最近、外国人の事を危険視する人達が増えました。
私も最初は、外国人が起こした事件を見る度に、「これは大変だ」と思って拡散していたのですが、最近は冷静になりました。
「人種」というくくりを基準に、「真面目に暮らしている外国人」まで叩く風潮に、違和感を感じるようになったからです。
時々、「マスク」をしている外国人を見ます。日本社会に合わせる努力をしている謙虚な人もいるので、こういう人を叩くのはどうかなと思うわけです。
歴史を学ぶと、過去に日本人も相当酷い事をしています。
それをきちんと反省してないのに、上から目線で「自分達は正しい」という態度をとるのは、大人としてみっともないです。
外国人が起こす問題は、放置できない状態なので、伝える事自体は必要だと思います。
しかし、「自分達の先祖も同じか、それ以上の事をした」...と、頭に入れた上で語らないと、説得力がありません。自分達が悪い部分を直せないのに、人には直せというのは、筋が通っていないと思います。
伝え方も煽るのではなく、慎重にしないといけないです。
しかし、「日本人にとって都合が悪い事実」は、証拠があっても、揉み消そうとする人達がいます。
「相手の悪事」は叩く、一方で「自分達の悪事」は無かった事に...これでは無駄な争いを生みます。こんなタイプの人は普通、信用されません。
私はワクチン被害を伝える活動をしているのですが、それを堂々と揉み消そうとしたり、しれっと無かった事にする人達を沢山見てきました。
推進していた人達は、「反ワクチン」「陰謀論」と言って、被害者を露骨に弾圧するし、なんとなく流されて接種した人達は、なるべくその件に触れないように、何事も無かったかのように生活しています。
...そんな状態を見た反ワクチンの仲間達は、「なんと酷い、今の日本人はダメになった~」と憤慨するのですが、こういう態度は昔からあるので、ダメになったのではなく、日本人は元からそういう気質なのです。
他の分野でも「日本人にとって都合が悪い事実」は、弾圧や無視が、昔から行われてきました。
前回の記事では、南京大虐殺が「捏造」と言われている問題をとりあげました。
⑩戦争加害の否定。あった事を「なかった事」にしたい心理と目的。
今回は、南京大虐殺が起きた時とほぼ同時代に起きた、国内の虐殺事件についてとりあげます。
外国人の事件を拡散する人は、知っておいて下さい。
昔の日本人の心理状態
南京大虐殺は「無かった」説を唱える人達は、日本人が虐殺をする理由がないとか、日本人が悪い事するはずない...という幻想に取りつかれています。
ですが、ほぼ同じ時代に、国内で起きた似た類の事件を調べる事で、当時の日本人が戦争中でなくても虐殺できる理由、日本人は結構悪い事していた...という事実を知ることができます。
当時の日本人は、自分達は天皇を戴く優秀なる日本民族だという選民思想が根底にありました。信じられないかもしれませんが、調べると、そういった考えをしていた形跡がいくつも見付かります。
そして、そこから、他民族を下に見る差別意識や、自分達に反抗する奴はけしからんというロジックが生まれるのです。
なにせ当時の日本では、軍隊を例に出すと、上官の命は天皇の命と心得よ...と言われていたぐらいですから、下に者が上の者に逆らう事は、「天皇に歯向かう事」と認定されて、攻撃の対象になっていました。恐ろしいですよ、ハッキリ言って。
その日本人の性質、心理を考えると、南京大虐殺は起きても不思議ではありません。現代人とは感覚が違うのです。
関東大震災の後に起きた虐殺も、日本人の選民思想、差別意識が根底にあります。
まず、以下の「十円五十銭」の話をご覧ください。
「十五円五十銭(※動画では十円と言っている)」とは、関東大震災の後、普通の日本人が朝鮮人を殺したのですが、その時に、相手が朝鮮人かどうかを見極める判断材料として使った言葉です。
『地震と虐殺 1923-2024 / 著者:安田浩一』
武器を手にした自警団員は徒党を組み、行きかう人々を誰何した。彼らは朝鮮人だと疑った人間に、正確な日本語を話すよう強要した。
「サシスセソ」「バビブベボ」、あるいは「十五円五十銭」。清音と濁音の区別がはっきりしない韓国・朝鮮語の特性上、「バビブベボ」も「じゅうごえんごじっせん」も、朝鮮人には発音が難しい。
また、たとえ正確な発音ができたとしても自警団が疑念を向けた人間には、君が代を歌わせたりするなどの検分が繰り返された。
当事者にとっては屈辱ともいうべきこうした“見分け方”は、実は政府が“発案”し、さらに扇動したものでもある。
震災からさかのぼる10年前の1913年、当時の治安トップである内務省警保局長は、「朝鮮人識別資料二関スル件」なる文書を各府県本部に送達した。
(中略)
結果としてそのために利用されたのが、朝鮮人を識別するためのマニュアルだった。当初は官憲や役人だけに配布されたものが、いつしか民衆の間にも知れ渡り、「十五円五十銭」の発音が、ひとつの目安として機能するようになった。
それが生死を分けた。朝鮮人であると自警団が結論を下せば、容赦なく刃物が振り下ろされた。
「朝鮮人だぞ!」。そうした叫び声とともに、血しぶきがあがった。
被害者のなかには、朝鮮人だと間違われて殺された日本人も少なくない。いずれも標準語を話すことのできない東北や沖縄などの地方出身者だった。
自警団長の任に当たりながらも、前出の南喜一は殺戮行為には加わらなかったという。その残虐行為に疑念を感じていたのだろう。
近くの電線工場では多くの朝鮮人が働いていた。南はこれら朝鮮人労働者が暴徒に殺されることを危惧し、救い出したことも手記に記している。
ちなみに南の実弟である吉村光治(労働運動の活動家)は、地震から2日後の9月3日、労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、殺された(第7章で後述する亀戸事件)。
それをきっかけに南は当時非合法だった日本共産党に入党、その後約5年間、党活動家として生きることになる(のちに逮捕されて獄中転向)。
(30~34p)
この件に関しては、それに従わなかったまともな日本人もいたことが救いです。
殺した動機は、誰かが流したデマではなく、日本政府側の発表が原因です。
『地震と虐殺 1923-2024 / 著者:安田浩一』
本書でも後に詳述するが、9月2日には埼玉県内務部が「不逞鮮人暴動に関する件」なる通達を県内の各役所に送り、自警団の結成、「適当の方策」を訴えた。
怪しい朝鮮人を見たらそれぞれで何らかの措置を取れという行政命令である。
翌3日には内務省警保局長名で、「朝鮮人ハ各地に放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ、現二東京市内二於テ爆弾ヲ所持」して暴れているといった内容の電文を全国に打電する。
ちなみに2日、東京市とその周辺5群に戒厳令が布告された。翌3日には東京府全体、神奈川県に、4日には埼玉、千葉両県にも布告される。
そう、デマ流布に太鼓判を押したのは政府、国だった。
当然、当時のメディアもこれに加担している。
(中略)
国や地方行政、軍や警察、そしてメディアや一般民衆が束になって襲い掛かった結果、多くの朝鮮人、そして中国人、社会主義者、さらには障がい者、朝鮮人と誤認された地方出身者など、多くの犠牲者を出すことになった。
(6~7p)
被害者は6000人を超えるとのことです。
扇動した国は、いまだにきちんと責任を取っていないみたいです。認める事からも逃げ回っています。
一九二三年の関東大震災のときには、多くの朝鮮人や中国人が日本の軍隊や警察、民衆により虐殺された。また、朝鮮人と間違えられた日本人虐殺事件や軍隊による労働運動家・無政府主義者らの虐殺事件も起きた。
しかし、特に朝鮮人犠牲者については、名前や人数など、その実態はほとんど分かっていない。
事件後、議員が帝国議会において内務省や地方行政が流言飛語の拡大に関わったことを追及したが、当時の首相は調査中と答えたまま九十年がたっている。
今日まで虐殺の実態について調査を進めてきたのは各地の市民や研究者であり、流言の流布から虐殺、そして事件の隠蔽に至るまでの日本政府の関与が明らかになった。
しかし、これまで日本政府は、虐殺・事件隠蔽に関与したことを認めたことはない。
二〇〇三年八月には、日本弁護士連合会が日本政府に対して責任を認め謝罪し真相を調査するように勧告したが、これも政府は無視してきた。
再びこうしたジェノサイドを起こさないためにも、この事件の解明が必要である。
取り分け、排外主義的な言動が在日外国人に対して公然と繰り返される今、かつて日本が行った虐殺事件を真剣に省みなければならない。
国が真相解明から逃げて、市民が問題の解決に動いている...ワクチン薬害と共通しています。
安田浩一氏が書かれた本は、600ページ近くある大作で、過去にこの問題について色んな人が調べた情報がよくまとめられていました。
虐殺の具体的な攻撃方法が説明されており、読むのがしんどいですが、こういう残酷な事をすることを知っておく必要はあると思います。
現在外国人が増えたので、「日本が侵略されるかもしれない」...と心配している人が増えています。
そんな疑心暗鬼の時に、昔のように政府やメディアが煽ったらどうなりますか?コロナを煽った時のように、過剰な対策をする可能性は高いです。
外国人と暴動になれば、それを鎮圧する為に、自衛隊や警察の力を国民に対して使ったり、法律が改正され、自由が制限されるかもしれません。
真面目に生活している外国人がほとんどです。
問題を起こしている外国人の「行為」を非難するのは大事ですが、「人種」を非難するようになったら、このような事件が再び起きるかもしれません。
日本人が加害者になるかもしれないし、立場が逆転して、被害者になるかもしれない。
そうなってはいけないので、過去に日本人がやった事と向き合い、ダメな事はダメだと反省することが必要なのです。
揉み消そうとする人たちと、事実と向き合って成長しようとする人達
国が問題を解決しないから、一般の人が調べて形に残し伝える...
関東大震災後の虐殺もそうなってます。一つの例を紹介します。
足立区の小学校に勤務していた絹田幸恵氏は、社会科の授業で、現在の荒川が「人間が掘った川」であることを伝えた時、生徒が「大きい川だから掘れるわけない」とか、「どうやって掘ったのか」と言いだしたので、それに答える為に、独自取材をして虐殺の話を知りました。
彼女は、荒川流域で聞き込みをしたり、役所や関係機関から資料を取り寄せたり、古い家屋を見つけたら足を運んで話を聴く...といった取材をしたのです。
その時、予想しなかった展開へと発展します。
調査を続ける過程で、彼女はひとつの証言にたどり着く。震災時の荒川工事について調べている際、出会った老人から聞いた言葉だった。
〈旧四つ木橋の下手の川原では一〇人ぐらいずつ朝鮮人をしばってならべ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。橋の下手に三ヵ所くらい大きな穴を掘って埋めた。ひどいことをしたもんです。いまでも骨が出るんじゃないかな〉
絹田はその時まで、あくまでも荒川の歴史を調べていただけだった。そこへ突然、「虐殺」の証言が飛び込んできたのだ。とんでもないことを耳にしてしまたのだという衝撃があった。
震災当時、荒川は現在の形をしていない。工事の真っ最中であり、掘られた水路に水は流されていたものの、現在ほどの水量はなかった。土手の上には土砂を運ぶためのトロッコ列車が走っていた。
そこで多くの朝鮮人労働者が働いていた。1910年に日本の植民地となった朝鮮からは、様々な形で労働者が日本に渡っていた。
その多くが、こうした工事現場で、もっとも過酷な環境に置かれた安価な労働力として“利用”された。給与は日本人労働者の半額以下だった。
朝鮮人は自らが切り拓いた川で、斬られ、突かれ、殺されたのである。
(55p)
現代であれば、災害時は、レスキューに力を注ぐのが普通ですが、これが100年くらい前の日本です。
しかも、戦場の話ではありません。軍隊が機関銃を使うなんて、危険すぎます。
日本人が中国で酷い事をした証言が集録されている本を、何冊も読んだのですが、その中に出てきた攻撃の仕方とそっくりです。
川岸で撃つという部分を読んで思い出しました。南京大虐殺でも、揚子江岸まで連れて行って撃っていました。
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行 (134p)』
宮本省吾氏(所属:歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記。

こういう話をすると、現代ではすぐ「デマ」呼ばわりする人が出てくるのですが、一昔前は証言者もポツポツいたようです。
死へ向かっていく一瞬を想像する
絹田は初めて虐殺証言を耳にして以来、立て続けに同じような体験談を耳にすることになる。
たとえば墨田区内に住む老人は次のように語ったという。『荒川放水路物語』から引用する。
〈(9月)三日に、習志野から騎兵隊が来ました。兵隊は荒川駅の南、旧四つ木橋の下手の土手に、あちらこちらから連れてきた朝鮮人を、川のほうに向けて並ばせ、機関銃で撃ちました〉
打たれた朝鮮人は土手を転がり落ちていく。人間が倒れ、ボールのように転がっていく、凄惨な光景だった。老人はこう続けている。
〈何人殺したでしょう。ずいぶん殺したですよ。私は穴を掘る手伝いをさせられました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。いやでした〉
絹田がこの目撃証言を聞いたのは、区内の八広だった。そう、後に追悼碑が建立される場所の近くだった。
(中略)
絹田に証言を託した老人は「お経でもあげてくれれば供養になるのだが」と別れ際に述べていた。彼女はそれを聞き流すことなどできなかった。きちんと弔いたいと思った。さらには、こうした事実を歴史に正確に残すべきだとも考えた。
絹田は荒川の土手を駆け抜ける。必死に聞き書きを続けると同時に、自らの手に負えないと思った際には、新聞社に「調査してもらえないか」とも相談した。
供養することができないだろうか。せめて遺骨を見つけることはできないだろうか。絹田の思いは単なる調査から、日本で生まれた者としての「責任」を考えるまでになっていた。
(55~57p)
日本人だから、「日本人にとって都合の悪い事」を見て見ぬフリをするのではなく、
日本人だから、都合の悪い歴史であっても、向き合って、同じ失敗をしないように未来に繋げる...という姿勢が必要ではないかと思います。
しかし、それが出来る人は少ないです。
この問題は戦争やワクチン等、あらゆる加害の問題にあてはまります。
こういった証言で興味深いのは、事件があった舞台に、後から住み着いて何十年生活している人から、「そういう事件があった事は知らなかった」という意見が出てくるところです。
これなんです。南京に住んでいたけど、「南京大虐殺の話は聞いた事がない」と言う人がいるのは。
人間の記憶はそんなもんです。
私は広島出身ですが、日清戦争の時、明治天皇が一時期広島に来て、広島大本営があった事を知っている広島人にほとんど会った事がないです。軍都だった意識すらない人が大半です。授業で教えないとこうなります。歴史が好きな人でも知らない人は多いです。
また、福岡出身の仲間に「振武寮」を知っているかどうか聞いたら、「知らない」と言われました。「振武寮」とは特攻失敗組が収容され、自殺したくなるレベルのイジメが行われていた場所です。
④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。
ワクチンで亡くなっている人は大量にいるのに、世間の人は、その現場にいるのに、気付かないでしょう。気付かないと無い事にされます。
ワクチン被害の問題はいずれ表に出るだろう...と軽く考えている人がいますが、こんな酷い事ですら、無かった事にされるなら、簡単に揉み消されると思います。
恐怖の原因は日本の侵略行為
この事件で最も狙われたのは朝鮮人です。攻撃の仕方が異常なので、恐れを感じていたことが分かります。
しかし、その恐怖も元を辿れば、植民地化した日本側に原因があります。
「併合」だと言い張っていますが、実質は植民地にしたので、日本側には、その罪悪感ややましさがあり、カウンター攻撃されるかもしれない...という不安は常にあった事でしょう。
朝鮮人を恐れた。地震のドサクサで虐殺。
↓
恐れた理由は恨まれていることがわかっているから
↓
その原因は植民地支配。
こういう事を言うと、「植民地だったか、植民地じゃなかった」論争に発展しそうです。
日本人はインフラを整えたんだ、日本のお陰で国が発展したんだ...と説明されるのですが、仮にそうだったとしても、「そこの現場で働いたのは日本人だけですか?」...と言いたくなります。
軍事施設、鉄道、ダム、道路の多くは、多くの外国人労働者の協力があって建設されたのではないでしょうか?だとしたら「日本人のお陰」というのは、ちょっと違うと思います。
労働力として、しっかり利用しておきながら、何かあったら暴徒の疑いをかけたり、危険視する...同じ人間として扱っていません。
また、インフラがどうこう以前に、こんな話もあります。
『天皇財閥 皇室による経済支配の構造 / 著者 吉田祐二』
さて、満鉄は事実上、日本による独占経営であるが、かたちの上では日清合併の株式会社である。
株主の募集は明治三十九年(一九〇六)九月に行われた。一〇七八倍の申し込みがあったというから、相当なブームである。天皇もまた大株主になったことは前述した通りである。
初代総裁には、台湾総督府民政長官であった後藤新平(一八五七ー一九二九)が任命された。後藤は、満州軍総参謀長の児玉源太郎(一八五二ー一九〇六)の台湾総督時代からの部下であった。
満鉄が重要なのは、民間の一企業ではなく、国策会社であったことである。
満鉄は満州を植民地として経営することを念頭において、設立された会社であった。
設立には、イギリスをはじめとする西欧列強がアジアの植民地化を進めたときの「東インド会社」をモデルとした。
(中略)
満鉄で働いた人は、一九〇七年には社員二九五八名、日本人の雇人六一三五人、中国人雇人四一二九人の合計一万三二一七名であった。それが一九二二年には三万六〇三七名と三倍近く増えている。
一九四二年には三十万人近くに急増した。満鉄は日本の満州進出の拠点という役割を担いながら、つねに利益を計上していた。
それは鉄道運賃の価格を独占できたこと。および中国人労働者を日本人労働者の賃金を二~四割程度で雇用したからである。
(89~91p)
天皇財閥の植民地経営―朝鮮の場合
開運事業と鉄道事業の他に、皇室財産として株式が所有されていた会社には、明治六年(一八七三)に設立され、現在でも売上高一兆円を越える製紙会社である王子製紙、現在の東京電力のもとになった「東京電燈株式会社」、また、現在も営業している「東京瓦斯株式会社」などの会社もある。
これらの企業は、いずれも「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が関与していた会社である。
しかし、こうした国内の近代産業の株数は決して多くなく、天皇家は一株主として参加していたにすぎない。
天皇家所有株で重要なのは、銀行株および海外進出にかかわる国策企業である。
とくに、朝鮮植民地経営のための「東洋拓殖株式会社」(東拓)、および台湾植民地経営のための台湾銀行が中心的な役割を果たしていた。
(103~104p)
もう...植民地だったで、良くないですか...。
酷い事をする原因
戦前・戦中の日本人が酷い事をする時の理由は、だいたいこれです。
●選民思想(優秀な俺様に逆らったら許さん)
●差別意識(相手を落として、自分が上に行く方が楽)
●失敗と向き合えない(俺スゲーの設定が崩れるのが怖い)
日本人の問題点を指摘すると、「悪いのは人ではなく戦争だ」と言う人が出てきます。
しかし、戦争中でなくても昔の日本人は、酷い事をしていたので、戦争だけを原因にすると整合性がとれません。関東大震災後の虐殺がそうです。
戦争で人が鬼畜になるなら、戦地でもないのに鬼畜になるのは説明がつきません。
戦争が悪いのは、そうなんですが、戦争が悪くて、個人は悪くないとすれば、加担した人は責任を取らなくてすみます。
作られた感じがする外国人問題と今後
現在、日本はたくさんの移民を受け入れています。外国人が国内で問題を起こしたという話も以前より聞くようになってきました。
また、外国人による日本の土地の購入も問題になっています。
こういったニュースが流れる度に、みんな怒りますし、何とかしなければという気になります。私も少し前はそうでした。
しかし、戦前、戦中に日本人が海外の人に対して行った非人道的な行為を、無かった事にしたり、謝罪や反省もない態度をとるなら、外国人に同じことをされても、文句を言う資格はありません。
外国人に対しては非人道的なことをやってもいい、...というモデルケースを作ったのは日本人なのですから。
外国人問題は簡単に解決できません。
悪い事をする外国人もいますが、大多数は真面目に働いている人達です。その人達を巻き込まないような配慮は絶対必要です。
また片親が外国人、配偶者が外国人、仕事でよく海外に出張に行く人...このような人達は意外に多いです。彼らの立場が悪くなるような活動は、日本人にとってもマイナスです。
保守系の人達は、外国人を受け入れる事を叩いていますが、その一方で、この政策を進めた安倍元総理のことは大好きです。
日本再興戦略2014の恐ろしい内容
>一時的ではなく多様な文化を受け入れて経済社会構造の抜本的な改革に取り組む
これが愛国者安倍晋三サンのやっていたこと
移民政策はとらないと言いながら日本を根底から変えてしまう改革を企んでいた pic.twitter.com/hvrw3RNFET— 公園のねこ (@2525nekoneko) December 27, 2024
移民を反対しながら、そうなる政策を進めた人を支持するのは、矛盾しています。
これは例えるなら、ワクチン政策を反対しながら、ワクチンを推進した河野太郎氏を応援するような矛盾です。
このような展開です。解決策ばかり言って原因を叩かないので、不自然です。
●PCR、マスクで感染症が流行っていると見せかける → ワクチンがあなた達を助けますよ、「打ちましょう」と宣伝
●わざと外国人を入れる → 日本人ファーストだ、愛国者が日本を守る、「外国人から日本を守れ」と宣伝
外国人問題は、作られた感じがあります。一時の感情に流されたら100年前のような状態になるので、冷静に考える人が増えてほしいです。












