カテゴリー:憲法

 

GHQによって日本人は劣化させられた...は、この界隈で人気の説です。

 

 

確かに、どんどん環境が悪くなっているので、ここ数十年だけにスポットを当てたら、どうしようもないくらいダメになっている気がします。

 

 

しかし、時代をさらに遡って、比較対象を戦前、戦中にすると、現代人は意外にダメになっていないことがわかります。

 

 

私は数回にわたって、戦前、戦中の日本人について書いてきました。例えば...

 

 

②幻の自虐史観。実際に受けた教育をふり返って思う事

 

③軍隊内での壮絶なイジメ。日本軍が強かった本当の理由。

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

これらの記事を読んだ方なら、どこからどうみても、「GHQの影響を受ける前の日本人」より、「GHQの影響を受けた現代の日本人」の方が人として正常である事が分かると思います。

 

 

ですが最近、よく見かける「昔の日本人」の設定はこうなっています。

 

 

日本人は優れた遺伝子を持ち、精神性が高く、強く、仲間思いだった...と。GHQの影響によって日本人は変わってしまった...と。

 

 

youtubeにあがってくる書籍の広告がこんなのばっかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうちょっと現実に寄せてくれよ...と言いたくなります。まるで少年漫画のキャラのようです。

 

 

その見解が本当なのか、調べる人は少ないので、あっさり信じる人がいます。褒められて悪い気はしませんから...。

 

 

 

戦前の日本サイコー、日本の問題は全てGHQが悪い、明治憲法賛美、天皇万歳...と、日本を美化しまくっているコンテンツは、googleには気に入られているようで、良く勧めてこられます。

 

 

これも違和感を感じます。

 

 

何でもGHQのせいにする理論展開は、日本人の自尊心をくすぐるので、嬉しくなる気持ちも分かりますが、もう少し現実を直視しましょう。

 

 

「GHQが来る前の教育を受けた日本人(つまり、~昭和初期世代)」は、私が子供の頃は沢山生きていました。

 

 

でも、実際に彼らと接した感想は...現代の人達と比較して、特別素晴らしいと思った事はありません。

 

 

優れているのは、手先が器用とか、体力があるとか、理不尽な事にも黙って耐える辛抱強さです。

 

 

前者は、文明に頼るか、自力でやるかの違いから生じた差なので、GHQは関係ありません。

 

 

GHQの影響を受けていない日本人は荒れていた

 

 

大正、昭和生まれの人は、現代人より人権意識が低いので、個人差はありますが、今の人達に比べて性格はキツめです。

 

 

自分の人権を大事にしないから、人の人権も大事にしません。

 

 

...と言っても、昔の人と関りが少ない人は信じないと思うので、

 

 

昔の新聞裁判記録を元に書かれた本、『戦前の少年犯罪』を例に説明します。

 

現代の事件以上に酷いものが多いです。

 

動画もあるので貼っておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

昔の日本に幻想を抱いている人は、夢が壊れてショックかもしれませんが、これがGHQが来る前の日本人の実態です。

 

 

この情報は、人から聞いたとかではなく、昔の新聞裁判記録が元になっているので信憑性があります。

 

 

生前、祖母(今生きてたら100歳になる)が言っていたのですが、戦前の小学校でも学級崩壊は普通にあったそうです。

 

 

女の先生だったら、バカにして言う事をきかなかったそうです。女子も授業中におじゃみ(お手玉)をして遊んだり...。

 

 

今の厳島神社は、格式高そうな感じで、お金を払わないと入れませんが、昔は普通に入れていて、子供は廊下を走り回って疲れたら寝転がっていたそうです。今みたいに遊びに規制がかからないので、楽しそうだと思いました。

 

 

祖母が子供だった時は、太平洋戦争に突入していないので、まだ自由度が高かった感じがします。

 

 

次は戦前・戦中の日本人が、学校でどんな教育を受けてきたのか見てみます。

 

 

GHQが来る前の教育。軍隊が元になっている体育。

 

 

戦前・戦中の日本は、天皇や国家を重視する国だったので、「国民の人権」は二の次でした。その為、様々な政策が非人道的になります。

 

 

教育も例外ではありません。まず、体育から解説します。

 

 

日本の教育制度は、伊藤博文内閣の時、初代の文部大臣になった森有礼(もり ありのり)が作りました。

 

 

森は「国家優位の為の人材」を育成する事が学校の役割だ...と考えていました。

 

 

特に、初等教育は「優秀な兵隊」を作る事が目的です。体育は軍隊の訓練をそのまま採用したそうです。

 

 

従って、「命令する側」と「命令される側」の権力関係が叩き込まれます。

 

 

このようなコンセプトで戦前の学校制度の基礎は作られたのです。

 

 

 

 

学校のアイテム、イベントは軍隊そのものです。

 

 

●運動会そのものが野戦演習

 

●ランドセルは背嚢

 

●詰襟の制服は陸軍の軍服

 

●セーラー服は海軍の軍服

 

 

 

富国強兵の名のもとに学校が形作られていった事実は、それらを連想させる道具を使っていても、調べなかったら分からないですね...。

 

 

昔の日本は「優秀な兵隊」を作る為の教育が行われていました。

 

 

「忠実な下っ端」を作ることが目的なので、「優秀な労働者」を作る為の現在の教育と、大差ないです。

 

 

日本が現在のような「自分の頭で考えさせない教育」になってしまった事を、GHQが作った教育のせいにする人は多いですが、実際は、GHQが来る前に、日本人の手で完成させていたのです。

 

 

こんな性格の子が、大人になったらどうなるか、戦場に行ったらどうなるか...想像がつきますね。

 

 

よく、「戦争になればどこの国でも酷い事をするんだ」と言う人がいるのですが、日本人が異常なのは、仲間を虐待していたことです。

 

③軍隊内での壮絶なイジメ。日本軍が強かった本当の理由。

 

 

身内への攻撃は、ただの嫌がらせなので、人間性に問題があります。そんな人達を大量に生む社会システムだったということです。

 

軍国教育

 

 

日本の軍隊を意識した教育は、没個性、非論理的な思考をする人間を育てます。個人を支配する圧力は、GHQどころではありません。

 

 

その結果、見事に軍国少年、軍国少女を大量生産しました。経験者のお話を聞いてみましょう。

 

 

 

 

 

当時の授業内容は、論理的思考を奪う教えのオンパレードです。しかも、体罰つき...。

 

 

●歴代天皇の名前を言わされ、途中で間違えるとぶん殴られる。

 

 

●中学校の入学試験に、特攻隊の名前を漢字で書かされる。

 

 

 

体力はつくでしょうが、思考を押さえつけられるので、間違いなくバカになりますね。

 

 

言いなりになったからといって、それなりのリターンがあるわけではありません。従い損、搾取され損です。利用だけして、後捨てられる事もあります。

 

 

戦力が足りなくなると、子どもでも兵隊として利用されたのですが、そこでも人権はありませんでした。

 

 

沖縄では負傷して歩けなくなった少年兵を、日本の軍医が射殺したとのこと。従っても、「役に立たない」と判断されたらこうなります。

 

 

一番物覚えが良い時に大人に利用されて、子供が気の毒です。

 

 

当時、軍国少年だった人がインタビューを受けてますが、大人に対して怒りがあるそうです。

 

 

 

 

別の動画でも怒っている方がいました。

 

 

 

 

 

 

バリバリの軍国教育を受けて、洗脳されていた人達も、後で真相が分かって怒っています。体験者が失敗だと認識してるんですよ。

 

 

それなのに、「当時の日本の教育を受けていない現代人」が、GHQ以前の教育が理想であるかの様に語っているのは滑稽ですね。

 

 

これを理想と考える人は、命令される側ではなく、命令する側に立てる人です。

 

 

もし今、自分が子供だったとします。「戦前と戦後、どちらの教育を受けたいですか?」と問われたら、私は迷わず、戦後のGHQの影響を受けた教育を取ります。これを良いとは思いませんが、マシではあります。

 

 

「竹槍で戦闘機に勝てる」等といった非論理的な頭にはなりたくないので...。

 

 

ここまでの話で分かると思いますが、軍国教育とは、間違いなく奴隷教育です。

 

 

そして、GHQ以降の教育も、洗脳であり、奴隷教育だと言われています。

 

 

つまり、程度の差はありますが、どちらも奴隷教育です。言うまでもありませんが、国の為に死を要求する日本の方が奴隷レベルは高いです。

 

 

では何故、愛国者は、「GHQの教育」は批判して、「日本人が勧めた富国強兵・軍国主義の教育」には怒らないのでしょうか?

 

 

 

それは、「戦前の奴隷教育」を批判する事は、国家神道や天皇の批判に繋がるからです。

 

 

日本式奴隷教育が作り上げた人格

 

 

教育が良かったかどうかは、どう成長したか、結果を見る事で分かります。論より証拠ですね。

 

...で、日本式奴隷教育の成れの果てがこれです。

 

 

 

 

知力に欠けていました。

 

自由や民主主義を考えただけで、殴り殺されたそうです。いらんですね。こんなものは。

 

 

 

 

 

さらに酷いのがこれ。上の立場の人間は、危険を察知すると弱者を見捨ててさっさと逃げました。

 

 

そうなると、部下が残るわけですが、命令されないから何をしていいか分からない状態だったそうです。

 

 

 

 

 

(7:38~)

 

 

指揮官にあたる上官はみんな逃げて居ないの。兵隊さん達はどうしていいか分からないから、ここにいてね。

(インタビュアー)上官逃げたの?

上官いないの。だから、指揮官がいないから、日本は負けたってことはまだ分からない。その時に兵隊さん達はどうしたかっていうと、近所のうちへ来て、我が家なども大勢の兵隊さんが来て、お風呂へ入るわけ。で、兵隊さんはお風呂へ入って、我が家でみんな寝そべったりしてましたよ。何にもできないのよね。

(インタビュアー)上官逃げたの?

命令をする人が逃げていないの。兵隊さんってね。本当に烏合の衆って言うけれども、兵隊さん達もね、逃げて良いのか、逃げればいいんですよ。誰も逃げないの。

 

 

自分で考えて動けよと言いたくなります。イエスマンは脆いです。

 

 

 

(2:20~)

 

 

自分達を守ってくれるはずの日本軍は、駅や線路を爆破し、既に撤退。

 

 

 

当時の体験者が問題視している「戦前の教育」を、理想であるかのように語る人は、内容をよく知って、その教育がどんな大人を作ったかをよく見た方がいいです。

 

 

上の立場の人間にはペコペコし、差別大好き、物事をきちんと考えない、責任は取らない...これが戦前、戦中の大人の姿です。

 

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

 

教育勅語

 

 

教育勅語(ちょういく ちょくご)を褒めたたえる人がいます。

 

 

正式名称は「教育に関する勅語」と言い、「勅語」とは天皇が国民に対して発する意思表示の言葉です。

 

 

この教育勅語は、大日本帝国時代に絶大な権力を持っていました。教育で学ぶ考える議論する...というよりは、宗教の経典のように疑問を持ってはいけない教えでした。

 

 

1890年から、太平洋戦争敗北の1945年までの55年間、日本の教育の中核だったので、日本人の思考に大きな影響を与えたことは間違いありません。

 

 

教育勅語の内容は、家族を大切にしたり、勤勉である事等、生きていくうえで大切な事が書いてあるので、一見「国民の為」になりそうです。

 

 

しかし、教育勅語の重要なところはそこではありません。一番重要なところは、天皇の為に命をかけろという部分です。

 

 

以下は高橋源一郎氏の教育勅語・現代語訳で、2017年の記事です。一度は目を通しておいた方がいいでしょう。長いので途中まで、続きはリンク先の2ページ目にあります。

 

AERA 『作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!!』

 

 

■高橋源一郎「現代語全訳」

 

『はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。

 

 

そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。

 

 

きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。

 

 

そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。

 

 

さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。

 

 

というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。

 

 

 

以下は高橋氏のXです。

 

 

 

 

どうでしょう?途中までは、家族を大事にしよう、勉強や仕事を頑張ろう、みんなの為に...といった、何時の時代でもウケるような、美しい事が書いてあります。

 

 

これだけなら、人権を大事にしているんだな...と思います。ですが、後半の本音を読むと、ちょっと待ってと言いたくなります。

 

 

何だかんだ言って、結局最後は「天皇の為に命をかける」事を要求しているのです。人の命や尊厳を何だと思っているのでしょうか。

 

 

この思想だと、当時の日本では、「人権の大切さ」は絶対的に決まっているのではなく、相対的に決まっている感じがします。

 

 

つまり、何もなければ、国民の人権は大事だけど、「天皇」という存在が比較対象としてある場合は、国民は下なので人権は低くなります...という意味です。

 

 

人権は一応ありますが、条件付き。「全く無い」とは言えないので、見方によったらマシに見えるでしょう。

 

 

でも、教育勅語を教えるような戦前は、人権もなく、今の教育よりずっと酷いです。

 

 

 

 

ちなみに、当時の国民には知らされなかったようなのですが、実はこの教育勅語を書いたのは、明治天皇ではなく、内閣法制局長官の井上毅と、明治天皇の側近であり儒学者の元田永孚だったそうです。

 

 

表面的に良い事を言っていても、人権無視、選民思想、優性思想、全体主義に行き着くならアウトです。

 

 

当時も、人格者、頭の良い人はいたと思いますが、全体に染まらない人は、弾圧の対象になるので、表舞台からは姿を消します。

 

 

こうして国家が腐っていくので、国民のレベルもそれなりになります。

 

 

GHQの影響を受けていない日本人の人間関係

 

 

教育勅語には、親、兄弟、夫婦、友達を大切にしましょう...みたいな事が書かれています。この部分は良いので、評価する人は多いです。

 

 

しかし、書いている事と、それが実行できているかどうかは、また別の話です。

 

 

教育勅語の「天皇の為に命をかける」という部分は、忠実に実行に移した日本人ですが、周囲の人達の事は、果たして、大事にできていたのでしょうか。

 

 

その事についても、現実を伝える事にします。

 

 

文明の力を借りれば、たいていの事は一人でこなせるようになった現代とは違い、助け合わないと生きていけないので、コミュニケーションがとれていた...

 

 

このように想像する人は多いと思います。

 

 

昔の家族や近所付き合いは、今より深いです。

 

 

しかし、その一方で、陰湿な嫌がらせが多かったそうです。

 

 

特に「嫁」と「姑」の関係、あるいは「嫁」と「小姑」の関係でのイジメ...この話は、子どもの時から、何件聞いたか分かりません。

 

 

家族なのに、「嫁は他人」という感覚の姑も多かったです。「同じ家族なのに、なんでそんな嫌がらせみたいな事するの?」と、思っていました。

 

 

旦那が、嫁を姑から守るケース、旦那の兄弟が、嫁を小姑達から守るケースもありましたが、そういうのは稀です。

 

 

「イジメを解決する気がない旦那」も珍しくありませんでした。

 

 

女性の地位が低い、女性差別というより、女性も女性をイジメる感じですね。姑が嫁を。小姑が嫁を。

 

愛がないので、どこかでツケが回ってきます。姑が高齢になって弱った時に、立場が逆転し、仕返しする話もよく聞きました。

 

 

共通しているのは、上下関係。「立場の弱い奴」を虐めてやろう...という「根性の悪さ」が家庭の中でも発揮されていました。身内なのに健全な関係ではありません。

 

 

昔は女性の地位が低かった...という話になると、「女性が家に閉じ込められて働けない事」ばかりが強調されますが、それよりも、「嫁ぎ先でイジメられる事」の方が問題だと思います。

 

 

「昔の家族スタイル」を礼賛する人がいますが、たいてい男性です。聞き取り調査してないだろうなと思います。当時の女性達が、家庭内で粗末に扱われていた事実を知らないのです。

 

「昔の家庭」は、表面的には美しいかもしれませんが、「嫁の我慢」で成り立っていたと言っても過言ではないでしょう。

 

 

現代は自分の意見を言える環境になったので良かったと思います。

 

 

昔の人は、身内だけでなく、他人でも、「立場が低い相手」への態度が悪かったです。外国人に対する差別用語も普通に使っていましたし、表現もキツいです。

 

 

日本人に対しても、見下した相手に対しては、容赦ないです。例えば、今誰かが認知症になったら、「認知症」と言う言葉を使いますが、昔は「〇〇さんはクルクルパーになっちゃった」...とか、今では考えられない言い方をしてました。

 

片方の悪は叩くけど、片方の悪は応援する矛盾

 

GHQが来る前の教育は、人格者を育てる内容ではありませんでした。自分の頭で考えさせないのでロボットになります。

 

 

国民にとっては、メリットがありません。

 

 

戦後の日本の教育については、洗脳だ!奴隷教育だ!...と文句を言うくせに、

 

戦前・戦中のもっと酷い日本の教育については、批判するどころか絶賛する人がいます。

 

 

「洗脳」や「奴隷化」を批判するなら、同じ事をやっている両方を叩くべきですが、そうはなっていません。矛盾の理由を解説します。

 

 

前者は外国人が関わっています。後者は指導しているのが日本人です...。

 

 

戦後の教育を叩いている人は、「教育の内容」ではなく、指導している人を「好き」か「嫌い」か...で判断しているように見えます。

 

 

外国人がやるのは何でもダメだけど、日本がするのは何でもOK...という発想です。

 

 

このタイプの人達は、同時に、「昔の日本」や「天皇」の事をおかしいと思ってはいけない...と考えています。

 

 

だから、外国勢力が絡んでいる事は「良い事」でもけなすし、昔の日本人がやった事は、「悪い事」でも評価を高くするのです。

 

 

この思想は、色んな所に影響しています。矛盾が一杯見つかります。

 

 

例えば、「ニューワールドオーダー(NWO)の独裁」や「WHOの独裁」には批判するけど、「天皇制の独裁」は問題視せずに歓迎します。

 

 

この矛盾に陥ってる人は、NWOやWHOに反対する動機も、「正義」や「民主主義を守るため」とかではありません。また、「独裁」や「支配」に怒っているわけでもないです。

 

 

単に、支配者が「自分の推しの人」ではないから気に入らないのです。

 

 

「天皇」一筋だから、「天皇以外の支配」は受け付けない...と考えているのです。従って、「天皇」になら支配されても良いと考えています。

 

 

「Aさんにシバかれるのはいいけど、Bさんに叩かれるのは好きだからいい♡」という考えなので、「独裁的なシステムそのもの」に反対しているわけではありません。

 

 

トップの椅子に座る「人」が、「自分の推しの人」であればOKなのです。

 

 

本気で独裁や支配に反対していたら、全ての独裁や支配にNO!を突き付けるはずです。例え推しであっても。

 

 

奴隷・洗脳教育に反対するなら、戦後の教育だけでなく、戦前・戦中の教育にも反対しなければ、フェアではありません。

 

 

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

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最近、外国人の事を危険視する人達が増えました。

 

 

私も最初は、外国人が起こした事件を見る度に、「これは大変だ」と思って拡散していたのですが、最近は冷静になりました。

 

 

「人種」というくくりを基準に、「真面目に暮らしている外国人」まで叩く風潮に、違和感を感じるようになったからです。

 

 

時々、「マスク」をしている外国人を見ます。日本社会に合わせる努力をしている謙虚な人もいるので、こういう人を叩くのはどうかなと思うわけです。

 

 

歴史を学ぶと、過去に日本人も相当酷い事をしています。

 

 

それをきちんと反省してないのに、上から目線で「自分達は正しい」という態度をとるのは、大人としてみっともないです。

 

 

外国人が起こす問題は、放置できない状態なので、伝える事自体は必要だと思います。

 

 

しかし、「自分達の先祖も同じか、それ以上の事をした」...と、頭に入れた上で語らないと、説得力がありません。自分達が悪い部分を直せないのに、人には直せというのは、筋が通っていないと思います。

 

 

伝え方も煽るのではなく、慎重にしないといけないです。

 

 

 

しかし、「日本人にとって都合が悪い事実」は、証拠があっても、揉み消そうとする人達がいます。

 

 

「相手の悪事」は叩く、一方で「自分達の悪事」は無かった事に...これでは無駄な争いを生みます。こんなタイプの人は普通、信用されません。

 

 

私はワクチン被害を伝える活動をしているのですが、それを堂々と揉み消そうとしたり、しれっと無かった事にする人達を沢山見てきました。

 

 

推進していた人達は、「反ワクチン」「陰謀論」と言って、被害者を露骨に弾圧するし、なんとなく流されて接種した人達は、なるべくその件に触れないように、何事も無かったかのように生活しています。

 

 

...そんな状態を見た反ワクチンの仲間達は、「なんと酷い、今の日本人はダメになった~」と憤慨するのですが、こういう態度は昔からあるので、ダメになったのではなく、日本人は元からそういう気質なのです。

 

 

他の分野でも「日本人にとって都合が悪い事実」は、弾圧や無視が、昔から行われてきました。

 

 

前回の記事では、南京大虐殺が「捏造」と言われている問題をとりあげました。

 

⑩戦争加害の否定。あった事を「なかった事」にしたい心理と目的。

 

 

今回は、南京大虐殺が起きた時とほぼ同時代に起きた、国内の虐殺事件についてとりあげます。

 

 

外国人の事件を拡散する人は、知っておいて下さい。

 

 

昔の日本人の心理状態

 

 

南京大虐殺は「無かった」説を唱える人達は、日本人が虐殺をする理由がないとか、日本人が悪い事するはずない...という幻想に取りつかれています。

 

 

ですが、ほぼ同じ時代に、国内で起きた似た類の事件を調べる事で、当時の日本人が戦争中でなくても虐殺できる理由、日本人は結構悪い事していた...という事実を知ることができます。

 

 

当時の日本人は、自分達は天皇を戴く優秀なる日本民族だという選民思想が根底にありました。信じられないかもしれませんが、調べると、そういった考えをしていた形跡がいくつも見付かります。

 

 

そして、そこから、他民族を下に見る差別意識や、自分達に反抗する奴はけしからんというロジックが生まれるのです。

 

 

なにせ当時の日本では、軍隊を例に出すと、上官の命は天皇の命と心得よ...と言われていたぐらいですから、下に者が上の者に逆らう事は、「天皇に歯向かう事」と認定されて、攻撃の対象になっていました。恐ろしいですよ、ハッキリ言って。

 

 

その日本人の性質、心理を考えると、南京大虐殺は起きても不思議ではありません。現代人とは感覚が違うのです。

 

 

関東大震災の後に起きた虐殺も、日本人の選民思想、差別意識が根底にあります。

 

 

まず、以下の「十円五十銭」の話をご覧ください。

 

 

 

 

 

「十五円五十銭(※動画では十円と言っている)」とは、関東大震災の後、普通の日本人が朝鮮人を殺したのですが、その時に、相手が朝鮮人かどうかを見極める判断材料として使った言葉です。

 

 

『地震と虐殺 1923-2024 / 著者:安田浩一』

 

武器を手にした自警団員は徒党を組み、行きかう人々を誰何した。彼らは朝鮮人だと疑った人間に、正確な日本語を話すよう強要した。

 

 

「サシスセソ」「バビブベボ」、あるいは「十五円五十銭」。清音と濁音の区別がはっきりしない韓国・朝鮮語の特性上、「バビブベボ」も「じゅうごえんごじっせん」も、朝鮮人には発音が難しい。

 

また、たとえ正確な発音ができたとしても自警団が疑念を向けた人間には、君が代を歌わせたりするなどの検分が繰り返された。

 

当事者にとっては屈辱ともいうべきこうした“見分け方”は、実は政府が“発案”し、さらに扇動したものでもある。

 

震災からさかのぼる10年前の1913年、当時の治安トップである内務省警保局長は、「朝鮮人識別資料二関スル件」なる文書を各府県本部に送達した。

 

(中略)

 

結果としてそのために利用されたのが、朝鮮人を識別するためのマニュアルだった。当初は官憲や役人だけに配布されたものが、いつしか民衆の間にも知れ渡り、「十五円五十銭」の発音が、ひとつの目安として機能するようになった。

 

それが生死を分けた。朝鮮人であると自警団が結論を下せば、容赦なく刃物が振り下ろされた。

 

 

「朝鮮人だぞ!」。そうした叫び声とともに、血しぶきがあがった。

 

被害者のなかには、朝鮮人だと間違われて殺された日本人も少なくない。いずれも標準語を話すことのできない東北や沖縄などの地方出身者だった。

 

自警団長の任に当たりながらも、前出の南喜一は殺戮行為には加わらなかったという。その残虐行為に疑念を感じていたのだろう。

 

近くの電線工場では多くの朝鮮人が働いていた。南はこれら朝鮮人労働者が暴徒に殺されることを危惧し、救い出したことも手記に記している。

 

ちなみに南の実弟である吉村光治(労働運動の活動家)は、地震から2日後の9月3日、労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、殺された(第7章で後述する亀戸事件)。

 

それをきっかけに南は当時非合法だった日本共産党に入党、その後約5年間、党活動家として生きることになる(のちに逮捕されて獄中転向)。

 

(30~34p)

 

 

この件に関しては、それに従わなかったまともな日本人もいたことが救いです。

 

 

 

殺した動機は、誰かが流したデマではなく、日本政府側の発表が原因です。

 

 

『地震と虐殺 1923-2024 / 著者:安田浩一』

 

本書でも後に詳述するが、9月2日には埼玉県内務部が「不逞鮮人暴動に関する件」なる通達を県内の各役所に送り、自警団の結成、「適当の方策」を訴えた。

 

怪しい朝鮮人を見たらそれぞれで何らかの措置を取れという行政命令である。

 

翌3日には内務省警保局長名で、「朝鮮人ハ各地に放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ、現二東京市内二於テ爆弾ヲ所持」して暴れているといった内容の電文を全国に打電する。

 

ちなみに2日、東京市とその周辺5群に戒厳令が布告された。翌3日には東京府全体、神奈川県に、4日には埼玉、千葉両県にも布告される。

 

そう、デマ流布に太鼓判を押したのは政府、国だった。

 

当然、当時のメディアもこれに加担している。

 

(中略)

 

国や地方行政、軍や警察、そしてメディアや一般民衆が束になって襲い掛かった結果、多くの朝鮮人、そして中国人、社会主義者、さらには障がい者、朝鮮人と誤認された地方出身者など、多くの犠牲者を出すことになった。

 

 

(6~7p)

 

 

被害者は6000人を超えるとのことです。

 

 

扇動した国は、いまだにきちんと責任を取っていないみたいです。認める事からも逃げ回っています。

 

 

関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相究明に関する請願

 

 

一九二三年の関東大震災のときには、多くの朝鮮人や中国人が日本の軍隊や警察、民衆により虐殺された。また、朝鮮人と間違えられた日本人虐殺事件や軍隊による労働運動家・無政府主義者らの虐殺事件も起きた。

 

 

しかし、特に朝鮮人犠牲者については、名前や人数など、その実態はほとんど分かっていない。

 

 

事件後、議員が帝国議会において内務省や地方行政が流言飛語の拡大に関わったことを追及したが、当時の首相は調査中と答えたまま九十年がたっている。

 

 

今日まで虐殺の実態について調査を進めてきたのは各地の市民や研究者であり、流言の流布から虐殺、そして事件の隠蔽に至るまでの日本政府の関与が明らかになった。

 

 

しかし、これまで日本政府は、虐殺・事件隠蔽に関与したことを認めたことはない。

 

 

二〇〇三年八月には、日本弁護士連合会が日本政府に対して責任を認め謝罪し真相を調査するように勧告したが、これも政府は無視してきた。

 

 

再びこうしたジェノサイドを起こさないためにも、この事件の解明が必要である。

 

 

 

取り分け、排外主義的な言動が在日外国人に対して公然と繰り返される今、かつて日本が行った虐殺事件を真剣に省みなければならない。

 

 

 

国が真相解明から逃げて、市民が問題の解決に動いている...ワクチン薬害と共通しています。

 

 

安田浩一氏が書かれた本は、600ページ近くある大作で、過去にこの問題について色んな人が調べた情報がよくまとめられていました。

 

 

虐殺の具体的な攻撃方法が説明されており、読むのがしんどいですが、こういう残酷な事をすることを知っておく必要はあると思います。

 

 

現在外国人が増えたので、「日本が侵略されるかもしれない」...と心配している人が増えています。

 

 

そんな疑心暗鬼の時に、昔のように政府やメディアが煽ったらどうなりますか?コロナを煽った時のように、過剰な対策をする可能性は高いです。

 

 

外国人と暴動になれば、それを鎮圧する為に、自衛隊や警察の力を国民に対して使ったり、法律が改正され、自由が制限されるかもしれません。

 

 

真面目に生活している外国人がほとんどです。

 

 

問題を起こしている外国人の「行為」を非難するのは大事ですが、「人種」を非難するようになったら、このような事件が再び起きるかもしれません。

 

 

日本人が加害者になるかもしれないし、立場が逆転して、被害者になるかもしれない。

 

 

そうなってはいけないので、過去に日本人がやった事と向き合い、ダメな事はダメだと反省することが必要なのです。

 

 

 

 

 

 

揉み消そうとする人たちと、事実と向き合って成長しようとする人達

 

 

国が問題を解決しないから、一般の人が調べて形に残し伝える...

 

 

関東大震災後の虐殺もそうなってます。一つの例を紹介します。

 

 

足立区の小学校に勤務していた絹田幸恵氏は、社会科の授業で、現在の荒川が「人間が掘った川」であることを伝えた時、生徒が「大きい川だから掘れるわけない」とか、「どうやって掘ったのか」と言いだしたので、それに答える為に、独自取材をして虐殺の話を知りました。

 

 

彼女は、荒川流域で聞き込みをしたり、役所や関係機関から資料を取り寄せたり、古い家屋を見つけたら足を運んで話を聴く...といった取材をしたのです。

 

 

その時、予想しなかった展開へと発展します。

 

 

調査を続ける過程で、彼女はひとつの証言にたどり着く。震災時の荒川工事について調べている際、出会った老人から聞いた言葉だった。

 

〈旧四つ木橋の下手の川原では一〇人ぐらいずつ朝鮮人をしばってならべ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。橋の下手に三ヵ所くらい大きな穴を掘って埋めた。ひどいことをしたもんです。いまでも骨が出るんじゃないかな〉

 

絹田はその時まで、あくまでも荒川の歴史を調べていただけだった。そこへ突然、「虐殺」の証言が飛び込んできたのだ。とんでもないことを耳にしてしまたのだという衝撃があった。

 

震災当時、荒川は現在の形をしていない。工事の真っ最中であり、掘られた水路に水は流されていたものの、現在ほどの水量はなかった。土手の上には土砂を運ぶためのトロッコ列車が走っていた。

 

そこで多くの朝鮮人労働者が働いていた。1910年に日本の植民地となった朝鮮からは、様々な形で労働者が日本に渡っていた。

 

その多くが、こうした工事現場で、もっとも過酷な環境に置かれた安価な労働力として“利用”された。給与は日本人労働者の半額以下だった。

 

朝鮮人は自らが切り拓いた川で、斬られ、突かれ、殺されたのである。

 

(55p)

 

 

現代であれば、災害時は、レスキューに力を注ぐのが普通ですが、これが100年くらい前の日本です。

 

 

しかも、戦場の話ではありません。軍隊が機関銃を使うなんて、危険すぎます。

 

 

 

日本人が中国で酷い事をした証言が集録されている本を、何冊も読んだのですが、その中に出てきた攻撃の仕方とそっくりです。

 

 

川岸で撃つという部分を読んで思い出しました。南京大虐殺でも、揚子江岸まで連れて行って撃っていました。

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行 (134p)』

 

 

宮本省吾氏(所属:歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記。

 

 

 

こういう話をすると、現代ではすぐ「デマ」呼ばわりする人が出てくるのですが、一昔前は証言者もポツポツいたようです。

 

 

死へ向かっていく一瞬を想像する

 

絹田は初めて虐殺証言を耳にして以来、立て続けに同じような体験談を耳にすることになる。

 

たとえば墨田区内に住む老人は次のように語ったという。『荒川放水路物語』から引用する。

 

〈(9月)三日に、習志野から騎兵隊が来ました。兵隊は荒川駅の南、旧四つ木橋の下手の土手に、あちらこちらから連れてきた朝鮮人を、川のほうに向けて並ばせ、機関銃で撃ちました〉

 

打たれた朝鮮人は土手を転がり落ちていく。人間が倒れ、ボールのように転がっていく、凄惨な光景だった。老人はこう続けている。

 

〈何人殺したでしょう。ずいぶん殺したですよ。私は穴を掘る手伝いをさせられました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。いやでした〉

 

絹田がこの目撃証言を聞いたのは、区内の八広だった。そう、後に追悼碑が建立される場所の近くだった。

 

(中略)

 

絹田に証言を託した老人は「お経でもあげてくれれば供養になるのだが」と別れ際に述べていた。彼女はそれを聞き流すことなどできなかった。きちんと弔いたいと思った。さらには、こうした事実を歴史に正確に残すべきだとも考えた。

 

絹田は荒川の土手を駆け抜ける。必死に聞き書きを続けると同時に、自らの手に負えないと思った際には、新聞社に「調査してもらえないか」とも相談した。

 

供養することができないだろうか。せめて遺骨を見つけることはできないだろうか。絹田の思いは単なる調査から、日本で生まれた者としての「責任」を考えるまでになっていた。

 

(55~57p)

 

 

 

 

日本人だから、「日本人にとって都合の悪い事」を見て見ぬフリをするのではなく、

 

 

日本人だから、都合の悪い歴史であっても、向き合って、同じ失敗をしないように未来に繋げる...という姿勢が必要ではないかと思います。

 

 

しかし、それが出来る人は少ないです。

 

 

 

 

 

この問題は戦争やワクチン等、あらゆる加害の問題にあてはまります。

 

 

 

 

こういった証言で興味深いのは、事件があった舞台に、後から住み着いて何十年生活している人から、「そういう事件があった事は知らなかった」という意見が出てくるところです。

 

 

これなんです。南京に住んでいたけど、「南京大虐殺の話は聞いた事がない」と言う人がいるのは。

 

 

人間の記憶はそんなもんです。

 

 

私は広島出身ですが、日清戦争の時、明治天皇が一時期広島に来て、広島大本営があった事を知っている広島人にほとんど会った事がないです。軍都だった意識すらない人が大半です。授業で教えないとこうなります。歴史が好きな人でも知らない人は多いです。

 

 

また、福岡出身の仲間に「振武寮」を知っているかどうか聞いたら、「知らない」と言われました。「振武寮」とは特攻失敗組が収容され、自殺したくなるレベルのイジメが行われていた場所です。

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

ワクチンで亡くなっている人は大量にいるのに、世間の人は、その現場にいるのに、気付かないでしょう。気付かないと無い事にされます。

 

 

ワクチン被害の問題はいずれ表に出るだろう...と軽く考えている人がいますが、こんな酷い事ですら、無かった事にされるなら、簡単に揉み消されると思います。

 

 

恐怖の原因は日本の侵略行為

 

この事件で最も狙われたのは朝鮮人です。攻撃の仕方が異常なので、恐れを感じていたことが分かります。

 

 

しかし、その恐怖も元を辿れば、植民地化した日本側に原因があります。

 

 

 

「併合」だと言い張っていますが、実質は植民地にしたので、日本側には、その罪悪感ややましさがあり、カウンター攻撃されるかもしれない...という不安は常にあった事でしょう。

 

 

 

朝鮮人を恐れた。地震のドサクサで虐殺。

恐れた理由は恨まれていることがわかっているから

その原因は植民地支配。

 

 

 

こういう事を言うと、「植民地だったか、植民地じゃなかった」論争に発展しそうです。

 

 

日本人はインフラを整えたんだ、日本のお陰で国が発展したんだ...と説明されるのですが、仮にそうだったとしても、「そこの現場で働いたのは日本人だけですか?」...と言いたくなります。

 

 

軍事施設、鉄道、ダム、道路の多くは、多くの外国人労働者の協力があって建設されたのではないでしょうか?だとしたら「日本人のお陰」というのは、ちょっと違うと思います。

 

 

労働力として、しっかり利用しておきながら、何かあったら暴徒の疑いをかけたり、危険視する...同じ人間として扱っていません。

 

 

 

また、インフラがどうこう以前に、こんな話もあります。

 

 

『天皇財閥 皇室による経済支配の構造 / 著者 吉田祐二』

 

さて、満鉄は事実上、日本による独占経営であるが、かたちの上では日清合併の株式会社である。

 

 

株主の募集は明治三十九年(一九〇六)九月に行われた。一〇七八倍の申し込みがあったというから、相当なブームである。天皇もまた大株主になったことは前述した通りである。

 

 

初代総裁には、台湾総督府民政長官であった後藤新平(一八五七ー一九二九)が任命された。後藤は、満州軍総参謀長の児玉源太郎(一八五二ー一九〇六)の台湾総督時代からの部下であった。

 

 

満鉄が重要なのは、民間の一企業ではなく、国策会社であったことである。

 

 

満鉄は満州を植民地として経営することを念頭において、設立された会社であった。

 

 

設立には、イギリスをはじめとする西欧列強がアジアの植民地化を進めたときの「東インド会社」をモデルとした。

 

(中略)

 

満鉄で働いた人は、一九〇七年には社員二九五八名、日本人の雇人六一三五人、中国人雇人四一二九人の合計一万三二一七名であった。それが一九二二年には三万六〇三七名と三倍近く増えている。

 

 

一九四二年には三十万人近くに急増した。満鉄は日本の満州進出の拠点という役割を担いながら、つねに利益を計上していた。

 

 

それは鉄道運賃の価格を独占できたこと。および中国人労働者を日本人労働者の賃金を二~四割程度で雇用したからである。

 

 

(89~91p)

 

 

 

天皇財閥の植民地経営―朝鮮の場合

 

 

開運事業と鉄道事業の他に、皇室財産として株式が所有されていた会社には、明治六年(一八七三)に設立され、現在でも売上高一兆円を越える製紙会社である王子製紙、現在の東京電力のもとになった「東京電燈株式会社」、また、現在も営業している「東京瓦斯株式会社」などの会社もある。

 

これらの企業は、いずれも「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が関与していた会社である。

 

 

しかし、こうした国内の近代産業の株数は決して多くなく、天皇家は一株主として参加していたにすぎない。

 

 

天皇家所有株で重要なのは、銀行株および海外進出にかかわる国策企業である。

 

 

とくに、朝鮮植民地経営のための「東洋拓殖株式会社」(東拓)、および台湾植民地経営のための台湾銀行が中心的な役割を果たしていた。

 

(103~104p)

 

 

 

もう...植民地だったで、良くないですか...。

 

 

 

酷い事をする原因

 

 

戦前・戦中の日本人が酷い事をする時の理由は、だいたいこれです。

 

 

●選民思想(優秀な俺様に逆らったら許さん)

 

●差別意識(相手を落として、自分が上に行く方が楽)

 

●失敗と向き合えない(俺スゲーの設定が崩れるのが怖い)

 

日本人の問題点を指摘すると、「悪いのは人ではなく戦争だ」と言う人が出てきます。

 

 

しかし、戦争中でなくても昔の日本人は、酷い事をしていたので、戦争だけを原因にすると整合性がとれません。関東大震災後の虐殺がそうです。

 

 

戦争で人が鬼畜になるなら、戦地でもないのに鬼畜になるのは説明がつきません。

 

 

戦争が悪いのは、そうなんですが、戦争が悪くて、個人は悪くないとすれば、加担した人は責任を取らなくてすみます。

 

 

作られた感じがする外国人問題と今後

 

 

現在、日本はたくさんの移民を受け入れています。外国人が国内で問題を起こしたという話も以前より聞くようになってきました。

 

 

また、外国人による日本の土地の購入も問題になっています。

 

 

こういったニュースが流れる度に、みんな怒りますし、何とかしなければという気になります。私も少し前はそうでした。

 

 

しかし、戦前、戦中に日本人が海外の人に対して行った非人道的な行為を、無かった事にしたり、謝罪や反省もない態度をとるなら、外国人に同じことをされても、文句を言う資格はありません。

 

 

外国人に対しては非人道的なことをやってもいい、...というモデルケースを作ったのは日本人なのですから。

 

 

外国人問題は簡単に解決できません。

 

 

悪い事をする外国人もいますが、大多数は真面目に働いている人達です。その人達を巻き込まないような配慮は絶対必要です。

 

 

また片親が外国人、配偶者が外国人、仕事でよく海外に出張に行く人...このような人達は意外に多いです。彼らの立場が悪くなるような活動は、日本人にとってもマイナスです。

 

 

保守系の人達は、外国人を受け入れる事を叩いていますが、その一方で、この政策を進めた安倍元総理のことは大好きです。

 

 

 

 

移民を反対しながら、そうなる政策を進めた人を支持するのは、矛盾しています。

 

 

これは例えるなら、ワクチン政策を反対しながら、ワクチンを推進した河野太郎氏を応援するような矛盾です。

 

 

このような展開です。解決策ばかり言って原因を叩かないので、不自然です。

 

 

●PCR、マスクで感染症が流行っていると見せかける ワクチンがあなた達を助けますよ、「打ちましょう」と宣伝

 

●わざと外国人を入れる 日本人ファーストだ、愛国者が日本を守る、「外国人から日本を守れ」と宣伝

 

 

外国人問題は、作られた感じがあります。一時の感情に流されたら100年前のような状態になるので、冷静に考える人が増えてほしいです。

 

 

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これまで、大日本帝国の加害行為に関する記事を、何回かに分けて書いてきました。

 

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

その少し後、Youtuberの桜井弁護士が、以下のような動画を上げていました。

 

 

 

 

 

南京大虐殺を「捏造」だと言う人がいるので、冷静に考えてもらう為の記事を書かなければいけないと思いました。

 

 

 

戦争の話を追及する理由

 

 

私が何故、「自分が生まれる前の過去の出来事の一つ」の、あったか、なかったか論争について書くのかと言うと、

 

 

「過去の出来事そのもの」に執着しているわけではありません。

 

 

いつも記事を書いている理由と同じで、何も知らない人を騙すなと言いたいから書いているのです。

 

 

そして、不確かな情報を元に、おかしな方向に人を誘導するなとも言いたいわけです。

 

 

戦前・戦中に日本人が行った悪事を「無かった事」にする者が現れた場合、放置すると、世の中はこのような流れになります。

 

 

 

①日本人の悪事を無かった事にする

②日本人は素晴らしかった、だから戦前の社会は素晴らしい(設定にする)

③戦前の日本人が理想、戦前の社会システムが理想、戦前の憲法が理想

④憲法改正した方がいいよね。戦前回帰しよう。

 

 

 

日本人の悪行を無かった事にしようとする人達は、この心理誘導が本当の目的なのです。

 

 

いきなり④を主張すると反発がくるので、①~③の麻酔をかけた状態で、④を主張するわけです。この方法だと、あら不思議。受け入れる人が続出します。

 

 

①~③の部分は、昔の日本のことを褒めて褒めて褒めまくります。すると、何の努力もしなくても、日本人に生まれたというだけで優越感に浸れるので、この説を支持してしまう人が一定数います。

 

 

実態はまるで違うのですが...

 

 

「戦前の日本人=人権意識が低くて、弱者に強いが強者に弱い」、「戦前の社会システム=下級国民に人権なし」、「戦前の憲法=奴隷憲法」...と言っても過言ではありません。

 

 

 

この道を選んだら地獄行きです。

 

 

詳しく知りたい方は、以下の記事を読んで下さい。

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

 

ワクチンと同じで有害なのですが、綺麗に語ると、良いものだと思って選択してしまう人が出てきます。

 

 

従って、最初の段階で、嘘をつかせないようにする事は非常に意味があります。

 

 

表面的には、戦争の問題のみを扱っているように見えるかもしれませんが、常に「現在の問題である④」の事を一緒に考えているので、単純な「過去の話」でもないのです。

 

 

あと、昔の日本人を正しく伝えることで、現代の日本人のモラルの高さを知って欲しいと思っています。それも目的の一つです。

 

 

最近、昔の日本人は素晴らしかったのに、今の日本人はダメになった...みたいに語る人が多いです。しかし、そんな事はありません。

 

 

現代の日本人の方が人格がまともです。自信持っていいと思います。今の日本人がダメになっただなんて、それこそ自虐です。完璧ではないですが、精神面は昔に比べて確実に成長しています。

 

 

当時は女性の社会進出が進んでいなかったので、歴史の表舞台に出てくるのは、ほどんどが男性です。

 

 

その男性の性質を見ると、現代の男性の方が遥かにいいことが分かります。全体的に、差別意識や弱者に対する態度が、ずいぶんマシになりました。

 

 

昔の男性は体力はあって頼もしく見えるかもしれませんが、その力を弱者を守るために使うのではなく、強い者の横暴に加担する事に使っています。

 

 

昔の人の精神力の強さも、分析すると、上からの理不尽に耐える強さがほとんどです。無駄にイキって力強さをアピールしたり...

 

 

強くても、女性や子どもを殴るようなら、その強さに魅力はありません。

 

 

個人差があるので、昔の人でもまともな人はいます。しかし、全体的な傾向としては、現代の方が人間として成熟しています。自信を持って下さいと言いたいですね。

 

 

南京大虐殺を否定する話は昔からあった。

 

 

「南京大虐殺はなかった説」は、ずいぶん前からあるみたいで、論破されています。

 

 

以下は、遠藤高明氏(所属:歩兵第65連隊第8中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記です。※「陣中」とは戦いの中という意味です。

 

 

 

この12月16日の記録を読んで下さい。

 

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行(219~220p)』

 

 

 

「給養」とは、主に軍隊や自衛隊において、隊員に衣食住などの生活に必要なものを供給することです。

 

「徴発」は、人が所有する物を強制的に取り立てる行為のことで、以下に詳しく書かれています。

 

徴発 wikipedia

 

特に、軍需物資などを人民などから集める際に見られる行為で、行政的な執行権が伴う場合もある。供出や略奪と異なり、徴発においては対価は支払われる。対価は軍票などによることが多い。

 

 

 

さらに次の日も...

 

 

 

 

この衝撃的な日記の説明がこちら。

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行』

 

 

3 虐殺を記録した日記の意義

 

 

ここに集録した日記の、歴史的な意義についても述べておこう。

 

 

南京大虐殺はでっち上げだとか、幻だとする議論は、すでに完全に破産している。

 

 

それにかわって現在あらわれている大虐殺否定論は、不法殺害の数は少数なのだから、中国側や日本の中国追随派の大虐殺説はまちがっているという少数説である。

 

 

その代表は、防衛庁の『戦史叢書・支那事変陸軍作戦(1)』や、偕行社の『南京戦史』である。

 

 

少数説が大虐殺を否定する論拠の一つとしているのが、この山田支隊による捕虜殺害についての事実の認定である。

 

 

『戦史叢書』では、山田支隊が一五日に一万四千余を捕虜にしたが、非戦闘員を釈放して約八千余を収容した。だが、その夜半数が逃亡した。一七日夜に残りの捕虜を対岸に釈放しようとして揚子岸に移動させたところ、捕虜が警戒兵を襲ってきたので発砲した。射殺した捕虜は約1000名で、他は逃亡したとしている。

 

 

『南京戦史』では、資料や証言の確度に問題があるとしながら、実数を推定すると次のようだとして、山田支隊の捕虜は六〇〇〇、そのうち逃亡三〇〇〇、処断三〇〇〇としている。いずれも捕虜の大部分は釈放したかもしくは逃亡したのだとしており、残りは自衛のため発砲したか、処断したのだとしている。

 

 

ここに集められている日記は、こうした釈放説。自衛発砲説を粉砕する資料である。どの日記にも、釈放や捕虜の反乱の記述はまったくない。一万数千ないしはそれ以上の捕虜を、組織的に殺害したという事実を、淡々とそのままに記述しているのである。

 

 

『南京戦史』は、「下級将校や下士官兵の日記には、ややもすれば噂や憶測をそのまま記録する傾向がある」と、信用ならないとしている。

 

 

『戦史叢書』は、高級指揮官や参謀の日記や証言は資料として使っているが、下級将校や下士官兵のものは無視している。

 

 

しかし、高級指揮官や参謀たちの日記のほうが、自己顕示欲にあふれていたり、他人の眼を意識して功名手柄を誇ったり、あるいは弁解が多かったりすることが多い。かえって下級者の日記に、他人の眼を意識しない自分の覚えとして書かれたものが多く、飾らない個人の記録として評価できるものがある。史料批判と校訂をきちんと加えれば、史料として利用できるのである。

 

 

ことにこの場合のように、同じ部隊に属した数多くの人々の日記が集められていることは、史料としての価値が高いのである。一つひとつでは記憶違いや先入観があって、正確さを欠くこともあるが、数を積み重ねることによって相互に検証しあうことができるし、傍証を固めることも加えれば、史料としての価値も高まるのである。

 

 

そしてこれらの日記を総合して判断すれば、山田支隊は十二月一四日に幕府山付近で一万四千余、一五日にもつづいて数千の捕虜を捕らえたこと、軍命令で一六日にその三分の一を江岸で射殺し、一七、一八日と処刑をつづけ、一八、一九の両日には死体片付けのための兵力を出していたことが明らかである。

 

 

捕虜が逃亡したり反乱をおこしたのではなく、「11[遠藤高明]陣中日記」に書かれているように、捕虜を給養することは「兵自身徴発二ヨリ給養シ居ル今日到底不可能事」なので、「適当二処分スベシ」との軍命令があったということであろう。一万四千ないしそれ以上の捕虜の組織的な処刑がおこなわれたことが記録されているのである。

 

 

これは国際法上も人道上も許されない不法行為であることはいうまでもない。その事実を率直に記録している史料として、これらの日記は異議があるものということができよう。

 

 

つぎにこの日記は、兵士の心情の飾らない記録としての意味もある。「1[斎藤次郎]陣中日記」に見るように、幼な子四人と身重の妻を抱え、刈入れ前の田圃を心配している一人の農民が、突然の召集令状で戦場にかりだされていったのである。

 

 

家族を愛し平凡な日常生活を送っていた農民や市民が、いきなり侵略戦争の前線に立たされたとき、どのようにその心情が変わっていくかを、多くの日記はまざまざと物語っている。

 

 

はじめは現地の子どもを見て、故郷の我が子に思いを馳せていた心優しい兵士たちが、徴発と捕虜殺害をくりかえしていく中で、いつのまにか残虐行為に手を下すことに、なんの躊躇も感じなくなっていくのである。善良な市民を虐殺の下手人に仕立て上げる侵略戦争の恐ろしさを、あらためて感じさせるのである。

 

(xvi~xvii)

 

 

他の人の同じ日付も参考になります。

 

以下は、宮本省吾氏(所属:歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記です。(同本の134p)

 

 

 

 

以下は、目黒福治氏(所属:山砲兵第19連隊第Ⅲ大隊大隊段列・編成、階級:伍長)の陣中日記です。(同本の373p)

 

 

 

 

この時代の人は、文章の書き方が独特で、人によってカタカナを使う人もいれば、今の言葉に近い文章を使う人もいます。

 

 

本人の日記を書き写した本なので、現代の私達からすると、読みにくいところも多いです。

 

 

3人の日記を紹介しましたが、紹介していないだけで、他の人のもまだあります...南京大虐殺を「なかった」と主張する人達は、これらをどうやって否定する気でしょうか。

 

 

元日本兵、同胞の証言です。

 

 

なかった説の根拠で一番多い「現地に住む人から聞いた」

 

 

南京大虐殺の「なかった説」を唱える人は、具体的な説明をしません。

 

 

「知り合いから聞いた」「現地の関係者から教えてもらった」「なかったそうです」...と言うパターンが多いのですが、それだけでは、「証拠」の否定にはなっていません。

 

 

否定する場合、どの資料の、どの部分が、どういう理由で間違っているのかを説明できなければ、説得力がありません。

 

 

でも、そういった根拠は出してこないので、不誠実だと思います。

 

 

この件は被害者がいるので、中途半端な根拠で「ない」と言うのは、無駄に関係者を傷付けることになります。被害者だけでなく、勇気を出して証言してくれた元日本兵の両方をです。

 

 

「相手が確実に嘘をついている証拠」を出さずに「捏造」呼ばわりするのは、配慮にかけていると思います。

 

 

そして、少し現実的な話をします。

 

 

現代の日本でも、日本の為にならない事をする日本人がいます。同じ日本人でも、一枚岩ではありません。得になるなら日本人より外国人と手を組む人はいます。人間はそういうもんです。

 

 

これは他の国の人もあてはまります。中国人であっても、日本人と手を組んでいた人は必ずいたはずです。

 

 

日本人側についている人は、日本の悪事の隠蔽に協力する可能性はあります。

 

 

一部と全体

 

 

「知り合いが見た限りではなかった。だから南京大虐殺はなかった」と結論づけるのは、かなり雑な理論です。

 

 

現地にいても、現地の事を知らない人がいるのも事実なので、その場合は、結論としては、「見なかった人、知らない人もいるよ」くらいに留めるのが妥当でしょう。

 

 

 

見なかった人、知らない人がいる。だから全部ない...は、ちょっと無理があります。

 

 

 

ワクチン被害に置き換えて説明してみましょうか。

 

 

私の地元では、私が知る限りでは、ワクチンが原因で亡くなった人はいません。

 

 

突然亡くなる人や、原因不明の体調不良が増えているのは事実です。「たぶんそうだろうな」...というケースはありますが、調査したわけではないので、それも憶測です。

 

 

 

どこかにいるとは思いますが、私の周りでは、ハッキリ「ワクチンが原因で」と、医師や家族が認識しているケースは0です。私の地元では。私が知る限りでは。(ただし、他の市まで範囲を拡大すると何件かあります)

 

 

 

「現地の人から聞いた事」が全てなら、私が住んでいる地元のワクチン死は0なのでしょうか?

 

 

既に大量に報告されている、世界中のワクチン薬害死まで、この世に存在しない事になるのでしょうか?

 

 

違いますよね。

 

 

「私の周りにいなかった。ワクチン死と断定できるケースはなかった」は、一つの証言ではありますが、それがあるからと言って、「厚労省が発表している被害者の数字」や「実際に被害に苦しんでいる人達の事象」を、全否定する力はありません。

 

 

2つの情報が矛盾している場合、何故異なるのかを、検証する必要があります。

 

 

「私の周りにいなかった」という事実があり、「厚労省の発表」という事実があります。

 

 

それと同じ理屈で、「現地の人がないと言っている」は、それだけでは、他の証拠を否定する力までありません。

 

 

私はそういう分析はしません。ワクチンでもそう。

 

 

私は地元のワクチン被害者を知りません。しかし、私が知らないだけで、水面下では沢山いると予想しています。

 

 

他の地域の被害報告は沢山知っているので、地元だけないという事はありえないからです。

 

 

あったか、なかったかという話を、数が間違っているかどうかの話に論点をズラす。

 

 

「なかった」説を唱える人は、虐殺があったか、なかったかを問題にしているのに、数が間違っているという点をピックアップし、そこが間違っている、だから全部なかった...という結論に持って行きます。

 

 

ワクチン問題でも似たような例があります。

 

 

反ワクの中には、超過死亡を全てワクチンで亡くなったと仮定して、こんなに亡くなっているんだ、原爆で亡くなった数より多い...と騒ぐ人がいます。

 

 

私はさすがにそれは盛っていると思います。周囲のワクチン死と思われる人の割合からすると、超過死亡の数を全部ワクチンが原因と決めつけるのは厳しいと思っています。

 

 

接種していなくても亡くなる人はいますから...。

 

 

そう言うわけで、超過死亡数=ワクチン死とする意見は、ワクチン被害者の数を盛っていると思われます。

 

 

じゃあ、だからといって、「ワクチン死者が多い」という話そのものが、全て嘘にはなりません。

 

 

超過死亡の数ほどで無くても、間違いなく、史上最悪の薬害事件であり、これほどの被害を生んだ薬害は過去にないと言い切れます。

 

 

盛った数がオーバーだったとしても、コロナワクチンが酷いことには変わりありません。

 

 

南京大虐殺もそうです。30万が盛った数だったとしても、本当はそれより少なかったとしても、十分虐殺でしょう。

 

 

日本人が他の場所で聖人君子のようで、南京だけ酷いと批判されるなら、それは、日本人を貶める為に悪く言ってるんじゃないのか...と疑ってしまいますが、そうではありません。

 

 

日本軍はこれに限らず、731部隊、アヘン政策などで鬼畜の限りを尽くしています。現場の人間が暴走してやったのではなく、組織的、計画的にやっています。子どものころから選民思想で、自分達は特別だと思っているので、下に見た相手に対しては酷い事をします。日本人同士であってもです。

 

 

大日本帝国の日本人は、現代の日本人とは、性質が違います。総合的に判断すると、こいつらならやりかねんと思っています。

 

 

被害者側が数を盛るのもアウトだし、加害者側が「相手が盛っているから、自分がやったことは全部ない」とするのもアウトです。

 

 

大事なのは、虐殺があったかどうか。

 

レッテル貼り

 

 

何度も言いますが、「虐殺はなかった」と叫んでいる人達は、具体的に、何と何がなかったのか、根拠を出さない人がほとんどで、ただ「なかった」と言うだけです。

 

 

これは「ワクチンで亡くなった人はいない」とか、「反ワクチンは科学的根拠がない」と言っている人達と同じです。反ワクが、証拠を提示しているにも関わらず、中身を検証せずに、このように言い切ります。

 

 

ひたすら「デマだ」というレッテルを貼ろうとします。

 

 

そして、「安全だ」と言い張って、接種は継続します。当然、また被害がでます。

 

 

...「反省がない」とはこういう事です。

 

 

 

戦争という状態のせいにして逃げる

 

 

「なかった」ことにしたい人達は、とにかく、日本人が悪くないようにしようとします。その為、色んな言い訳を述べます。

 

 

「戦争だから悲惨な事があるのは当たり前。どこの国の軍隊もみな同じ」と言う人もいます。証拠を突きつけられて逃げ場がなくなった人の言い分です。

 

 

 

これは「ワクチンなんだから副作用があるのは当たり前、どんな薬でも副作用はある。あれだけたくさんの人が打ったのだから、副反応の数が増えるのは仕方がない」というのと同じ理屈です。

 

 

データを突きつけられて、否定しようがないから、認めた上で「大したことない」と開き直る人の言い分です。

 

 

 

 

戦争中だから仕方ないは

 

 

「戦争中なんだから非人道的な行為は当たり前」...というなら、東京大空襲、広島・長崎の原爆も当たり前になります。

 

 

広島は民間人を狙ったから虐殺だみたいな事を言う人がいますが、それを言うなら中国で日本人がしたことも虐殺じゃないんですか?

 

 

自分達の被害は主張して、相手の被害は知らんぷり...これはフェアじゃないです。選民思想が今も残っている証拠です。

 

 

当たり前だとして被害を無視するなら、両方の被害を無視しないと道理が通りません。

 

 

 

原爆投下はやむをえなかった...とトップが言うくらいですから、被害者は浮かばれません。

 

 

 

 

「今は戦争中」と言われているので、ワクチン大虐殺も当たり前の扱いになるのです。(昔tweeterで拾った画像、作者不明)

 

 

 

 

 

 

何を守ろうとしているのか

 

 

あった事をなかった事にする人は、何を守りたいんだろう?と思います。

 

 

「お宅の子どもにイジメられた」と言われた時、「うちの子はそんな事しません」と逆ギレするイジメっ子の母親...

 

 

イジメで生徒が亡くなった時に、「うちの学校にはイジメはありません」という学校...

 

 

こういう態度は、本人は体裁を守っているつもりでしょうが、全然守れてないですし、性格の悪さが露呈するだけです。

 

 

戦前・戦中の日本人が行った事をなかったことにする人は、大日本帝国の名誉を守りたいと思ってるのか知りませんが、往生際の悪さと無責任さとホラ吹きで、逆に信用を傷つけています。

 

 

 

批判的思考の欠如

 

 

日本の問題を指摘すると、指摘した人に対して、「この人は日本人ではない」と言う人がいます。あるあるです。

 

 

いやいや、

 

 

身内がおかしいことしてたら、普通に注意するでしょうが。恥ずかしいですからね。

 

 

例えば、嫁は姑には遠慮しますが、実の母親にはズケズケ言うもんです。それと同じ。身内の方が遠慮がない分キツイ事を言うものなのです。ダメ出しもします。

 

 

 

実の親に対してダメ出しをする子どもは、実の子じゃなくなるんでしょうか...違いますよね。

 

 

「日本人を悪く言う=日本人じゃない」...こういう視野が狭い発想は止めましょう。

 

 

これからの時代、日本人はもっと「日本人の悪い部分」を指摘するべきです。傷のなめ合いをして、褒め合って...そういうのが多すぎます。戦前もそうでした。日本人は昔から変わっていません。

 

 

「良い部分」を褒めるのは構いませんが、「悪い部分」を放置したり、褒めるのは問題です。成長を望むなら、日本人だからこそ、日本のことを批判的思考で見るべきです。

 

 

悪口はだめですよ。批判的思考です。

 

 

 

 

 

 

 

大日本帝国も、批判する者をどんどん弾圧して行って、批判的思考が0でした。その為、おかしな方向に向かっても、歯止めが効かず、国内外に大量の犠牲者を出しました。

 

 

特に酷いのは、軍隊の戦死者の6~7割が餓死か病死だったというもの。作戦のミスは、優秀な人を排除した事を物語っています。

 

 

戦前・戦中から、国民に色んな嘘をついて隠して、勝手に決めて、何か起きても、謝らない...昔の人がそれを改善しなかったのが問題です。

 

 

彼らの事なかれ主義のツケが、今の世代に回ってきました。結構深刻です。

 

 

私は反ワク活動を通じて、嘘をつく人達をたくさん見てきました。接種を推奨して、その結果被害が出ているのに、見て見ぬフリをして、嘘をつき続ける...。酷いと思っていましたが、昔から日本人はそうだったのです。

 

 

日本の将来の為にも、こういう部分は改善しないといけないと思っています。

 

 

批判的思考がなかった大日本帝国と同じ失敗はしないようにしましょう。

 

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日本側が「アジア解放」だと言い張っても、被害国は違う見解を持っていると思います。

 

 

被害者が嘘をつく可能性もあるので鵜呑みにするのは良くないですが、

 

 

もし被害者が複数いて、「お互いに全く接点がない被害者」の証言内容が一致しているなら、それは正確だと捉えて良いでしょう。

 

 

 

結果はどうだったのか

 

 

 

記録を見ると、日本は感謝されてない感じです。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

 

特徴的なのは、彼らは解放を口にはしても具体的ではない、ある国の解放=独立に日本がどう貢献したかを指摘しないことである。なぜそうなのか?

 

 

具体的にのべると、たちまち国の内外から反論され、根拠のなさが白日のもとにさらされるからである。

 

 

まったく仮定のことだが、もし日本がある国の解放・独立に貢献したとするなら、公的に感謝されることがあっても不思議ではない。

 

 

もっといえば、太平洋戦争の責任者の一人であった戦犯・東條英機が東京裁判の判決によって処刑されたのは遺憾だ、と公的に表明されても不思議ではないだろう。しかし、そのようなことはなかった。

 

 

サンフランシスコ講和会議でも、日本の侵略戦争のおかげで独立できたという主張はない。

 

 

八八年五月、参議院外務委員会で共産党の吉岡吉典議員の質問にこたえて、外務省の条約局長もつぎのように確認している。

 

 

吉岡議員 日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。

 

斎藤条約局長 そのような声明を行った国はなかったと承知しております」

 

 

 

感謝するどころか、あとでみるように、反対に日本軍国主義を糾弾したのである。それは、言語に絶する犠牲と被害をうけたからであり、なにより各国の独立はそれぞれの民族の事業として第二次大戦後に実現したからである。

 

 

(215~216p)

 

 

 

お前が頑張れたのは俺のお陰...と言う発想は、例えそうだったとしても、かなり厚かましい考えです。

 

 

英国の方がマシと思われた日本統治時代

 

 

今から20年以上前のことです。私は台湾に住む高齢者から、日本統治時代の治安の良さを聞かされたことがあります。

 

 

それを聞いた時は嬉しかったです。

 

 

その為、戦争で関わった他の地域からも同じように評価が高いのだろう...と、漠然と思っていたのですが、後になって調べてみるとそうではありませんでした。

 

 

特にガッカリしたのは、以下の、日本人に統治されるより、英国の保護下の方がマシだったという意見。全然解放になっていません。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

例えば、日本軍が一九四二年二月に占領したシンガポールでは、国立博物館の歴史展示コーナーで、同地の日本統治時代がいかに苛酷で苦しいものであったか、いかに多くの住民が犠牲になったかが説明されています。

 

市内のあちこちには、日本軍統治時代の住民虐殺(日本側の記録では約五〇〇〇人、シンガポール側の歴史記述では約五万人の住民が、日本軍の憲兵によって虐殺された)や憲兵隊本部での拷問などを示す記念碑が建ち、市の中心部には日本軍占領期に死亡した大勢の住民を慰霊する巨大な記念碑が立っています。

 

シンガポールを占領した日本は、この島の名称を勝手に「昭南島」へと変更して、終戦まで日本の支配下に置き続けましたが、シンガポールを独立させる計画は皆無でした。

 

シンガポールの初代首相で「シンガポール建国の父」と呼ばれるリー・クアンユーは、自分が 青年時代に経験した日本統治時代について、次のように書き記しています。

 

〈日本占領の三年半、私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。

 

同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。

 

日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。

 

日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分たちは違うと考えていたのである〉

 

(『リー・クアンユー回顧録』日本経済新聞社、上巻三五ページ)

 

(166~167p)

 

 

 

 

選民思想と差別意識...この考えが根底にあると、行動にも反映されますし、嫌われます。

 

 

そして、日本の評判が悪いのは、シンガポールだけではありません。

 

 

演説で語られた各国の思い

 

 

一つの国だけに叩かれて、他の国から感謝される...とかだったら、叩いてきた国の意見に懐疑的になりますが、複数の国から批判されると、「もしかしたら、こちらが間違ってるのかな?」...と、なりませんか。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

「アジア解放」の実態

 

 

太平洋戦争で戦火が及んだのは、北はアリューシャン(アッツ・キスカ島)、千鳥、日本本土、とくに沖縄、台湾、中国本土、インドシナ半島、フィリピン、タイ、マレー半島、ボルネオ、インドネシアの諸島、チモール島、ビルマ、インドの一部、南洋群島、ソロモン諸島、ギルバート諸島、ニューギニアなどである。

 

 

日本は東南アジアと西太平洋の島々を占領したが、それらは、タイをのぞき、当時はイギリス、オランダ、フランス、アメリカ、ポルトガルの植民地であった。この広大な空間で、日本軍が攻撃し米英蘭その他の軍隊が反撃し、大きな被害が生じたのである。

 

 

人的損害にかぎっても、中国では一〇〇〇万人以上、インドネシア四〇〇万人、ベトナム二〇〇万人、インド一五〇万人、フィリピン一一一万人、朝鮮二〇万人以上、オーストラリア二・三万人、ニュージーランド一・一万人、さらにシンガポール、ビルマの人びとが生命をうしない、総数は二〇〇〇万人以上と算出されている。

 

 

これに日本人の犠牲者がくわわる。日本の軍人・軍属などの戦死者二三〇万人、国内での空襲などによる死者五〇万人以上、総数で三一〇万人である。

 

 

「太平洋戦争=アジア解放」論者は、戦争によるこれらの犠牲をふみこんで描くことはしない。むしろ口をつぐみ、当時の東南アジアが欧米の植民地にあったこと、戦後に独立したという、この二つを並べて、日本がその解放に貢献したように印象づけようとしているだけである。

 

 

太平洋戦争開始から一〇年後のサンフランシスコ講和会議では、アジア各国の代表の演説に日本軍国主義への糾弾があった。四つだけあげておこう。

 

 

インドネシア代表アーマド・スバルジョ「占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損失があり、第二には数十憶ドルの物質的損害があります」

 

 

フィリピン代表カルロス・P・ロムロ「一千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他に未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。四年間に亙る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、わが国経済は完全に破壊し去つた」

 

 

ベトナム代表チャン・バン・ヒュー「物質的のみならず、その人民の生命においても最大の戦禍を蒙つた・・・・・・そして占領の悲惨な結果に陥し入らしめられた幾多ヴィエトナム人に対し私が今日敬虔な思いを致さなかつたならば、私はわれわれの死者に対する義務を欠くることになる」

 

 

オーストラリア代表ペルシ―・シー・スペンダー「〔オーストラリアの〕数限りなき死者、生き残つた不具者や盲目者、再び帰ることのない愛する者を弔う人々の悲しみ、戦争の捕虜となつた人々の失われた歳月、及びこれらの人々を待つていた苦悩」は深い(外務省『サン・フランシスコ会議議事録』)。

 

 

日本軍による暴虐へのうらみは、いまなおアジア各地に深く沈殿している。

 

 

この戦争の最高責任者であった天皇は、アジア・太平洋の人びとに謝罪することなく八九年に死去したが、敗戦の翌年につぎのように語っていたことが、九〇年に発表された『昭和天皇独白録』に収録されている。「私の考えは正しかった」とする末尾は、こうである。

 

 

「私が若し開戦の決定に対して『ベトー』(拒否)したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつ〔た〕であらうと思ふ」。

 

 

日本にひきよせて問題にしているのだが、開戦の決断で、戦争の犠牲はむしろ数分の一にとどまったとしていたのである。恐るべき神経である。

 

 

歴代保守政権も、あの戦争を侵略戦争とみとめてアジアの人びとに謝罪することをしていない。

 

 

(216~218p)

 

 

これに関しては、私はあえてコメントしません。被害を受けた国の人の立場を考えると言葉が出ないです。

 

 

各国の演説を聞いて、それでも「解放」と言い張る人は...いるかもしれませんね。

 

 

「ワクチン死」を「コロナ死」であるかのように報道する国ですから...。

 

 

 

 

 

 

次は、軍事裁判の結果を見てみます。

 

 

BC級の戦犯裁判の結果

 

 

「アジア解放」論を太平洋戦争に即して、検証する続きです。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

数限りない戦争犯罪

 

 

日本の敗北のあと、アジア、太平洋の各地でBC級の戦犯裁判がおこなわれた。

 

 

東京裁判の被告がA級であるのにたいして、特定の地域で「通例の戦争犯罪」をおこない、各国の軍事裁判に付された人びとはBC級戦犯とされた。

 

 

犯罪は捕虜と非戦闘員の殺害、虐待が圧倒的である。

 

 

アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国(国民政府)の七ヶ国、四九ヵ所で法廷がひらかれた。

 

 

件数は二二四四、裁判にかけられた人は五七〇〇人、判決は死刑が九八四人、無期刑が四七五人、有期刑が二九四四人、無罪が一〇一八人、その他、起訴取り下げ・控訴棄却が二七九人である(法務大臣官房司法法制調査部、七三年八月)。

 

 

起訴されたのは憲兵関係、捕虜収容所関係者が多い。

 

 

これには、ソ連、中国(中華人民共和国)の分ははいっていない。

 

 

先にふれたように、これらの裁判についても日本政府はサ条約で受諾しているのである(「日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し・・・・・・」)。

 

 

さらに、泰緬鉄道の問題もある。この鉄道は、タイとビルマの山岳・密林地帯四一五キロを、六万五〇〇〇の連合軍捕虜と三〇万ともいわれる東南アジアの労務者をつかってむすんだ軍用鉄道で、四二~四三年の一年三ヶ月で完成させた。

 

 

これによって、一万六〇〇〇の捕虜が飢え・疾病・虐待のため死亡し、アジア人の労務者の半数は自分の国に帰国していない。

 

 

建設にからんでBC級戦犯が数多くでて、有罪宣告者は一一一人、うち死刑が三二人であった(『東京裁判ハンドブック』)。

 

 

しかし、建設に動員され残酷なあつかいをうけて命を落としたアジア人について、責任を問う裁判はなかった。

 

 

(224~225p)

 

 

 

「いつまで謝ればいいんだ」と言う人がいますが、そもそも、日本は本当の意味で、謝罪も反省もしていません。

 

 

ただ「ごめんなさい」と言ったり、お金を配ったりするだけでは、通用しません。

 

 

原因を突き止め、反省し、再発防止にむけて取り組まないと、「大人の謝罪」とは言えないからです。

 

 

この理屈は、ワクチン被害にも当てはまります。

 

 

金だけ払って謝罪したフリをしても、被害者は納得しないでしょう。もしそんな態度をとれば、逆に怒りは大きくなります。

 

 

原因解明、反省、再発防止に向けた取り組みがなければ、本当の意味で謝ったことにはなりません。

 

 

被害者は、二度と同じような事が起きて欲しくない...と思うものだからです。

 

 

重要なポイントは「動機」

 

 

戦前の日本人が悪かったという話をたくさん紹介すると、「それでも、良い事をしたという話も沢山ある。」と言って、一部の良い話を教えてくれます。

 

 

だから侵略ではない...と主張したいのかもしれませんが、それは無理があります。

 

 

日本人が良い事をしたという話はあると思います。全部が悪いとは思いません。良い事は良い事なので、そこまで全否定するつもりはありません。

 

 

しかし、その一部分は、残念ですが、全体の目的を分析・把握するうえであまり参考にはならないのです。

 

 

「侵略」と捉えるべきか、「解放」と捉えるべきか...を判断する場合、一番重要なポイントは「動機」です。

 

 

戦争は大勢の人達が長い時間をかけて、実行に移すものです。

 

 

その為、ドラマとして見ると、「良い人」もいれば「悪い人」もいるし、同じ人物でも状況によって「良い事」をしたり、「悪い事」をします。

 

 

規模が大きくなればなる程、「予想外の事態」が起きる確率が高くなるので、「最初の計画」とは違った結果になる場合もあります。

 

 

従って、一つのストーリーでも、切り取り方によって、良くも悪くもなります。

 

 

戦争は縦社会の組織が計画し、それを元に大勢の人をコントロールして実行に移します。

 

 

従って、「計画を元に生じる一連の出来事」の本質を理解する時に、重要な部分は、「最初の動機や計画」です。

 

 

この部分に計画者の意図や目的が一番表れています。

 

 

出来事の本質を理解するうえで、次に参考になるのが「結果」です。

 

 

戦争の場合、「アジア解放」という建前で行って、その結果、「現地がどうなったか」という部分です。

 

 

現地は本記事でご説明したとおりです。結果をみれば、日本人がやったことは悪い事であり、

 

 

心から「共栄」など考えていなかった事が分かります。

 

 

大人なのですから表向きは良い事を言うものです。本音を見ましょう。

 

 

そして日本人の場合、白と決めたら、黒でも「白」と言い張るので、そういうことも注意する必要があります。

 

 

侵略の結果、戦後も残る問題

 

 

日本は戦前・戦中に、アジアの国に大変迷惑をかけたのですが、戦争が終わっても、昔の影響を受けて苦労している人達がいます。

 

 

以下は、菅野完氏が、蓮舫氏の二重国籍問題について語っている動画ですが、見て欲しいのは(8:00~)からです。

 

 

大日本帝国領だった人達の戸籍について。日本側の対応がクソです。

 

 

 

 

「大東亜共栄圏」とか「五族協和」とか言って、つるんでいたのにも関わらず、戦後は冷たく切り離す。

 

 

表向き良い事を言っていても、この冷たさに本音が表れています。

 

 

余談ですが、菅野氏が話している、人を棄てる話は、以下の動画でも別の角度から語られており、日本は同胞に対しても酷いことが良く分かります。

 

 

 

 

 

侵略を「侵略じゃない」と言うと、ブーメランになる

 

 

これまで「アジア解放」説を叩いてきました。

 

 

そうするのは、嘘が嫌いだからなのですが、他にも理由はあります。

 

 

「アジア解放」説を唱えている人達は、自分達の過ちを胡麻化せば、責任を取らなくて済むので、「逃げ得」だと思っているのかもしれません。

 

 

しかし、この態度は長い目でみると、日本人にとってマイナスにしかならない考えです。

 

 

悪事を「良い事」のようにしてしまうと、ブーメランになります。

 

 

 

例えば、日本軍がやった虐殺、略奪、強姦を「侵略」と言わない...と定義するなら、

 

 

戦後GHQが日本に入って来てやった事も「侵略」でも「植民地」でも「占領」でもないということになります。それこそ「日本解放」といわれますよ。

 

 

現在、日本が抱えているあらゆる問題を、何でもかんでもGHQのせいにする人が多いのですが、GHQは日本軍が他国で行っていた行為に比べると遥かにマシです。

 

 

GHQは日本の国民にとって、良い事もやっています。

 

 

例えば、奴隷憲法である大日本帝国憲法の呪縛から解き放ち、日本国民を「人間の地位」に戻し、「人権」という概念を植え付けました。これがあったから私たちは、これまで自由や権利が守られ、自分の力を発揮することができ、戦後の復興を成し遂げたのです。

 

 

あれを言っちゃいけません、これをやったらダメです。こうしなさい、ああしなさい...

 

 

そうやって、本人の自主性を押さえつけて、みんなと同じ考え、みんなと同じ行動をさせ、自分に嘘をつかせると、委縮して能力が潰れるので、一人一人の力が発揮できず、日本全体で見た時に、国力が落ちるのです。

 

 

その流れを変えたのがGHQなので、国民にとってはプラスになっています。ただし、GHQのやった愚民政策はダメです。

 

 

そして、日本人が中国で行った事を「悪くない」「共栄」と言うなら、今、中国人が日本の土地を買うのも(しかも合法的)「悪くない」し、「共栄」と言われます。

 

 

昔の日本人がやった事と比較したら、今中国人がやっていることはまだマシです。

 

 

例えば、土地を買われるにしても、売っているのは日本人です。

 

 

聞いた話ですが、土地を持っていても跡継ぎがいない等で、処分に困っている人がいます。なかなか買い手がつかない時に、中国人が現れて、日本人が払えないような金額で買ってくれると、ありがたいそうです。

 

 

逆に「外国人が土地を買うのは侵略だ」と言っている日本人は買ってくれない...。

 

 

土地を売りたい人からみたら、外国人であってもありがたいし、買った方からみれば「買い手がつかなくて困っていたところを助けてあげた」という構図になるわけです。

 

 

困ってたからアジアを解放してやった。インフラを整えてやった...だから問題ないと考える人は、

 

困ってたから土地を買ってやったんだ...という言い方を外国人からされたら、問題だと思わなくなるのですか?

 

 

相手に「してやった」を言わせない為にも、普段から、自分達の傲慢な言い方をやめるべきなのです。

 

 

もう一つ大事な事を言っておきます。

 

 

日本軍がやった略奪、強姦、虐殺を「悪くない」と定義したら、逆にされたら文句を言えなくなります。「お前たちがこれは悪くないって言ったよね」と言われるでしょう。

 

 

同じ事をされる可能性がある...という視点を持っていれば、これまで相手に向けた態度や言動がいかに危険だったか分かると思います。

 

 

 

相手の立場に立って考える事は大事です。

 

 

ダメなものは誰がやってもダメだとハッキリ言う事...それは相手の為でもあるし、自分の為でもあるのです。

 

 

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