項は護憲です。その為、街宣で最も多く話したと思います。

 

 

 

戦争の話をした理由

 

憲法の話と共に、合わせて戦争の話をする事もありました。「選挙と関係ない」と言われた事もあるので、その理由を説明しておきます。

 

 

憲法の話は、関心を持つ人が少ないし、伝えるのが難しいテーマだったりします。そして、護憲を主張する時は、改憲したい人達からの反論を想定しなくてはなりません。

 

 

反論意見で得に多いのが、以下のような話の展開です。

 

 

 

●敵が攻めてきたらどうするんだ

 

 

●丸腰はダメだ。

 

 

●自分の国は自分で守らなければいけない。

 

 

●昔の日本人は国の為に勇敢に戦った。

 

 

●今の日本人が戦えなくなったのは、GHQによって弱体化させられたからだ。

 

 

●GHQのせいで自虐史観を植え付けられて、日本人は自信が持てなくなった。

 

 

●GHQに支配される以前の日本人の精神はすごかった。

 

 

●他国を支配していない、解放したんだ。日本人が悪い事をしたというのはデマだ。

 

 

 

判で押したように、この展開を語られるので、護憲を拡散したかったら、このような意見に対してに、丁寧に答える必要があります。これに答えられなければ説得は厳しいです。

 

 

戦争の話は聞きたくない...という人もいます。悲惨なので気持ちはわかります。「憲法の問題を語るなら、それだけ話せばいい」...という意見もいただきます。

 

 

ですが、憲法単独の説明にしない方がいいのです。

 

 

何故なら、改憲派が、憲法の問題を語る時に、戦争や大日本帝国の話を持ちだすからです。

 

 

特に「攻められた時に丸腰はおかしい、9条を改正して戦えるようにしないと日本を守れない」...といった考えを覆すには、戦争の話をセットにする必要があります。

 

 

攻められるのが怖いから憲法を変えたい...と思っている人に、戦争の話題を避けて話すと説得できません。「攻められた時の不安」を解消する必要があるのです。

 

 

例えるなら、コロナが怖いと思っている人に、ただワクチンやマスクの危険性を説明しても、納得してくれないようなものです。ワクチンを打たない代わりに、大丈夫な方法がほしいわけです。

 

界隈でも賛否両論ありますが、怖い人の為に、私は必ず代替療法を提案します。怖くないんだよ~と説明してあげると、少し落ち着きます。

 

 

憲法の話と戦争の話をセットで語るのは、仮に闘えるようになっても、日本は守れないし、逆に危ないんだよ。今のままがいいんだよ...と言う事を伝える為です。

 

 

戦争の話をすると、揉める事もあります。

 

 

「被害者としての視点」と、「加害者としての視点」の両方を話してもらったつもりですが、得に日本を美化している方には、後者の話は受け入れがたかったようです。

 

 

その時は、選挙期間中ということもあり、詳しい説明ができかったのですが、終わったので、私も分かりやすくまとめていきたいと思います。

 

 

 

護憲を訴えてよかった事

 

 

今回、反コロナと護憲をセットに訴えたとことは、私が考えていた以上に良い結果につながったと思います。

 

 

当選はしませんでしたが、この問題を伝えたいという目的は達成されました。

 

 

最近の、戦前回帰を望んだり、日本を美化する風潮に「おかしい」と思っていた人達が、少しずつですが、反応してくれるようになったのです。

 

 

街宣の後、「僕も今の流れはおかしいと思ってました」といった事を言ってくれる人が何人もいました。

 

 

日本美化の設定に否定的なコメントをすると「反日」「日本人じゃない」というレッテルが貼られるので、それが怖くて何も言えない人がいると、私は前から思っていました。

 

 

ですが、誰かがハッキリ言う事によって、それを聞いた人が、「こんな意見を言ってもいいんだ」と思ってくれるようになったとしたら嬉しいです。最初に言うのは難しくても、誰かが言えば、言いやすくなります。言論弾圧は放置してはいけません。

 

 

 

そんな風にしたいので、これから、何故日本国憲法や戦後の日本の政治がマシなのかを、当ブログでも語っていきます。

 

 

続編は以下の②です。

 

 

日本国憲法の大切さについて考える

 

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