私は普段、コロナの嘘に気付いていない人達と話す時、次のように言い換えています。

 

 

「今コロナだから」

 

 

→「昔からコロナあるけどね」

 

 

「感染者が出た」

 

 

 

→「陽性者ね」

 

 

 

「コロナの影響で~」

 

 

 

→「コロナ対策の影響でね~」

 

 

 

...と、

 

 

 

さりげなく一々言い直します。

 

 

 

相手が意味が分からなくてもです。

 

 

 

絶対に「嘘のフレーズは」言いません。それに乗っかる事によって、概念が強力になるからです。

 

 

 

「繰り返される言葉」によって、世界観が構築され、嘘でも本当にそうであるかのような気分になってくるから危険なのです。

 

 

 

 

対策によって被害を受けているのに、「新型コロナウイルスの影響で~」と言えば、対策の罪を軽くする事になります。

 

 

 

 

私がワクチンの「副反応」を、一般的な言い方ではなく、わざと「副・作・用」と言い換えるのも、それと同じ理由です。

 

 

 

「副反応」という言葉は、「副作用」に比べると重く感じないので、大したことない、問題にすべき事ではないような印象を与えます。

 

 

 

名前が違うだけで、「副作用とは違う」という感覚にもなります。

 

 

 

副反応は、副作用と違って安全だ...と言うイメージを植え付けない為に、「副作用」とわざわざ言うわけです。

 

 

副作用と副反応の違いについて(記事を書く時にどちらも使う理由)

 

 

 

 

言葉の言い換え等、小さい事ですし、嫌な奴だなと思われるだけなので、普通だったら私もこんな事はしません。

 

 

 

でも今、それをするのは、みんなが間違ったイメージを持ったり、行動をとることに危機感を感じているからです。

 

 

 

 

その理由を、戦争の話と共に解説していきます。

 

 

 

 

高齢者の戦争体験

 

 

 

ホロコーストの生き残りが次のように語っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争体験者でなくても、今の状況は戦争中みたいに異常だ...と感じている人はたくさんいます。

 

 

 

私もその一人で、最近、昔聞いた戦争の話をよく思い出します。

 

 

 

昔はお年寄りから、戦時中の苦労話をよく聞きました。

 

 

 

 

 

●青春はなかった → かわいそうですね

 

 

●食べる者がなかった → 大変ですね

 

 

●人がたくさん死んだ → ・・・

 

 

 

 

 

悲惨すぎるとどう返していいか分からないし、言葉がでてきません。

 

 

 

だから、そうですか...と、ただ聞くことが多かったです。

 

 

 

でも、唯一反論する話がありました。

 

 

 

それは、命令されたからやったとか、人のせいだったみたいな言い分です。これに関しては、一度も同調したことがありません。

 

 

 

 

この事に反論して、言い合いになった事が何度かありました。

 

 

 

 

反対できなくて従って、異なる意見を排除して、その結果責任逃れをする ...私的にこれがどうしても許せません。

 

 

 

 

戦争を題材にした作品では、戦争に協力的でない人が非国民扱いされているシーンがよく描かれています。

 

 

 

それを見てムカついてましたし、

 

 

 

反対できないような雰囲気を作るのは危ない、と思っていました。

 

 

 

 

平和学習の話

 

 

 

私が住む広島では、子供の頃「平和学習」が盛んでした(今はどうなったか知りませんが)。

 

 

 

保育園の時から、原爆の紙芝居を見たり、折り鶴を折ったり...

 

 

 

子供会や学校行事では、何度も原爆資料館を訪れました。

 

 

 

学校の教室の本棚に漫画を置くのは基本的にダメなのですが、例外的に「はだしのゲン」だけはOKでした。

 

 

 

被爆者の方もまだ若かったので、体験を語りによく学校に来られていました。

 

 

 

夏休みの登校日は、必ず原爆の話になります。映画を見たり、体験談を聞いたり、最後に感想文を書いて終わり...というパターンが多かったです。

 

 

 

 

この平和学習なんですが、私は当時から嫌いでした。

 

 

 

 

何故かと言うと、異論を許さない雰囲気だったからです。

 

 

 

 

「戦争はいけないと思いました」...というお決まりの結論に誘導する事と、被害者がどれだけ酷い目にあったか、どれだけかわいそうか...という点ばかりに焦点が当てられていました。

 

 

 

その内容に、いつも違和感を感じていました。

 

 

 

テーマは良いんですが、なんか違うなと...。

 

 

 

小学校4年生の時に受けた平和学習で、その違和感の理由がハッキリしました。

 

 

 

東京大空襲をテーマにした映画を見た後で感想文を提出したのですが、友達の書いた感想に対して、担任の先生が激怒したのです。

 

 

 

いわゆる空気読めないタイプの男の子が、

 

 

 

戦争が始まった事を国民が「万歳」と喜ぶシーンについて、「戦争が始まった事が嬉しかったんだなと思いました」...みたいな事を書いたのが許せなかったらしく、

 

 

 

こんな事を書いた人がいました。嬉しかったとは何事ですか!

 

 

 

...と、その子を見せしめのように怒ったのです。

 

 

 

普段優しい先生だったので、ビックリしました。

 

 

 

 

友達の感想は、私が聞いた限り別に酷い意見ではなかったですし...私だけじゃなく、他の子も、えっ、こんな事で怒るんか...みたいな表情をしていました。

 

 

 

今思えば、先生の頭の中で、戦争はかわいそうなもの、悲惨なもの、それに対する意見は、ネガティブなキーワードが当然...という考えだったのでしょう。

 

 

 

だから「嬉しい」というポジティブなキーワードを使った事が不謹慎で、いけない事だったのかもしれません。

 

 

 

前後の文脈から、その友達がふざけて書いたとは思えなかったので、怒られて可哀想でした。

 

 

 

あんな事をされれば、思った事が書きづらくなります。

 

 

 

 

私は保育園くらいから、先に説明したような戦争に対する意見を言って、周囲の大人と言い合いになる経験を繰り返していたので、学校では人と違う主張はしませんでした。

 

 

 

だから、当時は感想文には困っていました。

 

 

 

本当の事を書けば争いになるし、かといって、思ってもない事は湧いてこないからです。

 

 

 

苦肉の策で、周囲の人がどんな事を書いているのかを見て、その数名の意見を足してアレンジして提出していました。当然、中身はスカスカで数行です。

 

 

 

少ないってよく言われてました(これはこれで怒られる)。

 

 

 

だから友達が正直に書いて怒られている光景を見て、本当の事を書くとこうなる、でもコイツ凄い...と思いました。

 

 

 

 

異なる意見を弾圧した事を反省する事も必要なのに、感想も違う意見を認めないなら、やってる本質が戦争当時と同じです。

 

 

 

「平和学習」と言われているけど、テーマと中身が一致していなかったから、違和感を感じていたのです。

 

 

 

 

そのような出来事があって、人の心理は、戦争当時と何も変わってないような気がしていました。

 

 

 

 

で、

 

 

 

 

後にコロナ騒動が起きて、本当に変わってなくてビックリしました。

 

 

 

 

気のせいじゃなかったのです。

 

 

 

 

そこで改めて言いますが、平和学習は意味ないですね。

 

 

 

 

全く生かされていません。

 

 

 

 

本当に効果があるなら、広島の人間が真っ先に、社会が狂っている事に気付かなきゃいけないのに、そうではありません。

 

 

 

 

発明者が感染症の診断に使ってはならない...と考えていたPCRを拡大し、

 

 

 

 

 

 

【PCR検査の発明者】キャリー・マリス博士の情報

 

 

 

 

ヨーロッパで(5月10日時点)12498人の死者を出しているワクチンの接種もしています。

 

 

【翻訳:Meiko】ヨーロッパのワクチン状況

 

 

 

 

 

どちらも不要だと声を上げなければならないレベルです。

 

 

 

 

それなのに、おかしいと思わず、戦争の時のように、みんなと同じ方向に進もうとしています。

 

 

 

 

 

 

5年くらい前なんですが、

 

 

 

原爆や戦争に疑問を持って、図書館の郷土資料室で調べものをしたり、身近な戦争体験者に戦争中の話を聞いたことがありました。

 

 

 

その時に、「原爆は本当に8時15分に落ちたのか」という本を読みました。

 

 

 

最初にタイトルを見た時は、「時間の誤差なんてどうでもいいじゃん」と思ったのですが、試しに読んでみると、それまで聞いてきた体験談にはない時間の証言や、記録を塗り替えた形跡があったりと、結構面白かったのです。

 

 

 

何のためにこんな事をするのか気になって、最後まで読みました。

 

 

 

その中で、私が注目したのはこの2点です。

 

 

 

●色んな人の時間の証言を残さず、一つの時間が事実であるかのように決めた

 

 

●原爆投下を知っていた日本人がいた

 

 

 

どちらの話も、身近な人から聞いた事はありません。

 

 

 

学校の平和学習でも習いませんでした。

 

 

 

歴史に残す場合、時間を1つに絞った方が覚えやすいかもしれませんが、それならそうと、「15分にしているけど、他に違う証言もあります。」と伝えるべきです。

 

 

 

でも、他の意見など無かったかのように8時15分と教えられます。

 

 

 

気象台の記録を書き換えた形跡もあるので、決め方はかなり強引です。

 

 

 

不正確な情報を伝える側も悪いですが、それにのっかった側である、広島県民にも問題はあります。

 

 

 

なんと、体験者でさえ、周囲の15分説に流されて、「15分」と言っていたようなのです。

 

 

 

『原爆は本当に8時15分に落ちたのか 歴史をわずかに塗り替えようとする力たち / 著者:中条一雄』

 

 

もうだいぶ前になる。一九八二年秋に開かれた旧制広島一中の昭和十九年(一九四四)年卒業組の在京生の同窓会でのことだった。

 

 

例によって原爆の話に花が咲いている時、その後、私がずっとこだわる「八時十五分への疑問」が生じた。

 

 

きっかけは話に割り込んできた山本郁郎君の言葉だった。そのころ彼は、キリンビール東京工場の工場長をやっていた。

 

 

 

「ピカドン(当時広島の人たちは原爆のことをそう呼んでいた)が爆発したのは、みんな朝八時十五分だったというが、あれは絶対に間違いだ。ぼくは八時六分だったと信じている」

 

 

周囲にいた数人が思わず「えっ、本当か」と声を出した。

 

 

 

「ヒロシマ原爆は一九四五年八月六日午前八時十五分に爆発した」は、もはや日本人の常識であり、厳然たる歴史的事実ではないのか。どんな本にもそう書いてある。新聞や雑誌も、まるで枕言葉のように「八時十五分」を使っている。それが間違っているなんて。

 

 

原爆は、原爆ドーム南東約一五〇メートルにある島病院の上空約六〇〇メートルで爆発したとされる。たしかあの爆心地にある説明板には、

 

 

爆心直下となったこの一帯は、約3000度~4000度の熱線と爆風や放射能を受けほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました

 

 

時に1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことでした

 

 

とあるはずだ。また平和記念資料館を訪れた人なら知っていることだが、入管前に配布される「広島原爆被害の概要」というパンフレットのまえがきの冒頭にも、

 

 

八月六日午前八時十五分、広島市の中心部上空約五八〇メートルで炸裂した原子爆弾によって生じた被害については...(以下略)

 

 

と書いてある。「きっかり八時十五分」で止まった懐中時計も陳列してある。

 

 

新聞記者時代、私も何度か「ヒロシマ原爆は午前八時十五分に落ちた」と書いたことがある。

 

 

といっても、私はあのとき時計を見たわけではない。みんながそう言うから、なんの疑いも持たず盲目的に、そうだという程度の軽い気持ちで書いていただけだったのだが。

 

(中略)

 

 

賛同する同級生たち

 

 

山本君の話を聞きながら、近くにいた同級生の中にも、

 

 

「そういえば八時は過ぎていたが、十五分にはなっていなかったような気がする」

 

 

「いままで、みんなが十五分だというものだからおかしいなと思っていた」

 

 

「誰が一番最初に十五分に爆発したと言い出したのだろうか」

 

 

 

などと言い出す者が出てきた。一人がこういった。

 

 

ぼくは当時、緑井(広島の北約一〇キロ)の工場に勤労動員に行っていた。八時までに工場へ行かなくてはならなかったが、それまで一度も遅刻したことなどなかった。

あの日、あわてて正門を通ったとたんピカリと閃光が走って、手首に軽い炎症を負った。はじめての遅刻だったし、十五分も遅刻していたなどと、どうしても考えられない。いままでみんなが「十五分だ、十五分だ」だというので、そうかな、と思っていたが、七、八分ぐらい遅れただけで、そんなに遅刻していないはずだ。ずっと気になっていた。

 

 

それにつられて、数人がしゃべりだした。

 

 

 

14p

 

 

 

周りが言うからそう言う...

 

 

 

新型コロナ騒動が起きてから、私は何度もこの本の話を思い出しました。

 

 

 

新型コロナにかかってしんどい思いをした人が周りにいなくても、インフルエンザの方が酷くても、みんなが「コロナは酷い」というから、なんとなく「コロナは酷い」という。

 

 

 

 

コロナ対策の影響で生活が破壊されているのに、みんなが「コロナの影響で~」と言うから、「コロナの影響で~」と言う。

 

 

 

治療法がないとみんなが言えば、「治療法がない」と言う。

 

 

 

・・・

 

 

 

その結果、みんなが言う事が本当であるかのように感じて、「コロナがいる」という前提で、社会を回しています。

 

 

 

 

 

 

 

小さい事なんですよ。

 

 

15分じゃないものを、「15分」という言う。

 

 

コロナが原因じゃない事を、「コロナで」と言う。

 

 

陽性者を、「感染者」と言う。

 

 

 

 

...でもそれを、毎日、大勢の人が繰り返し言い合う事で、真実であるかのように錯覚するようになります。

 

 

 

原爆の場合、みんなが同じ事を繰り返した結果ですが...

 

 

 

 

8時15分以外の時間を証言する人がたくさんいた事を知る人は、もうほとんどいないのではないでしょうか。

 

 

 

 

体験者の多くは亡くなっていたり、高齢で記憶が曖昧だったりします。

 

 

 

 

本当の時間がいつだったのかは、今となっては確認のしようがないので、15分が正しいのか間違っているのかは分かりません。

 

 

 

でも問題はそこではなく、「他の見解・証言が最初からなかった事」になる事です。

 

 

 

 

形だけでも、それを繰り返す事で概念が定着し、事実であるかのようにみんなが信じた。

 

 

 

 

それが問題だという事を、数年前、私はこの本から学びました。

 

 

 

 

で、現在こんな事態になって、自分がどう行動するかを考えたら、やはり、昔の人がした過ちを、分かっていながら真似をしようとは思わないんですね。

 

 

 

何年もかけて、調べて記録を残し、警告してくれた人に対して申し訳ない気持ちもあります。

 

 

 

だから今、言葉によって間違った概念が定着しそうだったら、一々言い直します。

 

 

 

 

嫌な奴だと思われても構いません。

 

 

 

 

嘘つきが100回嘘をつくなら、こっちは1000回事実を言ってやるぐらいの気持ちでいます。

 

 

 

 

お上の指示で、いったん権威を担って歩きだした見解を覆すことは至難のワザだ。

 

 

外圧でもない限りほとんど覆ることはない。

 

 

とくに活字になったものは信じられやすい。いろんな本にそう書いてあるからなんの疑いも持たない。出典を明らかにせず、不確かなまま、伝えられるたびに誇張される。

 

 

盲目的に信じ、やがては信仰にまでいたる。

 

 

エコー現象を起こして日本人の常識や歴史上の事実にまででっち上げられる。

 

 

史実としてあいまいなものが、ちょっとした思い違いや意図的な作為によって、歪んだ固定観念になって独り歩きする。

 

 

異説を唱える者は、異端者として一笑される。

 

 

世間への反抗ともとらえられかねない。そんな偏狭さを伴う危険すらはらんでいる。

 

 

210p

 

 

 

放置したら悪化します。

 

 

 

活動の動機

 

 

一応言っておくと、私はこのコロナの問題を発信するまで、平和とか、ボランティアとか、そういった活動に参加したことはありません。

 

 

 

興味もなかったし、そもそも私は昔から、平和活動に限らず、みんなで何かをする事が好きではありません。

 

 

 

ここに属しているからこうしなければならない...とか、嫌いなんですねそういうのが。

 

 

 

従って、広島に住んでいるから何かしないといけない...と思った事はないです。

 

 

 

 

今活動している理由は、自分の周囲の人を守る為です。その為には社会が悪くなったらダメだから、良くしたい...そんな感じで始めました。

 

 

 

社会貢献とか、そんな立派な事は考えてなかったです。

 

 

 

でも、現実に今回のような異常な事態になったら、過去に聞いたり、調べた戦争の話をよく思い出しますし、同じ過ちを繰り返しそうなら、止めようという気持ちになります。

 

 

 

 

コロナワクチンは人体実験

 

 

 

ちょっとワクチンの話をします。

 

 

コロナワクチンは治験が済んでいません。

 

 

 

打っている人も、受ける人も、勧める人も、この事を知らない人がほとんどですが、人体実験です。

 

 

 

性質も、今までのワクチンとは違います。遺伝子ワクチンです。

 

 

 

「異質の遺伝子」を体内に投与して、抗原(外敵、非自己)と抗体(白血球が作る特殊武器)を作ります。

 

 

 

 

 

いままでのワクチンとの違いは、抗原(コロナの抗原、スパイクタンパク)を自分の身体で作ることです。

 

 

 

 

体が抗原製造マシンに変わってしまいます。その機能がいつ止まるのかは誰にもわかりません。

 

 

 

体の機能を変える遺伝子をダウンロードし、遺伝情報を書き換えるようなものなので、遺伝子操作にあたります。

 

 

 

 

治験中なので、遺伝子実験です。

 

 

 

 

 

 

 

遺伝子組み換え動物は短命になります。

 

 

 

このワクチンについて、専門家達は次のように述べています。

 

 

 

ナカムラクリニックさん訳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専門家達が2年以内に死ぬといっているようなもの、動物実験で成功していないようなものを、人間で実験しているのです。

 

 

 

おまけにこのワクチンは、撃った人の体を、スパイクタンパク(抗原)を製造するように変えてしまうので、打った人から感染が広がります

 

 

 

マイアミのCentner Academyという私立学校では、接種した人は生徒から離れてもらうように発表。

 

 

 

日本でも福岡県久留米市の病院が、接種した人の立ち入りをお断りされています。

 

 

 

 

 

こんなのは序の口です。

 

 

 

今後続々出てきますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

打った人の体から何かが出て、周囲の人を病気にする

 

 

 

 

...私も最初は信じられず(というか信じたくない)、記事にしなかったのですが、顔と名前を出して証言する専門家が増えてくるにつれ、無視できなくなりました。

 

 

 

 

その報告が世界各国でされています。多いので、知りたい方は以下のまとめたページをご覧下さい。

 

 

【コロナワクチン】ブレークスルー感染

 

 

 

 

実験段階ですが、確実に言えるのは、接種後から感染爆発しているということです。

 

 

 

 

もちろん死者も増えています。

 

 

日本でも増えてきました。

 

 

 

 

以下は健康を害した人達です↓。死ななくても酷いです。

 

 

 

 

 

 

 

亡くなった人達の数の比較です(アメリカ)↓。

 

 

 

 

 

ちなみに、有害事象報告システムの人数は全体の約1%程度...といわれています。報告されなかった被害がたくさんあると思って下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

打った人に重篤な副作用が表れる、

 

 

 

打った人が死ぬ、

 

 

 

打った人自身の体が、コロナの抗原を作り続け、周囲に影響を与える...

 

 

 

 

医療行為だと思っている人は多いですが、結果をみれば、生物兵器です。

 

 

 

ワクチンは生物兵器、原爆は核兵器、どちらも大量破壊兵器です。

 

 

 

 

 

原爆も人体実験

 

 

 

原爆は人体実験でした。

 

 

 

平和学習では習わなかったですが、原爆が落ちる事が事前に分かっていた...という記録が、調べると至る所に残っています。

 

 

 

 

『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』にもその事が書かれていました。

 

 

 

いま一人は私の中学、高校で二年先輩の水田泰次さんだ。二〇〇〇年八月発行の同人誌の中で、やはり「広島で原爆が落とされることがわかっていた」と次のように書いている。

 

 

当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。原爆が投下される三ヵ月前の一九四五年五月のある日、冶金教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。

 

 

先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆制作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。

 

 

 

そして、その第一回現地テストを広島で行う予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした。

 

 

 

水田さんは西村教授の忠告にしたがって、両親をすぐに広島近郊の廿日市に疎開させた。おかげで両親は原爆の被害にあわなくてすんだ、この西村教授の忠告は、今や想像もできないくらい奇想天外ともいえる機密情報だが、水田さんはこう言う。

 

 

「西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物語の湯川秀樹教授が座っておられた。それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ」

 

 

独自のルートで考えられるのは『もはや高地なし』の一節だ。原爆投下の約半年前の一九四五年初めごろから、一部の米学者の間から「原爆使用反対」の声が出て、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所だった。

 

 

 

アーサー・コンプトン所長を中心に政治家や軍関係者に対し、さまざまな反対運動を繰り広げたようだ。その様子は「届かなかった原爆使用反対の声」という項目で詳しく紹介されている。(同書一一一ページから一一九ページまで)。

 

 

 

六月四日には「同研究所で対日原爆使用を阻止しようとして七人の科学者が会合を開いていた」とあるが、結局反対の声は通らなかった。

 

 

 

シカゴ大と京大、そして同じ冶金教室。冶金つながりに不思議な符号がある。学者の間では、あの戦時中でもスイスあたりを経由して、日米間でひそかに情報を交換していたという話もある。

 

 

終戦後、西村教授が亡くなったのち、水田さんは同教授のご子息に「生前、こんな話を聞いていましたか」と尋ねたところ、「そんな話は一切聞かなかった」という返事だったという。だが、水田さんは、今でも日米間の「冶金つながり」を信じている。

 

 

187p

 

 

 

テストとして3か月前に決まっていたそうです。

 

 

 

私はこの本を読むまで、こんな話は聞いたことがありませんでした。現地の人さえ知らないのです。

 

 

 

 

広島がコロナ対策に加担してはいけない理由

 

 

 

広島は色んな場面で非人道的な行為に対して、強くメッセージを発信してきました。

 

 

 

しかし、今回の遺伝子実験には反対もせず、市民に危険性を知らせもしません。

 

 

 

 

先日、県庁や市町村に何度も足を運んでいる仲間と話をしました。PCRの嘘、ワクチンの危険性を役所の方達にちゃんと伝えているそうです。

 

 

 

 

これだけの資料を渡したので「知らなかった」とは言わせませんよ...と。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワクチンを必要とする為には、感染者が必要です。

 

 

 

その原因を作っているのがPCRです。これは診断用ではないので、偽陽性(偽の感染者)がたくさんでます。

 

 

 

少し前ですが、別の方が記者会見に参加し質問してくれました。

 

 

 

 

 

「質問中の「986万人」は「989万人」の誤りでした」とのことです。

 

 

 

 

PCRは偽陽性率90%です。誤診の温床なので、拡大すれば感染者数の水増しに繋がり、それを理由に自粛すれば、経済が破壊されます。

 

 

 

 

人によってやり方は様々ですが、健康と経済を破壊しない為、同胞を守る為、一般の人たちが必死に情報を伝えています。

 

 

 

 

特にワクチンは命に関わる問題です。止めないと大惨事になります。

 

 

 

 

このような市民の訴えを無視して人体実験に加担するなら、二度と「平和」という言葉を使わないでいただきたいです。

 

 

 

 

さらに言っておくと、ニュルンベルク綱領にも違反しています。

 

ニュルンベルク綱領(こうりょう)とは

 

 

 

 

平和、過ちは繰り返しません...等と世界に宣言しておいて、行動が逆です。

 

 

 

 

地元のメディアも同じです。

 

 

 

平和や原爆関係の放送をして綺麗事を言うくせに、コロナに関しては薬屋に利益誘導しています。

 

 

 

 

核兵器は叩いて、生物兵器は歓迎というのは、さすがに恥ずかしいです。

 

 

 

 

 

 

平和をアピールしている広島が、率先してこの悪行を止めないといけないと思っています。

 

 

 

 

このように考えているのは、私だけではありません。

 

 

 

 

ここ数か月間で、県外に住む人達から、広島が行動すると影響力がある...と何度か言われました。

 

 

 

 

その話を聞いて、以前こちらの記事を書いたわけです。

 

 

コロナワクチン被害の問題を被ばくに置き換えて説明してみました

 

 

 

 

広島・長崎は、非人道的な行為を批判しやすい

 

 

 

私が広島が率先してやらなければいけない...と考えている理由をお話します。

 

 

 

それは、人体実験の被害者として、今回の人体実験に対しても強くNOと言えるからです。

 

 

 

原爆の被爆者も、ワクチンの副作用の被害者も、同じ人体実験の被害者です。

 

 

 

 

しかし、ワクチンの被害者は叩いてもいい...みたいな風潮があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワクチンの被害を訴える人は、カルトやデマなんだそうです。

 

 

 

 

一方、原爆の被爆者は「かわいそう」という刷り込みがされているので、叩きづらいです。カルトやデマ...等と言ったら、言った方が悪者みたいになるでしょう。

 

 

 

 

だから、どちらも人体実験というくくりにして、セットで批判します。それを広島・長崎の人間がすればいいのです。

 

 

 

 

人体実験である原爆の被害者には手を差し伸べるのに、

 

 

 

人体実験であるワクチンの副作用の被害者に手を差し伸べないのは不公平です。

 

 

 

 

私は、今回騙されて実験に参加した人は、原爆手帳みたいな形で救済した方がいいと思っています。ワクチン接種を止めて、そのお金で。

 

 

 

 

どの理由で亡くなってもかわいそうです。同じ命だからです。戦争被害にあった悲惨さはどこも同じで、原爆が特別かわいそうとは思いません。

 

 

 

ただし、日本で明白に人体実験の要素があったのは広島・長崎です。そこは特殊です。

 

 

 

そのため、同じような事に反対する大義名分が備わっています。

 

 

 

 

また、「戦争」という概念を持ち出す事で、「陰謀論」という言葉も封じることができます。

 

 

 

戦争中であれば、国が嘘をつくことも、陰謀も、あって当たり前だからです。国は嘘なんかつかないよ、陰謀なんてないよ...そんな戦争はないでしょう。

 

 

 

 

ワクチンは、人体実験として、戦争犯罪として批判するのが効率がいいです。そして、それを広島や長崎から発信すると、より説得力があります。

 

 

 

広島が率先して行動を起こしたい...と考えるのはそういう理由です。

 

 

 

 

ワクチンを批判するのが難しい理由

 

 

 

ワクチンは普通に批判すると弱いんですね。

 

 

 

何故かと言うと、『医療行為』という善意の皮を被った“悪”だからです。

 

 

 

よく、コロナ騒動の事を「善と悪の闘い」と言う人がいますが、「善と偽善の闘い」でもあると考えています。

 

 

 

ワクチンの批判が難しいのは、偽善を壊さないといけないからです。

 

 

 

多くの人が立ち上がり、ワクチンに対してNOと言ってきました。

 

 

 

でも、歯切れが悪いケースを多く目にします。

 

 

 

私はワクチン自体を否定しているわけではありませんが~とか、反ワクチンではありませんが~と、前置きしてから否定に入る方が非常に多いです。

 

 

 

私から言わせれば、そんな弱気じゃ足元見られますよ。

 

 

 

 

最大の問題はここです。下手をすると、叩く方が悪いみたいに言われるから、思いっきり批判できないんですね。

 

 

 

悪いんだけど...いいかもしれないし、でも~

 

 

 

 

...みたいに、ブレーキとアクセルを同時に踏むようになるので、アクセル全開で向かっていくより、疲れるわけです。当然攻撃力も弱まります。

 

 

 

悪にとって、偽善は最強の隠れ蓑です。

 

 

 

「医療」という善意の皮をかぶっているから、思いっきり叩けないので、当然主張は弱くなります。

 

 

 

寸止めは、受け取る人の心に刺さりません。

 

 

 

「悪いところもあるけど、でも、いいところもあるんでしょ?」みたいに、良い可能性の方に期待するからです。

 

 

 

そうなる可能性があるし、犯罪だから、最初から全部叩きます。今はそれが効率がいいと思うようになりました。

 

 

 

ワクチンを全否定する理由

 

 

ウイルスというのは、実はエクソソームではないか...という説があります。

 

 

 

 

 

 

ウイルス説とエクソソーム説...

 

 

 

私はこれまでの流れから、ウイルス説はでっち上げだと思っています。

 

 

 

最初はそこまで思わなかったのですが、

 

 

 

新型コロナの存在証明を、色んな人が要求しているのに出てこない様子を見て、その考えが強くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他にもたくさんあります。

 

新型コロナウイルスの変異株によって若い人がたくさん死んでいるという報道の真相

 

 

 

ウイルス説がインチキなら、それに対応するワクチンは、全てイカサマということになります。

 

 

 

 

過去に、効果があったとされるワクチンが、感染症が自然に終息する時期に合わせて接種を開始し、「ほら効いただろう」と、詐欺まがいのことをしていた事は調べればわかります。

 

 

 

 

一方で、BCG等、現場の医療従事者から効果があると言われているワクチンも知っているので、ワクチンを全否定したくない人の気持ちも分かります。

 

 

 

 

...でも、それでも今は、私はワクチンを全否定します。何故なら、

 

 

 

 

生体に備わっている治癒力を弱小に捉える発想と、ビジネスモデルが終わっているからです。

 

 

 

 

ちょっと列挙します。

 

 

 

 

●製薬会社で一番訴訟が多いのはワクチン部門だった

 

自分の子供にはワクチンを打たせないと決めた、元製薬会社のセールスマンの話

 

 

 

●過去に被害を出しても反省なし(追求するとブロック)

 

 

●批判する人に圧力をかける

 

 

●今はメーカーは免責される

 

 

●被害者を精神病呼ばわり

 

 

●アビガン、ヒドロキシクロロキン、イベルメクチンを危険だといって潰す。その上でワクチンしかないとアピール。

 

 

●副作用を隠蔽、因果関係は認めない

 

 

 

 

・・・どうですかこれ、誠実さの欠片もありません。

 

 

 

こんなもんが医療であってたまるか!と言いたくなります。

 

 

 

 

 

安くて、効果的な治療方があると、ワクチンの出番はなくなります。

 

 

 

多くの治療法が弾圧されました。アビガン、ヒドロキシクロロキン、イベルメクチン...

 

 

 

最初はアビガンだけかと思いましたが、他の薬も同じような目に合っていました。常習性があります。

 

 

 

 

 

新型コロナの治療法一覧

 

 

 

 

こういう事をしないと売れない時点で終わってるんですよ。

 

 

この倫理感はないです。

 

 

 

 

もしかしたら、効果のあるワクチンもあるかも...とか、仮にそうだったとしても、このレベルまでくると、そういう問題じゃありません。

 

 

 

ウイルスの存在証明がある・ないに関わらず、

 

 

 

 

大前提として、このような倫理観に根差した治療法であるという時点でダメなんです。

 

 

 

 

コロナワクチンも、至る所に不誠実さが表れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

政府発表資料の一部も黒塗りでした。

 

 

現在このアドレスに行くと見つからないので、どこかに移動したのかもしれません。

 

 

 

https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_A100_2.pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誠実さのない医療は暴力です。

 

 

 

 

また、人間が自然にもつ治癒力に頼るのではなく、他のものに依存する発想もダメです。

 

 

 

 

 

世界的な免疫学の権威、安保徹(あぼとおる)先生も、自然に感染する事が大事だと言っておられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

不自然な世界は危険だそうです。

 

 

 

 

有名な話ですが、安保先生は生前

 

 

 

「ここだけの話、皆さんだけに言っちゃうんだけっども、わだす狙われてるんですわ。研究室は何度も荒らされてるし もし突然死ぬようなことがあっだらば殺されたんだと思ってね」

 

 

 

...と言っておられたそうです。

 

 

 

数年前、その彼が突然亡くなられたので原因を調べたのですが、有名なのに、当時は死因が分からなかったのです。

 

 

 

もし彼が今生きていたら、感染症対策に影響を与えていたかもしれません。

 

 

 

安保先生のような考えをする人が消えると、行き着く先はこれです。

 

 

 

 

 

 

 

足りないから加える...この発想ですから、

 

 

 

薬漬けです。

 

 

 

 

体に異物を入れなければ健康でいられない...という発想が病気の始まりです。異物を入れるからおかしくなるし、いつまで経っても不健康なのです。

 

 

 

 

今までのワクチンも、散々な結果になっています。

 

 

 

 

 

日本でも同じですよ。

 

 

 

3種混合ワクチンを打った結果を、医師2人が解説しています(ちなみに元動画は消されました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは健康ではないから、何もしないと病気に勝てないから、何かを加えるんだ...

 

 

 

と考える人がいるかもしれないので、一応言っておきますが、私たちが不健康なのはコレのせいです。

 

 

 

 

 

 

 

...不健康になりますよ。

 

 

 

これらの問題をなくせば、健康でいることは今より簡単になりますが、それはしないわけです。

 

 

 

むしろ、年々酷くなってるんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病気になる環境を作って放置して、自然治癒力はあてにならないからこの製品を...

 

 

 

って、コンセプトがクソじゃないですか?

 

 

 

 

詰めが甘い主張は相手にとって有利になる可能性がある

 

 

 

国産まで待ちます...とか言う人もいますが、

 

 

 

 

国産でも中身が動物実験で死ぬもの、長期研究データがないもの、遺伝子操作のもの、水銀、アルミ等の添加物が入っている物であれば、毒ですよ。

 

 

 

 

日本が作ったらいい品質のものができると考えられていますが、その理屈からいくと、極上の毒ができます。

 

 

 

 

核兵器は外国産だろうが、国産だろうが、危険です。※第二次世界大戦中に日本も原爆を作ってました。

 

 

 

パキスタン産だろうが、フランス産だろうが、アメリカ産だろうが、非人道的、有害と言うくくりでは、同じ穴の狢です。

 

 

 

製作者や品質が問題ではありません。

 

 

 

 

殺傷能力・武器としての性能の良し悪し、優劣はありますが、武器は武器です。人を傷つける物である事には変わりありません。

 

 

 

 

また、注射だけでなく、錠剤や、スプレー、シール形式の物も存在するので、注射だけ批判してもダメです。

 

 

 

飛行機から落とそうが、ミサイルの先に搭載しようが、カバンに入る小型だろうが、核兵器なら、核兵器なんです。形状が問題ではありません。

 

 

 

 

また、健康な人。基礎疾患が無い人。若い人なら大丈夫...ではありません。程度の差はありますが、年代・性別・人種・体質関係なく重篤な健康被害がでています。

 

 

 

 

遺伝子操作なんて、誰であろうがやっちゃダメです。

 

 

 

 

 

 

このワクチンは、これまで全くヒトに試したことがなく、今回が初めて。

 

 

 

DNAやRNA、ゲノムや遺伝子に手を加えている。これらは似た言葉で、同様の場面で使われる。

 

 

私たちが人間であるのはゲノムによるもの。それは生命の設計図である。成長も、生殖も、進化も。治癒も全てゲノムと言う設計図があってこそ。

 

 

どんな形であれゲノム操作は、わずかなミスでも悲惨な結果を招く恐れがある。

 

 

例えば、癌、突然変異形成、突然変異遺伝子、自己免疫疾患等。これらは後期の影響。

 

 

 

若ければ設計図をいじっていい...なんてことはありません。全ての人にとって致命的です。

 

 

 

放射能や麻薬が、健康だろうが不健康だろうが、関係なく体を蝕んでいくように、ワクチンも健康だろうが不健康だろうが、関係なく体を破壊していきます。

 

 

 

健康な人はゆっくり壊れる...それだけの違いです。

 

 

 

ただし、遺伝子ワクチンの場合は、細胞が入れ替わるスピードが早い健康な若者に、早く影響が出ているようにもみえます。

 

 

 

 

ダメなものはダメなんです。1ミリも譲るなということです。

 

 

 

小さく生んで大きく育てるのが常套手段ですから、小さいからといって油断してはいけません。

 

 

 

 

 

 

 

反ワクチンではない~とか、海外産は怖い~と、隙を与えると、必ずそこにつけこんできます。

 

 

 

じゃあ、「良いワクチンならいいんだろ」、「国産ならいいんだろ」と。そう言われた時に、言い返せなくなります。

 

 

 

その時になって意見を変えたら、「信用ならない奴だ」と言いがかりをつけてくるかもしれません。

 

 

 

「良いワクチンならいい」とか、「国産ならいい」という寸止め発言は、後で、相手にとって有利な発言になってしまうという事を心に留めておいて下さい。

 

 

 

相手もこちらの言い分を見て、対応を変えています。

 

 

 

遠慮したら足元見られますから、先の先を見越して、最初から核心をつく発言をした方が後楽です。

 

 

 

よかろうがどうだろうが、すでにこれだけの犯罪を重ねた以上、表に出る資格などないのです。

 

 

 

それに、その製品が良いかどうかなんて、いくらでも操作できます。今回の件でそれがよ~く分かりました。

 

 

 

感染者が少ないからワクチンを打つ必要がない...もダメですね。

 

 

 

感染者が増えたら打つ必要があるという理屈にもなるので、打つ理由を与えてしまっています。

 

 

 

お得意の水増しで増えた事にされれば、不利になります。

 

 

 

感染者がどうだろうが、毒を入れてはいけない。これを軸にしてブラさないことです。

 

 

 

感染をなんとかしたいなら、アビガン・イベルメクチン・ヒドロキシクロロキン...これらを使えるようにしろ!と言うのが効果的です。

 

 

 

病気になった人にだけ使うので、こちらの方がまだマシです。

 

 

 

詰めが甘い説明の例

 

 

 

隙を与えると、抜け道を探そうとするのは、確信犯だけではありません。

 

 

 

一般の人でも、自説を曲げない為の抜け道を探そうとするので、遠慮した説明は不利になります。

 

 

 

色んな人と対話をしましたが、寸止めは相手のペースにはまりやすいです。

 

 

 

先日、仲間のお子さんが通う学校に同行し、先生にマスクの危険性を伝えました。

 

 

 

私は保護者ではないので、この時は、いつもよりかなり控えめに、10あるうちの2くらいの情報を提供したのです。当然、危険性が伝わりにくくなります。

 

 

 

マスク内で細菌が増殖し、再吸入する事で重篤な健康被害が起きる事。

 

 

マスクで感染症悪化

 

 

マスクは感染症の温床になるので、医療従事者は、気圧や温度が管理された室内で、1時間ごとに交感する等気をつけている。一般の人は頻繁に交換しないから、逆効果..

 

 

 

 

というお話をしたところ、

 

 

 

一時間ごとに交感しないと不衛生なら、心配であればたくさん用意していただいて...と、マスクを着けることを継続する方向の発想をされました。

 

 

 

体に悪いから外した方が良い..ではないんですね。

 

 

 

だから、

 

 

細菌だけの問題ではなく、呼吸を阻害するので、代謝システムに負荷をかける事、酸欠により脳にダメージを与える事、細菌やウイルスに対抗する免疫機能が低下する事、

 

 

 

頻繁にマスクを交換して細菌の問題が軽減されたとしても、「呼吸を阻害している」という問題は解決できない事をお話しました。

 

 

マスクを付けた時の酸素濃度と、低酸素の体への影響

 

 

 

 

すると、呼吸のしやすいウレタンマスク等...と言われたので、

 

 

 

その化学物質を吸い込むことによって、健康被害が起きる事を説明しました。

 

 

[重要]一部のマスクに使われているポリウレタンには、トルエンの1万倍の毒性がある猛毒成分イソシアネートが含まれています

 

 

 

こんな感じで、危険だと知っても、自説を曲げない為の抜け道を探そうとするので、ダメだと分かっているものは、隙を与えず完全にダメ出しした方が効率が良いです。

 

 

 

ただし、最初から10話すと、頭に入らないという問題もでてきます。

 

 

 

相手の立場を考えて控えめに行動する事も大切ですが、そればかりではダメで、やはり、言わなければならない事はハッキリ伝えた方が良いと思いました。

 

 

 

マスクの事に限らずです。

 

 

 

反ワクチンのレッテルを貼られるのが恐ろしい...と怯んでいる方が多いですが、犯罪を否定するのは人として当然です。

 

 

 

反核兵器、反戦争、反詐欺、反犯罪と言われるのが怖い...とは思わないですよね。

 

 

 

 

反対する人は、

 

 

ワクチン=人体実験=犯罪

 

 

このぐらい言い切っていいです。

 

 

 

 

今まではワクチン被害を目にする事は少なかったですが、今回は被害報告が多いので、デマとは言わせません。ここまで証拠が揃ったら全否定でいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナ研究室

 

 

 

 

反ワクチンとか甘いです。核廃絶と同列に扱って、ワクチン廃絶、このぐらいでいいです。

 

 

 

 

ワクチンもそうですが、『医療行為を装って人殺しを可能にする性質を持っているもの全て』に対してNOと言います。

 

 

 

『本物の治療法』を弾圧する行為にもです。

 

 

 

心理操作に注意

 

 

 

「嫌なら本人が打たなければいい、他人にまで言うな」という意見があります。

 

 

 

私はそれに違和感を感じていました。

 

 

 

爆弾が降ってくる時に、「嫌なら防空壕に逃げればいい。他人を防空壕に誘うな」と言われるような違和感です。

 

 

 

仲間を助けようとするのは、おかしな行動ではないのですが、

 

 

 

それをすると、まるで悪い事をしているみたいな感じに洗脳しようとするわけです。打つ自由を邪魔しているみたいに...。

 

 

 

みんなに「逃げよう!」って言いづらいんですよ。

 

 

 

 

強盗が入ってきてみんなが撃たれるかどうかの時に、「いや、撃たれる自由もあるから~」という発想をするでしょうか。

 

 

 

そんな事を考える方がどうかしています。

 

 

 

こんな発想をするとしたら、「生命体としての大事な機能」が欠落していると言っても過言ではないでしょう。

 

 

 

でも、ワクチンだとそういう思考に誘導されるのです。

 

 

 

私も「他人の意見を尊重しなければ」と思っていたので、このような意見に対しては反論を控えていました。

 

 

 

でも途中から、犯罪行為に遠慮している事が、馬鹿馬鹿しくなりました。

 

 

 

 

本人が好きでやっている事を邪魔するな...みたいに、「問題を指摘する事」が間違いであるかのように言う人がいますが、

 

 

 

 

冷静に考えたら、これはそういう類の話ではないのです。

 

 

 

 

例えば、ピアノを習いたい幼稚園児に対して、「空手をやった方が良い」と言うのは、余計なお世話です。本人の趣味の問題だから、そんな事を言う必要はありません。

 

 

 

 

でも幼稚園児が、青信号を「止まれ」、赤信号を「渡れ」と教えられて、実行しようとしている場合、相手の意見を尊重して放置するのが得策だ...とは私はどうしても思えません。

 

 

 

デメリットを知らずにワクチンを打つ事を、本人の意見とか哲学的な話にすり替えて、煙に巻こうとする人は多いですが、ただの犯罪ですから。

 

 

 

他の犯罪は罰せられるのに、これだけが野放しだから怒っているわけです。

 

 

 

犯罪は許したら広がるんです。被害を受けた人だけの問題ではありません。

 

 

 

今回のワクチンはスパイクタンパクによる影響もあるので、この可能性も考慮する必要があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意見や考えの違いの話にすり替えるのは、犯罪を犯罪とは思わせないようにする為の手口です。

 

 

 

 

悪事に気付いた人が、善行を行えないようにする心理操作が、たくさん仕掛けられているので、それにのせられないよう気をつけて下さい。

 

 

 

 

ワクチン接種によって、多くの医療機関が令和の731部隊と化しています。

 

 

 

この犯罪を見てみぬフリをするのは、人として恥ずかしいと思っているので、人体実験の被害に合った地の住人として、反ワクチンなどというキーワードを恐れずに発信します。

 

 

 

同時に、おかしな概念はどんどん訂正します。気付いた人が声を上げなければ流されていきますから。

 

 

 

 

反ワクチンとか、非国民と言われたら、堂々とこう言います。

 

 

 

同じ過ちを繰り返すなバカ野郎と。

 

 

 

 

最後に、事実確認せずに流される事の危険性を教えてくれた中条一雄氏が伝えたかったであろう事をいくつか紹介します。

 

 

 

いま一つ、気になるのは、「八時十五分」に統一したことによって、気象台のように、古いナマの文献にまでも手を加えたり、時間を統一したりすることだ。

 

 

それは文献としての価値を放棄することになる。

 

 

事実が終わったあとで、自分勝手な解釈を加えて改竄するなどして、脚色や推理をすれば作られた歴史になる。

 

 

事実が事実でなくなりフィクションの世界に入る。美化や脚色や神話が始まる。あとになってあれこれいうのは、ほとんどすべてフィクションの世界の議論になる。

 

 

いろんな人の手を経ているうちに、真実がいかにあいまいになるか。

 

 

エノラ・ゲイの航空日誌のように真実が二つも、三つも出てくることもある。

 

 

それが高じれば、事実を抹殺し、都合のいい間違った「事実」をでっちあげることもある。

 

 

原爆の爆発時間の問題は、たとえ数分ぐらい食い違っていても、まあたわいのない話(かもしれない)。

 

 

だが、たとえば海兵の川島さんが指摘しているように、八時十分で止まった時計の写真説明に、編集者が「爆風によって針が上方に動いたものと思われる」という注釈をわざわざつけるような行為が出てくると黙っていられなくなる。

 

 

 

それでも、写真説明程度や「十五分」で止まった時計を見せびらかす程度なら、まだ百歩ゆずれるかもしれないが、何度も言うように間違った事実をこじつけ、別の目的の手段として押しつけられることになれば、事は重大である。

 

 

 

いわゆる「歴史小説」や「歴史ドラマ」は、いろんな歴史的なデータから推測して、あたかもその場にいるような場面を想定し、主人公の言動や会話、心理的な動きなどを創作する。

 

 

もし徳川家康や近藤勇が生きていたら「そうじゃない」と抗議したり、名誉棄損で裁判に訴えることも随分あるのではないか。「死人に口なし」だから、小説もドラマも成り立っている部分がある。

 

 

被爆者の一人として爆発時間を小説やドラマ風に安易に決めてほしくない。

 

 

「十五分」を基準に推測し構築された歴史は、嘘の歴史にすぎない。改竄すれば、文献が文献でなくなる。

 

 

市当局のお役人は、ここまで見通して「八時十五分」と決めたのだろうか。「八時十五分」は、単なるセレモニー用だけにとどめておいてほしいと思わずにはおれない。

 

 

212p

 

 

 

 

 

 

友人の証言やいただいた手紙の時間がすべて正しいとは思わない。また、そのはずもない。

 

 

何度も言うように、証言する人の記憶の不確かさ、時計の精度などが問題だからだ。

 

 

だが、それはそれで個々人の原爆への思い入れだ。概成化した「十五分」だけが正しいわけではない。

 

 

恐いのは目に見えない何かによる原爆への考え方の画一化だ。

 

 

218p

 

 

 

 

 

今日、世界の核保有国の指導者で、核兵器のスイッチを押そうなどと本気で思っている者は一人もいないだろう(と信じる)。

 

 

 

核兵器を使用すれば、地球全体を破壊し、人類の破滅につながることが明らかだからだ。その点で、原爆の残忍さ、悲惨さ、恐ろしさを訴え続けてきたヒロシマの反核平和運動は、一定の成果があったというべきだろう。

 

 

だが、反核平和運動が、地球上に真の平和をもたらすと考えるのは早計だ。

 

 

平和を乱すのは核兵器だけではないからだ。地雷や劣化ウラン弾に反対することも大切だ。いや、ナイフやこん棒でも人は殺せる。

 

 

「反核」は、本来なら「反兵器」でなくてはならない。

 

 

兵器を作り、売買する者こそ糾弾されねばならない。

 

 

私はヒロシマの平和運動に限界を感じている。

 

 

世界にはいろいろな局面でひどい目にあった名もなき民衆がいくらでもいる。悲劇はヒロシマだけではない。戦争被害の問題は広く大きな目で見なければ説得力はない。

 

 

 

ここ二〇年近く、私は原爆の爆発時間に異常にこだわってきた。

 

 

 

というのも、「八時十五分爆発説」が、あまりにも形式化し、停滞し、画一化し、硬直化し、唯我独尊で発展性のないヒロシマの平和運動そのもののように思えたからだ。

 

 

いろんな証言や文献によると、早いのは七時五十分、遅いのは八時三十分とさまざまだ。八時十五分に爆発したという証拠はほとんどない。

 

 

私が調べた限りでは、むしろ八時十五分を否定する証言が多い。

 

 

だが、いつの間にか、「八時十五分」が事実となり、国民の常識にまでなってしまった。

 

 

何かしら強大な力によって、無理やり歴史的な事実がでっち上げられる恐さを感じる。

 

 

「八時十五分」以外の時間で止まった時計は、証拠にはならないとばかり無視するのは、役に立たないと弱者を切り捨てるやり方にも通じる。

 

 

もう一度言いたい。

 

 

ヒロシマ原爆は八時十五分には爆発していない。せめて、この事実だけでも世間の人にわかっていただきたいと思う。

 

 

222p