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これまでの記事で、戦時中に日本人が日本人に対して行ってきた事、日本人が外国人に対して行ってきた事を紹介しました。

 

 

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

⑤日本軍が他国の人に対して行っていたこと。

 

 

 

かなり酷い事をやってきたのですが、「日本人は悪くない」と言う人がいるので問題視しています。

 

 

ワクチンで亡くなった人が大勢いるのに、「因果関係が認められない」とか、「死んだ人はいない」...みたいな事を言い張る人と同じくらい酷いと思っています。

 

 

 

 

日本人は人権意識が低いです。自分に対しても、同胞に対しても。

 

 

これに加えて「日本人は特別だ」という選民思想が強かったら、下に見た人の人権を平気で踏みにじります。

 

 

戦前・戦中は、外国人を見下していた記録があちこちに残っており、その差別意識は、今では考えられないくらい酷いです。

 

 

捕虜に対する昔の日本人の反応

 

「日本人は悪くない」...と思いたくても、当時の日本人がやった事を、大喜びしている様子を、新聞が伝えています。

 

 

捕虜に対してどう思っているか、本音が分かる記事がコレ。

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 大月書店』より

 

 

 

 

 

「鏖殺」とはみなごろしだそうです。新聞に書いて良い言葉ではありませんね。

 

 

老若男女一様に...と書かれているので、日本全体がこの雰囲気だったのでしょう。恐ろしい...。

 

それを普通に書いているところも凄いです。それが許される社会、何とも思わない社会

だったのでしょう。当時の日本は。

 

 

 

 

 

 

 

これを読むと、イスラエルのガザ地区の人々に対する非人道的な行為が思い出されます。

 

 

選民思想が強い人達にとって、下に見た相手の命など、どうでもいいのです。

 

 

 

揉み消し

 

 

「なかった事」にされた悪事は、外国人に行った事だけではありません。

 

 

同胞の中で起きた問題についても、「なかった事」にしていたようです。

 

 

『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍 / 著者:相可文代』

 

私の叔父(父の一番下の弟)は初年兵のときに、部隊内で下着を盗まれた。

 

軍隊では持ち物検査があり、きちんとそろっていないと厳しく叱責される。そのため、叔父は盗まれたことを正直に報告した。

 

すると、上官は「天皇陛下の軍隊に泥棒はおらん!」と言って、叔父を嘘つきと決めつけて殴った。

 

私はこの話を母から聞いたのだが、母に言わせると「軍隊では物を盗まれたら、別の人の物を盗ってつじつまを合わせるか、家族に手紙を書いて届けてもらうしかない。軍隊とはそういうところ」なのだそうだ。

 

軍隊ではしばしば、こうした盗難事件が起こったそうだ。基本的な物品は支給されるが、傷んだりしても、すぐ新しいものが支給されるわけではない。そのため、家から送ってもらったりするわけだが、送ってもらえる家ばかりではないから、新品を持って入隊する初年兵の持ち物は、しばしば狙われたらしい。

 

しかし、そんなことが起これば、班長である上官の監督責任が問われる。それゆえ、盗難事件などなかったことにされ、本人の責任にされたわけである。

 

さらに、母は、「泥棒はおらんと言われたときに、自分の勘違いでした、自分が紛失しましたと言えばいいのに、不服そうな顔をするからよけいに殴られる。軍隊では要領よく立ち回るものが勝ちなのだ」「軍隊では家から送ってきた物があるときは、必ず上官にも渡してふだんからかわいがってもらえるようにしておかなければならない」とも言った。

 

だが、私の叔父は要領よく立ち回ることができず、上官から目をつけられた。しばしばリンチを受け、やがて精神を病んで除隊させられた。私の軍隊嫌いは、この話を聴いたときから始まった。

 

(331p)

 

 

 

弱い者には偉そうにし、強い者には媚びる...スネ夫みたいな性格の人が軍隊では出世するとのこと...。スネ夫の集団で戦争をしても勝てるわけありません。

 

 

私は日本人を凄いと思います。現代の日本人を。

 

 

...何故なら、先人がここまで人間のクズだったにもかかわらず、今の人達はモラルが高いからです。全部が良いとは言えませんが、マシになりました。

 

 

戦後80年...すごい成長だと思います。

 

 

一方で、盗難、事件のもみ消し、リンチ...このような事が出来る人間性を「美しい」とか「精神性が高い」等と感じる人もいるみたいなのですが、そんな社会にして国民が幸せになると思っているのでしょうか。

 

 

 

 

盗難があっても、泥棒はいなかった事になったり...

 

侵略しても、悪い事はしてなかった事になったり...

 

このような綺麗事で成り立っている社会は健全とは言えません。

 

 

事実を突きつけられても「それは違う」と言い張るクセは、いい加減直した方がいいと思います。

 

 

昔の人がこの性質を問題視せず、改善しなかったせいで、現代もその伝統が受け継がれてしまいました。

 

 

だから、現実に被害に苦しんでいる人がいるのに、推進派は「ワクチンの被害はない」と厚かましい事を言うのです。

 

 

七三一部隊の当事者の証言

 

 

都合の悪い事を、「なかった事」にしたい勢力は、あの手この手を使って、証言しようとする人達の邪魔をします。

 

 

以下は731部隊の証言者の話です。

 

 

私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』

 

第二章 忘れえぬ七三一部隊の狂気

 

篠塚(旧姓・田村)良雄(千葉県在住・七七歳)

 

 

この一カ月ほど前の一九九八年六月二五日、自らの罪行について米国とカナダで講演をするため、篠塚は飛行機でシカゴ(米国)へと向かった。事前に、両国政府機関から「七三一部隊の戦犯なので、入国を許さない」という情報を受け取ってはいた。それでも、「話せば分かってもらえる」という思いで出発したのだ。

 

 

シカゴのオヘア国際空港の入国審査で、コンピュータが反応した。「ワシントン(米国政府)の命令だから、入国は認められない。篠塚には、ただちに日本へ帰ってもらう」。審査官にそう言われ、篠塚は成田へと送還された。

 

 

「米国とカナダで、わしの罪行について証言をしたかったのですが、残念でなりません。証言するから入国させない、としか思えない。口をつぐんでいる人は入国できるのに」。悔しさを押し殺してそう私に言うと、篠塚は目をつぶったまましばらく動かなかった。

 

 

(中略)

 

 

中国の寛大政策により、篠塚は五六年七月に起訴免除となり、八月に帰国した。千葉県の故郷へ戻って数日後、同郷の七三一部隊の元上官たちが「歓迎会」を開いてくれた。その場で、別の部署の元上官から、「石井(四郎)部隊長閣下のところへ、帰還の挨拶に一緒に行こう」と誘われた。篠塚は行く筋合いではないと思い、「わしはもう石井の部下じゃない。行くのは嫌だ」と断った。

 

その場は険悪な雰囲気になり、それ以降こういった会合に誘われることはなくなったという。

 

あの時、石井四郎に会って就職の世話にでもなっていたら、今頃は口をつくんでいたかもしれません。行かなくてよかった」。そう当時をふり返る。その後、地方公務員となり、定年まで働いた。

 

定年後の八四年ごろから、七三一部隊での体験を講演するようになった。「わしが中国でやったことを、闇から闇に葬るわけにはいかない、と思ったのです。真剣な眼差しで、そう篠塚は私に訴えた。

 

 

講演会での証言は、九三年から七三一部隊展が全国各地で開催されるのと並行して、頻繁に行われた。嫌がらせも度々あった。渋谷(東京都)での講演後、ロビーでチンピラ風の若い男に「でたらめ言うな!刺すぞ!」と脅されたこともある。

 

千葉で講演をした時は、七三一部隊の部隊長のことを「石井四郎」と言うと、会場内の中年の男から「なんで石井閣下のことを、呼び捨てにするんだ!」と怒鳴りつけられたこともある。そんなことがあっても、証言を続けている。

 

 

「わしたちは、人としてやるべきでない事をしてしまったのです。被害者や遺族の立場になれば、どう思っただろうかといつも思います。せめてもの償いです」。

 

 

そう篠塚は言うのだが、講演で目にする彼はいつも苦しそうだ。それでも、悲しみやつらさの感情を押し殺し、必死に平静を装おうとする。「講演をして当時のことを思い出すと、苦しくて夜はなかなか眠れません。思い出すのは、とてもつらいのです」。そう篠塚は私に語ったことがある。

 

 

生涯を通じて責任を取る

 

 

米国とカナダへの入国拒否について、篠塚は力を込めて言う。

 

 

「確かにわしのやったことは、非人道的な行為でした。申し訳ないと思っています。しかし、米国は石井四郎(元部隊長)ら幹部と取り引きをして、“免罪”しているじゃないですか。彼らが入国できたのに、わしみたいな下っ端を入国させないのは、納得できない」

 

確かに、篠塚は非人道的行為をした。しかし、被害国である中国の裁判では不起訴処分となっており、「元戦犯」ではない。米国は、七三一部隊などの人体実験やその他の“研究”資料を手に入れることを条件に、これら戦争犯罪を追及しない、という取り引きをした。その一方で、篠塚のように自らの罪を認めて謝罪し、積極的に事実を証言している元下級軍属を入国させないのである。

 

 

(160~167p)

 

 

 

実際に関わった人が証言しようとすると、周囲から圧力がかかるみたいです。

 

 

それだけではありません。日本人はお上を悪く言えない性質があります。

 

 

上の立場の者や、政府の悪行を指摘することから逃げ回るケースも目立ちます。

 

 

 

私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』

 

「潞安陸軍病院だけでも三〇人以上、中国全土だと一〇〇〇人以上が生体解剖に直接かかわったはずなのに、ぼく以外ほとんど誰もしゃべらないんですよ」。

 

 

湯浅は、力を込めて会場の皆に訴える。「みんな『忘れて』るんです。日本人は戦争で犯した罪の意識がとても弱いのです。あるのは恥だけ。知らなければいいと思ってるんです」。

 

 

個人責任に収斂される危機感

 

このように、湯浅は自らの罪行を深く認識し、帰国後も認罪活動を続けてきた。しかし最近、自分と同じように認罪活動を続ける中国帰還者連絡会(中帰連)の仲間が「自分が悪かった」「当時は本当の鬼になった」などとばかり言い、当時の社会体制についてあまり指摘しないことに、ある種の危機感を持つようになってきた。

 

 

当時は日本こそが理想的な国だと思っていて、中国人や朝鮮人を見下していた。そういう精神構造にさせられていたんです。『ヘッドギア』を付けられて洗脳されていたことに、気づかなかった。それなのに、自発的に考えて行動している、と思い込んでいたんです」。

 

 

湯浅はこう私に向かって訴える。しかし、中帰連の仲間にこのように言うと、「僕らがそんなこと言っちゃいけないんだよ。本当にひどいことをしたんだから」とたしなめられることもあるという。それでも。湯浅は自らの行為を認罪しつつも、あえてその大本の国家責任や構造的問題を指摘することを忘れない。

 

(184p)

 

 

このように、どんな理不尽な目にあっても、お上には絶対に逆らわないという精神構造は問題だと思っています。

 

 

戦後は日本国憲法になって、言論の自由が保障されているのに、奴隷服従根性のままなのが勿体ないです。

 

 

 

731部隊がやった事については、読むだけでもきついので、詳しい内容はあえて文字お越ししませんでした。その代わりに動画を貼っておきます。

 

 

 

この動画は、今から30年前、戦後50年に作成されたもののようです。

 

 

 

 

 

 

 

苦しい言い訳

 

 

家族に暴力を振るうような人は、他人に対しても酷いことができます。また、こういう人に限って、外面は良かったりします。

 

 

この理屈は国に置き換える事ができます。

 

 

自分の国に酷い事ができる体制は、他国に対しても酷いことができます。また、こういう国に限って、外面は良かったりします。

 

 

大日本帝国がまさにそうでした。

 

 

日本国民を人間として扱わず、他国に対しても酷い事をしていました。しかし、外面は気にするので「悪い事はしていない」と言い張っています。

 

 

しかし、日本側がどう言い訳しても、隠せないぐらい被害が酷いので、誤魔化すことは難しいです。

 

 

マイケル・ジャクソンが「私は整形してない」と言うのと同じくらい無理があります。

 

 

よく、GHQのせいで、「日本人が日本に誇りを持てなくなった」と言う人がいるのですが、

 

 

証拠が大量にあるのに、「やってない」と言い張る往生際の悪さ、「いつまで謝ればいいんだ」と開き直る態度は、ダサいキャラクターの特徴であり、「恥」以外のなにものでもありません。

 

 

 

嘘に嘘を重ねるような態度に、誇りを持てる方がどうかしています。

 

 

 

証拠や証言を客観的に見れば、相手国から見れば、やっている事そのものは加害であり侵略です。

 

 

 

満蒙開拓平和記念館(長野県):本人が語る76年前の「地獄の逃避行」 国策による苦難の歴史伝える

 

「満洲国の『五族協和』なんてとんでもない話で、日本人は一等国民、朝鮮人は二等、中国人は三等と、もうあからさまの差別。だから暴動が起きるのは何の不思議でもない」

 

 

日本人が綺麗なキャッチコピーを宣伝する時は要注意です。

 

 

続きは以下の⑦になります。

 

 

日本国憲法の大切さについて考える

 

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これまでの記事で、大日本帝国時代は、日本人が同胞に対して非人道的な事をしていたという話をしてきました。

 

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

 

身内にも容赦ないので、外国人にはもっと酷いです。

 

 

 

本記事では、中国で行った事を中心に紹介します。

 

 

 

加害者としての日本

 

 

 

 

 

概要欄

 

戦争から75年がたち元兵士の大半が亡くなるなか、とても貴重な証言。右派左派ともに耳を傾けるべき内容。初年兵がやらされる刺突訓練(農民を殺害)、日本人軍医が戦時中に記した兵士による輪姦の状況など。戦争の真実がここに。※沖縄戦を体験した兵士は当然ながら中帰連メンバーではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国の後、沖縄でも戦いました。

 

 

 

 

 

この近藤一氏は、中国戦と沖縄戦の両方の証言者として活動をされていました。朝日新聞の有料記事ですが途中まで読めます。

 

 

「仲間の恥をさらすな」元陸軍伍長が語り続けた加害体験

 

 

加害体験が少ない原因の一つは、同胞からの圧力です。ワクチン薬害と似ていますね。

 

 

戦争経験者はどんどん少なくなっており、生の声を直接聞くのは難しくなってきました。

 

 

彼らが生きている間に残した証言は探せば見つかるのですが、探す気が無ければ、目にすることはないでしょう。

 

 

 

 

加害者としての日本

 

 

『私たちが中国でしたこと 中国帰還者連絡会の人びと 著者 / 星徹(2006年7月25日 初版発行)』という本にも、日本軍が何をやったのかが具体的に分かる情報、そして、それを行った時の心理等、詳しく書かれていました。

 

 

『中国帰還者連絡会』は、大日本帝国によって洗脳された元軍人を、中国が収容所に入れて、思想教育を行った上で解放された人々...なので、信じられないという意見もあるみたいなのですが、だからといって、証言が全部嘘になる根拠にはなりません。

 

 

あの人が言ってるからダメだ...と言って、中身も確認せずに決めつけるのはよくないです。

 

 

本では、顔出し、所属する部隊、作戦を行った場所まで詳細に示されています。この本だけ特別、証言内容が酷いなら、信憑性を疑ってしまうかもしれませんが、「このグループに属さない兵隊」の証言とも被る行いなので、嘘とは考えにくいです。

 

 

そして、仮に思想教育であったとしても、「それを受けた証言者」が常識的な考えになっているので、少なくともこれを読む限りでは、悪い教育には見えません。

 

 

当時の日本軍は、カルト宗教が勝てないレベルの洗脳を行っていたので、戦後になっても「悪い事をした」と思ってない兵隊も多かったみたいです。

 

 

それを解除するには、逆洗脳もありだと思います。毒を以て毒を制すというやつです。

 

 

というわけで、この本から、印象に残った話を紹介します。具体的に何をやったのか、その時の考えなどに注目して下さい。

 

 

「当時は、中国人のことをチャンコロと言って、劣等民族だとバカにしていたんです。その『チャンコロ』が天皇を戴く日本民族に反抗して、けしからんと思っていました。だから、これは正義の戦争であり、天皇のため、国のため、親兄弟のための戦争である、という信念をもっていたんです。小さい頃から、そういう風に教育されてきたんです。俺は日本では善良な国民であり。愛国者だったんですよ!極悪人としてオギャーと生まれてきた訳じゃないんだ!」

 

 

金子安次(東京都在住・八一歳)は顔を真っ赤にして、腕を振り上げて私にそう訴える。

 

 

二〇〇〇年一二月、日本の非政府組織(NGO)が中心となり東京で開催された女性国際戦犯法廷で、金子は自らの性加害体験や従軍慰安婦についての証言をした。「法廷」の傍聴席では、日本軍により性暴力被害を受けた各国の多くの女性も聴き入った。

 

 

「当時は、チャンコロの女を強かんして何が悪いんだ、どうせ殺すんだからいいじゃないか、と考えて強かんをしていたんです」

 

 

「法廷」で金子はこのように語り、自らの加害体験を証言した。

 

 

(中略)

 

 

金子は尋常小学校に入り、軍人になることを夢みるようになった。教科書は神話で溢れ、大和民族がいかに優れているかが描かれ、天皇は神であると教え込まれた。

 

 

(中略)

 

 

“良き”日本軍人へ

 

 

四〇年一一月、金子ら初年兵は中国山東省済南の南に位置兖州に到着した。そして独立混成第一〇旅団第四四大隊第一中隊重機関銃班の所属となり、ここで三カ月の初年兵一期教育を受けた。

 

 

「ここにいて殴られなかったのは、入隊した日と予防接種を受けて熱が出た日の三日くらい。あとは毎日朝から晩まで、班付き上等兵や故年兵から殴られていました」。理由は何とでもつけられた。「動作が遅い!」「服装が悪い!」・・・・・・。特に、裏にびょうの付いた編上靴で顔を殴られると、口の中まで切れて飯も食えなくなった。「『日本刀の刃と同じで、兵隊は叩けば叩くほど強くなるんだ』という“論理”なんです。人間性も何もあったもんじゃありません」。そう金子は言う。

 

 

住民を機関銃で皆殺しに

 

 

初年兵教育の後にも討伐はつづき、大きな作戦にも参加するようになった。集落掃蕩の際には、「あいつは良くやっている。度胸がある」といってもらいたいがために、古年兵など上官の命令には忠実に従った。古年兵が集落掃蕩で捕らえた男に水責めの拷問を行い、最後にグツグツと沸騰した湯を無理やり口をこじ開けて一気に流し込み、殺害するのも手伝った。

 

 

下半身を裸にした女を数人がかりで押さえつけたこともある。古年兵はその女の膣に綿を詰め込み、そこに油を染みこませて火を放った。女性は絶叫してのたうちまわり、古年兵らはワハハハッ!と大笑いして楽しんだ。

 

 

(中略 以下別の話)

 

 

村からの反撃はやんだ。日本軍は四つの門のうち三つの出入り口を封鎖したので、残る一つの門からは、苦しそうにする住民が次々と外に出てきた。彼らの多くは女性・子供・老人で、中には青壮年の男も少数は交っていたという。上官から「逃げてきたら、みんな撃ち殺せ」を命じられていたので、金子ら重機関銃班はダダダッ、ダダダダッ・・・・・・と彼らに銃弾をあびせつづけた。金子には弾薬手としての役割があった。軽機関銃や小銃もそれに加わり、住民たちは次々と倒れ、門の前は死体の山となっていった。後に、そこには一三〇体ほどの死体があった、という報告を聞いた。

 

 

「当時は中隊長らから「女は子どもを産むから殺してしまえ。子どもは大きくなったら我々に反抗するから殺せ。老人はどっちみち先が短いからどうでもいい』などと指示されていた」と金子は語る。

(中略)

 

 

すぐに、家の中から女の泣き叫ぶ声と古年兵の怒鳴り散らす声が聞こえてきた。暫くすると、古年兵は女の髪をわしづかみにして、表に引きずり出してきた。女は二〇代後半くらいで、泣き叫んで必死に抵抗している。古年兵が「金子、一緒に来い!」と言うので、「どうするんですか?」と尋ねると、「この女を井戸にぶち込んでやるんだ!」と答えた。集落の中には、共同の井戸が必ずいくつかあった。古年兵は近くの井戸までこの女を連れていき、高さ一メートルほどの井戸の縁に女の背中を推しつけ、地面に引き倒した。
「この古年兵は、女に抵抗されて強かんできなかったので、頭にきて殺そうとしたんです」。そう金子は推測する。

 

 

古年兵に「お前、足を持て!」と命じられ、二人の女の体を持ち上げて、直径一メートルほどの井戸の入口から真っ逆さまに投げ込んだ。「ギャー!」という女の悲鳴と共に、数秒後にはドボーン!と水に落ちる音がした。

 

 

その後、そこで古年兵と一緒に煙草をふかしていると、先ほど女が抱いていた四~五歳の男の子が「マーマ、マーマッ!・・・・・・」と泣き叫んで、井戸のまわりをグルグル走りまわっているのに気がついた。そのうち、その子は家の中に走って戻り、小さな台を持ち出してきて、井戸の手前にそれを置いた。井戸の入口が高くて、届かなかったからだ。そして、その子は台の上にのぼり、井戸の縁をのり越えて「マーマッ!」と叫んで井戸の中へ飛び込んだ。

 

 

これを見ていた古年兵は「金子、これじゃ可哀想だから、手榴弾をぶち込んでやれ」と言った。金子は井戸の中に手榴弾を投げ込み、数秒後にバーン!と大きな爆発音が聞こえた。

 

 

「子どもが井戸の中に飛び込んだ時には、私も心が痛みました。・・・・・・その後、私自身が子を持ち孫を持つようになると、その子らを見るたびにこの時のことが頭に浮かぶんです」。そう金子はやっとの思いで私に語った。

 

 

(中略)

 

 

「私たちは、こういったことをしょっちゅうやっていたんです。作戦に出れば、一日おきとか、場合によっては毎日です。いつ死ぬか分からないから、やれるだけやっておこう、という気持ちでしたから。当時は『強かんをやるのは当たり前で、やらない奴はおかしい』といった風潮で、罪悪感はまったくありませんでした。そのため、自分で行った強かんや輪かんの具体的なことは、ほとんど覚えていないのです」

 

 

(111~121)

 

 

 

 

猟奇的な話が満載で、読んでいると正直気分が悪くなるのですが、こういった部分にも目を向けなければ戦争は語れません。

 

 

 

戦争は「正義の為」とか、「自国を守る為」等とカッコイイ事を言う人がいますが、実際は全然違います。

 

 

暴力が罪に問われなくなるので、人間の残虐性が限りなく発揮され、矛先は弱者に向かいます。紹介した話は、相手が女性や子どもでも容赦ない事がよく表れています。

 

 

証言者が多いので全部は紹介しきれませんが、この本には、命乞いをする無抵抗な老人でも、病人でも、容赦なく惨殺する話も載っていて、ショックが大きいです。

 

 

私は祖母や親せき、親しい高齢者から「日本人も酷い事やっとるんよ」と聞かされていましたが、ここまで酷いとは思いませんでした。

 

 

戦いでやむを得ず殺すにしても、苦しまない方法をとる...等すればいいのに、楽しみながら殺してるとしか思えないような方法が目立ちます。

 

 

現代の貧困や暴力を紹介するブラックアジアというブログに、暴力が弱者に向かう話がたくさん書かれています。

 

一部無料で読めます。

 

 

ブラックアジア

 

 

これを読んで、外国の人は酷いなと思っていましたが、日本人も同じです。戦争という環境だったにしろ、やることが酷すぎます。

 

 

その事について、金子氏は次のように語っています。

 

 

 

金子はいま、幼少の頃から受けた教育がその後の自分に大きな影響を与えた、と思っている。それ故、「なぜ我々がこういう『極悪人』になっていったのかを、教科書にでも書いたらいいと思う」と真剣に語る。

 

 

そしてまた、日本軍がかつて中国で行ったうす汚い行為を「無かったこと」にしようとする連中に対しては、「腹立たしさを感じる」と言い、顔を真っ赤にして怒る。「自分のような過ちを二度と繰り返させない」。そのために、金子は「こんなこと、妻や娘に聴かせられない」と言いつつも、自らの罪行を証言しつづけている。

 

(127p)

 

 

太字にしたところが重要です。

 

 

私も教科書か資料集にして、平和学習に取り入れるべきだと思います。今の教育は、被害者側の立場ばかりで偏りすぎています。

 

 

ただ酷い行いを伝えるだけでは、「ひどいね」「かわいそうだね」で終わります。広島の平和学習がそんな感じです。何故起きたのか、加害者の心理や状況を分析して、「再発しない為にはどうすればいいか」という発想がありません。

 

 

この本に限らず、加害者側の証言をたくさん見てきましたが、彼らが酷い事をした原因で目立つことは3つあると思いました。

 

 

一つは「洗脳」。これは誰でもわかりますね。

 

 

一つは「見栄」です。「仲間から「できない奴だ」と思われたくない」「名を上げたい」という本人から出た気持ちです。この気持ちがあると、嫌な事を我慢して成し遂げます。

 

 

一つは、「差別意識」です。相手を同じ人間だと思えば、相手の立場に立って考えることができます。しかし、相手を見下していれば、「こいつは下なんだから何をやってもいい」と酷い扱いを平気でするようになります。そのくせ上には媚びへつらいます。

 

 

洗脳されなくても、見栄や差別意識が暴走すると、人は酷い事をするのです。

 

 

これは昔の日本人だけの問題ではありません。

 

 

今の日本人、外国人、どんな人でも環境やシステムを変えることで、心は影響を受けます。

 

 

そして、自分達は偉いんだとか、相手は下等なんだとか...そういった選民思想が諸悪の根源です。

 

 

上下関係に拘らなければ、「エエカッコしよう!」と見栄を張る必要もありません。

 

 

無視される証言

 

ワクチン被害者遺族が声を上げるのはリスクがあります。辛い事を思い出すだけでなく、誹謗中傷にあう可能性もあります。

 

 

そんな中で、勇気をもって証言してくれる方がいます。

 

 

ありえない事に、そんな証言者を叩く人がいるのですが、まともな感覚の持ち主なら怒りを覚えます。

 

 

それと同じで、戦争体験の証言者も、冷酷な扱いを受けることがあります。

 

 

『未完の敗戦 / 著者:山崎雅弘』

 

 

例えば、日中戦争初期の一九三七年に中国で起きた「南京虐殺」について、「保守」の人々は次のような「根拠」を理由に、「そんなものはなかった」と強弁します。

 

 

●中国政府は「三〇万人」が犠牲者の総数だと言うが、当時の(平時の統計上の)南京市の人口はそれより少ない。

 

●日本軍が大量に殺した中国兵の捕虜は全員、暴動を起こそうとしていた者だから殺しても問題ない。

 

●日本軍が大量に殺した私服の中国人は全員、便衣兵(軍服を着ないで戦う戦闘員)だから殺しても問題ない。

 

●南京攻略戦に参加した何人かの日本兵に話を聞いたが、誰も虐殺を見ていない。

 

 

しかし彼らは、当時の日本軍の命令や従軍兵士の日記・手記に記されている、以下のような「虐殺を裏付ける事実」は一切見ようとしません。

 

 

密偵が、わが軍の占領地内にいることは確かだった。どこの部隊でも、怪しい土民[原住民]はすべて捕らえて処刑した。なかには無実の者もいたかもしれない。だが何しろ言葉はわからず服装は同じ—、戦場の常としてやむを得なかった点もある。

 

(樋貝義治『戦記 甲府連隊』サンケイ新聞社、p.236)

 

 

師団長は女、子供に至るまで殺してしまえと言っているということだった。我々は、片端から住民をつまみ出してきた。連隊長大野大佐は、住民を殺せと命令した。

 

(井口和起、木坂順一郎、下里正樹編『南京事件 京都師団関係資料集』青木書店、p.220)

 

 

午前十時から残敵掃討に出かける。(略)午後また出かける。若い奴を三百三十五名捕らえてくる。避難民の中から、敗残兵らしき奴を皆連れてくるのである。この[避難民の]中には家族もいるであろうに。これを連れ出すのに、ただただ泣くので困る。手にすがる、体にすがるで、まったく困った。(略)揚子江付近にこの敗残兵三百三十五名を連れて、他の兵が射殺に行った。(略)日本軍司令部[の統治下]で二度と腰の立てないようにするために、[中国の]若人は皆殺すのである。

 

(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ』増補改訂版、偕行社、p.370)

 

 

最後の文献は、日本陸軍の士官学校卒業生らを中心とする親睦団体の偕行社が、南京攻略戦に参加した日本軍人からの聞き取り調査に基づき編纂したもので、南京虐殺の実行を裏付ける膨大な証言や証拠が示され、その信憑性はきわめて高いと言えます。

 

(249~251p)

 

 

無視したり、「無い」と言い張ったり...

 

 

こんな事をずっと続けていると、そちらの方が知名度が上がって本当であるかのようになってしまうので、要注意です。

 

 

インドネシアとワクチン

 

 

意外と知られていない話を見つけたので紹介します。こちらはインドネシアの話です。

 

 

web 中公新書『インドネシア大虐殺』/倉沢愛子インタビュー

 

 

倉沢:コロナ禍で感染症やワクチン開発などの問題に関心が集まっていますね。インドネシアの歴史の中にも、日本の軍に徴発されていた数百名のインドネシア人労務者が、感染症の予防接種を受けた直後に集団で破傷風を発症して苦しみながら命を落とした、という痛ましい事件がありました。

 

日本占領期、78年前のことです。当時、この事件はインドネシアの医師たちが仕組んだ謀略だと一方的に断定され、その主犯格のモホタル博士が処刑される結果となりました。

 

 

私はこの事件に注目して、30年ほど前にインドネシアと日本で調査をおこないました。日本軍の秘密文書も入手して読み込んだのですが、どうやら日本当局が破傷風のワクチン開発に躍起になっていて、その臨床実験のために労務者に集団的に摂取したところ、何らかの手違いが生じて病気を発症させてしまったようだと推定しています。

 

 

そして、満州での人体事件などで悪名高い大日本帝国陸軍の防疫給水部が裏で関与していた可能性が高いこともわかりました。

 

 

※大日本帝国陸軍の防疫給水部とは「731」部隊の事です。

 

 

 

倉沢愛子氏のお話がこちらです。

 

 

 

 

 

 

言葉と行動が一致しない

 

 

「解放」「共栄」...等と、良い事いいながら、酷い事をしていました。証言や資料はたくさん見つかります。

 

 

現地の人は迷惑したと思いますし、「侵略」になるでしょう。こんなことをすれば。

 

 

 

今、日本の土地を合法的に買っている外国人の事を、日本人が「侵略」と呼ぶなら、その逆も「侵略」です。

 

 

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前回の記事で、大日本帝国の軍隊では壮絶なイジメがあり、その様子を簡単に説明しました。

 

それだけでは、信じられないという人もいるので、本記事では具体的な体験談を中心に紹介します。

 

 

こちらはショッキングな内容が含まれているので、そう言うのが苦手な方は読まない方がいいかもしれません。

 

 

 

大日本帝国時代の日本人のモラル

 

 

戦争体験者の話を読んでいると、暴力の話が沢山でてきます。

 

 

敵への暴力ではなく、味方である日本人に対しての暴力です。ちょっとした事でイチャモンをつけて、過剰な暴力をふるっていました。海軍・陸軍関係なくです。

 

 

人も戦闘力の1つですから、大切に扱うのが本当です。怪我をしたら使い物になりませんし、健康は大事です。昔から我が国は物資が不足しているので、人を大切にしなければならないのです。

 

 

上下関係があるとは言え、戦友をストレス解消のように暴力をふるっていた人達が大勢いたことに驚いています。イジメを止めようとしない仲間も酷いです。

 

 

 

訓練中の暴力で叩き殺された特攻隊員もいたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同胞と、日本のくだらない国家観に未来ある若者が殺されたのです。

 

 

 

特攻の裏側

 

 

 

特攻隊を美化する人は多いです。

 

 

お国の為に勇敢に敵に突っ込んでいった...という話ばかり強調されますが、そんな建前を真に受けるのは、子供だけにして下さい。本音と建て前を使いわける大人が騙されてはいけません。

 

 

本当は死にたくなかった、家族の事を考えた...という話は腐るほど残っています。同調圧力に逆らえなかったと。

 

 

敵よりも上官の方が怖いから向かって行った人もいたそうです。

 

 

これはパワハラと言います。

 

 

同調圧力によって死ぬ闘いをさせるのは、命令とも言いますが、同胞殺しです。

 

 

命令でも同調圧力でも、同胞殺しです...。

 

 

大日本帝国のブラック国家ぶりは枚挙にいとまがありません。

 

 

特攻隊員にヒロポンを打って、ハイにして出撃させた話も残っています。

 

 

 

 

 

元軍医の証言は是非動画で見て欲しいです。

 

 

 

よく分からないものを打たせるとは、コロナワクチンに通ずるものがあります。

 

 

こっちの方が酷いですが...。

 

 

 

 

 

 

 

 

加害者を責めたくなりますが、こんな風に晩年になって苦しむ姿をみると、かわいそうになってきます...。

 

 

笑って飛び立って行った...みたいなところだけ切り取れば、「国の為に喜んで命をささげた若者」という美談ができあがります。しかしその裏で、気持ちをハイにさせる工作があったのです。

 

 

 

「裏工作をされて突っ込んだ現実」や「加害者の苦しみ」を無かったことにして、「お国の為に自ら死んでいった」という美談にする風潮に怒りを覚えます。

 

 

こうして話してくれる人は氷山の一角です。表に出ない酷い話もまだたくさんあるはずです。

 

 

美談の皮を一枚めくってみると...

 

 

特攻は相当美化されています。

 

 

笑って死んだのは、ヒロポンを打ったからではなかったのか...。

 

 

遺書に前向きな言葉を書いたのは、手紙を検閲されて家族に危害が及ぶことを恐れたからではなかったのか...。

 

 

当時の人が、「任意で自ら進んで死んだ」という事になっていますが、任意の部分は、作りが多いです。

 

 

任意にしたら、命令した上官は責任を問われなくて済むからです。都合が良いんですよ。「国の為に死ぬのは私の意志です」と言わせる方が。

 

 

「ワクチンは任意だった」「サインしたお前が悪い」と言って、騙して推奨した人が逃げ回っていますが、あれと骨子は同じです。

 

 

「特攻は志願だった」という設定ですが、命令だったと証言している人がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下の記事にも、特攻の証言が紹介されています。

 

 

憲法と戦争

 

 

 

 

特攻失敗組が入る「振武寮」

 

 

元々、死ぬことに憧れる教育で洗脳されていたので、特攻を志願する人もいたみたいですが、基本的に特攻は同調圧力と命令で成り立っています。

 

 

ワクチンと同じです。建前は強制ではないとしているけど、実際は同調圧力が大きな力を発揮しました。

 

 

自ら死ぬこと、特攻が命令だったことが良く分かる話があるので紹介します。

 

 

特攻は時々失敗していました。例えば、飛行機がボロくて戻ってきた...とか、燃料もれ...とか、本人の責任ではない事もありますが、当時の日本は、戻ってくる事自体が「恥」という扱いでした。

 

 

死んだはずの軍神が生きていてはおかしい...という理屈です。戦争の目的がズレています。

 

 

陸軍では特攻隊員として出撃したものの、何らかの要因により攻撃に至らずに帰還し
た特攻隊員を、次の出撃まで人目につかないよう秘密裏に「振武寮(しんぶりょう)」と呼ばれる施設に隔離していました。

 

 

 

「九電記念体育館」跡地で帰還特攻隊員を隔離差別した【振武寮】発掘を!

 

 

 

 

 

振武寮は、現在の福岡県福岡市中央区にあった大日本帝国陸軍第6航空軍司令部
内にありました。帝国海軍航空隊には、同様の施設の存在は知られていないそうです。

 

 

ここまで読んだ方なら、だいだい察しがつくと思いますが、この施設の実態もご多分に漏れず酷くて、特攻失敗組は人間として扱われませんでした。

 

 

振武寮では、罵倒され足腰が立たなくなるほど殴られる等、非人道的な事が行われていました。仲間の中には耐え切れず自殺した人もいたそうです。

 

 

「振武寮」に隔離された元陸軍 特攻隊員の証言など(文字起こし)

 

 

 

元第二十二振武隊所属 大貫健一郎さんの証言

 

「お前たち命が惜しくて帰ってきたのか。そんな死ぬの嫌か。卑怯者だとか、死んだ連中に申し訳ないと思わないかとか、そういことを毎日毎日言う訳です。おまえら人間のクズだと。」

 

 

元第六十五振武隊所属 片山啓二さんの証言

 

「振武寮に入ったらビックリしましたね。周り見たらもう出撃して死んだと思っていた奴らがごろごろしとったんですね。ここは特別攻撃隊の収容所かと思いましたね。そのときの参謀の態度も非常に腹が立ちましてね。腕組みして長靴履いた足をバーンとこういう(机の上に足をのせる)格好でだしましてね。ふんぞり返って、貴様らなんで帰ってきた。飛行機が具合悪かったんでございます。悪かったのはお前らの腕前だろ。」

 

 

 

 

先に紹介した大貫氏は、特攻が生きて帰ってはマズい理由を知ることになります。

 

 

『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍 / 著者:相可文代』

 

 

出撃前には「軍神」と呼ばれ、生き神様として扱われた我々特攻隊員でしたが、生き残るや一転、国賊扱いとなったのでした。

 

振武寮に収容されて一週間ほどが過ぎたころでしょうか。ひょんなことから出撃名簿を見る機会を得たのですが、私は強い衝撃を受けました。

 

我々第二二振武隊一二人のうち五名は帰還したにもかかわらず、沖縄作戦で飛び立った日付で戦死公報が作成され、軍籍から抹消されていました。

 

つまり、我々は飛び立った瞬間に戦死したことになっているわけで、軍司令部にしてみれば、いまさら生きて帰ってこられても扱いに困るということですね。

 

倉澤参謀が我々に与える仕打ちの理由が、書類上からも明確になりました。私、大貫健一郎は戸籍上、名誉の戦死を遂げていたのでした。

 

(124~125p)

 

 

勝つことが目的ではなく、最初から死ぬことを前提にしているあたりが意味不明です。

 

 

しかも、これを美しい事のように語るわけです。

 

 

死ぬことを目的にする事自体が異様ですし、それを美しいとする発想は、生き残る為、守る為にある軍隊の存在意義を否定しています。

 

 

死ぬことが目的と聞いたら、生贄みたいで、悪魔崇拝を彷彿とさせます。

 

 

 

上官は責任逃れ

 

 

徹底した暴力で支配した軍隊ですが、

 

 

終戦後、上の立場の者ほど、責任逃れをした人が多かったみたいです。

 

 

『愛国者の条件 昭和の失策とナショナリズムの本質を問う 著者 / 半藤一利 戸高一成(2006年12月4日 初版発行)』

 

 

私は太平洋戦争の本質、ひいては現代日本社会をつくり上げてきた本質は、あの特攻作戦にあると考えています。

 

 

古今東西の戦史を見てみると、実のところ特攻作戦のような攻撃は枚挙にいとまがありません。

 

 

アメリカの南北戦争では、ポトマック川河口のチェサビーク湾に停泊中の北軍砲艦ホウサトニックに、南軍の潜航艇ダビッドが爆薬を装着して体当たりし、撃沈したことがあります。当然ながら、指揮官ディクソン中尉以下全員戦死しています。人によっては、世界貿易センターへの同時多発テロを「特攻のようだ」と感じたかもしれない。

 

 

しかし、これらと太平洋戦争における特攻作戦は決定的に違っています。

 

 

特攻作戦は、制度として体当たり攻撃部隊を編制し、制式兵器としての体当たり専用兵器を開発し、上官の命令によって隊員に体当たり攻撃を命じた、前代未聞のものであって、今日の自爆テロとは、成り立ちからして違うのです。制度として正式の手続きを踏んでつくられた体当たり攻撃部隊が、特攻部隊なのです。

 

 

そして冒頭の対談でも触れているように、上官たちは「俺も後から行くから」と約束して隊員たちを送り出した。つまり「死んでこい」という命令を出した。

 

 

ところが、終戦時に「約束」を守ったのは大西瀧治郎中将と、宇垣纒中将の二人だけでした。大西は割腹し、宇垣は部下と共にという点で問題があったにせよ、艦上爆撃機の「彗星に乗り込んで沖縄に向かって帰りませんでした。

 

 

それで、残った上官たちはどうしたか。当然のように「死ぬことよりも、戦後の復興に尽くすことが自分の役目」と気づき、隊員たちと交わした命をかけた約束などきれいさっぱり忘れてしまうのです。

 

 

さらにひどいことに、彼らは戦後一貫して特攻隊員たちは自発的に志願したと主張し、自らが死を命じた責任をかき消そうとし続けました。

 

 

私が問題にしているのは上官たちが腹を切らなかったことではありません。隊員たちとの約束を破り、保身のために過去を偽ったことなのです。そして、こういう人間がつくっていった戦後が、どのようなものであったか。

 

 

他人に死を命じながら、命をかけた約束を忘れてしまった人間、そしてそれを許容した社会がどうなっていったか。はたして「美しい国」であったかどうか。

 

 

ですから、私にとっての「美しい国」の姿ははっきりしています。それは、ただひたすら「約束を守る国」であり、しっかりと「責任をとる国」であり、そして「命をかけた約束は守る国」であることにほかなりません。

 

 

そうやって考えると、戦後日本がいかに「美しくない国」であったかが見えてきます。公約を守ろうとしない政治家、そしてそれを黙認する有権者。

 

 

あるいは、昨今の耐震偽装問題に代表されるような民間企業の偽装隠蔽体質。そのような大人を見て育った子どもたちに、どれだけ愛国心を教えようとしたところで、およそこの国に対する自信や誇りを持つことはできません。できたとしても、それは「偏狭なナショナリズム」でしかないはずです。

 

 

戸高一成(44~46p)

 

 

満州でも同じです。逃げたそうです。

 

 

 

 

(7:38~)

 

 

指揮官にあたる上官はみんな逃げて居ないの。

 

 

 

(2:20~)

 

 

自分達を守ってくれるはずの日本軍は、駅や線路を爆破し、既に撤退。

 

 

 

酷い話ですが、支配者にとっては天国です。命令するだけして、あとは知らんぷり。

 

 

 

大日本帝国は奴隷社会

 

 

結果が全てを物語っています。やってる事をみたら、国民は使い捨てです。

 

 

下っ端の者には国を愛せと強要されますが、上の立場の人からすれば、下っ端は切り捨ててもいい、どうでもいい存在なのです。

 

 

奴隷の定義をご存じでしょうか?

 

 

奴隷 Wikipedia

 

 

人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の私有財産や所有物として取り扱われる人のことである。

 

 

所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。

 

 

奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。

 

 

日本には奴隷制がなかった、素晴らしい国だ...と言う人がいますが、大日本帝国の国民、軍隊が、バッチリあてハマっています。

 

 

歴史作家の加治将一氏が、奴隷の定義について分かりやすく説明してくれているので、参考になります。

 

 

 

 

 

日本人は奴隷と呼ばれない奴隷です。

 

 

いや、死ねと言われるので奴隷以下です。

 

 

国家による国民への虐待

 

 

日本はお上に甘く、下っ端に対してはキツイ国です。昔から。

 

 

「虐げられる側」の立場に立って考えると、戦前の日本には戻りたくないと思います。しかし、あのような非人道的な行為を良いと思っている人もいます。

 

 

そう考える人はおそらく、戦争になった時、「虐げられる立場」ではなく、「支配する側」に立てる可能性がある人でしょう。それか、昔支配していた側の末裔か。

 

 

その理由だったら、国民にとってマイナスでしかない社会システムや戦争を素晴らしいと言うのも納得です。

 

 

戦前回帰を叫ぶ一部の人達にのせられて、「戦前の日本人はカッコイイ!」と思っている若者もいるみたいですが、徴兵制が復活したら極上の虐めも復活すると思いますよ。

 

 

男ばかりの生活でしたから、おそらく、数%はいたと思うんです。ジャニー喜多川氏のような上官が...。

 

 

ちなみに日本は男色文化が昔からあります。

 

 

男色の開祖?空海は日本の仏教界に男色ブームをもたらした

 

 

日本では武士の世界においても武将と小姓との間に男色関係があったという例は数知れず、また江戸時代に流行した陰間茶屋(少年版の売春居酒屋・料理屋)の例を見ても、男色が世間で浸透していた文化であることがわかります。ごく最近まで同性愛などはタブー視されていたように感じますが、それは明治以降のこと。それ以前は意外と普通に受け入れられていた文化だったのです。

 

 

 

 

 

戦時中はこの文化があったかどうか分かりません。どうだったんだろう?

 

 

でも、この文化が残っていて狙われたら、上官の命令は絶対ですから...。

 

 

戦争は同胞殺しが行われます。それは日本以外でも同じです。

 

 

 

 

私が戦争に反対なのは、敵国ではなく、自国が国民を殺すからです。

 

 

愚かな戦い

 

 

うちにも特攻で戦死した身内がいますが、このような実態を知ってからは印象が変わりました。

 

 

いい作戦であれば生き残れたかもしれないのに、それをさせないように仕向けたのです。使い捨てにされたと思っています。

 

 

 

特攻だったら少しでも敵を倒せる可能性があるんだ...という意見もあるかもしれませんが、体を武器にするほど物資が不足している時点で、もう負けなんですよ。

 

 

突っ込んだところで、人の切れ目が攻撃の切れ目。多勢に無勢でやられてしまいます。負けるまでの時間を引き延ばすことはできても、勝つことはできません。

 

 

同胞を物扱いする時点で、戦争の動機「日本人を、味方を守る」という本来の目的がどっかいってます。本末転倒になっていることに誰も気づいてないのが怖いです。

 

 

「お国の為」だと言って敵に突っ込んだ若者がいたとしても、その背景に、洗脳と暴力と支配があった事を忘れてはいけません。

 

 

同胞によって殺されのですから、最も美化されるべきではない戦術です。

 

 

数年前に起きた自爆テロを、カミカゼと言われてしまったり...。

 

 

世界に非人道的な文化を残してしまったのですから、恥ずかしいと感じて、反省しなくてはならないでしょう。

 

 

 

 

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現在の日本国憲法は、国民の人権を守ってくれているのですが、そのありがたみが分かっていない人が多すぎます。

 

 

日本を守るために憲法を変えなければならない...と考えている人は、今の憲法では国民を守れないと考えていて、よく次のような事を言われます。

 

 

●敵が攻めてきたらどうするんだ

 

 

●丸腰はダメだ。

 

 

●自分の国は自分で守らなければいけない。

 

 

●昔の日本人は国の為に勇敢に戦った。

 

 

●今の日本人が戦えなくなったのは、GHQによって弱体化させられたからだ。

 

 

●GHQのせいで自虐史観を植え付けられて、日本人は自信が持てなくなった。

 

 

●GHQに支配される以前の日本人の精神はすごかった。

 

 

●他国を支配していない、解放したんだ。日本人が悪い事をしたというのはデマだ。

 

 

これらのうち、本記事では「昔の日本人は国の為に勇敢に戦った。」や、「GHQに支配される以前の日本人の精神はすごかった。」という部分を深掘りしていきたいと思います。

 

 

日本の軍隊の魅力

 

 

最近「昔の日本人の強さ」や「戦うこと」を褒めているコンテンツをよく見かけます。以下のようなCMも多いです。

 

 

 

 

 

 

主に戦争や、日本軍の事を指しているのだと思います。

 

 

こんなキャッチコピーを見たら、カッコイイと思いますし、自分もこうなりたいと思うのではないでしょうか。私もヒーローものの作品は大好きですから、気持ちは分かります。

 

 

 

でも、私は歳をとった軍隊経験者を沢山見てきましたが、そんなに強いと感じた事はありませんでした。

 

 

現代の日本人より感情を表に出す傾向が強かったですが、一方で、長い物に巻かれる性質も持っていました。ここは現代の日本人と変わりません。

 

 

でも、上のCMはそのような現実は無視して、カッコいい話ばかりが紹介されます。

 

 

戦前や戦中の日本人は、本当はどうだったのか、強かったとしたらそれは何故なのか、その理由を考えてみます。

 

 

軍隊の実態

 

 

圧倒的に不利な戦局でも、命を惜しまず立ち向かった...というと、強靭な精神の持ち主のように感じます。そして日本軍は、現実にそういう戦い方をしていました。

 

 

ただし、その表面だけを見てはダメです。彼らの心理を深掘りして考えないと実態は見えてきません。

 

 

日本軍は、凄く強かった一方で、角度を変えたらとても弱い面を持っていました。

 

 

具体的に言うと、弱者に対しては強く、お上に対しては弱かったのです。だからあのような、負ける闘いでも向かって行けたのです。

 

 

改憲派による日本軍の美談では語られませんが、実は日本軍は徹底した縦社会で、イジメの巣窟でした。

 

 

 

陸軍海軍もどちらも同じです。

 

 

 

ちなみに、陸軍には特攻に失敗した人を収容する「振武寮(しんぶりょう)」という施設があり、そこに入った特攻失敗者は、人として扱われず、暴言や暴行を受けていました。

 

 

大日本帝国の軍隊の虐めレベルは、現代の学校や職場の虐めなど足元にも及びません。

 

 

その環境に放り込んで、軍人としての人格を作っていったのですが、そのプロセスを調べると、宗教みたいです。

 

 

何処の国の人間でも、このやり方で鍛えると、狂っていくと思います。

 

 

戦争に行きたいとか、昔の軍隊を崇拝している人達は、これらを知った上で、軍備増強や徴兵制を望んでいるのでしょうか?

 

 

日本人の精神は変わっていないので、軍国主義になったら、極上の虐めが復活し、同胞からの暴力と暴言を楽しむことができるでしょう。

 

 

ではどうやって、そんな異常な社会を作っていったのか、その方法を解説します。

 

 

大日本帝国に相応しい人間の作り方

 

 

大日本帝国では、全ての国民を洗脳していました。一般国民が余計な事を考えないようにしたのです。

 

 

その為には、冷静にさせないように、人々の精神が高揚するスローガンを連発して、精神主義の大切さを徹底的に叩き込んでいました。

 

 

そして、それぞれの施設で教育されます。

 

 

まず、子供時代。学校の授業での洗脳です。

 

 

小学校では、教科書は神話で溢れており、大和民族がいかに優れているかが描かれ、天皇は神であると教え込まれました。

 

 

「天皇に尽くすことこそが、日本国民の神聖な義務であり、最高の名誉である」ことを、学校で繰り返し教え込まれるので、子供の時から奴隷脳になり、軍国少年・少女になりやすいです。

 

 

そしてその後、軍隊に入ると、もっと本格的な洗脳を受けられます。

 

 

『上官の命令は、直ちに、天皇の命令なりと心得よ』と教え込まれるので、上官に逆らう強さは養われません。多くの下級兵隊は、どちらかというと組織内での保身のために、理不尽な事にも従うようになります。

 

 

酷いのは、初年兵教育のイジメです。「鉄拳制裁」や「いびり」が当たり前だという証言は多数残っています。

 

 

『日本刀の刃と同じで、兵隊は叩けば叩くほど強くなる』という“論理”で、兵隊を人間として扱いませんでした。

 

 

殴られなかったのは、入隊した日と予防接種を受けて熱が出た日の三日くらい。それ以外は毎日朝から晩まで、上官から殴られるような異常な環境。それでも、反発しなかったそうです。

 

 

暴力は、裏にびょうの付いた編上靴や木刀等を使うこともありました。怪我をさせてもお構いなしです。

 

 

上の者が言うことに絶対服従の『ロボット』にするために、かなり意図的にやっていたみたいです。ちょっと調べたら、こういう話がゴロゴロでてきます。

 

 

徹底した精神的・肉体的暴力によって、「真っ当な人間の人格・良心・尊厳を壊し、元々備わっている感情や考えを、殴って殴っていじめ抜いて『空』にしていたそうです。

 

 

そして、自分が上官になったら、同じ事を部下にすると...。

 

 

一階級でも上の兵、少しでも先に入隊した兵の言葉には絶対服従です。彼らに逆らうことは、天皇に逆らうこと...という理論がまかり通っていました。

 

 

 

ただのイジメ

 

究極の縦社会なので、イジメられる後輩も先輩も狂っていきます。

 

 

国家によって青春を奪われ、良いようにこき使われて殴られたら、気持ちが荒んできます。しかも、いつ死ぬか分かりません。

 

 

古い兵は、退屈しのぎ・憂さ晴らしで私的制裁を加えるようになるし、部下はどんな非人道的な命令でも、「あいつは良くやっている。度胸がある」と言ってもらいたいがために、上官には忠実に従いました。

 

 

イジメにハマった教育係上官以外の古年兵は、「言葉づかいが悪い」「生意気だ」「動作が遅い!」「服装が悪い!」などと、適当な理由や因縁をつけては殴っていました。

 

 

特に高い教育を受けていた人はターゲットにされ、徹底的に痛めつけられたそうです。

 

 

これを敵に対して行っているのではなく、同胞に対してなので相当ヤバイです。身内は戦力です。それを無駄に傷付ける非効率な組織だったので、戦争で酷い負け方をしても不思議ではありません。

 

 

では、どうしてこんな事になるのかというと、当時の日本が、政治×軍隊×宗教なので、社会の運営が、カルト式になるのでしょう。

 

 

天皇の命令=上官の命令という設定なので、上に逆らえないから、みんなバカになります。問題に気付いて指摘するような、優秀で勇敢な人は処分されます。

 

 

そうなると、上官は間違いを訂正することができないのでバカになります。

 

 

縦社会はみんなの能力を潰すので、バカが命令して、バカが従うという組織ができあがります。

 

 

敵の人権

 

 

よく「アジアを解放したんだ。現地の人から感謝された。日本人は侵略も悪い事もしていない」と言う人がいます。

 

 

落ち着いて考えましょう。ご説明したように、日本軍は身内に対しても酷かったわけです。愛国と言いながら、同胞に対する愛は全く感じられません。

 

 

そんな人達が、敵にだけ優しい...という事があるでしょうか?

 

 

答えはNOです。身内に酷い事をする奴は、敵とみなした相手に対しては、もっと酷い事をするものです。これだと理屈が通ります。

 

 

私が戦前・戦中の日本人の悪事を説明する時に、外国人に対する悪事ではなく、まず同胞に対する悪事を紹介するのは、これを説明する為です。

 

 

 

日本軍は軍隊内で基本的人権が守られていない状況でしたし、さらに、敵の捕虜となることも許されませんでした。それ以前に、「人権」と言う概念さえなかったように見えます。

 

 

自分の人権は蔑ろにされ、同胞の人権も平気で踏みにじる...そんな状態なので、「劣等だと見下していた外国人」の人権は当然考えません。

 

 

ちなみに、「俺たちが行ったお陰で、インフラが整って発展した」みたいな事を言って、日本人が凄く良い人達だったかのように言われていますが、表向き友好の形を取っているだけで、実際は日本人以外を見下していました。

 

 

満蒙開拓平和記念館(長野県):本人が語る76年前の「地獄の逃避行」 国策による苦難の歴史伝える

 

「満洲国の『五族協和』なんてとんでもない話で、日本人は一等国民、朝鮮人は二等、中国人は三等と、もうあからさまの差別。だから暴動が起きるのは何の不思議でもない」

 

 

現地の人は迷惑したと思いますよ...。

 

 

余談ですが、戦争中、日本軍が「食料は現地調達」「捕虜は持たず」という無責任な命令をしたのは有名です。そんな命令すればどうなるかというと、現地で、略奪や虐殺をするようになります。

 

 

軍人としての経験が少ない時、殺人、略奪などの「やりたくない命令」をされた場合は、「こいつらのせいで、俺たちは苦労しなけりゃならないんだ」「皇軍の言うことを聞
かない劣等民族は、懲らしめられても仕方ない」と言い聞かせ実行していたそうです。

 

 

当時の人の証言を読むと、根底に差別意識が見え隠れします。

 

 

 

人権が守られるありがたさ

 

 

昔の日本人が強かったのは、徹底した洗脳で、ロボットになったからです。

 

 

現代は国民の人権を日本国憲法が守ってくれているので、当時のような酷いことはできません。非人道的なことをやって、世間にバレたらバッシングです。

 

 

しかし、改正して人権が守られなくなると、戦前のようになります。

 

 

つまり、憲法を改正すると、外国からも、同胞である日本人からも攻撃されるのです。日本人は両方からのダメージでボロボロになるでしょう。

 

 

味方が敵になるのが戦争なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続編は以下の④です。

 

 

日本国憲法の大切さについて考える

 

 

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