GHQによって日本人は劣化させられた...は、この界隈で人気の説です。
確かに、どんどん環境が悪くなっているので、ここ数十年だけにスポットを当てたら、どうしようもないくらいダメになっている気がします。
しかし、時代をさらに遡って、比較対象を戦前、戦中にすると、現代人は意外にダメになっていないことがわかります。
私は数回にわたって、戦前、戦中の日本人について書いてきました。例えば...
④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。
これらの記事を読んだ方なら、どこからどうみても、「GHQの影響を受ける前の日本人」より、「GHQの影響を受けた現代の日本人」の方が人として正常である事が分かると思います。
ですが最近、よく見かける「昔の日本人」の設定はこうなっています。
日本人は優れた遺伝子を持ち、精神性が高く、強く、仲間思いだった...と。GHQの影響によって日本人は変わってしまった...と。
youtubeにあがってくる書籍の広告がこんなのばっかりです。



もうちょっと現実に寄せてくれよ...と言いたくなります。まるで少年漫画のキャラのようです。
その見解が本当なのか、調べる人は少ないので、あっさり信じる人がいます。褒められて悪い気はしませんから...。
戦前の日本サイコー、日本の問題は全てGHQが悪い、明治憲法賛美、天皇万歳...と、日本を美化しまくっているコンテンツは、googleには気に入られているようで、良く勧めてこられます。
これも違和感を感じます。
何でもGHQのせいにする理論展開は、日本人の自尊心をくすぐるので、嬉しくなる気持ちも分かりますが、もう少し現実を直視しましょう。
「GHQが来る前の教育を受けた日本人(つまり、~昭和初期世代)」は、私が子供の頃は沢山生きていました。
でも、実際に彼らと接した感想は...現代の人達と比較して、特別素晴らしいと思った事はありません。
優れているのは、手先が器用とか、体力があるとか、理不尽な事にも黙って耐える辛抱強さです。
前者は、文明に頼るか、自力でやるかの違いから生じた差なので、GHQは関係ありません。
GHQの影響を受けていない日本人は荒れていた
大正、昭和生まれの人は、現代人より人権意識が低いので、個人差はありますが、今の人達に比べて性格はキツめです。
自分の人権を大事にしないから、人の人権も大事にしません。
...と言っても、昔の人と関りが少ない人は信じないと思うので、
昔の新聞や裁判記録を元に書かれた本、『戦前の少年犯罪』を例に説明します。
現代の事件以上に酷いものが多いです。
動画もあるので貼っておきますね。

昔の日本に幻想を抱いている人は、夢が壊れてショックかもしれませんが、これがGHQが来る前の日本人の実態です。
この情報は、人から聞いたとかではなく、昔の新聞や裁判記録が元になっているので信憑性があります。
生前、祖母(今生きてたら100歳になる)が言っていたのですが、戦前の小学校でも学級崩壊は普通にあったそうです。
女の先生だったら、バカにして言う事をきかなかったそうです。女子も授業中におじゃみ(お手玉)をして遊んだり...。
今の厳島神社は、格式高そうな感じで、お金を払わないと入れませんが、昔は普通に入れていて、子供は廊下を走り回って疲れたら寝転がっていたそうです。今みたいに遊びに規制がかからないので、楽しそうだと思いました。
祖母が子供だった時は、太平洋戦争に突入していないので、まだ自由度が高かった感じがします。
次は戦前・戦中の日本人が、学校でどんな教育を受けてきたのか見てみます。
GHQが来る前の教育。軍隊が元になっている体育。
戦前・戦中の日本は、天皇や国家を重視する国だったので、「国民の人権」は二の次でした。その為、様々な政策が非人道的になります。
教育も例外ではありません。まず、体育から解説します。
日本の教育制度は、伊藤博文内閣の時、初代の文部大臣になった森有礼(もり ありのり)が作りました。
森は「国家優位の為の人材」を育成する事が学校の役割だ...と考えていました。
特に、初等教育は「優秀な兵隊」を作る事が目的です。体育は軍隊の訓練をそのまま採用したそうです。
従って、「命令する側」と「命令される側」の権力関係が叩き込まれます。
このようなコンセプトで戦前の学校制度の基礎は作られたのです。
学校のアイテム、イベントは軍隊そのものです。
●運動会そのものが野戦演習
●ランドセルは背嚢
●詰襟の制服は陸軍の軍服
●セーラー服は海軍の軍服
富国強兵の名のもとに学校が形作られていった事実は、それらを連想させる道具を使っていても、調べなかったら分からないですね...。
昔の日本は「優秀な兵隊」を作る為の教育が行われていました。
「忠実な下っ端」を作ることが目的なので、「優秀な労働者」を作る為の現在の教育と、大差ないです。
日本が現在のような「自分の頭で考えさせない教育」になってしまった事を、GHQが作った教育のせいにする人は多いですが、実際は、GHQが来る前に、日本人の手で完成させていたのです。
こんな性格の子が、大人になったらどうなるか、戦場に行ったらどうなるか...想像がつきますね。
よく、「戦争になればどこの国でも酷い事をするんだ」と言う人がいるのですが、日本人が異常なのは、仲間を虐待していたことです。
身内への攻撃は、ただの嫌がらせなので、人間性に問題があります。そんな人達を大量に生む社会システムだったということです。
軍国教育
日本の軍隊を意識した教育は、没個性、非論理的な思考をする人間を育てます。個人を支配する圧力は、GHQどころではありません。
その結果、見事に軍国少年、軍国少女を大量生産しました。経験者のお話を聞いてみましょう。
当時の授業内容は、論理的思考を奪う教えのオンパレードです。しかも、体罰つき...。
●歴代天皇の名前を言わされ、途中で間違えるとぶん殴られる。
●中学校の入学試験に、特攻隊の名前を漢字で書かされる。
体力はつくでしょうが、思考を押さえつけられるので、間違いなくバカになりますね。
言いなりになったからといって、それなりのリターンがあるわけではありません。従い損、搾取され損です。利用だけして、後捨てられる事もあります。
戦力が足りなくなると、子どもでも兵隊として利用されたのですが、そこでも人権はありませんでした。
沖縄では負傷して歩けなくなった少年兵を、日本の軍医が射殺したとのこと。従っても、「役に立たない」と判断されたらこうなります。
一番物覚えが良い時に大人に利用されて、子供が気の毒です。
当時、軍国少年だった人がインタビューを受けてますが、大人に対して怒りがあるそうです。

別の動画でも怒っている方がいました。


バリバリの軍国教育を受けて、洗脳されていた人達も、後で真相が分かって怒っています。体験者が失敗だと認識してるんですよ。
それなのに、「当時の日本の教育を受けていない現代人」が、GHQ以前の教育が理想であるかの様に語っているのは滑稽ですね。
これを理想と考える人は、命令される側ではなく、命令する側に立てる人です。
もし今、自分が子供だったとします。「戦前と戦後、どちらの教育を受けたいですか?」と問われたら、私は迷わず、戦後のGHQの影響を受けた教育を取ります。これを良いとは思いませんが、マシではあります。
「竹槍で戦闘機に勝てる」等といった非論理的な頭にはなりたくないので...。
ここまでの話で分かると思いますが、軍国教育とは、間違いなく奴隷教育です。
そして、GHQ以降の教育も、洗脳であり、奴隷教育だと言われています。
つまり、程度の差はありますが、どちらも奴隷教育です。言うまでもありませんが、国の為に死を要求する日本の方が奴隷レベルは高いです。
では何故、愛国者は、「GHQの教育」は批判して、「日本人が勧めた富国強兵・軍国主義の教育」には怒らないのでしょうか?
それは、「戦前の奴隷教育」を批判する事は、国家神道や天皇の批判に繋がるからです。
日本式奴隷教育が作り上げた人格
教育が良かったかどうかは、どう成長したか、結果を見る事で分かります。論より証拠ですね。
...で、日本式奴隷教育の成れの果てがこれです。
知力に欠けていました。
自由や民主主義を考えただけで、殴り殺されたそうです。いらんですね。こんなものは。
さらに酷いのがこれ。上の立場の人間は、危険を察知すると弱者を見捨ててさっさと逃げました。
そうなると、部下が残るわけですが、命令されないから何をしていいか分からない状態だったそうです。
(7:38~)
指揮官にあたる上官はみんな逃げて居ないの。兵隊さん達はどうしていいか分からないから、ここにいてね。
(インタビュアー)上官逃げたの?
上官いないの。だから、指揮官がいないから、日本は負けたってことはまだ分からない。その時に兵隊さん達はどうしたかっていうと、近所のうちへ来て、我が家なども大勢の兵隊さんが来て、お風呂へ入るわけ。で、兵隊さんはお風呂へ入って、我が家でみんな寝そべったりしてましたよ。何にもできないのよね。
(インタビュアー)上官逃げたの?
命令をする人が逃げていないの。兵隊さんってね。本当に烏合の衆って言うけれども、兵隊さん達もね、逃げて良いのか、逃げればいいんですよ。誰も逃げないの。
自分で考えて動けよと言いたくなります。イエスマンは脆いです。
(2:20~)
自分達を守ってくれるはずの日本軍は、駅や線路を爆破し、既に撤退。
当時の体験者が問題視している「戦前の教育」を、理想であるかのように語る人は、内容をよく知って、その教育がどんな大人を作ったかをよく見た方がいいです。
上の立場の人間にはペコペコし、差別大好き、物事をきちんと考えない、責任は取らない...これが戦前、戦中の大人の姿です。
教育勅語
教育勅語(ちょういく ちょくご)を褒めたたえる人がいます。
正式名称は「教育に関する勅語」と言い、「勅語」とは天皇が国民に対して発する意思表示の言葉です。
この教育勅語は、大日本帝国時代に絶大な権力を持っていました。教育で学ぶ考える議論する...というよりは、宗教の経典のように疑問を持ってはいけない教えでした。
1890年から、太平洋戦争敗北の1945年までの55年間、日本の教育の中核だったので、日本人の思考に大きな影響を与えたことは間違いありません。
教育勅語の内容は、家族を大切にしたり、勤勉である事等、生きていくうえで大切な事が書いてあるので、一見「国民の為」になりそうです。
しかし、教育勅語の重要なところはそこではありません。一番重要なところは、天皇の為に命をかけろという部分です。
以下は高橋源一郎氏の教育勅語・現代語訳で、2017年の記事です。一度は目を通しておいた方がいいでしょう。長いので途中まで、続きはリンク先の2ページ目にあります。
AERA 『作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!!』
■高橋源一郎「現代語全訳」
『はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。
そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。
きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。
そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。
さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。
というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。
以下は高橋氏のXです。
教育勅語①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」
— 高橋源一郎 (@takagengen) March 15, 2017
どうでしょう?途中までは、家族を大事にしよう、勉強や仕事を頑張ろう、みんなの為に...といった、何時の時代でもウケるような、美しい事が書いてあります。
これだけなら、人権を大事にしているんだな...と思います。ですが、後半の本音を読むと、ちょっと待ってと言いたくなります。
何だかんだ言って、結局最後は「天皇の為に命をかける」事を要求しているのです。人の命や尊厳を何だと思っているのでしょうか。
この思想だと、当時の日本では、「人権の大切さ」は絶対的に決まっているのではなく、相対的に決まっている感じがします。
つまり、何もなければ、国民の人権は大事だけど、「天皇」という存在が比較対象としてある場合は、国民は下なので人権は低くなります...という意味です。
人権は一応ありますが、条件付き。「全く無い」とは言えないので、見方によったらマシに見えるでしょう。
でも、教育勅語を教えるような戦前は、人権もなく、今の教育よりずっと酷いです。
ちなみに、当時の国民には知らされなかったようなのですが、実はこの教育勅語を書いたのは、明治天皇ではなく、内閣法制局長官の井上毅と、明治天皇の側近であり儒学者の元田永孚だったそうです。
表面的に良い事を言っていても、人権無視、選民思想、優性思想、全体主義に行き着くならアウトです。
当時も、人格者、頭の良い人はいたと思いますが、全体に染まらない人は、弾圧の対象になるので、表舞台からは姿を消します。
こうして国家が腐っていくので、国民のレベルもそれなりになります。
GHQの影響を受けていない日本人の人間関係
教育勅語には、親、兄弟、夫婦、友達を大切にしましょう...みたいな事が書かれています。この部分は良いので、評価する人は多いです。
しかし、書いている事と、それが実行できているかどうかは、また別の話です。
教育勅語の「天皇の為に命をかける」という部分は、忠実に実行に移した日本人ですが、周囲の人達の事は、果たして、大事にできていたのでしょうか。
その事についても、現実を伝える事にします。
文明の力を借りれば、たいていの事は一人でこなせるようになった現代とは違い、助け合わないと生きていけないので、コミュニケーションがとれていた...
このように想像する人は多いと思います。
昔の家族や近所付き合いは、今より深いです。
しかし、その一方で、陰湿な嫌がらせが多かったそうです。
特に「嫁」と「姑」の関係、あるいは「嫁」と「小姑」の関係でのイジメ...この話は、子どもの時から、何件聞いたか分かりません。
家族なのに、「嫁は他人」という感覚の姑も多かったです。「同じ家族なのに、なんでそんな嫌がらせみたいな事するの?」と、思っていました。
旦那が、嫁を姑から守るケース、旦那の兄弟が、嫁を小姑達から守るケースもありましたが、そういうのは稀です。
「イジメを解決する気がない旦那」も珍しくありませんでした。
女性の地位が低い、女性差別というより、女性も女性をイジメる感じですね。姑が嫁を。小姑が嫁を。
愛がないので、どこかでツケが回ってきます。姑が高齢になって弱った時に、立場が逆転し、仕返しする話もよく聞きました。
共通しているのは、上下関係。「立場の弱い奴」を虐めてやろう...という「根性の悪さ」が家庭の中でも発揮されていました。身内なのに健全な関係ではありません。
昔は女性の地位が低かった...という話になると、「女性が家に閉じ込められて働けない事」ばかりが強調されますが、それよりも、「嫁ぎ先でイジメられる事」の方が問題だと思います。
「昔の家族スタイル」を礼賛する人がいますが、たいてい男性です。聞き取り調査してないだろうなと思います。当時の女性達が、家庭内で粗末に扱われていた事実を知らないのです。
「昔の家庭」は、表面的には美しいかもしれませんが、「嫁の我慢」で成り立っていたと言っても過言ではないでしょう。
現代は自分の意見を言える環境になったので良かったと思います。
昔の人は、身内だけでなく、他人でも、「立場が低い相手」への態度が悪かったです。外国人に対する差別用語も普通に使っていましたし、表現もキツいです。
日本人に対しても、見下した相手に対しては、容赦ないです。例えば、今誰かが認知症になったら、「認知症」と言う言葉を使いますが、昔は「〇〇さんはクルクルパーになっちゃった」...とか、今では考えられない言い方をしてました。
片方の悪は叩くけど、片方の悪は応援する矛盾
GHQが来る前の教育は、人格者を育てる内容ではありませんでした。自分の頭で考えさせないのでロボットになります。
国民にとっては、メリットがありません。
戦後の日本の教育については、洗脳だ!奴隷教育だ!...と文句を言うくせに、
戦前・戦中のもっと酷い日本の教育については、批判するどころか絶賛する人がいます。
「洗脳」や「奴隷化」を批判するなら、同じ事をやっている両方を叩くべきですが、そうはなっていません。矛盾の理由を解説します。
前者は外国人が関わっています。後者は指導しているのが日本人です...。
戦後の教育を叩いている人は、「教育の内容」ではなく、指導している人を「好き」か「嫌い」か...で判断しているように見えます。
外国人がやるのは何でもダメだけど、日本がするのは何でもOK...という発想です。
このタイプの人達は、同時に、「昔の日本」や「天皇」の事をおかしいと思ってはいけない...と考えています。
だから、外国勢力が絡んでいる事は「良い事」でもけなすし、昔の日本人がやった事は、「悪い事」でも評価を高くするのです。
この思想は、色んな所に影響しています。矛盾が一杯見つかります。
例えば、「ニューワールドオーダー(NWO)の独裁」や「WHOの独裁」には批判するけど、「天皇制の独裁」は問題視せずに歓迎します。
この矛盾に陥ってる人は、NWOやWHOに反対する動機も、「正義」や「民主主義を守るため」とかではありません。また、「独裁」や「支配」に怒っているわけでもないです。
単に、支配者が「自分の推しの人」ではないから気に入らないのです。
「天皇」一筋だから、「天皇以外の支配」は受け付けない...と考えているのです。従って、「天皇」になら支配されても良いと考えています。
「Aさんにシバかれるのはいいけど、Bさんに叩かれるのは好きだからいい♡」という考えなので、「独裁的なシステムそのもの」に反対しているわけではありません。
トップの椅子に座る「人」が、「自分の推しの人」であればOKなのです。
本気で独裁や支配に反対していたら、全ての独裁や支配にNO!を突き付けるはずです。例え推しであっても。
奴隷・洗脳教育に反対するなら、戦後の教育だけでなく、戦前・戦中の教育にも反対しなければ、フェアではありません。









