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これまで、大日本帝国の加害行為に関する記事を、何回かに分けて書いてきました。

 

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

その少し後、Youtuberの桜井弁護士が、以下のような動画を上げていました。

 

 

 

 

 

南京大虐殺を「捏造」だと言う人がいるので、冷静に考えてもらう為の記事を書かなければいけないと思いました。

 

 

 

戦争の話を追及する理由

 

 

私が何故、「自分が生まれる前の過去の出来事の一つ」の、あったか、なかったか論争について書くのかと言うと、

 

 

「過去の出来事そのもの」に執着しているわけではありません。

 

 

いつも記事を書いている理由と同じで、何も知らない人を騙すなと言いたいから書いているのです。

 

 

そして、不確かな情報を元に、おかしな方向に人を誘導するなとも言いたいわけです。

 

 

戦前・戦中に日本人が行った悪事を「無かった事」にする者が現れた場合、放置すると、世の中はこのような流れになります。

 

 

 

①日本人の悪事を無かった事にする

②日本人は素晴らしかった、だから戦前の社会は素晴らしい(設定にする)

③戦前の日本人が理想、戦前の社会システムが理想、戦前の憲法が理想

④憲法改正した方がいいよね。戦前回帰しよう。

 

 

 

日本人の悪行を無かった事にしようとする人達は、この心理誘導が本当の目的なのです。

 

 

いきなり④を主張すると反発がくるので、①~③の麻酔をかけた状態で、④を主張するわけです。この方法だと、あら不思議。受け入れる人が続出します。

 

 

①~③の部分は、昔の日本のことを褒めて褒めて褒めまくります。すると、何の努力もしなくても、日本人に生まれたというだけで優越感に浸れるので、この説を支持してしまう人が一定数います。

 

 

実態はまるで違うのですが...

 

 

「戦前の日本人=人権意識が低くて、弱者に強いが強者に弱い」、「戦前の社会システム=下級国民に人権なし」、「戦前の憲法=奴隷憲法」...と言っても過言ではありません。

 

 

 

この道を選んだら地獄行きです。

 

 

詳しく知りたい方は、以下の記事を読んで下さい。

 

日本国憲法と戦後の日本の良さについて考える

 

 

 

ワクチンと同じで有害なのですが、綺麗に語ると、良いものだと思って選択してしまう人が出てきます。

 

 

従って、最初の段階で、嘘をつかせないようにする事は非常に意味があります。

 

 

表面的には、戦争の問題のみを扱っているように見えるかもしれませんが、常に「現在の問題である④」の事を一緒に考えているので、単純な「過去の話」でもないのです。

 

 

あと、昔の日本人を正しく伝えることで、現代の日本人のモラルの高さを知って欲しいと思っています。それも目的の一つです。

 

 

最近、昔の日本人は素晴らしかったのに、今の日本人はダメになった...みたいに語る人が多いです。しかし、そんな事はありません。

 

 

現代の日本人の方が人格がまともです。自信持っていいと思います。今の日本人がダメになっただなんて、それこそ自虐です。完璧ではないですが、精神面は昔に比べて確実に成長しています。

 

 

当時は女性の社会進出が進んでいなかったので、歴史の表舞台に出てくるのは、ほどんどが男性です。

 

 

その男性の性質を見ると、現代の男性の方が遥かにいいことが分かります。全体的に、差別意識や弱者に対する態度が、ずいぶんマシになりました。

 

 

昔の男性は体力はあって頼もしく見えるかもしれませんが、その力を弱者を守るために使うのではなく、強い者の横暴に加担する事に使っています。

 

 

昔の人の精神力の強さも、分析すると、上からの理不尽に耐える強さがほとんどです。無駄にイキって力強さをアピールしたり...

 

 

強くても、女性や子どもを殴るようなら、その強さに魅力はありません。

 

 

個人差があるので、昔の人でもまともな人はいます。しかし、全体的な傾向としては、現代の方が人間として成熟しています。自信を持って下さいと言いたいですね。

 

 

南京大虐殺を否定する話は昔からあった。

 

 

「南京大虐殺はなかった説」は、ずいぶん前からあるみたいで、論破されています。

 

 

以下は、遠藤高明氏(所属:歩兵第65連隊第8中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記です。※「陣中」とは戦いの中という意味です。

 

 

 

この12月16日の記録を読んで下さい。

 

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行(219~220p)』

 

 

 

「給養」とは、主に軍隊や自衛隊において、隊員に衣食住などの生活に必要なものを供給することです。

 

「徴発」は、人が所有する物を強制的に取り立てる行為のことで、以下に詳しく書かれています。

 

徴発 wikipedia

 

特に、軍需物資などを人民などから集める際に見られる行為で、行政的な執行権が伴う場合もある。供出や略奪と異なり、徴発においては対価は支払われる。対価は軍票などによることが多い。

 

 

 

さらに次の日も...

 

 

 

 

この衝撃的な日記の説明がこちら。

 

 

『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 / 小野賢二・藤原彰・本多勝一 編 / 大月書店 / 1996年第1印発行』

 

 

3 虐殺を記録した日記の意義

 

 

ここに集録した日記の、歴史的な意義についても述べておこう。

 

 

南京大虐殺はでっち上げだとか、幻だとする議論は、すでに完全に破産している。

 

 

それにかわって現在あらわれている大虐殺否定論は、不法殺害の数は少数なのだから、中国側や日本の中国追随派の大虐殺説はまちがっているという少数説である。

 

 

その代表は、防衛庁の『戦史叢書・支那事変陸軍作戦(1)』や、偕行社の『南京戦史』である。

 

 

少数説が大虐殺を否定する論拠の一つとしているのが、この山田支隊による捕虜殺害についての事実の認定である。

 

 

『戦史叢書』では、山田支隊が一五日に一万四千余を捕虜にしたが、非戦闘員を釈放して約八千余を収容した。だが、その夜半数が逃亡した。一七日夜に残りの捕虜を対岸に釈放しようとして揚子岸に移動させたところ、捕虜が警戒兵を襲ってきたので発砲した。射殺した捕虜は約1000名で、他は逃亡したとしている。

 

 

『南京戦史』では、資料や証言の確度に問題があるとしながら、実数を推定すると次のようだとして、山田支隊の捕虜は六〇〇〇、そのうち逃亡三〇〇〇、処断三〇〇〇としている。いずれも捕虜の大部分は釈放したかもしくは逃亡したのだとしており、残りは自衛のため発砲したか、処断したのだとしている。

 

 

ここに集められている日記は、こうした釈放説。自衛発砲説を粉砕する資料である。どの日記にも、釈放や捕虜の反乱の記述はまったくない。一万数千ないしはそれ以上の捕虜を、組織的に殺害したという事実を、淡々とそのままに記述しているのである。

 

 

『南京戦史』は、「下級将校や下士官兵の日記には、ややもすれば噂や憶測をそのまま記録する傾向がある」と、信用ならないとしている。

 

 

『戦史叢書』は、高級指揮官や参謀の日記や証言は資料として使っているが、下級将校や下士官兵のものは無視している。

 

 

しかし、高級指揮官や参謀たちの日記のほうが、自己顕示欲にあふれていたり、他人の眼を意識して功名手柄を誇ったり、あるいは弁解が多かったりすることが多い。かえって下級者の日記に、他人の眼を意識しない自分の覚えとして書かれたものが多く、飾らない個人の記録として評価できるものがある。史料批判と校訂をきちんと加えれば、史料として利用できるのである。

 

 

ことにこの場合のように、同じ部隊に属した数多くの人々の日記が集められていることは、史料としての価値が高いのである。一つひとつでは記憶違いや先入観があって、正確さを欠くこともあるが、数を積み重ねることによって相互に検証しあうことができるし、傍証を固めることも加えれば、史料としての価値も高まるのである。

 

 

そしてこれらの日記を総合して判断すれば、山田支隊は十二月一四日に幕府山付近で一万四千余、一五日にもつづいて数千の捕虜を捕らえたこと、軍命令で一六日にその三分の一を江岸で射殺し、一七、一八日と処刑をつづけ、一八、一九の両日には死体片付けのための兵力を出していたことが明らかである。

 

 

捕虜が逃亡したり反乱をおこしたのではなく、「11[遠藤高明]陣中日記」に書かれているように、捕虜を給養することは「兵自身徴発二ヨリ給養シ居ル今日到底不可能事」なので、「適当二処分スベシ」との軍命令があったということであろう。一万四千ないしそれ以上の捕虜の組織的な処刑がおこなわれたことが記録されているのである。

 

 

これは国際法上も人道上も許されない不法行為であることはいうまでもない。その事実を率直に記録している史料として、これらの日記は異議があるものということができよう。

 

 

つぎにこの日記は、兵士の心情の飾らない記録としての意味もある。「1[斎藤次郎]陣中日記」に見るように、幼な子四人と身重の妻を抱え、刈入れ前の田圃を心配している一人の農民が、突然の召集令状で戦場にかりだされていったのである。

 

 

家族を愛し平凡な日常生活を送っていた農民や市民が、いきなり侵略戦争の前線に立たされたとき、どのようにその心情が変わっていくかを、多くの日記はまざまざと物語っている。

 

 

はじめは現地の子どもを見て、故郷の我が子に思いを馳せていた心優しい兵士たちが、徴発と捕虜殺害をくりかえしていく中で、いつのまにか残虐行為に手を下すことに、なんの躊躇も感じなくなっていくのである。善良な市民を虐殺の下手人に仕立て上げる侵略戦争の恐ろしさを、あらためて感じさせるのである。

 

(xvi~xvii)

 

 

他の人の同じ日付も参考になります。

 

以下は、宮本省吾氏(所属:歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充、階級:少尉)の陣中日記です。(同本の134p)

 

 

 

 

以下は、目黒福治氏(所属:山砲兵第19連隊第Ⅲ大隊大隊段列・編成、階級:伍長)の陣中日記です。(同本の373p)

 

 

 

 

この時代の人は、文章の書き方が独特で、人によってカタカナを使う人もいれば、今の言葉に近い文章を使う人もいます。

 

 

本人の日記を書き写した本なので、現代の私達からすると、読みにくいところも多いです。

 

 

3人の日記を紹介しましたが、紹介していないだけで、他の人のもまだあります...南京大虐殺を「なかった」と主張する人達は、これらをどうやって否定する気でしょうか。

 

 

元日本兵、同胞の証言です。

 

 

なかった説の根拠で一番多い「現地に住む人から聞いた」

 

 

南京大虐殺の「なかった説」を唱える人は、具体的な説明をしません。

 

 

「知り合いから聞いた」「現地の関係者から教えてもらった」「なかったそうです」...と言うパターンが多いのですが、それだけでは、「証拠」の否定にはなっていません。

 

 

否定する場合、どの資料の、どの部分が、どういう理由で間違っているのかを説明できなければ、説得力がありません。

 

 

でも、そういった根拠は出してこないので、不誠実だと思います。

 

 

この件は被害者がいるので、中途半端な根拠で「ない」と言うのは、無駄に関係者を傷付けることになります。被害者だけでなく、勇気を出して証言してくれた元日本兵の両方をです。

 

 

「相手が確実に嘘をついている証拠」を出さずに「捏造」呼ばわりするのは、配慮にかけていると思います。

 

 

そして、少し現実的な話をします。

 

 

現代の日本でも、日本の為にならない事をする日本人がいます。同じ日本人でも、一枚岩ではありません。得になるなら日本人より外国人と手を組む人はいます。人間はそういうもんです。

 

 

これは他の国の人もあてはまります。中国人であっても、日本人と手を組んでいた人は必ずいたはずです。

 

 

日本人側についている人は、日本の悪事の隠蔽に協力する可能性はあります。

 

 

一部と全体

 

 

「知り合いが見た限りではなかった。だから南京大虐殺はなかった」と結論づけるのは、かなり雑な理論です。

 

 

現地にいても、現地の事を知らない人がいるのも事実なので、その場合は、結論としては、「見なかった人、知らない人もいるよ」くらいに留めるのが妥当でしょう。

 

 

 

見なかった人、知らない人がいる。だから全部ない...は、ちょっと無理があります。

 

 

 

ワクチン被害に置き換えて説明してみましょうか。

 

 

私の地元では、私が知る限りでは、ワクチンが原因で亡くなった人はいません。

 

 

突然亡くなる人や、原因不明の体調不良が増えているのは事実です。「たぶんそうだろうな」...というケースはありますが、調査したわけではないので、それも憶測です。

 

 

 

どこかにいるとは思いますが、私の周りでは、ハッキリ「ワクチンが原因で」と、医師や家族が認識しているケースは0です。私の地元では。私が知る限りでは。(ただし、他の市まで範囲を拡大すると何件かあります)

 

 

 

「現地の人から聞いた事」が全てなら、私が住んでいる地元のワクチン死は0なのでしょうか?

 

 

既に大量に報告されている、世界中のワクチン薬害死まで、この世に存在しない事になるのでしょうか?

 

 

違いますよね。

 

 

「私の周りにいなかった。ワクチン死と断定できるケースはなかった」は、一つの証言ではありますが、それがあるからと言って、「厚労省が発表している被害者の数字」や「実際に被害に苦しんでいる人達の事象」を、全否定する力はありません。

 

 

2つの情報が矛盾している場合、何故異なるのかを、検証する必要があります。

 

 

「私の周りにいなかった」という事実があり、「厚労省の発表」という事実があります。

 

 

それと同じ理屈で、「現地の人がないと言っている」は、それだけでは、他の証拠を否定する力までありません。

 

 

私はそういう分析はしません。ワクチンでもそう。

 

 

私は地元のワクチン被害者を知りません。しかし、私が知らないだけで、水面下では沢山いると予想しています。

 

 

他の地域の被害報告は沢山知っているので、地元だけないという事はありえないからです。

 

 

あったか、なかったかという話を、数が間違っているかどうかの話に論点をズラす。

 

 

「なかった」説を唱える人は、虐殺があったか、なかったかを問題にしているのに、数が間違っているという点をピックアップし、そこが間違っている、だから全部なかった...という結論に持って行きます。

 

 

ワクチン問題でも似たような例があります。

 

 

反ワクの中には、超過死亡を全てワクチンで亡くなったと仮定して、こんなに亡くなっているんだ、原爆で亡くなった数より多い...と騒ぐ人がいます。

 

 

私はさすがにそれは盛っていると思います。周囲のワクチン死と思われる人の割合からすると、超過死亡の数を全部ワクチンが原因と決めつけるのは厳しいと思っています。

 

 

接種していなくても亡くなる人はいますから...。

 

 

そう言うわけで、超過死亡数=ワクチン死とする意見は、ワクチン被害者の数を盛っていると思われます。

 

 

じゃあ、だからといって、「ワクチン死者が多い」という話そのものが、全て嘘にはなりません。

 

 

超過死亡の数ほどで無くても、間違いなく、史上最悪の薬害事件であり、これほどの被害を生んだ薬害は過去にないと言い切れます。

 

 

盛った数がオーバーだったとしても、コロナワクチンが酷いことには変わりありません。

 

 

南京大虐殺もそうです。30万が盛った数だったとしても、本当はそれより少なかったとしても、十分虐殺でしょう。

 

 

日本人が他の場所で聖人君子のようで、南京だけ酷いと批判されるなら、それは、日本人を貶める為に悪く言ってるんじゃないのか...と疑ってしまいますが、そうではありません。

 

 

日本軍はこれに限らず、731部隊、アヘン政策などで鬼畜の限りを尽くしています。現場の人間が暴走してやったのではなく、組織的、計画的にやっています。子どものころから選民思想で、自分達は特別だと思っているので、下に見た相手に対しては酷い事をします。日本人同士であってもです。

 

 

大日本帝国の日本人は、現代の日本人とは、性質が違います。総合的に判断すると、こいつらならやりかねんと思っています。

 

 

被害者側が数を盛るのもアウトだし、加害者側が「相手が盛っているから、自分がやったことは全部ない」とするのもアウトです。

 

 

大事なのは、虐殺があったかどうか。

 

レッテル貼り

 

 

何度も言いますが、「虐殺はなかった」と叫んでいる人達は、具体的に、何と何がなかったのか、根拠を出さない人がほとんどで、ただ「なかった」と言うだけです。

 

 

これは「ワクチンで亡くなった人はいない」とか、「反ワクチンは科学的根拠がない」と言っている人達と同じです。反ワクが、証拠を提示しているにも関わらず、中身を検証せずに、このように言い切ります。

 

 

ひたすら「デマだ」というレッテルを貼ろうとします。

 

 

そして、「安全だ」と言い張って、接種は継続します。当然、また被害がでます。

 

 

...「反省がない」とはこういう事です。

 

 

 

戦争という状態のせいにして逃げる

 

 

「なかった」ことにしたい人達は、とにかく、日本人が悪くないようにしようとします。その為、色んな言い訳を述べます。

 

 

「戦争だから悲惨な事があるのは当たり前。どこの国の軍隊もみな同じ」と言う人もいます。証拠を突きつけられて逃げ場がなくなった人の言い分です。

 

 

 

これは「ワクチンなんだから副作用があるのは当たり前、どんな薬でも副作用はある。あれだけたくさんの人が打ったのだから、副反応の数が増えるのは仕方がない」というのと同じ理屈です。

 

 

データを突きつけられて、否定しようがないから、認めた上で「大したことない」と開き直る人の言い分です。

 

 

 

 

戦争中だから仕方ないは

 

 

「戦争中なんだから非人道的な行為は当たり前」...というなら、東京大空襲、広島・長崎の原爆も当たり前になります。

 

 

広島は民間人を狙ったから虐殺だみたいな事を言う人がいますが、それを言うなら中国で日本人がしたことも虐殺じゃないんですか?

 

 

自分達の被害は主張して、相手の被害は知らんぷり...これはフェアじゃないです。選民思想が今も残っている証拠です。

 

 

当たり前だとして被害を無視するなら、両方の被害を無視しないと道理が通りません。

 

 

 

原爆投下はやむをえなかった...とトップが言うくらいですから、被害者は浮かばれません。

 

 

 

 

「今は戦争中」と言われているので、ワクチン大虐殺も当たり前の扱いになるのです。(昔tweeterで拾った画像、作者不明)

 

 

 

 

 

 

何を守ろうとしているのか

 

 

あった事をなかった事にする人は、何を守りたいんだろう?と思います。

 

 

「お宅の子どもにイジメられた」と言われた時、「うちの子はそんな事しません」と逆ギレするイジメっ子の母親...

 

 

イジメで生徒が亡くなった時に、「うちの学校にはイジメはありません」という学校...

 

 

こういう態度は、本人は体裁を守っているつもりでしょうが、全然守れてないですし、性格の悪さが露呈するだけです。

 

 

戦前・戦中の日本人が行った事をなかったことにする人は、大日本帝国の名誉を守りたいと思ってるのか知りませんが、往生際の悪さと無責任さとホラ吹きで、逆に信用を傷つけています。

 

 

 

批判的思考の欠如

 

 

日本の問題を指摘すると、指摘した人に対して、「この人は日本人ではない」と言う人がいます。あるあるです。

 

 

いやいや、

 

 

身内がおかしいことしてたら、普通に注意するでしょうが。恥ずかしいですからね。

 

 

例えば、嫁は姑には遠慮しますが、実の母親にはズケズケ言うもんです。それと同じ。身内の方が遠慮がない分キツイ事を言うものなのです。ダメ出しもします。

 

 

 

実の親に対してダメ出しをする子どもは、実の子じゃなくなるんでしょうか...違いますよね。

 

 

「日本人を悪く言う=日本人じゃない」...こういう視野が狭い発想は止めましょう。

 

 

これからの時代、日本人はもっと「日本人の悪い部分」を指摘するべきです。傷のなめ合いをして、褒め合って...そういうのが多すぎます。戦前もそうでした。日本人は昔から変わっていません。

 

 

「良い部分」を褒めるのは構いませんが、「悪い部分」を放置したり、褒めるのは問題です。成長を望むなら、日本人だからこそ、日本のことを批判的思考で見るべきです。

 

 

悪口はだめですよ。批判的思考です。

 

 

 

 

 

 

 

大日本帝国も、批判する者をどんどん弾圧して行って、批判的思考が0でした。その為、おかしな方向に向かっても、歯止めが効かず、国内外に大量の犠牲者を出しました。

 

 

特に酷いのは、軍隊の戦死者の6~7割が餓死か病死だったというもの。作戦のミスは、優秀な人を排除した事を物語っています。

 

 

戦前・戦中から、国民に色んな嘘をついて隠して、勝手に決めて、何か起きても、謝らない...昔の人がそれを改善しなかったのが問題です。

 

 

彼らの事なかれ主義のツケが、今の世代に回ってきました。結構深刻です。

 

 

私は反ワク活動を通じて、嘘をつく人達をたくさん見てきました。接種を推奨して、その結果被害が出ているのに、見て見ぬフリをして、嘘をつき続ける...。酷いと思っていましたが、昔から日本人はそうだったのです。

 

 

日本の将来の為にも、こういう部分は改善しないといけないと思っています。

 

 

批判的思考がなかった大日本帝国と同じ失敗はしないようにしましょう。

 

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ここ最近は、戦争ネタばかり書いています。

 

 

ブログタイトルと全然違うテーマなので、初めての方に、簡単に経緯を説明します。

 

 

マスクの弊害や、ワクチン薬害の実態を知ってもらいたくて活動しているうちに、

 

 

それを訴える為には、「人権」や「言論の自由」を守ってくれている「日本国憲法」を守らなければいけない事が分かってきました。

 

 

「日本国憲法」の大切さを訴えていると、時に、改憲派と話し合いをする事もあります。

 

 

彼らは「自分の国は自分で守らないといけないから、改正が必要。昔の日本人は祖国の為に戦ったんだ」...と主張されます。

 

 

でも、改憲派が語っている「昔の日本人の話」は、綺麗に加工されており、事実とかけ離れています。実際は、昔の日本人は、日本を守るどころか、外国人、同胞のどちらに対しても酷い事をやっていたからです。

 

 

でも、その話をすると、「あれは侵略じゃなかった。日本は悪くない」と言われます。

 

 

証拠を提示すると、今度は、「悪いかもしれないけど、いつまで謝ればいいんだ」と言われます。

 

 

・・・

 

 

マスク・ワクチン・戦争は、どれも「人権問題」です。

 

 

...元々は反ワク活動で人権や日本国憲法の大切さを訴えていたのですが、戦争を語るようになったのは、こういう理由からです。

 

 

...そういう事なので、今回は、日本が戦前、戦中にやってきた事に対して、きちんと謝罪や反省を行ってきたのか考えてみます。

 

 

 

実態

 

 

日本は中国を侵略し、酷い事をしました。詳しくは以下の記事を参考にして下さい。

 

 

⑤日本軍が他国の人に対して行っていたこと。

 

 

⑥大日本帝国の「美しい建前」と「野蛮な本音」

 

 

 

日本が中国でした行いを反省しているか...といえば、していません。そもそも、具体的に何があったのか、何をしたのかさえ教えられないからです。

 

 

私はかろうじて、戦争体験者から直接話を聞ける世代でしたが、それ以降の子供達は、戦争体験者と接点が減っているので、教育で教えられなければ知るチャンスはほとんどありません。

 

 

 

「戦争を体験していない世代の国民」が知らないのは、学習指導要領を管轄する文部科学省、もっといえば日本政府に責任があります。

 

 

教育で教えないという事は、政府が謝罪、反省、再発防止に、真面目に取り組んでなかった...ということになります。

 

 

(以下の動画の11:05~)

 

 

 

 

立命館大学・国際平和ミュージアムでガイドを務めている、満州から帰国した村尾さんは次のように語っています。

 

 

 

 

...ね。どんな教え方をしているか分かるでしょう。

 

 

何故日中戦争を教えないのでしょうか。これでは国として反省をした事になりません。

 

 

中国をはじめとしてアジアで行った事を教えないというのは、結構深刻な問題で、

 

 

日本で最も平和学習が盛んだった広島でさえ、「加害者としての学習」はお粗末でした。

ほぼ記憶にないくらい...。

 

 

広島の平和学習は「せんそうはいけない」「かわいそう」...という事を強調することばかりです。折り鶴を折ったり、戦争の歌を歌ったり、劇をやったりもしましたが、感情に訴えかける授業がほとんどでした。

 

 

それも、「被害者としての視点」のみ。

 

 

広島は日清戦争の時から、戦争の後方支援をしていた「軍都」なので、戦争加害の歴史があるのですが、それは学校で教えてもらったことがありません。

 

 

日本軍が行った強盗、強姦、殺人等の加害行為に関する事も教えられたことはなかったです。

 

 

従って、「原因の追究、解明」と「再発防止に向けての取り組み」に意識が向く事もありません。

 

 

教育で教えられる情報が偏っている事に、当時は気付かなかったです。

 

 

 

そして、平和学習自体が、議論をする等、理屈で考えるような内容になっていなかったです。

 

 

「違う意見を言った友達」が、先生にこっぴどく叱られた事もあります。異なる意見を排除するところが、戦争当時と変わってません。

 

 

ヒロシマの平和学習は大失敗だったと思う理由と、戦時中より酷い心理操作にハマらないコツ。

 

 

戦争は政治の問題なので、政治を中心に教えるべきなのですが、平和学習で政治の問題に踏み込むことはありませんでした。

 

 

あの学習内容が全て間違っているとは言いません。しかし、「戦争の本質」や「具体的なな事」が学べないので、今後、改善すべきだと思います。

 

 

国民を虐待。同胞に対しても謝罪と反省はない

 

 

戦前・戦中の日本人は、自国民に対しても、非人道的な行為を平気で行ってきました。

 

 

「戦いに勝つ」とか、「国民を守る」といった本来の目的に直結しない無駄な嫌がらせや暴力、人権侵害が横行していたのです。

 

 

しかし、これ対して、謝罪や反省はありません。

 

 

国は国民の命を守る事が務めですが、戦時中はわざと飢えさせるような事をやっていました。

 

 

これは亡くなった祖母から聞いた話です。配給が足りないので、母親(曾祖母)と2人で農家に着物を持って行って、食料と交換してもらったのですが、船の乗り場に憲兵が待ち受けていて、没収されたそうです。

 

 

「闇だから違法」というのが、彼らの言い分ですが、そもそも配給が少ないので足りないわけです。物資が不足している中で戦争を行った国の責任です。

 

 

個人的に売り買いするのがダメだと言うなら、配給をもっと増やせと言いたくなります。でもそれはしません。

 

 

現代であれば、生存権を脅かすような対応なので、悪いのは国になります。

 

 

無計画に食べて無くなったのではなく、管理していても上手くいかないのです。

 

 

貰った配給は、次の配給日までもたせるために、均等に分けます。米は足りないので、おかゆにして水の量で誤魔化すしかありません。

 

 

「一日の量がこれだけ」...と決めていても、お腹はすくし、兄弟も多くて、足りないから、結果的に食いつぶすそうです。

 

 

「兵隊に出た兄」の写真を飾り、無事に帰ってくるようにと影膳をしていたのですが、その影膳のわずかなご飯を兄弟がみな狙うんだそうです。

 

 

そんな状況で、祖母と曾祖母は食料を求めに行ったのです。

 

 

戦争に行った兵隊は「国に残した家族に生き残ってもらう為」に闘っていますが、その残った家族が飢え死にしたら守る意味がありません。

 

 

国は国内の国民を守り、飢えさせないようにする責任があります。どうしても食料を提供できないなら、足りない時は、自分で調達する自由は残すべきなのです。

 

 

それを禁止して、女性から没収するなら、国家の存在意義はありません。物資がないなら、ないなりに、出来る範囲で、生きやすいように配慮する「愛情」が、大日本帝国には、全く感じられないです。

 

 

 

生前祖母は、戦争の時の色んな昔話をしてくれましたが、この件がとても悔しかったらしく、何度も聞かされました。

 

 

 

荷物をかついで、山を越えて遠くまで歩いて行ったのがしんどかったそうです。

 

 

「もっと年頃の娘が着るような着物はないんか」とか言われて、少ししか分けてもらえない。やっと手に入れても、島を渡る直前で没収ですから、酷いもんです。

 

 

男手は持って行く、食事は与えない、自分達でなんとかしようとしたら、それも阻止する。国民を守る気などさらさらないのです。

 

 

こんな話は他にも沢山あるでしょう。

 

 

農家から奪ったのではなく、持っていた着物と交換したので、その分損したことになります。

 

 

しかし、着物代は返してもらえないし、戦後、その件に関して、国は謝ってないそうです。

 

 

この件からも分かるように、戦争は敵国だけ攻撃するわけではありません。自国民に対する虐待も目的の一つとなっています。

 

 

コロナ禍でもそうでした。

 

 

表向き「コロナと闘う」と言いながら、途中から「科学的根拠はどうでもいいから従え」という本末転倒な方向になって行きました。「コロナと闘う」事は目的ではないからです。

 

 

日本は外国だけでなく、日本人にも謝っていないのです。謝る気もありません。

 

 

謝らない昔の日本人

 

 

当時の子供達は、「軍国少年」、「軍国少女」に仕立て上げられ、忠実なしもべだったのですが、その彼らでさえ、敗戦後に謝罪がない事に怒っていました。

 

 

 

「何故ごめんなさいが言えないんだ」...と、大人に腹が立ったと語っています。

 

 

 

 

 

 

以下の動画の(6:04~)。

 

 

 

 

 

美輪明宏氏も、日本人は日本人に対しても謝っていない事を話しています。やったことは非人道的なのにです。

 

 

 

 

 

日本人が日本人を殺している話をしています。

 

 

女学生の服装から、カラフルな下着が見えたら、「不謹慎だ」といって暴行、一週間後に亡くなる...とか異常です。

 

 

昔の日本の男は、同胞を殺しても、知らぬ、存ぜぬで謝らない卑怯者だということが分かりました。

 

 

ここまで酷くないですが、コロナ禍でも似たような「責任の擦り付け合い」が起きましたよね。だから、昔の事ですが違和感はありません。

 

 

日本人が戦前・戦中にした事に対して、「中国韓国がつけあがるから謝らなくていい」...と、非人道的な事を言う人がいます。

 

 

「じゃあせめて、日本人には謝れよ」と言いたくなります。日本人は身内ですし、謝ったら責めるのを止める性質の人も多いです。謝ったら、つけあがって色んな事を要求する可能性は低いです。

 

 

しかし、身内にさえ頭を下げないので、「単に謝りたくないだけ」か、「下っ端の日本人をゴミだと思っている」かのどちらかです。

 

 

 

そもそも、日本人が日本人を虐待していたことすら、教育で教えられていません。謝る以前に認める気がないのです。

 

 

④証言を元に、大日本帝国の軍隊のイジメがいかに酷かったか考える。

 

 

 

つけあがるかどうか...は関係なく、単に「自分が悪い」と認めたくないだけです。「日本人は素晴らしい」という設定ですから。

 

 

現代でも「謝罪や反省をしない日本人」を見かけますが、彼らの「謝る・謝らない」の判断基準は、「日本人」とか「外国人」ではありません。

 

 

自分より立場が上か下かどうかです。

 

 

相手の立場が上だったら謝ります。反対に、「下の立場」に当てはまる人に対しては謝りません。

 

 

下に見ている相手でも、こいつと関わると面倒くさい...と思った場合は謝ります。

 

 

 

「戦争の本質」が抜け落ちている平和学習のツケ

 

 

日本国民が「加害者として何をやったか」を知らないなら、謝罪以前の問題です。

 

 

知らなければ、「同じ過ちを繰り返さないようにするには、どうすればいいか」という考えに至りません。

 

 

...で、解決策を提示しないから、また怒られるわけです。

 

 

被害者が怒っていても、「怒る理由が何か」を教えてもらってないので、「やってもない事を謝罪させられる」という気持ちになるかもしれません。

 

 

これでは、余計にケンカになりますし、永久に終わりません。

 

 

それとも同じ事を繰り返してほしいのでしょうか?

 

 

 

以上のようなことを考えると、日本は表面的には謝罪を述べたり、お金を払ったかもしれませんが、「謝罪の必要条件」である、「原因の追究、解明」と「再発防止に向けての取り組み」が出来ていないので、「本当の謝罪」にはなっていません。

 

 

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日本側が「アジア解放」だと言い張っても、被害国は違う見解を持っていると思います。

 

 

被害者が嘘をつく可能性もあるので鵜呑みにするのは良くないですが、

 

 

もし被害者が複数いて、「お互いに全く接点がない被害者」の証言内容が一致しているなら、それは正確だと捉えて良いでしょう。

 

 

 

結果はどうだったのか

 

 

 

記録を見ると、日本は感謝されてない感じです。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

 

特徴的なのは、彼らは解放を口にはしても具体的ではない、ある国の解放=独立に日本がどう貢献したかを指摘しないことである。なぜそうなのか?

 

 

具体的にのべると、たちまち国の内外から反論され、根拠のなさが白日のもとにさらされるからである。

 

 

まったく仮定のことだが、もし日本がある国の解放・独立に貢献したとするなら、公的に感謝されることがあっても不思議ではない。

 

 

もっといえば、太平洋戦争の責任者の一人であった戦犯・東條英機が東京裁判の判決によって処刑されたのは遺憾だ、と公的に表明されても不思議ではないだろう。しかし、そのようなことはなかった。

 

 

サンフランシスコ講和会議でも、日本の侵略戦争のおかげで独立できたという主張はない。

 

 

八八年五月、参議院外務委員会で共産党の吉岡吉典議員の質問にこたえて、外務省の条約局長もつぎのように確認している。

 

 

吉岡議員 日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。

 

斎藤条約局長 そのような声明を行った国はなかったと承知しております」

 

 

 

感謝するどころか、あとでみるように、反対に日本軍国主義を糾弾したのである。それは、言語に絶する犠牲と被害をうけたからであり、なにより各国の独立はそれぞれの民族の事業として第二次大戦後に実現したからである。

 

 

(215~216p)

 

 

 

お前が頑張れたのは俺のお陰...と言う発想は、例えそうだったとしても、かなり厚かましい考えです。

 

 

英国の方がマシと思われた日本統治時代

 

 

今から20年以上前のことです。私は台湾に住む高齢者から、日本統治時代の治安の良さを聞かされたことがあります。

 

 

それを聞いた時は嬉しかったです。

 

 

その為、戦争で関わった他の地域からも同じように評価が高いのだろう...と、漠然と思っていたのですが、後になって調べてみるとそうではありませんでした。

 

 

特にガッカリしたのは、以下の、日本人に統治されるより、英国の保護下の方がマシだったという意見。全然解放になっていません。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

例えば、日本軍が一九四二年二月に占領したシンガポールでは、国立博物館の歴史展示コーナーで、同地の日本統治時代がいかに苛酷で苦しいものであったか、いかに多くの住民が犠牲になったかが説明されています。

 

市内のあちこちには、日本軍統治時代の住民虐殺(日本側の記録では約五〇〇〇人、シンガポール側の歴史記述では約五万人の住民が、日本軍の憲兵によって虐殺された)や憲兵隊本部での拷問などを示す記念碑が建ち、市の中心部には日本軍占領期に死亡した大勢の住民を慰霊する巨大な記念碑が立っています。

 

シンガポールを占領した日本は、この島の名称を勝手に「昭南島」へと変更して、終戦まで日本の支配下に置き続けましたが、シンガポールを独立させる計画は皆無でした。

 

シンガポールの初代首相で「シンガポール建国の父」と呼ばれるリー・クアンユーは、自分が 青年時代に経験した日本統治時代について、次のように書き記しています。

 

〈日本占領の三年半、私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。

 

同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。

 

日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。

 

日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分たちは違うと考えていたのである〉

 

(『リー・クアンユー回顧録』日本経済新聞社、上巻三五ページ)

 

(166~167p)

 

 

 

 

選民思想と差別意識...この考えが根底にあると、行動にも反映されますし、嫌われます。

 

 

そして、日本の評判が悪いのは、シンガポールだけではありません。

 

 

演説で語られた各国の思い

 

 

一つの国だけに叩かれて、他の国から感謝される...とかだったら、叩いてきた国の意見に懐疑的になりますが、複数の国から批判されると、「もしかしたら、こちらが間違ってるのかな?」...と、なりませんか。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

「アジア解放」の実態

 

 

太平洋戦争で戦火が及んだのは、北はアリューシャン(アッツ・キスカ島)、千鳥、日本本土、とくに沖縄、台湾、中国本土、インドシナ半島、フィリピン、タイ、マレー半島、ボルネオ、インドネシアの諸島、チモール島、ビルマ、インドの一部、南洋群島、ソロモン諸島、ギルバート諸島、ニューギニアなどである。

 

 

日本は東南アジアと西太平洋の島々を占領したが、それらは、タイをのぞき、当時はイギリス、オランダ、フランス、アメリカ、ポルトガルの植民地であった。この広大な空間で、日本軍が攻撃し米英蘭その他の軍隊が反撃し、大きな被害が生じたのである。

 

 

人的損害にかぎっても、中国では一〇〇〇万人以上、インドネシア四〇〇万人、ベトナム二〇〇万人、インド一五〇万人、フィリピン一一一万人、朝鮮二〇万人以上、オーストラリア二・三万人、ニュージーランド一・一万人、さらにシンガポール、ビルマの人びとが生命をうしない、総数は二〇〇〇万人以上と算出されている。

 

 

これに日本人の犠牲者がくわわる。日本の軍人・軍属などの戦死者二三〇万人、国内での空襲などによる死者五〇万人以上、総数で三一〇万人である。

 

 

「太平洋戦争=アジア解放」論者は、戦争によるこれらの犠牲をふみこんで描くことはしない。むしろ口をつぐみ、当時の東南アジアが欧米の植民地にあったこと、戦後に独立したという、この二つを並べて、日本がその解放に貢献したように印象づけようとしているだけである。

 

 

太平洋戦争開始から一〇年後のサンフランシスコ講和会議では、アジア各国の代表の演説に日本軍国主義への糾弾があった。四つだけあげておこう。

 

 

インドネシア代表アーマド・スバルジョ「占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損失があり、第二には数十憶ドルの物質的損害があります」

 

 

フィリピン代表カルロス・P・ロムロ「一千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他に未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。四年間に亙る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、わが国経済は完全に破壊し去つた」

 

 

ベトナム代表チャン・バン・ヒュー「物質的のみならず、その人民の生命においても最大の戦禍を蒙つた・・・・・・そして占領の悲惨な結果に陥し入らしめられた幾多ヴィエトナム人に対し私が今日敬虔な思いを致さなかつたならば、私はわれわれの死者に対する義務を欠くることになる」

 

 

オーストラリア代表ペルシ―・シー・スペンダー「〔オーストラリアの〕数限りなき死者、生き残つた不具者や盲目者、再び帰ることのない愛する者を弔う人々の悲しみ、戦争の捕虜となつた人々の失われた歳月、及びこれらの人々を待つていた苦悩」は深い(外務省『サン・フランシスコ会議議事録』)。

 

 

日本軍による暴虐へのうらみは、いまなおアジア各地に深く沈殿している。

 

 

この戦争の最高責任者であった天皇は、アジア・太平洋の人びとに謝罪することなく八九年に死去したが、敗戦の翌年につぎのように語っていたことが、九〇年に発表された『昭和天皇独白録』に収録されている。「私の考えは正しかった」とする末尾は、こうである。

 

 

「私が若し開戦の決定に対して『ベトー』(拒否)したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつ〔た〕であらうと思ふ」。

 

 

日本にひきよせて問題にしているのだが、開戦の決断で、戦争の犠牲はむしろ数分の一にとどまったとしていたのである。恐るべき神経である。

 

 

歴代保守政権も、あの戦争を侵略戦争とみとめてアジアの人びとに謝罪することをしていない。

 

 

(216~218p)

 

 

これに関しては、私はあえてコメントしません。被害を受けた国の人の立場を考えると言葉が出ないです。

 

 

各国の演説を聞いて、それでも「解放」と言い張る人は...いるかもしれませんね。

 

 

「ワクチン死」を「コロナ死」であるかのように報道する国ですから...。

 

 

 

 

 

 

次は、軍事裁判の結果を見てみます。

 

 

BC級の戦犯裁判の結果

 

 

「アジア解放」論を太平洋戦争に即して、検証する続きです。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

数限りない戦争犯罪

 

 

日本の敗北のあと、アジア、太平洋の各地でBC級の戦犯裁判がおこなわれた。

 

 

東京裁判の被告がA級であるのにたいして、特定の地域で「通例の戦争犯罪」をおこない、各国の軍事裁判に付された人びとはBC級戦犯とされた。

 

 

犯罪は捕虜と非戦闘員の殺害、虐待が圧倒的である。

 

 

アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国(国民政府)の七ヶ国、四九ヵ所で法廷がひらかれた。

 

 

件数は二二四四、裁判にかけられた人は五七〇〇人、判決は死刑が九八四人、無期刑が四七五人、有期刑が二九四四人、無罪が一〇一八人、その他、起訴取り下げ・控訴棄却が二七九人である(法務大臣官房司法法制調査部、七三年八月)。

 

 

起訴されたのは憲兵関係、捕虜収容所関係者が多い。

 

 

これには、ソ連、中国(中華人民共和国)の分ははいっていない。

 

 

先にふれたように、これらの裁判についても日本政府はサ条約で受諾しているのである(「日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し・・・・・・」)。

 

 

さらに、泰緬鉄道の問題もある。この鉄道は、タイとビルマの山岳・密林地帯四一五キロを、六万五〇〇〇の連合軍捕虜と三〇万ともいわれる東南アジアの労務者をつかってむすんだ軍用鉄道で、四二~四三年の一年三ヶ月で完成させた。

 

 

これによって、一万六〇〇〇の捕虜が飢え・疾病・虐待のため死亡し、アジア人の労務者の半数は自分の国に帰国していない。

 

 

建設にからんでBC級戦犯が数多くでて、有罪宣告者は一一一人、うち死刑が三二人であった(『東京裁判ハンドブック』)。

 

 

しかし、建設に動員され残酷なあつかいをうけて命を落としたアジア人について、責任を問う裁判はなかった。

 

 

(224~225p)

 

 

 

「いつまで謝ればいいんだ」と言う人がいますが、そもそも、日本は本当の意味で、謝罪も反省もしていません。

 

 

ただ「ごめんなさい」と言ったり、お金を配ったりするだけでは、通用しません。

 

 

原因を突き止め、反省し、再発防止にむけて取り組まないと、「大人の謝罪」とは言えないからです。

 

 

この理屈は、ワクチン被害にも当てはまります。

 

 

金だけ払って謝罪したフリをしても、被害者は納得しないでしょう。もしそんな態度をとれば、逆に怒りは大きくなります。

 

 

原因解明、反省、再発防止に向けた取り組みがなければ、本当の意味で謝ったことにはなりません。

 

 

被害者は、二度と同じような事が起きて欲しくない...と思うものだからです。

 

 

重要なポイントは「動機」

 

 

戦前の日本人が悪かったという話をたくさん紹介すると、「それでも、良い事をしたという話も沢山ある。」と言って、一部の良い話を教えてくれます。

 

 

だから侵略ではない...と主張したいのかもしれませんが、それは無理があります。

 

 

日本人が良い事をしたという話はあると思います。全部が悪いとは思いません。良い事は良い事なので、そこまで全否定するつもりはありません。

 

 

しかし、その一部分は、残念ですが、全体の目的を分析・把握するうえであまり参考にはならないのです。

 

 

「侵略」と捉えるべきか、「解放」と捉えるべきか...を判断する場合、一番重要なポイントは「動機」です。

 

 

戦争は大勢の人達が長い時間をかけて、実行に移すものです。

 

 

その為、ドラマとして見ると、「良い人」もいれば「悪い人」もいるし、同じ人物でも状況によって「良い事」をしたり、「悪い事」をします。

 

 

規模が大きくなればなる程、「予想外の事態」が起きる確率が高くなるので、「最初の計画」とは違った結果になる場合もあります。

 

 

従って、一つのストーリーでも、切り取り方によって、良くも悪くもなります。

 

 

戦争は縦社会の組織が計画し、それを元に大勢の人をコントロールして実行に移します。

 

 

従って、「計画を元に生じる一連の出来事」の本質を理解する時に、重要な部分は、「最初の動機や計画」です。

 

 

この部分に計画者の意図や目的が一番表れています。

 

 

出来事の本質を理解するうえで、次に参考になるのが「結果」です。

 

 

戦争の場合、「アジア解放」という建前で行って、その結果、「現地がどうなったか」という部分です。

 

 

現地は本記事でご説明したとおりです。結果をみれば、日本人がやったことは悪い事であり、

 

 

心から「共栄」など考えていなかった事が分かります。

 

 

大人なのですから表向きは良い事を言うものです。本音を見ましょう。

 

 

そして日本人の場合、白と決めたら、黒でも「白」と言い張るので、そういうことも注意する必要があります。

 

 

侵略の結果、戦後も残る問題

 

 

日本は戦前・戦中に、アジアの国に大変迷惑をかけたのですが、戦争が終わっても、昔の影響を受けて苦労している人達がいます。

 

 

以下は、菅野完氏が、蓮舫氏の二重国籍問題について語っている動画ですが、見て欲しいのは(8:00~)からです。

 

 

大日本帝国領だった人達の戸籍について。日本側の対応がクソです。

 

 

 

 

「大東亜共栄圏」とか「五族協和」とか言って、つるんでいたのにも関わらず、戦後は冷たく切り離す。

 

 

表向き良い事を言っていても、この冷たさに本音が表れています。

 

 

余談ですが、菅野氏が話している、人を棄てる話は、以下の動画でも別の角度から語られており、日本は同胞に対しても酷いことが良く分かります。

 

 

 

 

 

侵略を「侵略じゃない」と言うと、ブーメランになる

 

 

これまで「アジア解放」説を叩いてきました。

 

 

そうするのは、嘘が嫌いだからなのですが、他にも理由はあります。

 

 

「アジア解放」説を唱えている人達は、自分達の過ちを胡麻化せば、責任を取らなくて済むので、「逃げ得」だと思っているのかもしれません。

 

 

しかし、この態度は長い目でみると、日本人にとってマイナスにしかならない考えです。

 

 

悪事を「良い事」のようにしてしまうと、ブーメランになります。

 

 

 

例えば、日本軍がやった虐殺、略奪、強姦を「侵略」と言わない...と定義するなら、

 

 

戦後GHQが日本に入って来てやった事も「侵略」でも「植民地」でも「占領」でもないということになります。それこそ「日本解放」といわれますよ。

 

 

現在、日本が抱えているあらゆる問題を、何でもかんでもGHQのせいにする人が多いのですが、GHQは日本軍が他国で行っていた行為に比べると遥かにマシです。

 

 

GHQは日本の国民にとって、良い事もやっています。

 

 

例えば、奴隷憲法である大日本帝国憲法の呪縛から解き放ち、日本国民を「人間の地位」に戻し、「人権」という概念を植え付けました。これがあったから私たちは、これまで自由や権利が守られ、自分の力を発揮することができ、戦後の復興を成し遂げたのです。

 

 

あれを言っちゃいけません、これをやったらダメです。こうしなさい、ああしなさい...

 

 

そうやって、本人の自主性を押さえつけて、みんなと同じ考え、みんなと同じ行動をさせ、自分に嘘をつかせると、委縮して能力が潰れるので、一人一人の力が発揮できず、日本全体で見た時に、国力が落ちるのです。

 

 

その流れを変えたのがGHQなので、国民にとってはプラスになっています。ただし、GHQのやった愚民政策はダメです。

 

 

そして、日本人が中国で行った事を「悪くない」「共栄」と言うなら、今、中国人が日本の土地を買うのも(しかも合法的)「悪くない」し、「共栄」と言われます。

 

 

昔の日本人がやった事と比較したら、今中国人がやっていることはまだマシです。

 

 

例えば、土地を買われるにしても、売っているのは日本人です。

 

 

聞いた話ですが、土地を持っていても跡継ぎがいない等で、処分に困っている人がいます。なかなか買い手がつかない時に、中国人が現れて、日本人が払えないような金額で買ってくれると、ありがたいそうです。

 

 

逆に「外国人が土地を買うのは侵略だ」と言っている日本人は買ってくれない...。

 

 

土地を売りたい人からみたら、外国人であってもありがたいし、買った方からみれば「買い手がつかなくて困っていたところを助けてあげた」という構図になるわけです。

 

 

困ってたからアジアを解放してやった。インフラを整えてやった...だから問題ないと考える人は、

 

困ってたから土地を買ってやったんだ...という言い方を外国人からされたら、問題だと思わなくなるのですか?

 

 

相手に「してやった」を言わせない為にも、普段から、自分達の傲慢な言い方をやめるべきなのです。

 

 

もう一つ大事な事を言っておきます。

 

 

日本軍がやった略奪、強姦、虐殺を「悪くない」と定義したら、逆にされたら文句を言えなくなります。「お前たちがこれは悪くないって言ったよね」と言われるでしょう。

 

 

同じ事をされる可能性がある...という視点を持っていれば、これまで相手に向けた態度や言動がいかに危険だったか分かると思います。

 

 

 

相手の立場に立って考える事は大事です。

 

 

ダメなものは誰がやってもダメだとハッキリ言う事...それは相手の為でもあるし、自分の為でもあるのです。

 

 

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日本軍のやった行為を、「侵略」だと言うと、

 

 

「日本は侵略したのではない、悪い事はしていない」と言う人が、たまにいます。

 

 

そんな方に証拠をつきつけると、今度は「アジア解放説」を主張されます。

 

 

「アジア解放」説を強調したい人の動機

 

 

証拠があるから揉み消すのは難しい...と悟るからなのか、「それなら、やった行いの解釈を変えよう」となるのでしょう。

 

 

「犠牲はあったかもしれない。でもそれは相手の為なんだ」...というズラしのテクニックが使われます。

 

 

これは、「ワクチンでこんなに死んでるじゃないか。どこからどう見ても毒だろ、認めろよ」と批判した時に、

 

 

「ワワクチンは薬だから稀に死ぬことはあるかもしれないけど、みんなの命を救うために必要なんだ」と言い張る推しワクと、頭の構造が同じです。

 

 

ズラしの会話は他にもあります。比較してみましょうか。

 

 

「打たなかったら、コロナの被害はもっと酷かった。打ったからこの程度だった」

 

 

「日本が行かなかったら、欧米の植民地支配で現地はもっと悲惨な目にあっていたんだ。日本が行ったから良くなった。」

 

 

ね。そっくりでしょう。詐欺師みたいです。

 

 

他にも、やった事を胡麻化す考え方は多数あります。でも、どんなに解釈を変えて、言い訳をしても、それでも「やった事そのもの」は消えません。

 

 

●大東亜戦争の賛美(太平洋戦争とは言わない)

 

 

●侵略戦争の否認、解放説を唱える

 

 

●東京裁判の否定

 

 

●大日本帝国時代の国家体制や、戦争を批判的に見る歴史認識に対して「自虐史観」とか「東京裁判史観」というレッテルを貼って叩く

 

 

これらは大日本帝国を擁護する考え方です。

 

 

こういった発想の源流を辿っていくと、たいてい「日本会議」に行き着きます。

 

 

反ワク界隈でも、見事にこの思想に染まっている人がいます。

 

 

一番の問題は、「非人道的な行為」を批判していた反ワク仲間が、「日本が戦前・戦中に行った非人道的な行為」に対しては甘い事。

 

 

今の政府や報道は「間違っている」と批判しているのに、今よりずっと酷かった、明治憲法下の政府や報道は「正しかった」と認識してしまう判断基準にも驚かされます。

 

 

そして、その問題を指摘する人に対して、失礼極まりないレッテルを貼って、言論を封じようとする人もいます。

 

 

自分達が反ワク活動において、世間から「陰謀論」「デマ」と言われたら怒るのに、それと同じような事をしているわけです。

 

 

「戦争」は「ワクチン」よりも、被害が分かりやすいです。従って、あれが「悪意がある加害だった事」は分かりやすいので、誤魔化されたりズラされていた解釈を、一つ一つ正していきます。

 

 

「大東亜戦争」の建前と本音

 

 

「太平洋戦争」は、「大東亜戦争」とも呼ばれます。後者はなじみが薄いので、呼び名の経緯についてご紹介します。

 

 

「大東亜戦争」という呼び名がいつ誕生したのかというと、日米開戦とほぼ同じ時期です。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

 

真珠湾攻撃(日米開戦)から二日後の一九四一年一二月一〇日、日本の陸海軍と政府の代表者から成る大本営政府連絡会議は、自分たちが始めた戦争の呼び名について、「支那事変を含め大東亜戦争と呼ぶ」と宣言しました(一二日の閣議で正式に決定)

 

 

(中略)

 

 

この宣言から一ヵ月後の一九四二年一月二一日、当時の東條英機首相は、日本が始めた戦争について、「一〇〇年間にわたって米英の搾取に苦しんできたアジア諸国を解放し、大東亜永遠の平和と、帝国(日本)を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立する」ための義戦(大義に基づく戦い)であると説明しました。

 

 

(164~165p)

 

 

 

「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」と呼ぶ人達は、大日本帝国の政府寄りの考えをしています。東條が唱えた「戦争の大義名分」を支持し、あの戦争は「侵略」ではなく「アジア解放」の正しい戦争だったという歴史認識を持っています。

 

 

当然ですが、立場の違いで「侵略」にもなるし、「アジア解放」にもなります。

 

 

どちらの意見も聞く必要がありますが、大事なのは動機結果です。

 

 

アジアの人を幸福にする気があったのかどうか、本当に開放されたのかどうか、それでアジアの人が幸福になったのかどうか...そこを見る事が重要です。

 

 

過去の記事でも説明した通り、日本は自国の人間を粗末に扱う国です。扱いは酷いのに、それを呼び方だけは「英霊」「軍神」と言って褒めたたえるようなところがあるので、言葉に騙されてはいけません。

 

 

建前ではなく本音も見ましょう。

 

 

一九四二年一月二一日、東條英機首相が、日本が始めた戦争を、「アジア諸国の解放」だとか、「大東亜永遠の平和」だとか、「帝国(日本)を核心とする共存共栄」だとか言ったのが建前なら、本音はこちらです。

 

 

『日本会議 戦前回帰への情念 著者/山崎雅弘』

 

また、日本の東南アジアへの侵攻が「資源獲得のための侵略」であった事実は、開戦から三ヶ月後の一九四二年二月一三日に政府の閣議決定で設置された「大東亜建設審議会」の議事録など、当時の日本政府の記録によっても裏付けられています。

 

 

東條首相が総裁を務めたこの会議は、閣僚やその経験者、財界有力者らが「大東亜共栄圏(実質的に日本が支配する東南アジアの一大経済ブロック)」建設の具体的な方策を討議する、いわば有識者会議でしたが、そこで参加者の口から語られたのは、東條が示した「大義名分」とはかけ離れた、生々しい「本音」でした。

 

 

「極端に言いますれば、向こう(占領したアジア植民地)から取ってきた資源は、対価を払わなくてもよろしい。タダで取る。いわゆる出世証明のような方法で、(住民への)支払いは一〇〇年先でもよろしいというふうに私は思うのであります」

 

 

「日本を中心として(占領したアジア植民地から)搾取していかねば続かぬということは、ごもっともな意見ではありますが、そこは公明正大にカムフラージュすべきかと」

 

 

(NHK取材班編集著『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編』NHK出版、三七~三八ページ)

 

 

(168~169p)

 

 

本音は侵略なので、アジアの為にどんな事したのか紹介します。

 

 

日本にとって都合のいい思想を押し付ける

 

 

太平洋戦争と国民総動員という本で、太平洋戦争に即して「アジア解放」論を検証されていたので紹介します。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

「大東亜共栄圏」の構想と具現化

 

 

領土拡大の野望

 

 

戦中、いろいろな場合に「アジア解放」論が登場したが、たいていは「大東亜共栄圏」とむすびついていた。

 

 

「大東亜共栄圏」の語を使って、日本の新たなアジア侵略のくわだてを明瞭にしたのは、松岡洋右である。松岡は四〇年八月、第二次近衛内閣の外相として、この内閣の外交方針を内外にあきらかにした。

 

 

談話で松岡は、天皇主義を世界におしひろげるのが日本の使命だと主張し、日本のかいらい国家・勢力である「満州国」、中国の汪精衛(兆銘)と日本とを結合し、そのうえで「日満支をその一環とする大東亜共栄圏の確立を図る」、これこそが「世界平和に貢献する道程」だ、その実現を妨害する一切の障害を排除するとのべた。

 

 

談話についての報道によれば、松岡は「大東亜共栄圏」の範囲を、朝鮮、中国はもとより、現在のインドシナ、インドネシアまではいるとした(「朝日」四〇年八月二日付夕刊)。

 

 

松岡がそこまでうそぶくのは。三一年いらいの侵略拡大と国策の積み重ねがあったし、第二次近衛内閣の「基本国策要領」(四〇年七月)で「大東亜の新秩序を建設」するとしていたという背景がある。

 

 

こうして「大東亜共栄圏」は、「大東亜の新秩序」を言い換えたもの、東アジア・西太平洋を日本の版図にくみこむ構想で、イギリス、オランダ、フランス、そしてアメリカとの軍事衝突を不可避とするものだった。

 

 

松岡談話の一ヵ月後に日本は、インドシナ北部に侵入し、日独伊同盟条約を締結(四〇年九月)し、「大東亜共栄圏」の実現にむかって行動を開始した。

 

 

この九月、大本営政府連絡会議の文書「日独伊枢軸強化に関する件」の別紙(「秘密とす」)には、日本の「生存圏」の範囲をつぎのように明記していた。

 

 

「生存圏として考慮すへき範囲は日満支を根幹とし旧独領委任統治諸島、仏領印度及同太平洋島嶼、泰国、英領馬来、英領ボルネオ、蘭領東印度、ビルマ、濠州、新西蘭並に印度等」(外務省編纂『日本外交年表並主要文書』下)。

 

 

オーストラリア、ニュージーランド、インドまでふくめていたのである。

 

 

太平洋戦争をはじめてから、日本政府はこの戦争を単に「自存自衛」のためでなく、「大東亜解放」のためだと性格づけ、アジア諸国もそれを「了解すべき」だと説教するようになった(四一年十二月、東郷茂徳外相、衆議院)。

 

 

日本は明治いらい、台湾、朝鮮を植民地とし、そこで残酷な支配をおこない独立運動を弾圧してきたが、それらには口をぬぐい、新たな攻撃地点の多くが欧米の植民地であるため解放をとなえたものである。

 

 

あけて四二年一月、東条英機首相は衆議院で、この戦争目的をもう少しあからさまに、アジアの戦略拠点と重要資源を獲得するもの、米英両国を屈服させるものだとのべた。

 

 

「大東亜戦争指導の要諦は、大東亜に於ける戦略拠点を確保致しますると共に、重要資源地域を我が管制下に収め、以て我が戦力を拡充しつつ、独伊両国と密に協力し、互に呼応して益々積極的作戦を展開し、米英両国を屈服せしむるまで戦ひ抜くことであります」(議事速記録)。

 

 

さらにこの日、東郷外相も、衆議院で「大東亜共栄圏」内の必要地域を「帝国に於て把握すべきは当然であります」と演説した。

 

 

そうした言明は、戦争のなかで具体化されていった。

 

 

先の東条演説は、「大東亜防衛の為め絶対必要なる地域は、帝国自ら之を把握処置し」とのべ、日本軍国主義の解放なるものの真の意味を鮮明にした。そして香港、マレー半島を直接あげ、これを「大東亜防衛の拠点」とする、フィリピンが「大東亜共栄圏建設の一翼として協力」するなら「独立の栄誉」をあたえるなどとのべた(議事速記録)。

 

 

すでに四一年十二月に米領ウェーキ島を占領した日本は、「大日本軍司令部」名で「ウェーキ島は全部大日本帝国の国有たることを宣言す」としていたが、領土についての本格的な決定は四三年五月の御前会議の「大東亜政略指導大綱」である。

 

 

この大綱のなかに、マレー、スマトラ、ボルネオ、セレベスを「帝国領土と決定し重要資源の供給源として極力之が開発並に民心の把握に努む」、またニューギニア等のその他の占領地はこれに準じ「追て定む」とある(『日本外交年表並主要文書』下)。この会議には政府と軍の最高メンバーが出席し、会議後に署名と花押を印したのである。

 

 

そのとき、東条はこういう理由づけをしている。「マライ、スマトラ、ジヤワ、ボルネオ、セレベスは民度低くして独立の能力乏しく且大東亜防衛の為帝国に於て確保するを必要とする要域であります」(『杉山メモ』下)。

 

 

会議にでていた天皇はこの日、極秘のこの決定をただちに裁可した。内大臣の木戸も、それが天皇の決定であることがわかるように、「二時より御前会議あり、大東亜政略指導大綱を御決定あり」と記している(『木戸幸一日記』下)。

 

 

領土とすることが解放でないことは、子どもでもわかることである。

(219~222p)

 

 

 

何様のつもりなんでしょうか。選民思想丸出しで、ジャイアンが唱える理屈と変わりません。

 

 

松岡洋右(ようすけ)は、「満州国」に存在した南満洲鉄道(満鉄)の総裁を務めた人物でもあります。

 

 

満鉄は、鉄道経営にどどまらず、経済や行政も掌握し、最盛期には80余りの関連企業を持っていた巨大組織だったのです。

 

 

松岡洋右が満鉄総裁に就任した時、優秀な人材を集めて「大調査部」を発足しました。この組織は実態がよく分かっていないのですが、簡単に言うと、諜報活動のプロが集まったスパイ組織のような役割をしていたようです。

 

 

戦後、満鉄が解体されたら、多くの人が「電通」に再就職しました。

 

 

戦前と戦後は一見変わったように見えますが、水面下は繋がっていたりします。ちなみに松岡洋右は岸信介と親戚関係だそうです(系図はこちらが参考になります)。

 

 

日本軍による満州国の中核であった満鉄総裁を務めた松岡が、天皇主義を世界に押し広げるのが日本の使命だと主張するのですから、日本が何を考えてアジアに進出していたのかが分かります。

 

 

これって、思想の押し付けですよね。今の日本国憲法下だったら考えられない行為です。

 

 

 

 

略奪

 

 

「アジア解放」論を太平洋戦争に即して見てみると、以下の展開もジャイアニズムが炸裂しています。「解放」という解釈は、どう頑張っても不可能です。

 

 

『太平洋戦争と国民総動員 / 著者:小野賢一』

 

石油、外国企業の獲得

 

 

四一年十一月二十日、連絡会議は「南方占領地行政実施要領」を決定している。開戦より一八日まえのことである。

 

 

「占領地に対しては差し当たり軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す。占領地域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に之を定むるものとする」。これは、南方を植民地・資源供給地とみて、そこに軍事支配を確立する方策である。

 

 

そこで、日本の南進のカギとされた石油についてである。戦時中、「石油の一滴は血の一滴」という宣伝がなされたものだが、日本支配層は開戦まえから石油獲得に執念を燃やしていた。

 

 

四一年夏~秋には、民間の石油会社社員を徴用し特別の部隊を編成して待機させており、開戦と同時に目的地に急行させた(ボルネオのセリア、スマトラのパレンバン)。

 

 

 

そして、破壊・炎上による被害を急速に修復し、多量の石油を獲得した。四四年八月の最高戦争指導会議の報告では、東南アジアからの「石油還送」は四二~四四年度に五五四万キロリットルである(参謀本部所蔵『敗戦の記録』)。

 

 

戦後明らかにされた一つの数字では、原油産額(四二~四五年)の合計は一九五〇万キロリットル、うち日本の取得量が四八五・九万キロリットルで、この差が「現地消失又は減失」となっている(『史料集・南方の軍政』)。

 

 

こうして日本への「還送量」は、三年間で五〇〇万キロリットル前後となる。今日の石油輸入量からみればわずかなものだが、当時としては相当の量を意味した。

 

 

これらの石油の油井と施設はもともと欧米資本のものだったが、占領後はすべて日本軍の管理下にいれた。「敵産」と称してうばいとったのである。

 

 

さらに、四二年八月の南方軍政総監の指示というものがある。

 

 

軍政の目的は、南方諸民族に「適切なる指導を与へ南方資源を確保して帝国の戦力を急速に充実する」こと、「帝国臣民に発展の機会を与へ」「大和民族永遠の発展を図るを基本理念とす」とあからさまである。

 

 

そして「敵産」については、「従来の国際法規に拘泥することなく敵国の国有及公有たりしものは帝国の国有に又私有たりしものと雖も所要に応し帝国に帰属せしむる如く処置し之を適切に運営す」(第八項Ⅰ)と露骨きわまりない。

 

 

それは単に出先の問題ではなく、連絡会議の方針の具体化であった。連絡会議は開戦半年後の四二年六月に「敵産」の処理について議論しているが、そこで東条首相は「現に日本軍の手にて占領地に於て押収せる敵産は数百億〔円〕に上り・・・・・・」(『杉山メモ』下)と発言している。

それらの処理が国際法、とくに日本も批准していたハーグ陸戦法規に違反することを承知のうえでやっているのである。

 

 

公式の発言や決定では表現は多少ひかえめだが、個人的な文書にはつぎのようなのもある。

 

 

インドネシアについて、「没収し得る敵性大規模企業が極めて多い」「全鉱業資源の開発、精錬等、処分は全くわれわれの自由であり、農業部門においても......全産額を支配することが出来る」「鉱業に於ては総べてが敵性利権であつて、我の没収し得るところ」(川西正鑑『大東亜産業立地計画論』)。

 

 

川西はこの本を、東京工業大学教授・経済学博士という肩書きで書いている。

 

 

 

乱暴なのは政府・軍部だけではなかった。開戦とともに南方には多数の日本企業がおしかけ、「敵産」に到達した。三菱電機はジャカルタのマシンファブリック工場に乗り込んだし、東芝はスラバヤのフィリップス工場、日立製作所もスラバヤのフラート鉄工場・ボルミス板金工場、住友電気もバンドンのフィリップス工場、といった具合である(『史料集・南方の軍政』)。

 

 

原料・資源についても同様である。日本の軍と企業は、欧米資本が駆逐されたのを好機に現地でとってかわったのである。

(222~224p)

 

 

すいません。

 

もう、侵略...でよくないですか?

 

 

Wikipedia

 

侵略とは、直接武力をもって他国の領域に侵入したり、攻撃すること、一国が他国に対する要求を貫徹するために武力行使によって事態を変更せしめること、他国に攻め入って土地や財物を奪い取ること、他国の主権を侵害すること、などを意味する。

 

 

まだ、「解放」だと言い張りますか?

 

 

 

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